第85話 その血の贖罪
翠の目を持つ少女は、自身よりも大きく、また野蛮人染みた外見の騎士に睨まれようとも退く素振りを見せない。
どっしりと地に根を張った大樹のような貞淑な態度を崩すことなく、彼女は騎士に問いただす。
「それで、こちらの方はどのような根拠を以てここに拘留されているのでしょうか?」
「あ? どんな理由って言ったってな……それはなお嬢ちゃん、こいつが見るからに怪しいからだよ。偽物らしい身分状を持ってきて、この街に入ろうとしてたんだぜ?」
楽しい教育のお時間にいきなり割り込んできた彼女に最初は不機嫌そうな表情を見せたものの、やがてその姿が美少女だということに気づいてか、騎士は打って変わって優し気な口調で事情を説明した。
しかし、その言葉は相手を気遣うものというより、聞いていた少女の耳を不躾に舐るようなものにラストは聞こえてならなかった。
だが、少女はその気持ち悪い響きにも負けることなく冷然と言い放つ。
「なるほど。――では、風貌が怪しいことが拘束の理由となるのならば。あなたも同様に捉えられるべきではありませんか?」
わざとらしく騎士の全身を眺めて、彼女は再度問いかけた。
それを聞いて、騎士は不機嫌そうに眉間に大きく皺を寄せる。
「……あんだと?」
「騎士にあらざるべき不清潔な外見、礼儀も知らぬ言葉づかい。その鎧は下賜されたものというより、どこかの真の騎士から奪ったか、偽物を仕立て上げたと言われた方が信じられます。となれば、まずは貴方が本当に騎士であるかどうかも確かめなければなりませんね?」
不快な表情を浮かべる騎士に対して、少女はさらりとそう言ってのけた。
「なに言ってやがる、俺は本物の騎士で……」
「では、騎士章を見せていただけますか。本物の騎士であるならば、叙任式において誓いを捧げた主から騎士たる証を授かっているはずです。それを、どうか私に見せてください」
騎士章とは、栄誉ある騎士であることを認められた証である。
騎士とは自称するものではなく、主として忠誠を捧げた者に認められなければならない。
主は騎士の誓いを受けた証として騎士の身分を示す徽章を授けるのが、多くの国での慣例となっている。
もちろん主に認められた忠義と誇りの証として、騎士はその徽章を常に肌身離さず持ち歩いているはずなのだが――。
「なんだそれ、俺はそんなもん貰った記憶はないぜ? 嬢ちゃん、どこでそんな与太話を聞いたかは知らねえが、なにか勘違いをしてるんじゃねぇか?」
騎士は一瞬ぽかんとした顔を見せてから、首を振った。
真実心当たりがないといった様子で呆れる騎士に、しかし少女は引かなかった。
「いいえ、そのようなことはありませんよ。――ユースティティア騎士法第三条、騎士たる者は常に剣と白梅を胸に誇るべし。これを守らない者は、この地では決して騎士とは呼ばれないのです」
「なんだと?」
「つまり、貴方が何と言おうと騎士の証を持ち合わせていない以上、貴方は騎士ではないのです。故に貴方の法の根拠もない適当な命令に、そこのお方が従う道理はどこにもありません。――そして」
更に彼女は騎士が机に置いていたラストの信頼性を保証する紙の一点を、その可憐な指先で指し示す。
「こちらの押印に使用されている紫色の朱肉をご覧ください。これは偽造が簡易な印鑑に代わり、歴代のヴェルジネア領主が支配下の村長に与えた特殊な色材なんですよ。高価な辰砂と藍銅鉱を配合した鉱顔料……判子程度ならばともかく、この美しい色を偽造するには既定の配合率を知らなければ不可能です。これをお持ちのこの方と、騎士章を持ち合わせていない貴方。どちらが鉱山での強制労働を課されるに値するか、赤子の頭でも分かることと思いますが?」
どうやら先ほどの話を少女は全て聞いていたようで、面と向かって同じ罪状を突きつけられた騎士は、瞬く間に顔を真っ赤にして傍の壁に立てかけてあった剥き出しの鉄剣を構えた。
「小娘が、生意気な口を聞くなっ!」
そしてあろうことか、騎士は感情のままに少女へと向けて剣を振り下ろした。
言葉で勝てないのならば実力をもって何が正しいのかを示そうとする、法を破る側の論理が少女に対して牙を剥こうとする。
舌の鋭さは騎士槍のようだとは言っても、彼女の二の腕は武力を自負するにはあまりに細すぎた。
騎士の剛剣は、触れれば容易く少女の柔肉を引き千切るであろう――だが、その凶刃に彼女の口から悲鳴を上げさせることは叶わなかった。
「……そう言えば、思い出したよ。騎士法第七条、弱き善を軽んじることなかれ。驕る巨悪を屠ることこそ、騎士の誉れなり。……違ったかな?」
瞬時に少女の盾として彼女の前に移動したラストが、騎士の剣を二本の指で挟むように受け止めていたからだ。
重い鉄剣による一撃を止めたというのにも関わらず、ラストは顔色を変えずに余裕を持ったまま少女に尋ねる。
ラストは昔、ブレイブス家にいた頃に読んだ王国法の一条を思い出したのだ。捨てられ、エスとの修行を経て忘れられていた彼の記憶が少女の言葉とありさまによって、ふと発掘された。
「いいえ、正解です。よくご存じですね。もしやどちらかの騎士さまなのですか?」
「あいにくと、そういった名乗れるような身分があったらそもそもここに入れられるような難癖はつけられてないよ」
「そうでしたか。しかし、その身なり、その身のこなしは花の形を成さずともまさに高潔たる白梅の如しです。――どうやら、この場における騎士と罪人はこれでより明瞭となりましたね」
その言葉の意味を正しく受け取って、騎士――騎士を名乗っていた男は怒りに剣を握る手を震わせる。
しかし、その剣は微動だにしなかった。彼が全体重をかけてラストを切り裂こうとしても、まるで意味を成していない。
その歴然とした力の差に少女は軽く目を見張ってから、軽やかに頭を小さく下げた。
「それでは、このような輩は放っておいて外へ参りましょう騎士様。このような場よりも、白日の下こそ貴方が歩くのにふさわしいと思いますわ」
そう機知に富んだ少女の演劇色の言葉に合わせながら、ラストは不意に剣を掴んでいた指を離した。
「ご謙遜を。御身こそが我が麗しの太陽なれば、この身は既に無実の証明を受けています――これで良いかな?」
「ええ、十分ですわ」
二人のやり取りを気に留める暇もなく、重心を前に傾け過ぎていた男はその勢いのまま前方へとつんのめってしまう。そのまま彼は、自らの握っていた剣の切っ先を固い石畳にぶつけてしまった。
がつんっ、と騎士が勢いのままに顔面を床にぶつけながら両手の痺れる感覚に悶える中、さっと没収されていた荷物を掴んだラストはそのまま傍にいた少女と共に石の牢獄から足を踏み出した。
「なっ、待てお前ら――!」
「嫌です。どうして騎士でもない狼藉者の言葉を聞く必要があるのですか?」
「……まあ、僕もこれ以上冤罪で時間を無駄にしたくないので」
己の命令に従おうとしない二人を、涙目になりながら追いかけようとする騎士。
しかし、それを遮るように重苦しい鉄格子の嵌められた扉が勝手にがちゃんと閉じてしまった。
騎士はなんとか扉を開けようとするが、不思議なことに、扉は鍵もかかっていないのに一向に開く気配を見せなかった。
「なんだこれ!? いったいなにがどうなってやがる!?」
そんな罪人染みた濁声を聞きながら、ラストたちは軽やかな足取りで防壁の内側の街の人だかりに身体を紛れ込ませるのだった。
他の騎士に見つからないようにしばらく歩いた後、彼らは街の露店の影に隠れるようにして立ち止まる。
その際にラストは、改めて彼女の顔を目の当たりにすることになった。
琥珀色の髪に見える悠然とした態度と、その下に覗く翠の宝石が語る慈愛の眼差し。調和のとれた、落ち着いた美しさを感じさせられる少女だ。
「ここまでくればもう追ってこないでしょう。あの方もそれどころではなかったようですから」
「あの様子じゃ、扉を開けるのにも一苦労しそうだったからね。声を聞いて仲間が駆けつけてくるまでは、牢屋で一人っきりだ」
「きっと天罰が当たったんだと思います。無実の方を虚言を弄して拘束した騎士など、あのまましばらく捕まっていればいいんです」
鉄格子を掴んでその間から顔をつき出そうとする騎士の姿は、まさに囚われた罪人そのものだ。
その光景を想像して揃ってくすりと笑うと、少女が唐突に頭を下げた。
「申し訳ありませんね、名も知れぬお方。あの無礼者に代わり、この街の者として謝罪させてください。なにゆえにこの街を訪れたのは存じ上げませんが、今のヴェルジネアでは人々の営みが大きく荒んでいるのです」
再び顔を上げた彼女の顔は、死者を悼むような寂しげなものに変わっていた。
「祖父が存命だった頃にはこのようなことは絶対に許されませんでした。街路の花が人々の心に彩りを与え、小鳥のさえずりに赤子が微睡み、風が夫婦の幸せを連れてくる――そして、月が人々の安らぎに微笑みを見せる。それがヴェルジネアの人々の口癖だったのに、今ではそれも過去の言葉となってしまいました」
彼女は謳うように、嘆くように言い慣れたであろう言葉を滑らかに紡いだ。
その歌につられて、ラストは周囲のヴェルジネアの光景を眺める。
そこは花鳥風月を詠われるような優雅な気配はどこにも見られない。街を行く人々は日々の生活に手いっぱいと言ったようで顔に疲労を募らせており、建物は所々朽ちた罅割れなどに土埃や蜘蛛の巣が積もり重なっている。
「かつて誇れる街であったことの名残は、夢の中にのみ見られるばかり。……見えますか?」
少女に促されてラストが次に視線を向けた街の中央には、ひときわ大きな屋敷が見える。
それは穀倉地帯の素朴な街並みにはそぐわない見た目の、贅を凝らしたと堂々と宣言するような豪奢な見た目をしていた。
白く塗られた外壁に、金で彩られた彫像がなんの統一性もなく雑多に並べられている。金を費やせば名声を得られると信じてやまない、美意識の欠片もない屋敷の主の感性がこれでもかというほどに溢れ出ている。
「すごいね。あそこまでゴテゴテに突き抜けると、逆に感心するくらいだよ」
「ご冗談を。失笑を我慢しているのが隠しきれていませんよ? いえ、それが当然ですけれど。……今のこの街では、二割の者が八割の富を占有し、残る八割の民が二割の富を取り合っているのです。そして、その不格好な天秤を象徴するものこそが、あのヴェルジネア家。この地を統べる、領主の血族です」
彼女は一秒たりともその姿を目に入れたくないと言わんばかりに目を瞑って、代わりとばかりに口を開き続ける。
「先ほどの輩も、今代の領主が成した愚行の一つです。正当な騎士に対する褒賞を惜しみ、大改革の名の下に、粗悪な騎士の量産へと舵を切ったのです。騎士章などという高価なものは、騎士の真価は外見にあらずという美辞麗句の下に発注されることが無くなりました。もはやこの街に、真の騎士は一人もいません」
「到底信じがたいことだけど……そうみたいだね。僕自身の経験に照らし合わせてみても、君の言うことに嘘はなさそうだ」
ラストはスピカ村を訪れてすぐに聞いた、村長ロイの言葉を思い出す。
代替わりをしたこの付近を治める領主が重税を課すようになったせいで、村人たちの日々の生活が苦しくなった。
そしてその税の向かう先が、あの悪趣味な屋敷に費やされているのだろうと思うとラストは怒りが込み上げて仕方がなかった。
しかし、それを目前の元凶を憂う少女にぶつけるわけにもいかず、彼はそれを心の奥に隠しながら頷く。
「はい。故に、私は貴方に忠告いたします。よほど重大な用事がないのでしたら、どうぞお引き取りを。私の祖父が愛した街の変わりようが、善き貴方の瞳にこれ以上映ることがないように」
「……そうは言われても、僕はあいにくと一文無しでね。この街から出る前にある程度金を稼がないといけないんだ」
悲痛な顔で訴える少女だが、ラストはそれでもすぐに街を出るわけには行かなかった。
金がなくとも狩りや夜露で凌げば王都までの旅を強行することは可能だろうが、それでも金があるのとないのとでは取れる選択肢が大きく異なる。
今すぐに必要としなくても、ラストはある程度の纏まったお金を所持して今後の旅路に保険をかけておきたかった。
「でしたら、一月のお給金をいただいたその日の内にでも。とにもかくにも、この街の悪しき様を一つでも多く知る前に、次の目的地へと急いでくださいな。では、私はこれで。他にも困っている方々がいらっしゃいますから」
念を入れてもう一度忠告してから、少女は早々に人々の中へ戻っていこうとする。
「待ってくれ。僕はラスト・ドロップスって言うんだ。もし良かったら、君の名前を教えてくれないかな。先ほど助けられたお礼を、日を改めてさせてもらいたいんだ」
だが、このまま助けられただけではラストの男がすたる。
今はお金を持っていなくても、後日になにかしらのきちんとした礼を返したいと思った彼が少女に名前を問う。
しかし、彼女は小さく首を振って彼の感謝に応じようとはしなかった。
「結構です。あれは私の贖罪ですから。この身に流れる血の罪咎、私はそれを雪いでいるに過ぎません」
「贖罪だって? さっきのことと君に、いったいどんな関係があるっていうのさ」
目の前の親切な少女と先ほどの粗野な騎士がどうしても頭の中で結びつかず、思わず首を傾げたラストに少女は嫌そうに一瞬息を詰まらせる。
それでも彼女は彼の疑問に答えるべく、スカートの一部を摘まんで丁寧に名乗った。
「そうですね。問われたのならば答えないわけにはまいりません。――申し遅れました。私はオーレリー・ヴェルジネア。この地の治政を王家より承っておきながら、その誇りを自ら汚す忌まわしきヴェルジネア家の次女ですわ。では、ごきげんよう」
それっきり、彼女はラストの反応を見たくないといった様子で人ごみの向こうへと消えていった。
ヴェルジネア――それはこの地に悪政を敷く領主の家名であるものの、それと目の前の善性を持つ彼女がどうしても結びつかなくて、ラストは驚きに目を大きく開いてしまう。
だが、心底恥じ入るような彼女の顔に深入りして良いのか迷ってしまって、彼はしばらくの間その場で立ちすくむのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます