第72話 譲れない想い


「殺す……あァ、絶対ェにぶっ殺してやらぁ……」


 憎しみの光を瞳に滾らせ、ルークは確かめるように何度もその言葉を呟く。

 彼が冷静さを失っていることは、火を見るよりも明らかだ。彼の取り柄である狩人としての感情制御がまるで出来ていない。溢れ出る怒りの感情が、めらめらと彼の存在感を周囲に強く示してしまっている。

 このままでは死にに行くのと同じことだ。感情に呼応して震える腕ではまともに照準を合わせることすら難しいだろうし、一度撤退して頭を冷やした方が良い。

 ――と、ルーク本人も頭の片隅では理解していた。

 だが、一度目にしてしまった父の仇を前にしては、彼はどうにも足が止められなかった。

 そんな彼の背中を見たラストは、苦笑いしながらも頷いた・・・


「分かったよ、ルーク。それじゃあ僕が剣を振るうのは止めよう。君があれを倒さねばならないというのなら、そうしようじゃないか」

「えっ!?」


 驚きにラストへと首を向けるレイだが、ルークは違う。


「止めるんじゃねぇ。オラに構うな、てめぇがなに言おうがオラは奴をぶっ潰すんだ。そっちはレイちゃん連れて下がってろ」


 彼が返したのは、まったく意味のかみ合っていない言葉だ――それもそのはず。

 ルークはラストであれば自分を引き留める正しい判断を下すと思っていた。それ故に、彼の言葉を適当に聞き流して、意地でもあの熊に立ち向かおうとする気概で頭を埋め尽くしていた。

 そうして二人をほっぽり出して、彼は自分一人で森の更なる奥部へ向かおうとする。


「邪魔すんな、手ぇ放せっ!」


 ラストは彼の腕を掴んだまま引き留めようとするが、それをルークは腕相撲の時以上の力を発揮して振りほどこうとする。

 だが、ラストも周囲が見えていないルークがこのままでは死ぬと分かっている。そんな状態のまま彼を送り出すわけにはいかなかった。

 しかしラストの言葉にルークは聞く耳を持とうとしない。

 これではらちが明かないと、彼は隣にいたレイに助力を請うた。


「ごめん、レイ。君も手伝ってくれるかな? どうやら僕一人だけじゃ止められないみたいだ」

「え、ええ。でもラスト、本気でルークに倒せるの? ルークのお父さんを殺した魔物なんでしょ、まだ無理だと思うけれど……」

「大丈夫だよ。どんな不利な盤面だって引っくり返せる手は必ずある。ただ、それが彼が納得出来る手かはともかくとして――今はまず、彼を引き留めないと話も出来ないんだ。このままじゃ無駄死にになってしまう」

「……分かったわよ、それが気休めのホラじゃないってんなら止めてあげるわ」


 そう言って、レイはため息を吐きながらルークの前へと回り込んだ。


「そんなお上品なやり方じゃ、いつまで経っても止まんないわよ。ルークを止めようとするならね、こうした方が手っ取り早いのよ!」


 レイが、背を伸ばしながら大きく腕を後ろに振りかぶる。

 そうして――パァンッ!


「うわっ」

「痛ってぇな! ……んあ?」


 なんとも気味が良い破裂音を前に、ラストは思わず口を抑えた。

 だが、思いっきり強く頬をひっぱたかれたルークは、それでようやく目の前にいるレイに気づいた。


「よく聞きなさいよこのお馬鹿! ラストはあんたが倒すので良いって言ってるじゃない!」

「……なんだと?」

「だーかーら、ラストがあんたがあの魔物を倒すのを手伝ってあげるって言ってるのよ! だからさっさと正気に戻りなさいっての!」

「……え?」


 二度目でようやく彼女の言葉の中身を飲み込んだルークが、確かめるように振り返った。

 そこに広がっていた茫然とした表情に、ラストは大きく頷いた。


「うん。さっきから言ってるだろう、僕は君の意見に賛成するって。君がやりたいのなら、やれるようにしようじゃないか」

「……なんでだ? オラぁてっきり、止められるもんかと……」

「そりゃあ、冷静に考えれば誰だって引き留めた方が良いって思うさ。だけど、さっき一緒に思い出したんだ……僕にも君の気持ちが少しだけ、分かるよ。なにがなんでも僕が、自分がやらなきゃならないって決めた時の想いの強さは絶対に譲れるものじゃないんだって」


 それが本来乗り越えずとも良い壁だろうと、己の手で穿たなければ納得できないのなら打ち砕くべきだとラストは考える。

 それが自分が実際に辿った道なのだからと、彼は胸に手を当てて真剣にルークを見つめる。


「だからこそ、君にもそうさせるべきなんだと思う。ルーク、君が親の仇を打ちたいと真に思うのなら、それを成し遂げるべきなのは君をおいて他にいないんだ。――僕だって、そうだったからね」


 五頭獄犬クイントロスの時を思い浮かべて懐かしそうな顔を見せるラスト。

 まさか、自分でも愚かしいと分かっている考えにラストが賛同するとは思っても見なくて、ルークは思わず呟いてしまう。


「……おめぇまでんなことやってたなんてなぁ……意外と馬鹿だったんだな」

「ちょっ、いきなり馬鹿ってなんなのさ!」


 自分のことを棚に上げて呟く彼に、ラストは思わず声を上げた。

 だが、そこに思わぬところからの伏兵が飛び出てくる。


「そうよ、なに言ってんの。……ラストは意外とじゃなくて、普通に馬鹿よ」

「レイまで!?」

「だってそうでしょ。世界そのものを救おうなんてふざけた望みを真面目に叶えようとするなんて、馬鹿じゃなくてなんだってのよ。【英雄】らしいって言っても、成し遂げるまではただの大望みの馬鹿同然よ」

「ふぐっ!?」


 立て続けの馬鹿呼ばわりに、ラストは堪えたようにのけ反った。

 だが、彼も負けてはいられない。


「そ、そんなことを言うならレイだって似たようなものだろ。自分じゃどうしようもない危険な魔物が潜んでるって分かってて村から飛び出たりしてたお転婆娘なんだから」

「あーっ、思い出したわ! そう言えば村の前でそんなこと言ってたらしいじゃない、ふざけないでよ! いったいあたしのどこが男勝りな貧乳美少女ですって!?」

「そこまでは言っていないよ!?」


 そうしてぎゃーぎゃーと騒ぎ出す、ラストとレイ。

 そんな二人を見ていると、ルークは自然と復讐に囚われて荒みつつあった心が元の落ち着きを取り戻していくのを感じた。

 珍しく言い争う二人を見ていると、自分一人が勝手に勇み足になっていたのが心底下らなくなってしまったのだ。


「――あー、もううるっせぇな。ここがどこだと思ってんだ、てめぇら二人ともシャキッとしやがれ」

「……」

「……」


 頭をかきながらそう言ったルークに、ぴたりと喧嘩を止めた二人が彼の方へ目を見開いて振り向いた。


「おい、なんで急にそんな顔をしやがる」

「ごめん。まさかルークに注意されるなんて、思ってもみなかったから」

「ええ。さっきまで殺すとか呟いていた本人に言われるなんて、びっくりしちゃって」

「うっせぇ。……てめぇらのやりとり見てっと馬鹿らしくなったんだよ。……んで、オラぁどうすりゃいいんだ?」


 冷静さを取り戻したルークは改めてラストへと向き直り、勢いよく頭を下げる。

 それにラストが慌てる中、彼は重い息を一つ吐き出してからしおらしい声で話し出した。


「少しはまともんなった頭で考えたさ。今のオラじゃ、逆立ちしたってあいつにゃ勝てやしねぇ。でも、てめぇなら案があるってんだろ? そいつを教えろ……教えてくれ。オラはなんとしてでもあいつをぶっ殺してぇんだ。その役目は、誰にだって譲るつもりはねぇ」


 そう懸命に頼み込むルークの両肩を掴んで、ラストはぐっと元の高さに戻した。


「顔なんて下げないで、上げてくれ。そんなことされなくたって教えるよ。言っただろ? 君がそれを心から望むなら、今からだって遅くはないって。僕は君がそれを叶えられるよう、今度も切っ掛けを与えるってだけなんだよ」

「……すまねぇ、散々迷惑かけちまって」

「構わないさ。ただし、これだけは覚えておいてくれ。今の君には一度狩人としての流儀を捨ててもらう。ここから先は足りない武力で格上に挑む、戦う者としての心構えが必要なんだ。狩人としてやっちゃいけないことをいくつもやる、それくらいじゃないと今のルークにはあの魔熊は倒せない」

「……構わねぇ。元からんな誇りは捨てたって思ってんだ、今更どうってこたぁねぇ」


 強い意志を胸に宿して覚悟を決めたルークを置いておいて、ラストはレイに振り返る。


「レイ。君は既に用事は済ませただろう、安全な村に帰った方が良いんじゃないかな?」


 だが、その勧めを彼女は躊躇なく断った。


「冗談言わないでよ。ここまで来たんだから、最後まで見届けさせてちょうだい。ルークの晴れ舞台てやつをね」

「分かった。それなら、作戦会議を始めよう。いいかい……」


 そうして、ラストは今のやり取りの間に頭の中で纏めていた大雑把な作戦内容をルークとレイに話していった。

 そこにこの地に詳しい二人の意見を加えて補正していって――おおよそ一時間ほどで彼らはその内容を完全に整え終えたのだった。

 それは本来ならば勝てるはずのないルークに勝利の目を見出すと謳うだけあって、常識を鼻で笑うような策ばかりが張り巡らされていて。


「……お、おう。マジか。こんなのぶっちゃけやりすぎって感じもすっが……とにかくヤベェな。これに尽きらぁ」

「これをやらされる相手の方が、気の毒だわ……あんた、本当に善人とは思えないくらいに鬼ね。実は元は悪魔だったって言われても不思議じゃないわよ、こんなの」


 ラストの並べ立てた作戦のあまりにえげつなさに、彼らは揃ってなんとも言えないような表情を見せるのだった。

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