第82話 新たな誓いを、互いに
ロイが姿を消した後、見つめ合うラストとレイの間を夜の静寂が支配する。
別れの時が近づいてきているのを自覚して、ふと訪れた心の寂しさになにを言い出せば良いのか分からない。ただ、口を開くに開けない相手の気持ちだけは、目を通して互いになんとなく理解出来ていた。
なんとか言葉を紡ごうと舌を動かそうとしても、音を形にする寸前でぴたりと止まってしまう。
そうして気まずい雰囲気から中々抜け出せない中――先に思い切ることが出来たのは、レイだった。
「……こんなことして残り少ない時間を無駄する方が馬鹿らしいわね。ほら、そんな気を張ってないでお話しましょ」
「あ、うん……そうだね」
未だ口をもごもごとさせるラストとは対照的に、レイははきはきと話し出す。
心のつっかえを振り切った彼女は、くるくると自分の髪を指先に巻きつけながら、流暢に己の思いを吐き出していく。
「まったく、すっかり忘れちゃってたわ。そういえばあんた、本当ならとっくにこの村から出てってたのよね。一週間経ってもここにいるんだから、ついついこれが当たり前なんだって思っちゃってた。馬鹿馬鹿し、ラストってのはそういうやつだって納得してたはずなのにね」
そう、未練がましい己の気持をなんてこともないかのように垂れ流す彼女に、ラストがいっそう気まずい表情のまま口を開く。
「期待させちゃったようで、悪かったね。でも、いつまでもここでゆっくりしてはいられないんだ。僕はどうしても、先へ行かなきゃ――」
「いいのいいの、あんたは何も悪くない。だから、そんな情けない顔を止めなさいってば。湖であたしの誘いを断った時みたいに前だけを見てる方が、かっこいいんだから」
重苦しく語ろうとする彼とはどこまでも対照的に、レイは気楽そうに手を振った。
「あたしが、自分が思ってたよりも割り切れてなかったってだけ。気にしないで。そんな優しい顔されたら、まーた引き留めたくなっちゃうじゃない。……それにしても、あんたと一緒にいられるのも後少しってわけか」
「そう、だね。ロイさんが書類を仕上げるまで二日かかるって言うから、明々後日の朝には出立かな。急な話で、本当にごめんね」
「良いのよ、むしろこっちの都合で伸ばしてもらってたんだし。これ以上長くなったら、ますます簡単に送り出せなくなっちゃうわよ……でも、その時のことを考えると、胸が寂しくなるわね。あ、物理的な話じゃないわよ?」
「……」
彼女としては軽い冗談のつもりで振ったのだろうが、何故かそこを本当に踏み抜いてしまえば大変なことになる。そう直感で察したラストはなんとしてでもそちらへ目を向けないように意識を強く保ちながら、彼女の顔だけをじっと食い入るように見つめようとする。
その馬鹿真面目な彼を見て小さく笑いながら、彼女はこれからのラストが歩む道に思いを馳せた。
「これからあんたは、あたしが想像もつかないような所で魔物から色んな皆を守るんでしょうね。そうして世界を忙しく巡って、多くの人に感謝されるようになって。この村には、もう二度と戻ってこないかもしれない。……そう思うと、怖くなっちゃうの」
「……怖くなるって?」
彼女の見せた儚げな苦笑、ラストにはその意味が分からなかった。
「ええ。色んな人と関係を積み重ねていって、想いを結んで。そうしていくと、あたしたちのことなんて忘れられちゃうんじゃないかって。田舎の村娘にとっては大切な思い出でも、あんたにとっては輝かしい栄光の一つでしかなくなってしまうんじゃないかって。そのまま記憶の欠片になって、頭の奥にしまい込まれたまま引き出されなくなるのかなー、って思うとね」
かつての彼女の杞憂もなんのそのと言わんばかりに、ラストは魔族ですら容易く仕留めてしまった。
それは自体は喜ばしいことだ。以前彼女が語っていたような、彼が夢に圧し潰される可能性への憂慮が少しだけ和らいだのだから。
しかし、そんな出来事がこれから何度も続いていけば、スピカ村での記憶が薄れて行ってしまうのではないか。魔族を倒すことが当たり前になれば、その特別性に付随していたルークやレイのことも思い出せなくなってしまうのではないか、それが彼女には恐ろしくて仕方がなかった。
だが、そうして先のことを憂う彼女にラストはすぐさま断言した。
「そんなことはないよ!」
彼は夜風の冷たさに晒されていたレイの手を取って、両手で包み込むように握りしめる。
「たとえ顔を合わせられなくたって、僕たちの心の距離が遠ざかるわけじゃないよ」
「どうかしらね。そんな都合の良いことを言ったって、離れ離れになるのには変わらないわ。話すことも出来ないのに、どうやってあたしのことを覚えていてくれるの?」
「大丈夫だよ。直接話せなくたって、相手と気持ちを通い合わせることは不可能じゃないんだから」
彼はレイを勇気づけるように、彼女に寄り添ってその眼をまっすぐに見つめた。
「手紙を書くよ。旅先から君へ向けて、僕がなにを為したのか、なにを思ったのかを紙に乗せて送り届けるよ。時間はかかるけれど、こうすれば相手に思いを伝えることは出来る」
「なるほどね……でも、あたし読み書きってあんまり得意じゃないのよね。あんたみたいな賢いのが送ってくるのなんて、難しくって読めないかも」
「それなら、出来る限り簡単な言葉で書くよ。それでもどうしても分からなかったら、ロイさんに聞けば意味を教えてくれるんじゃないかな。あの人は村長だから、ある程度は読めると思うよ」
「うぇっ。まさかあんたからの手紙を一々お爺ちゃんに意味を教えてもらいながら読めって言うの? ……それはなんか嫌ね」
「どうしてさ」
「分からないの? さて、なんででしょうね。どうしても知りたければ、それ以上は自分で考えてちょうだい」
なぜか唐突に眉間に皺を寄せた彼女の様子が不思議で、ラストが問う。
しかし彼女はその問いにいっそう皺を深くしながら、その内心を露わにしようとはしなかった。
「そうね、そうならないように明日から文字の勉強も頑張ってみようかしら。これまでは仕事を言い訳にして逃げてたけれど、そういうことならやる気が出てきたわ」
そうして顔を明るくした彼女に、ラストは気分を取り直したのならあえて踏み込む必要はあるまいと先の疑問を置いておいて頷いた。
「うん、それは良いと思うよ。本が読めるだけで、世界はがらりと変わるからね」
「この村にそこまで本はないけれどね。それでもあんたからの手紙を見れば、楽しくて仕方がないでしょうね。きっと突拍子もないことが書かれてるに違いないんだもの」
話に落ちをつけながら、レイがその光景を想像してくすりと笑った。
「――でも、そんなことをしてるといつまで経ってもあんたのこと、ふとした時に求めたくなっちゃいそう。せっかく諦めたはずの星がいつまでも自分の手の届きそうなところで輝いてるってなると、どうしても見上げずにはいられないもの。こうして、相手が困ってるとすぐに手を握ってくれちゃったりするし」
そう言われて一瞬手の力を緩めかけたラストの手が、今度は彼女の方からぎゅっと握りしめられる。
思わぬ感触に驚いた彼に、レイはいたずらっ子のように微笑んだ。
「なんてね。困ってない時まであんたの手を独占してたら、せっかくの星が星じゃなくなっちゃうもの。あんたはいつだって、困ってる人に手を伸ばしてる時が一番輝いてるんだもの」
彼女はそう、改めて自分の想いに整理をつけながら前を向く。
「ありがとね。手紙、あたしも一生懸命頑張ってみる。どこにいてもあんたがあたしたちのことを、この村のことを忘れてないって知るために。それで、いつでもどこにいても、あたしがあんたのことを応援してるって伝えられるようにね――だから、甘えるのは今度こそ終わり。行ってらっしゃいラスト。一緒にいられなくても、あたしはあんたが守ってくれた平和な村で活躍をきちんと見守っていてあげるから」
「……ああ。任せてくれ。君たちの平穏と笑顔は、僕が必ず守ってみせるよ」
強い意志の伴った言葉で背中を押してくれたレイに応えるように、ラストは宣言する。
彼女のこの応援が誰かに汚されることの無いようにと、彼は心に新たな誓いを立てるのだった。
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