第65話 眩しさにあてられて


 天を仰ぎ見ながら、ルークが語り出す。

 ラストの見上げる星が天地を逆さにし得る誰かというなら、彼にとっての星は父親だった。

 唐突に自分のことを語り出した彼だが、ラストは止めることなく無言でその語りに耳を傾ける。


「おっ父は凄ぇ腕で、この辺で狩れねぇ獲物はおらんかった。夏は熊、秋は猪、冬は鹿……皆が欲しい肉を欲しいだけ、いつだって手に入れてきてくれた。そんな姿にオラは憧れた。村の皆に褒められて、いつか自分もあんな風になりてぇって――だんけど、魔物が出るようんなってから変わっちまった」


 ルークの漂わせていた懐古の念に、段々と悲痛な重みが混じり始める。


「あいつらは罠だって食い千切る、矢が刺さったって死にゃしねぇ。毒餌食わせたってけろっとしてる。んなもん相手にして、誰がこれまでと同じでいられる?」


 不意に、彼の虚ろな瞳がラストを見据える。

 かつては弱くとも、今や魔物を容易く切り捨てられるお前に、本当に理解できるのか? ――そう、瞳のうろに覗くルークの心が問いかける。


「段々と取れ高が減った。いくらおっ父でも魔物は狩れんかった。奴らの隙を狙って狩りをしてたって、どうにもなんなくなってきた。それでも、村の連中はただでさえひもじいんだ、肉が少なくなりゃ死んじまうから、って狩りをし続けて――死んだ」


 ルークはそこで一度言葉を切り、もごもごと一度口を詰まらせる。

 だが、ここまで話してしまえば後は同じだと、彼はそのたった三文字の、自分の心に巣食う忌まわしき記憶の罪を告白する。 


「オラぁのせいだ。おっ父は、オラを守って死んだんだっ……」


 彼は自らの悔恨を噛み締めるように、その事実をラストの前に吐露した。


「村の皆が腹空かしても、おっ父は絶対にオラを連れていかねかった。今の森は危険すぎる、言うてな。でもオラはじっとしちゃいられんかった。オラもおっ父の手伝いさしてぇって、ずぅっと思ってた。とっくに小っこいやつらは狩れてた、でけぇのだって問題ねぇって思ってた。それで森さ行って――魔物に襲われそうんなって、そんなオラをおっ父は庇ったんだ」


 ルークの光がか細くなった瞳の中に、いつまで経っても鮮明なままの記憶が蘇る。

 ――魔物に襲われ、足を竦ませて餌になる運命しかなかった息子。

 それを守ろうと咄嗟に身体を突き出して、覆いかぶさった偉大なる父親。

 その腹を、木の幹のように太い魔物の腕がはらわたを引き裂いて貫いていた。

 頬に落ちた生温い父親の血の感触までもが蘇ってきて、ルークはぐっとその場所を拭った。


「お前は逃げろ……そう言われて村に帰ってから、あれはもしかしたら夢だったんじゃねぇかって、森に戻った。でも、夢じゃなかった……おっ父の身体は色んなとこ食い荒らされて、骨まで齧られて捨てられてた。残ってたのは服の切れ端が少しと……おっ父が大事に大事に使うてた、弓だけだった」


 ルークは、自分の空っぽの手の中を見下ろす。

 言いつけを守らなかったせいで、彼の手から父親のぬくもりは永遠に消え失せてしまった。

 唯一残った狩人としての在り方さえも、ラストに嫉妬した一時の感情でかなぐり捨ててしまった。

 父親の遺した弓を握る資格さえ失い、今の彼には真実なにも残っていなかった。


「おっ父ですら敵わねぇんだ。未熟なオラが勝てるわけねぇ。あんなん誰だって無理だ。ロイさんが何回か呼んだ領主んとこの騎士だって、魔物を皆ぶっ殺すのは無理だって言うてたんだ。だからオラはしゃあねぇって思ってた。おっ父でも、騎士でも無理なんだ。なら、オラが倒せなくたって問題ねぇ、仕方ねぇんだってな」


 父親を目の前で屠られて、ルークの心はすっかり折れていた。

 だが、それでも良かった。

 彼の父でさえ、騎士でさえ敵わないというのなら、若い彼が倒せないのも仕方がないのだから。折れた心で己の情けなさを適当に慰めて、村の友人たちと適当に過ごしているだけで――辛い記憶を克服して魔物に立ち向かう必要もなかった。


「でも、おめぇは違った」


 だが、そこにラストが現れて全てが変わった。

 果てなき諦観に喘いでいたルークの声に、異様な熱が灯る。


「涼しい顔して魔物をぶっ殺して、一日に何匹も狩ってきやがる。オラが諦めてたもんを、簡単にやってのける。ふざけんなって思ったさぁ。強ぇ奴らが誰も敵わねぇんだから、絶対無理に違いねぇ――そんな諦めてたオラの考えを平気なつらでぶっ飛ばしてくおめぇが気に食わなくて、こんな野郎なんざさっさと消えちまえって思ってた」


 出来ないことをやろうとしたって仕方がない――そう考えて、父親の死を嘆いて立ち止まっていても良かったスピカ村を、突如現れたラストが塗り替えてしまった。まるで氾濫した大河のように、停滞し澱んでいた村の空気を一挙に押し流した。

 ルークにはそれが苛立って苛立って、目障りで仕方がなかった。

 ――自分にとって一番だった父親が、簡単に乗り越えられていくことが。

 ――いつまでも足踏みしている自分がいっそう情けなく感じられることが。

 なにより、相手はそんな自分の心のことなど露知らず、レイと呑気にはしゃいでいることが彼の神経を大きく逆撫でした。

 たった数日で山のように積もったドロドロとした厭忌の感情。それに突き動かされてつい見捨ててしまった選択肢さえも、ラストにとってはなんの障害にもならなかった。


「……でも、てめぇが剣振ってるのを見て、今ん話を聞いて少しだけ……それもしゃあねぇな、って思っちまった」


 そんな邪念を軽々と超えるのが当然と他者に理解させるだけの努力を、ラストは着々と積み重ねているのだと見せつけられてしまったから。

 情けない自分とははっきりと違うのだと、心が完全な敗北を認めてしまって。

 ルークは納得した――させられてしまった。


「オラが見てたてっぺんも、てめぇにとっちゃ通り道に過ぎねぇ。天地を引っくり返すたぁふざけてると思ったが、嘘じゃなさそうときたもんだ。……んな馬鹿げたもん真面目に目指してるんなら、そりゃあ騎士だろうが村一番の狩り人だろぉがどうでもよくなっちまうだろうなぁ」


 ははっ、とルークは煤けた声で自重する。

 わけの分からない邪魔者だったラストのことを真っ当な奴だと認識してしまったが故に、ますます己の情けなさが際立ってくる。

 それが突き抜けてしまった今のルークは、彼への嫉妬の気持ちも湧かなくなった。


「オラにゃあ、んなこたぁ出来ねぇ。おっ父が一番だと思ってたオラなんざに、魔物を倒せるわきゃあねぇ」


 情けない自分では、ちっぽけな目標を掲げていた自分では到底魔物など倒せるはずもない。

 そう自分の力不足を認め切ったルークは、自虐する。


「置いてかれんのも当然だ。てめぇみたいなでっかいもんを追い続ける気概はねぇ。いつまでもウジウジ言って、誰かを妬んでる……オラにゃあ、な」


 その声は悲観的な響きを含みつつも、どこか晴れ晴れとしていた。

 はっきりと自分の至らないところを認めたルークは、なぜかこの数年で一番の爽快な気分に浸っていた。

 うじうじと患っていた過去の傷を受け入れたことで、彼の心は今の涼し気な空気のように澄み切っていた。

 もはやラストに対して意地を張る必要もなくなった今の彼は、もう素直に狩人を止めた新たな自分を受け入れようとしていた。

 ――だが、ルークは未だ、ラストのことを完全に理解しきれていなかった。


「――そんなことはないよ」

「っ……はぁ?」


 ようやく受け入れることの出来た現実を即座に否定され、ルークは思わず苛立ちがぶり返した。

 それをなんとか宥めようと心を整えていると、ラストがそこに薪をくべるように言葉を紡ぐ。


「魔物は倒せるんだって知ったんだろう? だったら今からだって目指せるさ。魔物を倒せるようになりたいって、君がそれを心から望むのなら」

「はっ、気休めなんざくそくらえだっ」


 なんとも信じがたいことを言うラストに、ルークは吐き捨てる。

 どうしてせっかく諦めて、彼の望むような融和の雰囲気が生まれつつあったのに――それを自ら打ち壊そうとするのか?

 ルークにはラストのやりたいことが、今度こそわからなくなる。


「気休めなんかじゃないさ。君と手合わせして、君の狩人としての戦い方を見て、僕はそう思ったんだ。どうかな?」

「……んな、馬鹿言うなっ。おめぇと力比べしたときだって、ちぃとも動かせなかったってのに……」

「さすがに対人で訓練していない人に負けるわけにはいかないさ。格上だろうと、倒せる方法はちゃんと身につけてきたんだから。……それで、もし君が望むのなら僕はそれを全力で後押しする。全ての魔物を倒せるまでとはいかないけれど、この辺り一帯の魔物くらいなら、君はほんのちょっとの切っ掛けだけで倒せるようになる。僕はそう信じてるよ」

「……」


 答えを確かめるように、ラストはそっと正面のルークへ手を差し出した。

 前は逃げてしまったその手を、ルークは今度はじっと見つめる。

 手の主であるラストは、澄んだ目で彼のことを見つめている。そこには侮りや嘘の気配などは一切感じられない。先ほど鍛錬していた時と同じように、彼はその身体でルークに訴えかけている。

 ――その熱意に、諦めていたはずのルークの心が少しだけ揺り動かされる。


「……けっ」


 どうやら自分は敗北を受け入れることすら許されないようだと、ルークは眉間に皺を寄せる。


「ようやく楽になれるって思ってたのによ……いや」


 ふと口をついて出たその一言に、彼はその苛立ちの原因を理解する。

 ――今の彼は、敗北を受け入れて成長したのではない。

 諦める先を父親からラストに変えただけで、現状に甘えようと足踏みしていたことはなにも変化していなかった。

 とことんそんな自分が情けなくて……そんな自分をそれでも突き動かそうとする眼前のラストの目が、直視するには眩し過ぎて。

 そっぽを向きながら、ルークは迷いながらもぽつぽつと答えを出した。


「……オラはオラのことなんて、信じらんねぇ。誰かを命を張って守るどころか、殺そうってしたからなぁ」


 自分の至らなさに打ちのめされた彼には、すぐに自分を信じることは出来なかった。

 だが、一番信頼できないルーク自身の強さを、目の前のラストは信じるという。


「だけどよぅ。んなオラの考えをまるっと引っくり返したてめぇがそういうってんなら……そうなんだろうなぁ。信じたくねぇが、嘘じゃねぇみてぇだ」


 まさか、情けない醜態を晒した自分が父を越えられるなどとはルークには思えなかった。

 ――だが、そんな自分を易々と超えていくラストがそう言うのならば、その信用を受け入れてみるのも悪くないのかもしれないと。

 彼は顔を背けながらも、ラストの手を取った。


「ルーク……っ」


 軽く触れただけのルークの手を、ラストは力強く握り返した。

 そこから移ってきた熱に失ったはずの自分が無理やり叩き起こされていくようで、ルークは思わず元の勢いを取り戻して吐き出すように返答を述べた。


「わぁったよ。てめぇのやり方ってのを試してやらぁ。そんなんで変わるとは思えねぇが……変われるってんなら、やってみたらぁ。ああ、もうなんでも好きにしやがれ。やれるってんなら、やってやんよくそったれ!」


 情けない自分ルークと、自分を信じるラストを信じようとする自分ルーク

 それがごっちゃになったまま、彼はラストの提案を受諾した。


「うん、任せてよルーク。森の脅威から村を守れるようになるまで、一緒に強くなろう」

「ふんっ!」


 ルークは不機嫌そうな態度のまま、ラストの応援を信じまいと頑なに目を逸らし続ける。

 それでも、鬱陶しそうな様子とは裏腹に――ルークは、握られた手を振り払おうとはしなかった。

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