第67話 空虚な成功


 魔獣の弓を受け取ったルークは、まるで初めて与えられた玩具に戸惑う子供のようにその取り回しを確かめる。

 じろじろと外観を隙間なく眺め、重心を確認するように軽く振り回す。そんな彼を前に、ラストが自身の手がけた魔弓の大まかな説明を行う。


「本体は魔獣の特殊素材……特に魔力の集中していた部位を、薄く削って貼り合わせてあるんだ。芯は剛性のある鹿角で、その外側を狼の牙を靭帯と軟骨の複合弾性素材を噛ませる形で重ねた衝撃吸収部品で包んで革で覆ってる。これがこの森で出来る、君の膂力にも耐えられる強靭な魔弓だよ」

「……弦はなんだってんだ? こっちも魔物んなにかか」

「うん。ほぐした魔物の腱からいっとう丈夫なのを選んでより合わせたんだよ。いやあ、せっかく作るなら立派な素材から揃えたくてね。そのために今朝いっぱい狩ってきたんだ」


 照れ臭そうにする彼をよそに、ルークは弓の感覚を確かめ続ける。

 単に素材をそれらしい形に削り上げただけではない、様々な技巧が凝らされていることが耳だけでなく手からも伝わってくる。ラストの説明によれば中々に複雑な過程から作られているようだが、これまでの単に木を削った弓と軽さも手触りもほとんど変わりない。


「まさか弓まで作れるたぁな。得物はそれじゃねがったんか?」

「いつでも剣が手に取れるとは限らないだろ? どんな状況でも戦えるように、武芸百般その作り方から手入れまで一通り勉強してるよ」

「……ほんまに無茶苦茶だべなぁ」


 ラストの軽い口調に反して密度の高い内容に呆れながら、ルークは矢をつがえずに一度弦を引いてみる。


「ん、おおうっ……」

「大丈夫。その弓はきっちり最後まで引いても折れやしないから、めいっぱいやってみてくれ」

「言われん、でもっ!」


 ルークが腕の筋肉から胸筋、背筋まで使って引いても魔弓の折れる気配は微塵もない。

 彼の手の先、指の先に伝わる感触は悲鳴どころか、新たな使い手に対して歓喜の声を上げているようにさえ感じられる。

 剛性を持ちつつ柔軟性を兼ね揃えた弓は、実に射かけ甲斐のありそうな反発力で持ち主に応えていた。


「さあ、さっそくそれで試し打ちしてみてくれ。矢もこっちの、骨から削り出したものを使った方が良い。普通のじゃ折れちゃうからね……その間、そちらの弓はいったん預かろうか? 大切な弓みたいだし、地面に置いて汚れるのは良くないんじゃないかな」


 そう実験の続きを促してルークから弓を受け取ろうとしたラストに、彼は一瞬動きを止めた。

 確かに、ラストの用意した弓は実に使い勝手が良さそうだった。しかも、彼の言い分からしてこれを無料で譲ってくれるようだ。

 ――だが、それで父親の思い出の篭った弓を易々と手放して、本当に良いのだろうか。

 そんな疑問が、はたとルークの内に湧いた。

 確かに父親の遺品であるこの弓は、ラストの作り上げたものと比べて見劣りするだろう。

 それでも今この弓を一時的とはいえラストに手渡すのは、父との大切な思い出さえも明け渡してしまうようで――。


「……すまねぇな」


 最後まで高潔であった父の弓を握る資格は己にはもうないのだと、ルークは既に一度納得してしまっている。

 ――肝心な時にそれを矢をつがえることなく誰かを見殺しにしようとした自分の手で汚し続けるよりは、このままラストに手渡してしまった方が良い。

 そう、彼は迷いを断ち切ってラストに弓を預けた。


「頼む、持っといてくれ」

「任されたよ」


 ラストはそれを、彼からしたら単なる古びた弓に見えるであろうにも関わらず、丁重な扱いで胸に抱いた。

 その光景が粗雑な彼は握り手として相応しくないと語り掛けてくるようで、ルークの心が僅かに軋み騒ぐ。

 だが、そのような心ではこれから放つ矢の軌道さえも歪んでしまう。

 ルークは一度深呼吸して、捨てたと思っていた狩人としての集中に深く意識を落とす。

 繰り返された習慣によって、彼の身体は瞬く間に狩人のあり方を取り戻した。


「……」


 ぐぎゅう゛るるるう゛っ……と呻く魔獣の残る片目玉へと向けて、弓を構えた左手の人差し指で照準を合わせる。

 ゆっくりと、普段と同じように慎重に弓を引く。

 きりきりと弓の上げる悲鳴に耳を澄ませ、その限界を見極めるいつもの工程――だが、ラストお手製のこの弓は悲鳴をあげるどころか、まだやれると反骨心を返してくる。

 その心地よい感覚にどこか寂しさを抱きながら、ルークは着実に力を溜め込んでいく。

 ――そう、これは儀式だ。

 過去の傷に囚われていた情けない自分を切り捨てるための一矢。

 そう己に言い聞かせながら、ルークは練り上げた決別の意志をしっかりと込めて弦を最後まで引き絞った。


「……じゃあな」


 別れを告げた相手は実験台となった哀れな獣か、それとも過去のルーク自身か。

 ひゅんっ、と静寂に満ちた空気を、解き放たれた一迅の矢が切り裂いて。

 ――がぎゃっ!?

 矢を受けた魔狼が断末魔を上げて顔面をのけ反らせる。

 その眼球には、ルークの放った矢が八割ほどまで食い込んでいた。その長さから逆算して、まず間違いなく魔物の脳にまで到達している。

 それを裏付けるように、散々逃げようと力んでいた狼の全身がくたりと垂れ下がる。


「よし」


 どたっ、と狼の身体が地面に落下する。ラストが仕掛けていた魔力糸の罠を解いたのだ。

 その身を拘束していた障害が消えてもなお、狼は動く気配を見せない。

 くったりと伸びきったままのその有様が、狼の命が消えたことを如実に表していた。


「おめでとう、ルーク。これで君も魔物が倒せることが証明できたね」


 成功と呼んでいい実験の結果に、ラストが小さく拍手をしながらルークへと近づく。

 一方、それを成し遂げた狩人の様子は静かだった。


「……本当に、死んだんだな」

「うん、間違いないよ。心臓も止まってるし、魔力の活動も見られない。この狼は完全に息絶えてる。気になるなら、直に触って確かめてみるのもありだと思うよ」

「いや、いい」


 ラストの勧めを断って、ルークはしばし茫然と目の前の光景を見つめていた。

 散々恐れ、恐怖の象徴だった魔物が倒れ伏している。

 その急所に突き立っているのは彼の放った矢だ。

 誰が見ても間違いなく、ルークがこの魔物の命を奪ったのだ。

 だというのに、


「……なんで、だろうなぁ」


 お膳立てにお膳立てを重ねられたから、だろうか。

 ルークは自らの矢で己を縛り付けていた恐怖の鎖を断ち切ったはずなのに、あまりにあっけないその終わりに、どこか空しささえ感じていた。

 感慨も、喜びも、達成感もない。魔物殺しを成し遂げたという事実は理解出来たものの、なぜか彼の心にはなに一つ響かない。

 ただ魔物を倒せた、その事実だけがすとんと彼の頭に落ちてくる。

 ラストの提案は見事的中し、何も問題はない。

 ない、はずなのに。

 ――ルークはまだ、自分が真に過去を振り切ったという確信を抱けないでいた。


「これで、ええんだよな?」


 ぼそりと呟いたルークの問いに、光を失った魔狼の目は何も答えない。

 その醜く潰された両眼は偉大なる狩人オリオンの名誉を称えることもなく、ただ赤く濁った涙で地を濡らすばかりだった。

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