第83話 そして、次の街へ


 時間の流れというものは、意識した途端に加速していく。

 ラストとレイ、ルークに残された二日間もその摂理に漏れず、瞬く間に過ぎ去っていった。

 そうして迎えた別れの朝、ラスト普段と変わらず夜明け前から鍛錬に精を出していた。

 そんな彼を、同じくすっかり早起きが日常と化してしまったレイが傍で眺める。


「こんな日でも、やることはなんにも変わらないのね。少しは寂しそうにして、あたしに構ってくれても良いじゃない」

「よく分からないな。こうしてお話してるじゃないか」

「そうね、お話してるわね――そういうことじゃないのよ! その鍛錬を今日くらい止めても良いんじゃないかって言ってんのよ! そもそも、その姿勢でちゃんと話せてるつもりなの!?」


 声を大にして叫んだレイ。

 彼女の正面では、ラストが逆立ちの状態での腕立てに汗を流していた。

 白髪を重力に従って逆立たせた彼は、きょとんとした顔で腕立てを続けながら答える。


「なにが問題なんだい? 顔も合わせてるし、声だって普通に届く距離なのに」

「天地がひっくり返ってることのどこが問題じゃないってのよ! せめてきちんと立って話しなさいって――いえ、やっぱりいいわ。そういう地道な努力を続けてるからこそ、あの魔族だって倒せたんでしょうし」


 しかし、彼女はそこで唐突に自身の異論を取り下げた。

 ラストが魔族と相対したときに見せた成果は、並大抵の鍛錬で成立するようなものではない。

 今後もその道を歩いていく彼のことを思うならば、このまま続けさせるのが応援する者としての在り方だ。ただでさえ自分たちは、ラストに色々な負担をかけてきたのだから――と、彼女は自分の気持ちをぐっと飲み込んだ。


「悪かったわね。そのままどうぞ、気の済むまで続けてていいわよ。……それで、今日のいつ頃出発するつもりなの?」

「んー、そうだね。村の皆さんとの個別のお別れはもう済ませておいたから、そっちはいいとして」

「わざわざ全員と? ずいぶんと律義なことね。それにしてもよく終わったわね。ルゥーチとかには引き留められたんじゃない?」


 ルゥーチとは、レイの同年代の女の子である。

 なんとしてでもラストを捕まえようとしていた友人たちの顔を思い出して、別れを告げた際にはさぞ苦労させられたことだろうと、彼女は肩を竦めた。


「まあ、そうだね。でもみんな、最終的に君と同じように手紙を書くって言ったら受け入れてくれたよ」

「はぁん?」


 態度を一変させて、レイは口をへの字にしながらラストの方へと向かう。

 そしてそのまま、彼女は逆立ちしていたラストの身体へと大きく足を振りかぶって蹴り込んだ。


「うわっ、急になにするのさ!?」

「うっさいわね。乙女の純情を弄ぶ輩は死ねばいいのよ! このっ、このっ!」

「なんのこと!?」


 しかし、残念なことに彼女の蹴りは一発も命中しなかった。

 まるで普通に歩いているのと同じように、ラストはすいすいと腕を巧みに動かして踊るようにレイの攻撃を躱す。

 なおもちろんのこと、その際にはレイのスカートの中身が見えないようにきっちりと両目を閉じていた。


「ふぅ、ふぅ……まったく、これだからあんたはっ。……ったく、急いで準備しといてよかったわ」

「準備ってなにさ?」


 やがて諦めて息を整えるレイのぼそぼそとした呟きを聞き咎めたラストが、そう問いかける。


「なんでもないわよ! ――それで、準備は終わってるの!? 昨日と一昨日と、だいぶ忙しかったみたいだけど!?」


 しかしレイは吠えるように逆に質問を返して、先の言葉の意味を明かさなかった。


「う、うん。荷物も昨晩の内に纏めたし、あとは精々服を着るくらいかな。あ、でも村を出る前にロイさんとルークに会わないとね。それ以外にやることはもうやっちゃったし、それが終わったら早いうちに出ようと思ってるよ。昨日ロイさんに聞いたんだけれど、次に行くことになる街は普通に歩いていって五日はかかるらしいし、朝の内に出発した方が良いかなって」

「ふーん。本当に思い切りが良いわねっ! ……もう、本当に少しくらい、別れを惜しむ素振りを見せてくれたって良いじゃないの。こないだ寂しがってたあたしが馬鹿みたいじゃない」

「心は繋がってるんだから、身体の別れを惜しむ必要はないだろう? ――よし、三百。よっと」


 腕をばねのようにして跳ね上がるように起きたラストが、笑いながらレイに問う。


「それに、僕は君たちのことを信じてるからね。それとも、あれだけ話しておいて、まだレイはまだ僕のことを信じ切れてないのかな?」

「……その言い返しは卑怯よっ」


 その生意気な顔に天誅をくれてやろうと濡れた布をぶん投げるも、ラストは容易く掴んで見せる。

 それに鼻息を鳴らしながら、レイが言う。


「ほら、さっさと村に戻るわよ。お爺ちゃんもさっき起きてたから、きっと待ってるわ」

「おっと、それなら急がないとね」 


 手早く服を――村に来た時に来ていた、魔道具としての面も持ち合わせている白いローブを手早く羽織って、ラストはレイに続いて早足で村に戻った。

 この光景もこれで見納めになるかと思うと、ついきょろきょろと眺めてしまう。

 至る所に彼の狩った魔物の欠片が使われており、短い期間ではあったものの、確かにそこには彼がいたのだという痕跡が深く刻まれている。それを見て、彼は自然と胸の内が温かくなった。


「ちょっと、早く来なさいってば」

「ああ、今行くよ」


 レイに促されて歩く速度を戻し、辿り着いた村中央の広場にロイが立って待っていた。

 そして、その傍にはルークの姿も見て取れる。


「おはようございます、ロイさん。それにルークも」

「うむ、おはようラスト君」

「……よぅ」


 ルークの声には覇気がなく、彼は目をぱちぱちとさせている。


「あれ、眠たそうだね。それならもう少し寝ていても良かったんじゃないかい?」

「散々世話んなったってのに、見送りをしねぇわけには行かねぇだろうが。ったく、レイちゃんに言われなきゃそんまんま寝てるとこだったべさ。まさかマジでんな朝っぱらから行くなんてな」

「わざわざ僕のために早起きしてくれたのかい? それは嬉しいな。ありがとう」

「ふんっ」


 そっぽを向くルーク。

 しかし、その鼻息には突き放すような気配は微塵もない。

 素直になれない彼に、ロイは呆れながらラストに近寄った。


「ルーク、お主はまったく……最後の最後までそんなので良いのか? まあ、それよりもほれ。これを受け取っておくれ。約束の保証状じゃ」


 この村には珍しい、染み一つない綺麗な羊皮紙がくるりと巻かれたものを手渡される。


「そこには、スピカ村の長の名の下にラスト・ドロップスの信用を担保すると書いておいたわい。村の判子もある故に、それを見せれば邪見にされることはなかろうて」

「ありがとうございます、こんな立派なものをいただけるなんて。感謝しますロイさん。今後も、よりいっそうの精進に勉めます」

「そう畏まらんでくれ。君に貰った恩に比べれば大したものではないからな。だが、うむ。どうか達者でな」


 最後に握手を交わして、ラストはロイと別れた。

 そして、少し離れたところでむすっとしていたルークに近寄る。

 村に来た当初は険悪な中でお互いに自然と距離を取っていたが、今ではこうして近づいてもなにも言われない。背けられた顔も不器用な彼なりの表現の一つだと思えば、大したことではなかった。


「んだよ。オラはただ見送りに来たってだけだ。話すようなことなんてなんにもねぇぞ」

「それでも構わないさ。来てくれた、それだけで十分だよ。ただ、君に話すことはなくても僕からはあるんだ。はい、ルーク。これが真に【魔獣の狩人オリオン】へと成った君へと贈る、僕からの褒賞さ」


 つっけんどんな彼に、ラストは荷物と一緒に持ってきていたものを押し付けるように手渡した。

 さすがに無理やり握らされては見ないわけにも行かず、逸らしていた視線を元に戻して、彼はあまりの驚きに目を見開く。


「……なんだ、こいつぁ。また随分とけったいな……」


 ラストから差し出されたものを見て、ルークが思わず呟く。

 その手が握っていたのは、まごうことなき魔物の素材から作られた弓だった。

 しかし、その存在感が以前のものとはまるで異なる。

 先だって渡された物を基準として見れば、この眼前の弓は業物と称するに相応しい威容を兼ね揃えている。


「【魔熊裂弓】クロスオリオン。君がその手で討ち取った【裂爪熊ラセルウルサ】の素材を元に鍛え上げた、魔熊の銘を冠するに相応しい弓だよ」

「……こんな大層なもん、受けとるわきゃあ……」

「いらないのかい? とは言っても前の魔獣弓は壊れちゃったし、まだまだ魔物は残ってるのに、どうやって彼らを倒していくつもりなのさ」

「うぐっ。そ、そいつはだな……」

「まあ、受け取ってくれないのならレイちゃんにでも預けておいてくれ。あと、こっちは一応普通の方の【魔獣弓オリオン】三本だから」


 ついでにさらりと他にも色々と押し付けてくるラストに、ルークは顰めた顔を保てずに顔をぐにゃりと歪めるほかなかった。


「これは修理のやり方とか作り方の説明書だから。この村で手に入れられるもので足りるように改めて図面を引いたものだから、壊れた時のことを考えて大切に保管しておいてくれよ?」

「はぁっ!? ちょっ、待てや――」


 ずしりと腕に伝わる重さに混乱するルークに、彼はぺこりと頭を下げる。


「これらは僕からの謝罪を込めて、だよ。思えばこの村に来てから、君には一番迷惑をかけてきたからね。余計なことをして君の心を引っ搔き回してしまって、本当にごめんね」

「いや、あれはオラの方が悪かったんだから……だから乗せるのを、止めろっつってんだろうが!」


 肩が訴える引き攣るような痛みに思わず悲鳴を上げるルーク。

 それもまた彼なりの感謝の表現だと考えて、用事は済ませたとラストは最後にレイへと向き直った。


「よし、後はレイだね。改めてもう一度、挨拶しておこうかな」

「なにさらっと終わらせてんだこらぁ! こっちゃ向けやあほんだら――」

「ほっほ、少し黙らんか。ここからは孫娘の大切な時間なんじゃ」

「むぐぅーっ!」 


 ルークが騒ごうとするが、その口をロイが杖で押さえる。

 それをよそに、ラストは彼女にも小さく頭を下げた。


「この村にいる間、様々な世話を焼いてくれてありがとう。君には色々と、本当に助けられたよ」

「ええ、あたしの方も助けられたんだからお互いさまよ。それと、はいこれ」


 レイが、ポケットから取り出したひも付きの小袋をラストに手渡した。

 赤にも金にも見える綺麗な色の袋で、大きさは指二本分ほどと小さい。


「お守りよ。あんたがあたしのことを本当に忘れないのと、安全を願ってね」

「あ、ありがとう。大切にするよ。でも、困ったな。お返しに今あげられそうなものはなにも用意してなくって……」

「いいわよ別に。でも、そうね。ちょっと貸しなさい。それ、あたしが首にかけてあげる」

「うん? 良いけれど……」


 ラストが素直に身をかがめると、お守りの紐の輪を広げたレイが彼の頭に手を伸ばす。

 そしてそのまま彼女はラストとの距離を詰めて――。


「ちょっと近くない、かな?」

「いいから気にしないで。今からお返しをもらうんだから、動かないでよ?」

「なにを言って……」


 なぜかほんのりと赤くなっているレイの顔。

 それが近づいてくるのが突然加速して、慌ててラストは受け止めようとする。

 そのままならば彼の手は間に合っただろう――しかし。


「きゃっ!?」


 ラストに近づけるよう爪先を伸ばしていた彼女が、勢い余った挙句倒れそうになってしまう。

 そしてそのまま――互いに意図せぬ形で、二人の唇と唇が重なってしまった。


「んぅっ!」

「むぐっ!」


 不意の事故に、慌てて二人は顔を離した。

 しかし既に時遅く、彼らの口には確かに相手の柔らかい感触の余韻が残っていた。


「ふぐぐーっ!」

「もう少し静かにしとれんのか、まったく。だがそれにしてもさすがは我が娘、やりおるわい。婆さんを思い出すわ」


 叫ぼうとするルークを抑えながら、ロイは感心したようにかんらかんらと笑う。

 その目線の先では、顔を真っ赤に染めた二人が向き合っていた。


「こ、こここ……こほんっ! これで確かに、あんたからのお返しは貰ったわ! ほんとはおでこに貰うつもりだったんだけど……まあ、こっちの方が断然良かったし! 結果的には大成功よ、ええ! どうよラスト、魔物だろうとなんだろうと出し抜いておきながら最後にあたしに出し抜かれた気分は!」

「……いや、最後足を滑らせたのは偶然だよね。あれさえなければ、きちんと止められてたよ」

「それでも結果的にはあたしの勝ちでしょ! ふん、こんなので本当に誰かの笑顔を守れるの? あたしの笑顔は守れたみたいだけどね!」


 顔からぷしゅーっと湯気を出しながら、纏まり切らない思考を勝ち誇りながら垂れ流すレイ。

 そんな彼女の無茶苦茶な理論に、ラストは思わず破顔した。


「……まったく、そうだね。分かったよ、僕の負けだ。だけど次からはもう遅れは取らない。この勝負、また会った時まで預けておくよ」

「ふん、待ってるからね! それじゃ、さようなら――違うわね。いってらっしゃい、ラスト!」

「うん。いってくるよ、レイ」


 そうして彼女の勢いに背中を押されて、ラストは荷物を背負い直して村の外へと踏み出した。

 その後ろから響くルークとレイの賑やかな騒ぎ声に笑みをこぼしながら、彼は遠く麦畑の向こうに広がる次なる目的地を見据える。

 これからラストが向かうのは、このユースティティア王国の穀倉地帯の一角を担う領主の治める都市――ヴェルジネア。

 保護すべきスピカ村に重税を課し、村人を苦しめ続けていた領主の直接統治する街だ。

 恐らくはこのスピカ村とは比べ物にならぬほどのなにかが待ち構えていることを覚悟しながら、それでもラストは前を向いて歩み続ける。

 彼の知る者たちの笑顔が、いつまでも輝き続ける世界を目指して。

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