第77話 戦火を呼ぶ魔結晶
「はじめまして、私は【
湖面を歩いて岸辺へと降り立った魔族が初手から披露した失礼な態度に、レイが眉を潜める。
しかし、彼の瞳からは悪気や敵意は一切感じ取れない。シェラタンにとって、ここにいる三人は脅威と見做すだけの相手ではないという認識なのだ。
彼はただ純粋にラストたちを見下しながら、一方的に話しかける。
それに応じたのは、三人の中で唯一自然体のままでいたラストだ。
「【
「ははっ、面白い冗談ですね。魔力のまの字も持たない塵芥ごときが雁首を三つ揃えたところで、私の手がけた傑作が敗北するとでも? 嘘をつくにしても、もう少しまともに考えてから喋っていただきたいですね――つい、殺してしまいたくなる」
シェラタンは天を仰いで軽く笑ってから、一転してぞっとするような威圧を放った。
魔力を感知できないレイとルークでさえ、眼前の魔族が秘める圧倒的な暴力の気配を直感的に理解する。
ルークは後ずさろうとしたが、木の幹を背にしている以上これ以上引くことも出来ずに小さく頭をぶつけてしまう。
レイは心臓が摘ままれるような思いに腰が抜けてしまい、ぺたんとその場に内股で座り込んでしまった。
その様子を見て、シェラタンが満足げに笑顔を浮かべた。
「ふふっ、素直でよろしい。人間はそうでなくては……もっとも、格の違いも分からぬ鈍感な虫も紛れていたようですが」
ラストだけはシェラタンの威圧を受けても平然と立っている。
それどころか、彼は気骨の折れかけた二人を守るようにその前に立ち塞がった。
それを蛮勇だと鼻で笑ってから、シェラタンは子どもを諭す大人のように微笑みかけた。
「たまにはそういう出来損ないがいても良いでしょう。ですが、それで我らの野望の実現に支障が出てはなりません。せっかく偽りの魔王の監視を掻い潜って成し遂げた研究成果なのです。それを、このような計画初期から頓挫させるわけにはまいりません。なにか失敗していたのであれば、その原因を調査し即座に修正しなければならないのですよ」
「……偽りの魔王?」
ぴくりとラストがまなじりを動かした。
それは先ほどの転移魔法の詠唱の中にも紛れ込んでいた言葉だ。
ラストの中では、【魔王】を名乗る存在はエスメラルダ・ルシファリアただ一人だ。
それ以外に魔王がいるとは思えず、それを偽物呼ばわりしたことが僅かに彼の機嫌を損ねる。
しかしシェラタンが一人間の感情の機微を気に留めるはずもなく、彼は単にその言葉の説明を求められただけだと捉えた。
「ええ、そうです。世界平和などという夢見ごとを謳う、魔族の頂点にあるまじき思想の持ち主。そのようなものは我らの支配する世界には不要。平和、共存、まるで魔族そのものを否定すべき概念。それを掲げようとする古臭くカビの生えたような魔王の理念を破壊すべく、私たちは強力な魔物を製造し、人間の領域に送り込んでいるのです。……人と魔族の間に、争いの火種を熾すために」
「……」
「そのための研究がこちら、【
エスの理念を汚されたラストの内心の苛立ちに気づかぬまま、シェラタンは饒舌になって懐から怪しげな水晶を取り出した。
そのこぶし大の水晶は毒々しい紫色をしており、まるで生きているかのように脈動する光を放っている。
ついでその内側には幾重もの魔法陣が封じられるように刻まれているのをラストの目は捉えた。
「これは自然の魔力が地中の圧力を受けて結晶化した、魔力の鉱石です。装飾品として重宝されるものですが、同時に魔道具の素材としても大変優秀なのです。この結晶に特定の波長の魔力を放つよう細工を施してから獣の肉体に埋め込むことで、魂魄を外側から刺激し、魔物への強制的な進化を遂げさせる。多少魂が破損して理性が飛んでしまうのが難点ですが、凶悪さが増すのならば兵器としてはむしろ利点となります。これを人類側の重要な拠点に放つことで、魔族への憎しみを煽り、新たな戦の種をもたらすのです。戦火に舞う戦慄の声、終わらぬ支配と蹂躙に打ちひしがれた者の慟哭……ああ、この計画が達成した暁には、世界はさぞ甘美なものへと変貌を遂げることでしょうね」
聞かれていないことまで詳しく説明したシェラタンの頬には、僅かに赤みが差している。
たとえ聴衆に自らの研究成果を理解するだけの知能がないと考えている彼であっても、その知識をひけらかすことには快感を覚えているようだ。
だが、その表情が途端に悲しみに満ちたものに移り変わる。
「しかし、その楔が一つ破壊されたとなると、他の楔もまた破壊される可能性があります。理想主義の愚かな魔王の目に入らぬようにこつこつと実験体を集めて、時間をかけて紡ぎあげてきた破滅への序章。それを傷つけられた私の心の悲しみがどれほどのものか、貴方がたには理解できないでしょう。……さあ、ここまで語れば十分ですよね。誰がこれを為したのか、速やかに正直に答えるのです。私の失望を癒すために、正確に、なるべく事細やかに」
じろり、と冷たい光をたたえたシェラタンの紫紺の瞳が三人を射抜く。
だが、その威圧感も二度目となれば慣れたもの。
ラストの無茶苦茶に付き合って多少なりとも胆力の鍛えられたレイが、真っ向から見下してくる魔族を睨み返した。
「……なに言ってんのよ。あんたたちの一方的な都合で魔物をばらまいておいて、被害受けた側にもっと被害受けるように手伝えだなんて。そんな勝手な言い分、誰が受け入れるもんですか! あたしたちは懸命に生きてるのよ、それを邪魔するようなやつに協力する筋合いなんかないわ!」
そう啖呵を切ったレイに、シェラタンは困惑したように目を細めた。
「おやおや、まだ分かっていないようですね。弱き者が強き者に従うのは世の摂理。そもそも人は魔族の欲を満たすためだけに存在を許されているのですよ? だというのに、支配者たる我らに対して権利を主張するなどおこがましいにもほどがありますね」
その苦笑と嘲りの混ざった相手の顔に、今度はルークが声を上げた。
苛立ちのままに固く握りしめた拳で地面を殴りつけ、煮えくり返った腹の底から絞り出した言葉をぶつけるように吐き出す。
「おこがましいもクソもあるかっ! てめぇがやりたい放題やったせいで、そんな下らねぇ理由でおっ父が死んだなんて……魔物作って他人の生き場所好き勝手荒らしといて、更に言うこと聞けだとぉ? んなもん、誰が聞くか!」
「それはご愁傷さまです。ですが、そうしてこちらへ怒りや憎しみと言った負の感情を向けることが既に我らの思惑に乗せられたものなのだと、気づいていないのですか? 私はただ、あともう少しだけこちらの思惑に乗せられてくれと言っているだけなのですよ。そこにさほどの違いもないでしょうに、どうして素直にならないのです?」
二人がいくら激昂しようと、目前の羊魔族はまったく応えた素振りを見せない。
それどころか、怒りを露わにする彼らに対して呆れたように肩を竦めるばかりだ。
シェラタンにとって人間に睨まれることはむしろ歓迎すべきことであって、それで反省しようなどとは露ほども思わない。
とことん言葉の通じるようで通じていない彼に、ラストが空気を読まずに呟く。
「……さほどの違いもないのなら、答えなくても問題はないんじゃないかな」
「む。私の揚げ足取りですか。……どうやら貴方は先ほどから調子に乗っているようですね。実力の差も分からない愚劣さここに極まれり、ですか」
シェラタンはどこまでも上から目線で、口先だけでも抗おうとするラストの愚かしさを憂う。
だが、ラストからしてみればシェラタンの方が愚かに見えてならなかった。
「失敗した計画に固執し、のこのこと辺境くんだりまでやってきたそちらに言われたくはないかな。既にご自慢の【
お返しのように肩を竦めるラストだが、それも雑魚の戯言としてシェラタンは一向に気に留めない。
しかし、それでも他の二人に比べて鬱陶しい存在であるという認識だけは抱いたようだ。
「ふっ、ああ言えばこう言う。やれやれ、貴方がいればどうしてか話が進まない。ここは一つ、お仕置きも兼ねて見せしめになっていただきましょう」
そう言って、彼は【
「あなたにこの結晶を埋め込んで、この地の新たな魔物にしてさしあげましょう。魔獣ならぬ、魔人。元は同じ人間だったものに住処を脅かされるとなれば、なんども心地よい悲鳴が奏でられることでしょう。それを聞けば、私のこの害された心の悲しみも少しは安らぐというもの」
妄想に浸りながら、シェラタンは悠々とラストの下へ近づく。
「っ、逃げるのよラスト! あんた一人ならなんとかなるでしょ!」
「ははっ、そのようなことが叶うとでも? たかだか人間の足程度、目を瞑っていても追いつけますとも」
彼からしたら、人間の子どもなど多少逃げようとしたところで簡単に捕まえられるものだ。
魔族の中でも身体能力に優れた獣人系統の【
レイの忠告を優しく否定し、シェラタンは気楽に散歩するかのような歩き方でラストに近づく。
それでもラストは態度を変えることなく、真っ向から向かい立つ。
「ああ、今更命乞いをしようが無駄ですよ? 他にも話の出来る駒はあと二つ残っています。私に逆らった貴方一人をわざわざ生かす理由なんて、どこにもありません。精々悔いて、自身がより多くの犠牲を為す前に討伐されることを望むのですね」
シェラタンの腕が、隣人と気安く握手を交わすような感覚でラストの胸へと伸びる。
その手に握られた見るからに危険な水晶が、彼の心臓の上に埋め込まれようとして――。
「馬鹿、なにしてるのっ!」
後ろから彼を逃がすために引っ張ろうとしたレイの手を優しく抑えながら、ラストは彼女を安心させようと微笑みかけた。
「いや、その必要はないかな」
ラストは恐怖など微塵も感じない口調で、彼女に語り掛ける。
そんな彼を見下ろしながら、シェラタンは最後まで抵抗を止めようとしなかった子羊に哀れみの目を向ける。
「青春ですか、それは結構。では、最後になにか言い残すことはありますか。それくらいならば猶予してやってもいいのですよ?」
「まだ気づかないのかな? 言い残すもなにも、辞世の句を読む必要がどこにあるのか、僕には分からないな」
「なにをふざけたことを……」
――ずちゃり。
接触したラストの胸とシェラタンの腕の間から、潰れたような水音が響いた。
それは到底、固い結晶を無理やり肋骨の上から埋めるような音ではなかった。
「――なに?」
想定外の感触に、シェラタンが首を傾げて己の腕を見やる。
そして、そこに起きていた変化を、彼の脳が視覚から伝達された情報を元にようやく認識して――肉と骨がむき出しになった手首の訴える痛みに悲鳴を上げた。
「な、なんですかこれはぁっ!?」
先ほどまでの余裕の表情を崩した彼が、うろたえながらよたよたと後ずさる。
それもそのはず。彼の気づかぬ間にいつのまにか【
「ぐああああぁぁぁーっ! どこだ、私の手は何処へ消えた!?」
赤黒い血が滝のように溢れる手首をもう片方の手で押さえながら、シェラタンは失われた手を探す。
それはすぐに見つかった。中身の入った白手袋が、綺麗な断面を晒しながらラストの足元に落ちていた。
しかし、その手の中には紫の魔力結晶は握られていない。
「もう一つのお探し物はこれかな?」
彼が急ぎラストへと視線を移すと、その手に薄汚れた布を巻いたこぶし大の大きさのものが握られている。ラストはそれをお手玉のように弄びながら、シェラタンを見据えていた。
その粗く巻かれた布の隙間から、僅かに結晶の毒々しい輝きが覗く。
「なっ、いつのまにそれを……返すのですっ!」
「あまりに隙だらけなものだからね。それと返事はいいえ、だ。こんな危険な物を易々と見過ごせるわけないだろう。これは今この場で壊させてもらう」
ラストがひょいと結晶を空中に放った。布が解け、中身が露わになる。
その落下を迎え撃つように、下方から流れるように抜剣された銀樹剣が駆ける。
――ぱぁんっ!
強大な力を秘めた結晶は跡形もなく砕かれてしまい、その破片は風にさらわれて森の中へ溶けていった。
それをただ見送る事しか出来なかったシェラタンが、瞬く間に怒りの貌となってラストへと食って掛かった。
「貴様ぁっ! それを一つ作るのにどれほどの苦労が必要かも知らないくせに! 下等な猿が、放っておけば調子に乗りおって! ふざけるな!」
それまでに見せていた余裕のある大人のような態度など欠片もなく、感情をそのまま吐き出すシェラタン。
じわじわと感情に呼応した魔力が一帯の重圧感を強めていく中、ラストもまた声を低くして相手を睨み据える。
「……ふざけるなだって? それは僕たちの言葉だよ」
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