第78話 羊魔零落


 肩を怒らせ、巻き角が二週半ほど成長したシェラタンがぎろりとラストを睨みつけた。

 されど、彼が持ち合わせている信念はその程度の威圧に怯えて折れるような柔なものではない。


「自分の望みのために人々の平穏を犯して、都合の良い現実ばかりを押し付けようとして。力と恐怖でなにもかもを押し通して、暗黒の世界を作りあげる? そこにどれほどの涙が流れると思ってるんだ。他の命はお前のために生きてるんじゃない、みんなそれぞれ、自らの笑顔と希望のために生きてるんだ。それを、世界が自分の箱庭だって勘違いしてる我儘な子どもみたいなお前が穢していい理屈なんて――どこにもない!」


 抜身の刃の如き声を張り上げて、視線による圧迫で押し潰そうとするシェラタンをラストは一刀両断する。

 ――その、どこまで行ってもふざけているようで、真剣に夢を語る姿が。

 甘っちょろい理想を掲げるラストの姿が、かつて見た魔王エスメラルダと重なって見えて。


「……あの紛い物の魔王と似たようなことをごちゃごちゃとっ! ……良かろう、そこまでふざけた物言いを続けるのなら、私も多少本気を出して貴様を痛めつけてくれようぞ!」


 シェラタンは慇懃無礼な殻をかなぐり捨てて、魔につらなる者としての本性を現し始めた。

 他人を揶揄う丁重な口調が剥がれ、力への信仰を絶対とする圧の強い話し方へ。

 細身だった体格は、みるみるうちに身に纏う服をはち切れんほどに膨れ上がり。

 人型にとってつけた程度だった羊の要素が、みるみるうちにその体表を覆っていく。


「我が魔道の真髄、とくとその身で味わうが良い!」


 やがて半羊半人とでも言うべき異形の風貌になったシェラタンが叫ぶ。

 同時に彼がそれまで抑えていた魔の重圧を遠慮なく開放し、周囲へと撒き散らし始めた。


「っ、んだこれ!? 風もねぇのに森が騒めいて……っ!」

「なに、あいつの周りがぼやけて見えるわ! どうなってるのよ!?」


 溢れ出る泥のように濃密な魔力に、静寂に満ちていたはずの森が悲鳴を上げ始める。

 その想像を超える身の回りの変化を受けて、レイとルークはラストの背中に守られていると分かっていても狼狽えてしまう。

 それを見て、シェラタンは心地よさそうに下卑た笑いを浮かべた。


「ふはっ、へははははっ! そうだ恐れおののけ人間ども! 私……否! 我こそが真なる魔族を名乗るに相応しい【魔獣大公テュポンデューク】レグルス様の意志を継ぐ――」

「御託は良いよ。強者が全てを支配すると豪語するなら、さっさとご自慢のお力を振るってみせたらどうかな?」


 だが、シェラタンがいくら魔力を溢れさせようとラストだけは動じない。

 彼からしてみれば、感情のままに周囲へ魔力を垂れ流す行為は当人の未熟さを示していることに他ならない。怯えるどころか、その真逆の感情を彼は抱いていた。

 冷静さを保ったまま、彼は腰からすらりと銀樹の宝剣ミスリルテを引き抜いて、その切っ先を羊頭の魔族へと突きつけた。


「粋がるなよ羽虫が――炎よ、我らが掲ぐ真の魔道に平伏せ!」


 吠えたシェラタンが、ごわごわとした毛に覆われた腕を天高く掲げる。

 その手のひらの中に、詠唱によって脳の深層記憶から引き出された魔法陣が構築されていく。


「偽りの魔王は失墜し、不夜の灯さえも真なる魔に従属すべし! 時は満ちれり、落日よ今こそ戦火の開幕を宣言せよ!」


 仰々しい詠唱が唱えられると同時に、膨大な魔力がシェラタンの魔法へと注ぎ込まれていく。

 陣から漏れ出た余剰魔力が大気中の光に干渉することで、その輝きはルークたちの瞳にもはっきりと映し出されるようになる。


「お、おい……なんじゃありゃぁ……?」

「絶対にやばい奴じゃないの……っ」


 直感的にその光が秘めた危険性を察知した二人がラストを見るが、彼はただ黙してシェラタンの魔法構築を観察するばかりだ。


「今更なにをしようと無駄なこと! ――善神よ灰燼に帰せ、悪鬼は喝采を鳴らせ!」


 そして、誰にも邪魔されることなくシェラタンの詠唱が完成する。


「大いなる星罰の顕現よ、我が敵を焼滅すべくここに顕現し爆ぜよ! ――【太陽烙印プロメテオラ】ッ! 」


 シェラタンが自信満々にその腕を三人の方へと振り下ろし、高らかに魔法名を宣言した。

 ――しかし、なにも起きない。


「……む? 【太陽烙印プロメテオラ】! 【太陽烙印プロメテオラ】っ!」


 彼は何度も眼前の生意気な人間を滅するべく魔法を発動しようとするが、なに一つ変化が起きない。


「おや、これは不思議だね。魔力の扱いに長けたはずの魔族の研究者が魔法を失敗するなんて、不思議なこともあるんだね」


 わざとらしく肩を竦めるラストに、シェラタンは唾を飛ばして問う。


「貴様かっ!? まさか、人間如きが我の魔法に干渉するなどっ……なにを、なにをした!?」

「さて、なんだろうね。僕たちよりも賢いというなら、その膨れ上がった頭で考えれば良いんじゃないかな。――この戦いが終わった後にそんな時間があれば、だけど」


 ラストはただ、親指の先で弾き出した魔力弾で魔法陣の一部を打ち抜いただけだ。

 凝った詠唱で悦に入っているシェラタンの目には、その微細な弾丸は映っていなかった。

 いつの間にか魔法が不発に終わっていたと混乱する彼にわざわざ種を明かすこともなく、ラストはお返しとばかりに剣を閃かせる。

 特に構えも踏み込みの溜めも行わず、僅かに前方に倒れるようにして膝を崩す。

 流れるように前傾姿勢を取り――脚部に無言の強化を施した彼が一足でシェラタンへと肉薄した。


「なっ、いつの間に!?」


 身体を力ませる予備動作なしの特殊な歩法ゆえに、シェラタンは咄嗟に反応することが出来なかった。

 彼が驚愕の声を上げたと同時に、ラストの攻撃は既に終わっていた。

 鋭く剣を振り抜いたラストは、いつの間にかシェラタンの背後に立っていた。

 敵の姿を見失ってきょろきょろと周囲を見渡していたシェラタンに、背中から声がかけられる。


「どこを見ているんだい?」

「後ろかっ、がぁっ! ……ごほっ、がほぉっ!」


 声を聞いて慌てて振り向いたシェラタン。

 しかし、再び憎まれ口を叩こうとしたところで、喉からせり上がってきた血に阻まれてしまう。

 せき込みながら慌てて何故か涼し気な喉元に手を当てれば、そこにさっくりと切り裂かれた傷跡が広がっているのが分かった。


「ごほっ、ごほごほぉっ!! ひぎっ、ひああ゛きさま゛ぁっ……っ!」


 幸いなことに完全に断ち切られてはいないものの、空気が傷口から逃げ出してしまってうまく呼吸することが難しい。

 肺を無理やり動かして息を取り込むシェラタンに、ラストが指摘する。


「それじゃあ詠唱も出来ないだろうね。せっかくの取り柄を失くしてしまったなんて、ご愁傷様とでも言えばいいのかな?」

「ぐっ……う゛おお゛おぉぉ゛ぉっ!」


 先ほど自分が言ったのと同じ言葉を返されて、シェラタンは怒り心頭になる。

 喉元を治癒しようにも、詠唱出来なければ魔法は発動しない。無詠唱でも魔法陣の構築は可能だが、長々とした詠唱に拘っていた彼にとっては中々の課題だ。

 それに、今のような速度で再び剣を向けられることを考えれば、ゆっくりと魔法陣を形作る余裕はない。

 そんな自身の下した結論が目前の下等な人間の指摘と同じものであったことに更に苛立って、シェラタンはその肥大化した肉体で直接ラストを手にかけようとする。

 魔法が使えずとも、魔族は生まれ持った魔力によって人間よりも圧倒的な力を有する。

 それで捻り潰してやろうと走り出し、腕を振るうシェラタンだが――。


「もう手札は頭打ちかい? 普通の魔族がどれほどのものかと思って覚悟してたんだけど……それが精いっぱいなら、もう良いかな」


 シルフィアットやエスと比べれば、その動きは素人同然だ。

 ラストは棒立ちのまま尻込みすることなく、目前に迫るシェラタンの弱点を冷静に見抜く。

 そして二人が交差した刹那、一切の歪みない剣閃が羊魔の身体を切り裂いた。

 シェルタンの突進は、ラストをすり抜けるように通り過ぎていく。

 それに構わずもう一度攻撃を仕掛けようとシェルタンが振り向いた次の瞬間、


「ふごぉおおおっ――お?」


 どさり、とその四肢から血を拭き出して彼の身体は地面に突っ伏してしまった。

 自身になにが起きたのかも分からずに、彼は足元に生えていた雑草を見つめることしかできない。


「ふぐあっ、ふごっ、ふごーっ!?」


 そんな醜態を晒すシェラタンはともかくとして、傍で戦いを見守っていたレイとルークはラストの行ったことが幽かに見えていた。

 彼は擦れ違いざまにシェラタンの身体を、数度切り裂いたのだ。

 その具体的な剣の動きこそ見えなかったものの、今のシェラタンに目を凝らせばどこが斬られていたのかが分かる。

 関節や腱など、動くのに重要な部位が全て平等に傷つけられていた。

 その絶技に、ルークは羨望や妬みを通り越して呆れてしまう。


「……わけが分からん」


 そんな観客をよそに、起き上がることのできないシェラタンをルークが間近で見下ろす。

 もはや先ほどまでの傲慢さは見る影もない。

 羊魔から魔法が奪われたのだから、彼はただの羊同然の存在に零落したとも言えるだろう。


「これで詰みだね。治癒魔法を使おうとしても使わせないよ。すぐに暴力に移ったことから無詠唱は不得意みたいだし、だとしたらもう、そっちに出来ることはなにもないだろう?」

「むう゛う゛おおおーっ!」

「さて、ルーク?」


 呻くシェラタンを放っておいて、ラストは今度はルークの方へと向く。


「もう体の痛みは引いてるんじゃないかな? 調子が良さそうなら、こっちへ来て欲しいんだけど」

「……あ、ああ。そういや……そうだべなぁ。てめぇの無茶苦茶っぷりな戦い方んせいで、治ってんのに全然気づかんかった」


 突然名前を呼ばれて、ルークははっと我に返って身体を動かしてみた。

 魔熊の咆哮に打ち据えられた全身も、まだ節々が痛むものの大した痛みではなくなっている。

 そのまま起き上がってラストの下へと歩み寄ると、彼はシェラタンを見ながら口を開く。


「聞いてたよね、このシェラタンって魔族があの熊を放った張本人だって。ってことはつまり、彼もまた君のお父さんの仇だ。――あの熊と同じように、君がとどめを刺したいというのなら譲るけど。どうしようか?」

「……は?」

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