第68話 残る課題


 伏して黙する魔狼の亡骸を、ルークは複雑な感情を抱えながら見下ろしていた。

 なぜか何の感慨も湧かないがらんどうの己の心に疑問を抱く彼。

 その思慮をよそに、ラストはルークの踏み出した新たな一歩を更に盤石なものとするべく彼の視界に入った。


「さて、これで君が見事魔物を倒せることが証明できたけれど。あいにくとまだ問題は残ってる。君がさっき、自分から口にしたようにね」

「……いくら殺せたっつったって、当たんなきゃ意味がねぇってこっか」

「そうだね。だから僕たちは今から、君がどうやったら魔物を狙い打てる弓の名手になれるのかについて話し合う必要があるんだ」

「はっ、んなこと言うてもてめぇん頭ん中にゃとっくに考え纏まってんだろ。もったいぶってねぇでさっさと話せや、時間の無駄だっぺ」


 ルークは己が内心を隠せるほど器用ではないことは知っている。

 不安に憂う気持ちは少しくらいは瞳に表れているだろうに、ラストはそれに気遣いの一つも寄こさない。

 見当違いとは分かっていても、こうも話を急かされてはけちの一つもつけたくなるものだ。

 ラストを恨めし気な眼で一瞥してから、ルークは早く続きを話せと促す。


「ごめんね。でも、これは大事なことだ。必要な結果を導くために、なにが必要なのか。それについて思慮を重ねているのといないのでは、身につく技術の練度に大きな差が出る。これは僕の師匠が言っていたことさ。だから、君にも考えてみて欲しい。――ルーク、君がその矢を魔物に命中させるにはどんな方法がある?」


 そう、どこまでも自分の調子を貫くラストに彼は嘆息しつつも己の体験を振り返る。


「……毒餌は効かねぇ。奴らはなに食っても腹壊さねぇかんな、これ幸いにと他の獲物の分まで食っちまう。罠も駄目だ。落とし穴からは飛び出しちまうし、くくり罠も引き千切っちまう。ってぇなると……ったく、足止めは無理ってことじゃねぇか」


 魔物が出没し出した当初、彼は己の父親が様々な趣向を凝らした罠を森に仕掛けたことを聞いていた。

 だが、その結果はどれも想像を裏切るものだった。魔物たちはただ単純に、その高度な身体能力だけで易々と人の知恵を踏み越えていく。猛毒植物の煮汁を注入した肉を食べても動きを衰えさせることがなく、禁じ手のトラバサミを使っても無理やり壊してしまう。

 かつて見た、無惨に破壊された罠の数々を見た時の父と同じような顔でルークは結論を下す。

 ため息交じりの彼の答えを、ラストは確認するようにまとめ上げた。


「つまり、足を遅くする方向性の工夫は意味をなさないと」

「だろぉなぁ。せめてもっと強力な毒とか蔓があればなんとか……ん? あるっちゃあんのか?」


 ルークはその手の中のものを見下ろす。

 狩るべき魔物たちの骸からラストの手によって生み出された魔弓――【魔獣弓オリオン】。

 この毒を以て毒を制すという理屈で行けば、彼のこれまでに倒してきた魔物の素材を使えばより強力な罠が作れるのでは――そんな案が、天啓のようにひらめいた。

 なにしろ、ただでさえ村人たちはラストが需要を越えるほど狩猟してきた魔物を持て余し気味なのだ。

 それらを使えばなんとか出来るのではないかとルークはさっそく考えを巡らせる。


「そうだね。確かに、魔物の素材を使えばいっそう強力な罠が作れる。でも、問題が一つあるんだ。ルーク、魔物を一匹捉えられるだけの罠を作るのにどれだけの素材がいるかを想像してみてよ」


 ラストは先ほど魔力糸に触れさせた先端の鋭利な枝を筆がわりにして、魔力の見えないルークにも分かりやすいように簡単な図を地面に描く。


「魔物が強力なのはその名の通り、魔力を保有するからだ。魔物は全身に魔力を流すことで、自身の身体を強化しているんだよ」

「うっせぇな、んなのはオラでも知ってらぁ」

「無用な説明だったかな、それはごめん……で、この魔力というのは大半が死んだら自然に解けて散っていくんだ。いくら生前は強力な魔物だろうと、死後になれば村の女性たちでも捌けるようになるのがその理由さ。君の弓でさえ肌を通せないのに、僕が狩ってきた魔物たちを簡単に解体していく姿を見て不思議に思わなかったかい?」

「……そういや、そうだ。ってこたぁつまり、死んだ奴らのほとんどが使いもんになんねぇってことか」

「理解が早いね。その通りだよ。魔物は一部の角や牙と言った素材だけは死後も魔力の過剰集中で変質した名残りがあるけれど、その他の部位は通常の動物と同じ強度さ。さて、そんな一頭から僅かしか取れない希少なものを使って罠を作ったとして、数が足りると思うかい?」


 ルークは小さく唸りながら、かつて教わった狩りに必要な罠の作り方を思い出す。

 その中に魔物の素材が使える場面を考えて、組み込んでいくとして……到底、一つや二つでは足りない。彼のざっくりとした計算では、一つの罠を作るのに最低でも五頭近くは必要になる。

 一方、生きている魔物たちは魔力を纏ったままであるが故に全身が強力な破壊の権化だ。

 それを相手に一つの罠を何度も使いまわせるとは思えない。

 倒す魔物の数とそれを引っ掛けるために必要な素材数を比べれば、間違いなく後者の方が多い。となれば、いつか材料の不足に陥ることは明白だった。


「ちっ……だったら、どうすりゃいいんだ? 手先のやり方が通用しねぇってんなら、後はもうオラがそいつらを直接狙えるようになるしかねぇじゃねぇか」


 もはや考えられそうな答えは一つしか見当たらず、とはいえ彼にとってはおおよそ現実的とは思えないその答えを冗談のように呟く。


「そうだね。残された答えは一つしかない。となればそれが正解なんだよ、ルーク」


 だが、ラストはそれを肯定するようにぱっと笑顔になった。


「あ? ……嘘だろ、おい」

「生半可な毒や罠は効きやしない。魔物由来のものを使っても費用対効果が低い。となれば残された方法はいたって単純明快だ――ただひたすらに鍛錬あるのみ。いっそのこと君自身を強くしてしまうのが、一番手っ取り早くて最適解なんだよ」


 こともなげに不可能だと思っていた道を進めと提示するラストに、ルークは息を飲む。


「なに、的は山ほどあるんだ。いくらでも、どれだけでも倒したところで自然環境を壊すことにはならないさ。練習する機会は、ここ・・にいれば嫌というほど巡ってくる」

「おめっ、まさか……」


 続く彼の言葉に、ルークはその己を鍛える方法とやらの正体を察してしまう。


「これから君には僕がスピカ村にいる間、ずっと森に潜ってもらう。止まった魔物を仕留める腕はもうあるんだ、それなら後は実戦で狙いの定め方を磨くのが一番さ」


 なるほど確かにルークは魔物を倒すことが出来るのだと既に証明された――とはいえそれは条件が整っていたからのことだと、彼自身重々承知している。

 対して実戦は何事も想定通りにいくとは限らない。

 ただでさえ通常の理から外れた魔の獣たちは、ルークの予想を超えた動きで彼の喉元に牙を剥くだろう。

 だというのに、目の前の教師ラストはそんな地獄に平然と生徒ルークを放り込もうとしている。

 何度も彼の非常識ぶりを見せつけられたルークだが、今度は傍目で見ているだけでは済まされず、彼自身もその窮地に飛び込むことになる。

 階段を踏み飛ばし過ぎた挙句転げ落ちてしまうのではないかと恐れ慄く彼に、ラストは駄目押しのようににっこりとほほ笑んだ。


「大丈夫。本当に死にそうになったら助けてあげるから。あいにくと今の僕には千切れた腕を引っ付けるなんてことは出来ないけれど、基礎が無事なら内臓がまろび出たくらいの怪我なら治してみせる。だから、気兼ねなく魔獣たちに挑めばいいよ」

「んな無茶苦茶なっ――いや、おめぇにとっちゃ普通なんだろうけどよぉ!?」


 さらりと普通なら十分死ぬような怪我も気にせず負ってこいとのたまうラストに、いよいよルークは黙っておられず叫んだ。

 だが、爆弾を放り込んだとうの本人は大して気に留めた様子もない。

 せっかく誰かを鍛えるというのなら、出来る限りの窮地を乗り越えさせなければ――そんな、己自身を基準とした試練の用意にラストは張り切っていた。


「どうせ村を出ていく前には、村の人たちが元のように山の恵みに与れるように一帯の魔物を全部片づけていくつもりだったんだ。だから、早くしないと練習台がなくなっちゃうよ?」

「さらっとまぁたとんでもねぇことを言うんじゃねぇ!」

「とんでもないだなんて、そんな。君やレイが傷つくよりはいいだろう?」

「そんな軽い話じゃねぇっつってんだよ!」


 不思議そうに首を傾げるラストにルークが言葉の勢いを荒げるも、まるで堪えた気配がない。


「まあまあ。君が嫌ならそうするつもりだけど、それじゃ次に魔物が出てきた時に今度こそスピカ村が潰れちゃうからね」

「っ……それは、そうだけどよぅ……」

「だから君にはなんとしてでも、一人で魔物を狩れるようになって欲しいんだ。もちろん僕は君の意志を尊重するから、やっぱり嫌だって言うならここで断ってくれてもいいけれど……」

「……嫌、っつぅわけじゃねぇけどよ」


 その再度の確認に、ルークはふと弓を握る己の手を見下ろした。

 いくら無謀に思える鍛錬法とはいえ、ラストはきちんと安全に責任を持っているつもりなのだろう。

 それでも、不安なものは不安なのだ。

 それに加えてルークが気になるものはもう一つ、魔物を倒してもなお己の内側に残るこの空虚な不満足感だ。

 真に自分一人で魔物を倒せるようになれば、この謎の気持ちもいつか解決するのだろうか――数多の魔物の命を刈り取っても、この妙な渇望が満たされる時は永久に来ないのではないか、とルークは思う。

 ――とはいえ、それで立ち止まっていては本末転倒だ。


「つったって、否が応でもやらなきゃどうしようもねぇしな」

「ん?」


 その心の疑問に気づかないラストには、解決策を求められない。

 この感情にけりをつけるのは他ならぬルーク自身であって、彼自身が魔物を狩れるようにならなければそもそも始まらないのだ。


「なんでもねぇ。やるぜ、そん答えにゃかわりはねぇ。ここまでてめぇの誘いに乗っといて今更退くわきゃあねぇだろが」


 もとよりラストのことを信じてみるという気持ちに変わりはない。

 ルークの答え自体はとっくに決まっていた。

 ただ、その答えを手にした先に待つ己の心の変化が未だはっきりと見えていないだけで。

 いずれにせよ歩き出してみようかと決めたことに偽りはないのだと、彼はラストの意思確認を鼻で笑い飛ばした。


「んじゃさっそく今からやったろうじゃねぇか、なぁ!」

「その意気だよ。よし、それじゃあそうだね。ここから一番近いのは南側の魔鹿の家族だ。まずは手慣らしに、彼らから仕留めてみよう。それが終わればそこから西に少し行ったところの魔猿の十匹ほどの群れと、ついでに魔蜂の巣も二つほど潰そうか」

「……おぅ、なんでもどんと来やぁ!」


 さらりと述べられた連続狩猟にちょっとばかり後悔を感じつつも、それでもルークは己を鼓舞するように胸を力強く叩いた。

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