第63話 芽生える疑問
「――四ッ、五ッ、六ッ……三百三十ッ!」
細くか細い月明かりの下で、ラストの掛け声ととめどめなく流れる汗が宙を舞う。
彼が常に携えている銀の長剣が、幾度となく眼前の大気を斬り伏せる。その動きは無駄なく、歪みなく。全てがまったく同じ斬撃であると見紛うほどの、正確な素振り。
掛け声が確かなら、ラストは既に三百を超えてなお、その正確性を保っていることになる。
「――ありえねぇ」
ルークの心は今、その一言で満たされていた。
なるほど確かに、攻撃の正確性は重要だ。彼が得意武器とする弓でも、狙い通りに敵を穿てなければ効果はがくんと落ちる。しかし常に理想通りの攻撃が出せるわけではないからこそ、二重三重に予防策を巡らせる。常時完璧な動作など行えるはずもなく、それを突き詰めるくらいなら素直に手数を増やした方が良い。
だが、ラストはそんなルークの常識に喧嘩を売るかのように、真っ向からその人間の越えられない完璧に挑んでいる。
「五十一ッ……三ッ……九ッ、三百六十ッ!」
月の写し見のような無垢の銀木剣が、掛け声に合わせて滑らかに宙を舞う。
その重ねられた回数が見栄を張っているわけではないことは、ルークも察していた。
声に込められた気迫が、これまでに鬱陶しくなるほどに見せられてきたラストという人間の在り方が、それが真実なのだとルークに訴える。
「……七ッ! ……駄目だ」
「……?」
「重心がブレてる。――三百九十七ッ!」
ルークの目では捉えきれなかった、微細な違和感。
それを一度素振りを止めて把握、理解、修正を加え――ラストは再度数を数え直す。
その際に見えた赤い瞳から、ルークはラストの鍛錬に向ける執念を垣間見た。その気迫を受けて、彼は己に向けられたのではないと分かっていても思わず三歩ほどたじろいだ。
「……なんで、そこまですんだ……?」
――疲れただろう、痛むだろう。村でも力自慢のルークでさえ、あんな全力集中の動きを繰り返せば四十やそこらで身体が悲鳴を上げる。恐らくは人の範疇に収まっているであろう彼も、これだけ繰り返せば身体が危険な信号を発しているはずだ。
しかし、それらの本能的な躊躇いを意志でねじ伏せ、制御してラストは剣を振るい続ける。
そのたゆまぬ努力によって培われた肉体が星明かりの下で脈動するのを、ルークは見た。
「……イカレてやがる」
――ああ、これほどやれば確かに魔物など殺せるだろうさ、と。
ラストと
与えられた運命に粛々と従うのではなく、異論があれば正面から対立して我を押し通す。
そのラストの在り方を、ルークはその眼で理解させられていた。
「……あぁ、腹が立たぁ」
前へと歩き続けているラストと違って、ルークはいつまでも心に傷を負った日から立ち止まっている。
決して叶うことなどないと考えていた魔物を、彼は容易く倒してみせた。
ルークの背負う心の傷など、彼にとっては路傍の石に過ぎないんだと思えてならなかった。
ますます怒りと情けなさが積もっていく中、そんな荒立つルークの心にふと、一つの疑問が浮かぶ。
「そこまでして、なにがしてぇってんだ?」
ルークにとって絶望そのものに等しい魔物ですら些事となるほどの、ラストの目指すもの。
見ている者が正気を疑うほどに身体を苛め抜いてなお足りないといった様子のラストが、いったいどのような目標に胸を焦がしているのか。
ずっしりと彼の汗を吸って変色した地面を見ながら、どうしてかルークの中に、それを知りたいという気持ちが芽生えた。
「……ふんっ、んなもんどうでもえぇ」
だが、それはまるで自分から彼と関わりを持とうとしているようで、ルークは勝手に湧き出てきたその疑問が気に食わなかった。
ラストの纏う抜身の刃のような空気にあてられた自分が気に入らなくて、彼は元来た道を戻ろうと考える――だが、身体はその意志に反してラストのことが気になっているようで、ルークはついその場に踏みとどまってしまった。
「……」
日中散々我慢したのに、今更自分からラストに声をかけるのかと意地を張りたいルーク。
だが、一度気になってしまっては、抑え込もうとするほどに段々と知りたいと思うその気持ちが強くなってくる。
矛盾する思いにくるくると行っては来てを繰り返しながら、ルークが足踏みしていると――。
「――千。それで、どうかしたかなルーク?」
いつのまにか既定の回数を終えていたラストが、剣を下ろしてルークの息を潜めていた場所へと目を向ける。
壁越しにまっすぐ向けられた視線に、彼は一瞬心臓が掴まれたような感触を覚えた。
「っ!?」
「まだ起きる時間じゃないよね。寝付けないようなら薬でも渡そうか? それとも井戸に用事かな。お邪魔だったなら、すぐに退くけれど」
ルークの緊張も気にせず、ラストは今もなお平然と笑いかけてくる。
それに対する苛立たしさが彼の胸の内に無性に込み上げてくるが、こうなってはもはや致し方ない。
先ほどまでの話しかけようかどうかを迷って右往左往していた様子も、恐らくラストは把握しているのだろう。そう考えると、ルークはもはや話すことを躊躇う自分が恥ずかしくなってきた。
「……んなこたぁ、どうでもいい。一つ答えろ」
「っ! なにかな?」
ようやく会話が成立したことに喜ぶラストに、彼はぼそぼそと問うた。
知りたいが、話したくもない。そんな相反する感情をないまぜにした声で、ルークは口を開く。
「……こんな夜中から、んな汗水たらして鍛えて……平気で魔物を倒せるくらいでも、まぁだ強くなろうってして……てめぇはなにがしてぇ? ……なにを、目指してんだ?」
いったいなにを目指していれば、魔物を歯牙にもかけないほどの強さが手に入れられるのか。
――果たしてそれが、自らの根幹的な心の傷よりもどれほど崇高なものなのか。
それを知ってしまうことにより自分がどう変わってしまうのかを恐れながら、ルークはそれでもラストの前に踏み出した。
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