第69話 狩人の成長


 それからというもの、ルークはラストの提示する鍛錬生活に文字通り血と汗を流すことになった。日の昇っている時間はほぼ常に森に身を置き、ラストの感知した魔のつく獣に片っ端から挑む波乱万丈な狩猟の日々が幕を開けたのだ。

 そして、その影響は当事者のルークだけでなく村人たちにも波及した。

 ラスト一人で一日に仕留めてきていた量は、多くとも十頭を少し超えるくらいだった。その時点で既に、ただでさえ忙しい村の女性たちの手がその処理に多く駆り出されて悲鳴を上げていた。それは飢えていた彼らにとって嬉しい悲鳴だったが、それが突然増加すれば村にかかる負担も尋常なものではなくなる。

 ラストがルークに様子見がてら丸一日疲労困憊になるまで狩らせた結果、その日の暮れにはスピカ村の中央に三十を超える魔物が屍を晒すことになっていた。

 村人から報告を受けてそれを見た村長のロイは、危うく口から心臓が飛び出て死にかけるところだったと後に述懐した。


「流石にこれはやりすぎじゃ、ワシらを過労死させおる気かぁ!」


 ばたんと倒れたところをレイに看病されながら、ロイは申し訳なさそうな顔をするラストとルークに村全体に響く声で叫んだ。

 だが、懲りないラストはそれならばと獲物の素材となり得る部位と特に美味な部位だけを切り取って持ってくることを提案した。

 それでも翌日には元の十頭分とほどんど変わらない総量を提供してきたことで、村人からの視線は歓迎から段々と驚き半分呆れ半分――端的に言えば、ヤベェものを見るものに変化するのだった。

 もっとも当の本人は村人の生活に問題がないのであればと深く構うこともなく、ルークに鍛錬一筋に集中するように言い含めるのだった。


「大丈夫さ。僕が訪れるまで手付かずだったんだ、この麓の森には通常の配分じゃ一月かけても狩り切れないほどの魔物が息を潜めてる。どれだけ倒しても問題ないから、じゃんじゃん狩ってくれ」

「そういう問題じゃねぇんだよこん畜生めぇ!」


 ルークも魔物を殺せるようになりつつあると報告してから、村人たちの彼へと向ける目もまた、若者の成長を喜ぶものというよりは危険人物ラストの共犯のようになってきている。

 本当に魔物を倒せるのか、などの半信半疑の視線よりもある意味辛いものがそこにはあった。

 だがそんなことで妙に乗り気のラストから手を引くことも出来ず、今日もルークは手当たり次第に魔物たちに狙いを定めるのであった――。



 ■■■



「――っ」


 藪の下に寝そべるような体勢になったルークが、その手に握る魔弓を念入りに引き絞る。

 度重なる射撃の末に、とっくに指先の感覚は麻痺していたはずだった。

 だがそれすらもラストの魔法によって回復させられ、万全の状態のその指で弦の力加減を確かめながら、彼は掴んだ矢の尻を土に汚れた己の頬の上に添える。

 その狙いの先にいるのは、木の上でかりかりと餌を齧る小リスだ。両手でしっかと握った食事にかじりついている姿は実に愛らしい――それが、同族の生首でなければ。

 食い破った頭蓋骨の奥に覗く脳みそをくちゃくちゃと頬張るさまは、実に万人に恐れられる魔物らしい。

 それが家族のように三匹、一つの枝の上で食事を取っている。

 ルークが狙うのはその中の一匹。

 既に食らった他の部位で腹をでっぷりと膨らませた中央の個体だ。

 彼は息を殺し、静かにその機会を待つ。


「……」


 まだ、まだだと焦りそうになる気持ちを心の声で諫める。

 やがて、一際食べる速度の速かった欲張りリスが脳の中身を食べ尽くして飽きたように残骸を地面に放る。けぷっ、とその個体が満足そうに食後の余韻に浸った――その瞬間。

 ルークの解き放った一矢が、満腹という油断の隙を狙い打つ。

 ――ぎゃぴっ!?


「命中だぁ」


 情けないその声を漏らして、喉から脊髄を断たれた個体が地面に落ちる。それが自分の殺した同族の首と一緒に並ぶ中、残る二匹の魔リスが矢の飛んできた方向へ颯爽と駆け出した。

 普通のリスであれば未知の脅威に身を竦めてすたこらさっさと逃げ出すところだが、彼らは血と肉の味を覚えた飢えた肉食の獣だ。

 さっそく腹ごなしがてら新たな獲物を競うように迫るそれらに対し、ルークは焦らないよう心掛けながら次の矢を放つ。

 先ほど仲間を穿ったその脅威に対し、リスたちは反射的に回避行動を取った。

 アレはそこらのものと違い、自分たちを殺し得る明確な危険だ――それを悟った小さな体が、曲芸師のような動きで木々の横っ腹を蹴り飛ばして宙を駆り、三次元的にルークの下へと走る。


「やっぱやべぇ奴らだ、なぁっ!」


 ルークはその内の一体に対してのみ、集中的に矢を射かける。

 とはいえ回避に専念する魔物に簡単に命中するはずもなく、どの矢も空しく相手の身体を通り過ぎていく。

 その一方では障害のない魔リスが一息に距離を詰めてきており、それが今、ルークとの間にある最後の木の幹を蹴った。

 空中から矢のように迫りくる小リスは、そのまま彼の喉元を立派な前歯で食い千切ろうとして――。


「てめぇの相手も忘れちゃねぇよ!」


 ばっと振り返ったルークがその小さな姿を視界に捉える。

 その手には既に、力の込められ終えた矢がきらりと輝いており――彼は振り向き終えたと同時にそれを放った。

 リスは慌てて避けようとするが、流石に踏みしめるべき足場のない空中ではどうしようもない。

 ――きゅきゅぅっ、と鳴いたその口の中にルークの剛矢が尻の穴まで突き刺さる。

 そのまま二匹目の魔リスは、最後に自分が跳躍した木に縫い留められた。


「しゃおらっ、残るはてめぇじゃぁ……っ!」


 急ぎ、残る一匹へと視線を走らせるルーク。

 しかし、先ほどまで彼に矢を射かけられていた小リスはもう一匹の仲間が殺されたその隙に、邪魔な攻撃がなくなったのを良いことに一直線に距離を詰めてきていた。

 とっくに目的の喉元へ向けて跳躍を終えていたその小さな体に対して、今から新たに矢をつがえられるだけの時間的余裕はない。

 獲物の速度を見誤っていたことによる失敗だ。

 それによって間近に見えた死の陰に、ルークが息を飲んだところで――。


「はい、そこまでだよ」


 その牙が喉元に触れるか否かの距離で、斜め後方から飛来した見えない刃がリスの首を断ち切った。

 真っ二つに割れてルークの首の左右を通り過ぎていったリスの身体が、べちゃりと地面に落ちる。


「最初の二匹までは良かったよ。最初の隠密からの一撃は見事なものだったし、続く一匹もうまく惹きつけた上で避けられないところを仕留めてた。でも、最後のにはぎりぎり間に合わなかったね」

「うるせぇ、んなこと分かってらぁ」


 ゆらりと後方の木陰から姿を現したラストに、ルークは悪態をつく。

 その左手には二つの矢が握られており、先端には息の止まった魔物の小さな体が突き刺さっている。

 どうやら彼に声をかける前に、きちんと獲物を回収して来ていたようだ。

 一歩間違えば矢が当たっていたかもしれないのによくもそんなことが出来るものだと思いながら、ルークは耳が痛いというように手を振った。


「二匹目から三匹目まで、十分時間が取れんかった。次はもっと余裕を作ってから殺したるっての。それでええんだろ?」


 彼なりのざっくりとした反省に、ルークはうんうんと頷く。


「そうだね。同時に相手して敵わないようならなるべく一対一の状況を作る……ちゃんと集団を相手どった時の基礎は出来てたと思うよ」

「途中までだぁ、最後まで出来んかったら結局死ぬんじゃろうが」

「それが分かってるなら次はもっとうまい立ち回りが出来るさ。ちゃんと君は成長してるよ、それは僕が保証する」

「そうかい、てめぇにそう言われても嬉しくなんかないわい」

「ええっ、それは悲しいなぁ。どうすれば喜んでくれるんだい?」

「知るか。だからそんのみみっちい顔を止めろや、うざってぇ」


 反省を終えて素直に称賛を送ろうとするラストに、頑として断ろうとするルーク。

 これが、毎度の練習の合間に挟まれるやり取りだった。

 まずルークが魔物に単独で仕掛けて、どうしようもなくなった時にラストが手を貸す。

 それを終えればルークが自身の反省点を上げ、ラストが足りない部分を訂正する。

 なぜ、どうして失敗したのかを考えさせて、自ら次に活かそうとするように整える――これがラストなりにエスから学んだ弟子ルークの育成方法だった。

 もちろんルークからしてみれば、認めても気に入らないラストの指摘など鬱陶しく思えて仕方がない。それでも中身は間違いないと分かっているからこそ、彼は口はともかくとしてきちんと耳を立ててラストの言葉を脳内で反復していた。

 その結果として、鍛錬開始から三日目にして既にルークは魔物を少しずつ狩れるようになってきていた。


「んなことよりも、そろそろ切り上げっか? いい加減戻んねぇと夜になっちまう」

「うん、狩人は明かりのない夜には動かないんだったよね。それは初日に確認したし、分かったよ。もう村まで戻ろうか。その前にこのリスを解体してからね」


 見れば、既に日は傾いており空が赤に染まりつつある。

 流石にただの狩人に夜中での訓練まで強いるつもりはなく、ラストは矢に突き刺さったままのリスを手早く解体して背の袋に放り込んだ。


「んしょっと。それじゃあ帰ろうか、遅くなると皆さんを心配させちゃうからね」

「……ほんとに、よくそんなくそ重ぇもん持てるなぁおい」


 彼の背負う袋は、ぎっちりと詰め込まれた魔物の肉によってぱんぱんに膨れ上がっている。

 袋には匂いや熱を遮断するように魔力が通されており、大量に押し込んでも破れることはない。持ち主が耐えられる限り、袋はその容量の限界まで肉を運ぶことが出来る。

 およそ十頭分のそれを軽々と運ぶラストの姿もこの数日ですっかり見慣れたものだが、ルークが内心ドン引きしていることには変わりなかった。


「正直僕だって厳しいけどね。これも鍛錬のうちさ。それに、これで村の人たちが喜んでくれるならって思うと力が湧いてくるのさ」

「……そ、そうだな、あぁ。そんなら別に良いんだけどよぅ……」


 ぶっちゃけもう有難迷惑になっているような気もするが――流石のルークも、ラストの期待に応えんとする笑顔を見ては口籠るしかなかった。


「なにさ、なにか言いたいことでもあるのかい?」

「べ、別になぁんもねぇさ。おら、さっさと帰んべ。いい加減今日も疲れてんだ、早く帰って休みてぇ」

「分かったよ。それなら急がないとね――おっと」


 内心を隠すように急かすルークだが、ラストは途端に立ち止まって視線を右へ向けた。


「その前に北東の方角からお客さんが来てるみたいだ。狼二匹、丁重に扱ってあげてね」


 その接客の役割を担うのが誰なのかは、言うまでもなく。


「ああ? ……なんだってこんな時に来んだよ畜生がぁ!」


 思っただけで口に出してはいないのに、これはラストに対し頬を引きつらせてしまった罰かなにかなのだろうか――そう思いながら、ルークはやけくそ気味に腰の矢筒に手を伸ばした。

 残念ながら、そうして今日も彼らの帰宅は日が暮れた後になるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る