第60話 目指すべきやり方
結局レイの体力切れという形で水遊びは幕を閉じ、彼女は濡れた服と体を乾かすようにぐったりと湖畔に膝を伸ばして座り込んでいた。
「ふぅ……にゃによ、ホントにあんたってば無茶苦茶ね。結局一発も当たってくれないんだから……、ちょっとくらい手ぇ抜いてくれたって良かったじゃない……」
「ごめん。一回鍛錬だって考えると、どうしても全力になっちゃって。なんとしてでも当てなきゃ気がすまないのなら、改めてちゃんとぶつけられようか?」
「うっわイラつく。謝ってんのか挑発してるのかどっちかにしなさいよ、この変態」
「だから見てないってば!?」
傍で膝を立てて作業をしていたラストが大声で叫んだのに、彼女は満足げにくすくすと笑った。
彼は今、偶然水を飲みに来ていた鹿の親子の解体作業を行っていた。心底くたびれたといった様子のレイに対し、彼はまだまだ体力を余していた。そんな彼に一息で狩られてしまった哀れな獣たちは今、逆さ吊りになってだらりと腹の内側をさらけ出していた。
二頭分の血と内臓に塗れた手と小刀をすすいで綺麗にしてから向き直ったラストに、レイが尋ねる。
「ま、ラストがむっつりスケベだったことは置いといて。それで結局どうすんのよ、ルークのこと」
「その不名誉な呼ばれ方には厳重に抗議したいところなんだけど。……よく彼のことだって分かったね」
「そりゃあね。あんたのこと気に入らない人間なんて、男たちだけだし。その中で魔物を狩れそうなのなんてルークしかいないでしょ」
ラストがあえて口に出していなかった相手の名前を、レイは改めて問うまでもなく察していた。
ちょくちょくラストと一緒にいる彼女は、今の村で彼と最も相性が悪い相手が誰なのかももちろん知っていた。出会うたびに彼のことを親の仇のように睨みつける村の友人たち、その中心核であるルークとラストが宴の日以来互いに気まずい感情を抱えていることを彼女はきちんと見抜いていた。
「でも、間を取り持つっていったってあたし一人じゃ難しいわよ。あの様子じゃ、いくら関係がないあたしが言ったって聞きやしないでしょうし」
「なにも一から十までやってくれとは言わないさ。これはあくまでも僕と彼の問題だ。本当に向き合わなきゃならないのは僕だからね。……ただ、出来ればその時に一緒に来て、要所要所で僕たちをうまく繋いでほしい。君がいれば、少なくとも完全には無視されないと思うから」
「ん、それくらいならなんとかなりそう。それで、肝心のやり方はどうするのよ。少しは考えてあるんでしょうね?」
ただでさえ、ルークはラストのことを大きく毛嫌いしている。
いくらレイが力を貸すとしても、口裏を合わせておかなければボロが出てしまう。
どうせ協力するならば、失敗しないためにラストの考えをある程度把握しておきたいと彼女が思うのは当然だった。
助けを求めるのならば当然、その前にある程度の算段は立てているのだろうとレイは彼に説明を求めた――頑ななルークの心の壁を打ち破るのに、いったいどんなことを企んでいるのかと。
それに対し、ラストははっきりと彼女の目を直視して言い切った。
「もちろんさ。正面から彼の心に向き合う、そうしてこっちの考えを受け入れてもらう」
提示されたのはいたって単純な、企みとは到底言い難い方法。
それを聞いて、レイは一瞬己の耳を疑った。
「……それだけ?」
「うん。このまま躊躇し続けてちゃなにも始まらない。それならいっそ、僕の方から踏み込むよ。彼となるべく同じ時間を過ごして、お互いのことから目を逸らさないようにして。僕が彼の抱え込んでいることをちゃんと理解して、彼に僕のことを見てもらって――」
「いやそうじゃなくって! いえ、ホントにそんな単純な作戦で良いの?」
本当にそれだけでルークがラストの話に耳を傾けるようになるのかと、レイは半信半疑だった。
再確認する彼女に、レイは気まずそうに告白した。
「……正直、他の考えが浮かばなかったわけじゃない。彼を挑発して、無理やり話を聞いてもらえるようにするって手も思いついたんだ。ルークの心の傷のことは、大体推測が付いてるからね」
宴の夜に聞かされたことは、ずっと彼の心の奥底で反響し続けている。
ラストはルークにぶつけられた彼の本音を一字一句違わず覚えている。それを分析している内に、彼の抱え込んでいる魔物へ向けられた恐怖の核がうっすらと見えてきていた。
だが、それをあえて踏み荒らして気を惹くようなやり方は――ライズやシルフィアットと変わりない。
「でも、それは褒められるようなやり方じゃない……僕がレイやスピカ村の皆に誇れるやり方じゃない。今回は、村のことをなんにも考えずにずかずかと足を踏み入れた僕に非があるんだ。ただでさえ悪いことをしてるのに、これ以上自分の都合で誰かの気持ちを搔き乱すのはやっちゃいけない。ちゃんと相手と向き合って、真摯に耳を傾ける。それが僕の目指す姿なんだ」
そう訴えかけるラストに、レイが目を細める。
「……あたしも、なんにも知らないわけじゃないわ。だから、あんたのやろうとしてることはなんとなく想像できるわ。でもそれって、相手の気持ちを踏み躙るよりもよっぽど辛いことになるかもしれない。本当に目を逸らし続けたかったことを無視させて甘えさせるんじゃなくて、それに直面して乗り越えろって言おうとしてる。そっちの方が残酷なんじゃない?」
「そうかもね。間違いなく、辛いと思う。……でも、他人の意見を強いることがどれだけ残酷なのか、僕はよく分かってる。だから、彼にはきちんと自分で見つめ直せるようになって欲しいんだ。自分の力を――彼には魔物を倒せるだけの力はあるんだって。いつまでも自分から枷に囚われていないで、前を向けるようになって欲しい」
彼は既に、ルークの力をあらかた把握している。
腕相撲の時も森での狩りのやり方を教えてもらった時も、彼はずっとルークの力を観察していた。
その結論として、彼には既に魔物を倒せる力が十分備わっていると判断していた。
――ただ、その力を全て引き出すことを、彼の心そのものが阻害しているのだということも。
「そのためなら、時間の許す限り僕は彼と向き合うよ。ちょっとばかり滞在期間が延びたってかまわない。ルークに自分のやりたいように、魔物すら倒せる狩人として大成して欲しい。それを補助するのが、今の僕に出来る最大限だと思うからさ。だからそのためにもちょっとだけ、レイには手を貸してほしい。……これが、僕なりの説得だよ。どうかな?」
本当はラスト一人で向き合うべきなのだが、それでは月どころか年単位すらかかる可能性がある。
それを縮めるためにレイの手を借りるなんて、本当に虫のいい話だとラストは承知している。
その上で、彼は助力を再度求めるように深く頭を下げた。
そんな彼の頭を、レイはぽこんと叩いた。
「……何回同じことを聞いてんのよ、馬鹿。あたしはもう、手伝うって言ったでしょ」
「レイ……」
「それに、それだけルークのことを考えてくれてるってんなら村長の孫娘として、なおさら協力しないわけにはいかないわ」
よっこらせっ、と腰を起こしたレイがぱんぱんと服についていた土を払って村の方を向く。
「さ、そうと決まればさっさと村に戻りましょ。そろそろ服も乾いたしね、麦穂は枯れぬうちに収穫しろってね」
最後に彼女は、少しだけラストの方に振り返った。
「でも、そうね。協力しなきゃ、それだけ長く村にいてくれるってことよね? やっぱりやめとこうかしら? ――なんて、嘘よ嘘。だからそんな辛そうな顔をしないで。ただ、あたしのことは振ったくせにルークにはこんな親身になるなんてって思って、ちょっと妬いちゃっただけ」
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