第80話 熊殺しの小さな宴


 ルークたちが【裂爪熊ラセルウルサ】の死骸を持って帰った、その日の夜。


「んじゃ、ルークの大熊殺しを祝って――皆のもの、乾杯じゃあっ!」


 ――うおおおぉぉぉっ!

 村のあちこちに掲げられた松明に照らされて、ロイの掲げた祝杯にスピカ村の村人たちが大きく宴の歓声を上げた。

 彼らの中央にあるのは、ルークが仕留めてきたばかりの魔熊だ。


「いやぁ、そんにしてもまさか山ん中にあんなやべぇ熊がおったなんてな!」

「しかもそいつをルークのやつがぶっ殺してきたってんだろ?」

「見ろよあのおっかねぇ顔。子どもん時見てたら、夜中にしょんべんに行けんかったかもしれん……」


 人々は村の広場に設置された熊の骸を眺めながら、口々に間近で見た熊の感想を語り合う。

 既に余分な部位は解体が終わっており、宴の象徴として残されているのは死してなお威容を誇る熊の巨頭と両腕だ。一際高くつき上げられた頭の下に、交差するように両腕が爪を上にして掲げられている。

 眼球とだらんと垂れた舌にはたっぷりと矢が突き刺さっており、誰が見てもルークが仕留めたものだと一目で分かる。ラストが倒してきた魔物はどれも剣で斬られており、綺麗に傷口が形を残しているからだ。

 そちらの方が技術としては優れているものの、やはりこうして多少粗っぽい方が酒の肴の武勇伝としては相応しい。

 何より村の外からやってきたラストではなく、幼いころから顔を知っているルークがこの先十年は語り継がれるであろう偉業を為したということもあって、彼らはいっそう大きな喜びを感じていた。

 ――そんな宴の主役たるはずのルークは今、適当な家の陰に隠れながらラストとレイと一緒に三人だけで小さな焚火を囲んでいた。


「まったく、すごい人気じゃないかルーク。みんなが君のことを褒め称えてるよ。やっぱりこんなところにいないで、宴の中心に行ったらどうかな?」


 そう勧めるラストに、ルークはしかめっ面を返した。


「はっ、んな冗談止めろっての。あの熊を仕留められたんはほとんどお前のおかげやろうがい。そんなんで連中に褒められたって、素直に喜べねぇ」


 自分は主役には相応しくないと卑屈に固持するルークに、レイが声を上げる。


「ちょっと、あたしは? あたしだって頑張って手伝ってあげたでしょ?」

「やかまし。レイちゃんはそもそも勝手についてきただけだべさ。狩りん時に襲ってきてた獲物から守ったった分で貸し借り無しみてぇなもんだろが」

「は? あたしを守ってくれたのはラストですけどぉ? あんたは下で矢をぺちぺちしてただけでしょ」

「なんだと?」

「なによ?」


 そういって睨み合う二人の様子を、ラストはすっかり見慣れてしまっていた。

 まさかここまで村の生活に入れ込むことになろうとは、彼自身村を訪れた時には思ってもみなかった。

 しかし、結果的には村に根付いていた問題も少しは解決に導くことができ、人々を襲う魔族を一人打ち倒すことも出来た。

 上々な成果に満足し、目前の二人のやりとりに苦笑しながら、ラストは三人の中央にある焚火を取り囲むように設置していた魔熊の肉串にかじりついた。

 力強い肉の旨味が芳醇に溢れ出る熊肉は、これまでにスピカ村で狩ってきた魔物のどれと比べても断然に美味い。

 ただ塩を振っただけでも、しっかりとした歯ごたえの向こう側から流れ出る肉汁が舌を躍らせる。


「ごくんっ……ふぅ、二人ともそこまでにしないと。せっかくの美味しいお肉が焦げちゃうよ?」

「あっ、ラストあんた先に食べてるなんてずるいわよ! あたしもいただくわ、それとかちょうど良い焼き加減じゃない。もーらいっと!」

「待てや、そいつはオラが大事に育ててた――返せやごらぁっ!」

「喧嘩しないでよ、まだまだ肉はあるんだから。慌てなくても肉は逃げないさ、じっくり落ち着いて食べようよ」


 そういってラストが新たな串を焼き始めると、じゅわりと滴った脂が火に落ちて香ばしい匂いを醸し出す。

 その香しい匂いに、食欲に訴えかける音の前にはどのような争いも無益になる。

 結局彼らは焼けていく熊の肉を無視することまでは出来ずに、しぶしぶ腰を落ち着けた。


「けっ、こいつに言われちゃしゃあねぇな」

「そうね。散々ラストにはお世話になったもの。感謝して言うこと聞かないと」

「そう言うなら少しくらいはお肉じゃなくて僕を見てくれてもいいんじゃないかな?」


 頬をひくつかせながら、焼けたそばから新しい肉をどんどんと投入していくラスト。

 常に肉の旨味が無駄にならないよう全体に気を配り、焦げず、されど中まで火を通すエス直伝の技術を惜しげもなく披露する。

 そんな彼の肉捌きを眺めながら、ルークがふと呟く。


「……そういや、ところでよぅ。結局あれはどうすんだ? あんの魔族、シェラタンだったか。獣どもが食わねぇように山ん中に埋めてきたは良いけどよ、あんまま腐るまで放置しとくんか?」


 彼が思い出したのは、魔熊の後に突如姿を現した黒幕たる魔族のことだった。

 かの魔族の死体は真相を知った村人の混乱を防ぐことを考慮した上で、一度森の中に隠してあった。

 その後処理を問うたルークに、ラストは小さく首を振った。


「んー、一応はきちんと弔ってあげようかなって思ってるよ。散々ロクでもないことをしてたけど、死んだらみんな同じさ。お墓くらいは立ててあげておこうかなって」


 そんな彼の考えに、レイが新たに頬張った肉をきちんと飲み込んでから頷いた。


「まあ、そうよね。そのまま放置したら気分良くないもの。さっさと埋めて、さっさと忘れちゃうのが一番よ」

「んだべ。そうすっよな。だったらええわ、余計な話になっちまった」

「なによ? もしかして、やっぱり間接的とはいえお父さんを殺した奴だし、木にでも逆さ吊りにしてカラスに食わせとけばよかったとか?」


 多少顔を真面目なものに引き締めて、レイが問う。

 それに対し、ルークは肩を竦めた。


「んなこと思ってねぇよ。ラストがうつってんぞ。……オラはただなんとなく、こいつのことだからやっぱ後で掘り返してから解体して素材にすんのかなって思ってな。もしそう考えてたんなら、さすがに止めてやろうと思ってただけだべ」


 そのルークの認識には、さすがにラストも声を荒げざるを得なかった。


「ちょっと待ちなよ。君は僕をなんだと思ってるんだい!? いくらなんでも死体を侮辱したりはしないってば! というかなにさ僕がうつるって!?」


 一方、それを聞いていたレイは真面目そうな顔を崩し、気まずげに彼から目を逸らした。


「……そうなの? ぶっちゃけるとあたしも、そうするんじゃないかなーって少しくらいは考えてたんだけど」

「あのね……どうやら君たちの僕への認識を今一度確認する必要があるみたいだね」


 口をへの字に曲げるラストに、レイとルークは真顔になってそれぞれの彼に対する印象を口にした。


「努力を怠らんすげぇ奴。だけど、人の嫌なとこを踏み抜いてく外道だべ」

「誰かのために強くなれる英雄かしら。でも、勝つためなら普通なら考えつかないことでも平然とやってのける鬼畜かしら」


 そのあまりにひどい言われように、ラストはがくんと肩を落とした。

 確かに作戦を提案した際にも非難の目を少なからず向けられていたものの、面と向かって言われるとさすがに応えるものがあった。


「……あのね、もう少し手加減というものをだね……」

「これでもだいぶ表現を抑えたつもりだったのだけれど。森の中じゃ一生懸命だったからあまり言えなかったけれど、言いたいことはたっくさんあるのよ?」

「同じく。オラもやっちゃならんって決められたことじゃのぅても、やらん方がええことはあると思うわ、ああ」

「……言っておくけれど、君たち二人も同罪だからね」


 散々好き勝手言われたラストは反論する気さえ起きず、そう恨めしそうに二人を睨んだ。

 とはいえ本気で口論を交わすつもりもなく、彼らからしてみればこれはほんのじゃれ合いに過ぎなかった。

 そうして多少皮肉も交じりながらも、三人は彼らだけの小さな宴の時間を楽しく過ごすのだった。

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