閑話 燎刃の英姫


 ラストとレイが微笑ましい青春を謳歌している一方――ユースティティア王国の首都で、彼の従妹であるハルカ・ブレイブスもまた似たような出来事に巻き込まれていた。

 とはいえ彼女の場合、年相応な無邪気さなど欠片もない荘厳な雰囲気の部屋に押し込まれた挙句、両隣をむさ苦しい父と伯父に囲まれてのものだったが。

 女の身でありながら今や押しも押されぬ次代【英雄】の最有力候補となった彼女は今、王城の一角に存在する応接間にて座らされていた。


「……きつい」


 常に戦場の空気に煤けていた髪はしっかりと油が通された上で上品に編み纏められ、研ぎ澄まされた黒曜石の如くきらめいている。加えて服装も普段の血の染みた和装ではなく、彼女の代名詞・・・に相応しい深紅のドレスに袖を通している。

 その窮屈さに不満をありありと映した曇り瞳さえ除けば、誰もが認める美姫だ。

 そんな彼女が慣れないドレスと周囲を飾る堅苦しい美術品の数々に身をもぞもぞとさせている正面では、五つばかり年上の少年が弁舌をふるっていた。


「――学内では常に特進学級において首位の成績を維持し、夏季の遠征では魔族領の【土竜テッラドラゴン】を討伐いたしました!加えて冬の越山訓練では不意に遭遇した【雪熊グラシアウルサ】を相手に、仲間たちと共に辛くも生き延び――」


 拳を振り上げながら己の刻んできた栄光を語る少年は、先日ライズが学長を務める戦士の学び舎を卒業して近衛騎士団に推薦で入団した英傑だ。

 彼が身に纏った礼服の胸元には早速、主席卒業の徽章がぴかぴかと輝いている。

 それを誇るように胸を張りながら、彼は自らがいかにこれからの王国防衛の一翼を担うに相応しき人物であるかを正面に座るハルカたちへと熱烈に訴えていた。


「――以上を持ちまして、私の紹介とさせていただきます! 必ずや、英雄と称えられる皆様のご期待に応えられると自負しております。故にどうか、私アンドレ・バルリック・ジュストとハルカ嬢との婚姻を認めていただきたい!」


 最後に言葉をそう締めくくって、アンドレは瞳に強い意志を漲らせた。

 ――そう、これは次の【英雄ブレイブス】たる彼女の婿を見定めるための場だった。

 元々の暫定的な婚約者とされていたラストが突然の病死によっていなくなったため、ハルカには当然新たな相手が求められる。

 しかし、熱烈な視線を寄せるアンドレに対し、主役であるはずのハルカはどこ吹く風と視点を宙に彷徨わせていた。

 なんとも言い難い様子の娘に代わって、彼女の父であるマウント・ブレイブスが答えた。


「うん、なるほどね。見事な演説だった。君の素晴らしさはよーく分かったよ少年。アンドレ君、確かに君はこの場に立つだけの資格があるようだ」

「はっ、光栄でありますっ!」

「元気がいいねぇ。いやはや三十過ぎたおじさんには眩し過ぎる。これが若さってもんか、あー……俺たちにもこんな頃があったけねぇ?」


 茶化すような口調で問いかけられた現【英雄】ライズは、ふんと鼻息を鳴らした。

 ――その姿は六年前と比べ、大きく変貌していた。がっしりと筋肉が詰まっていたはずの肉体はげっそりとやせ衰え、髪や髭にも艶がない。単に年を経ただけとは思えない、なんらかの特殊な疲労を積み重ねていることが伺える。


「下らん質問をするな。……アンドレとやら」


 彼はじろりと、窪んだ眼下から覗くギラリとした眼光でアンドレを見据える。


「お前は確かにそこらの塵芥共よりはマシらしい。だが、そんなものはどうでも良い」


 ライズは傲慢にも、未来の姪婿候補の長ったらしい演説を最初からこき下ろした。

 あまりに理不尽な一言に、少年の顔が一瞬歪む――だが、彼はすぐに笑顔を作り直した。

 なにせ眼前にいるのはライズ・ブレイブス。王国どころか人類の最強戦力たる【英雄】なのだから、文句を言えるはずもなかった。

 それでも折れることなく彼らを見据えていられることから、どうやら胆力は一人前のようだ。


「【英雄ブレイブス】に求められるのは経歴にも、その胸のお飾り徽章にもあらず。全ては力だ。戦場の全てを塗り潰してしまえるだけの、圧倒的な暴力。それこそが英雄の正義、それ以外にはいくら口が回ろうと意味はない。故にこちらが求めるのはただ一つ――力を示せ」

「力、とは?」

「このハルカと立ち合い、勝利を収めてみせよ。さすればブレイブスを名乗ることを許す」


 ぼんやりと宙を眺め続けている少女を顎で指し示して、ライズは婚約を認めるに足る、たった一つの単純な条件を告げた。


「ハルカ様に勝利せよと? 承りました」


 意識がこの場にあるかすら定かではないハルカを一瞥して、アンドレは心の中でほくそ笑んだ。

 なんとも能天気そうな目前の少女は、一応は英雄一族の一員だ。

 それでもまだまだ、学校に通う年齢ですらない。そのような守られるべき女性を相手に戦えとは、彼にとって随分と難易度の低い課題に思えた。

 なにせアンドレは次世代の英雄を育成するという名目で建てられた学校、通称ブレイブス学院を首席で卒業したのだから。主席卒業という明確な実力の証と、これまでに数々の難題を乗り越えてきたという自尊心が、彼に勝利は確実だという楽観を抱かせていた。


「その勝負、確かにお受けいたしま――」


 ――その油断の代償を、彼はすぐにその身を以て支払うこととなる。


「炎よ。我が写し身に宿りて万象を斬り焦がせ」

「え?」


 最初の儀礼的な挨拶を覗けば、これまでずっと無言を保っていたハルカがぼそりと呟く。

 お見合いの場においてはなんの脈絡もない言葉――その詠唱にアンドレが戸惑った時、既に彼の運命は決まっていた。


「【紅炎抜刀フラムベルグ】」


 太腿に仕込んでいた片刃の短剣――ハルカの母方の出身地では脇差を呼ばれる刃を引き抜いた彼女が、その場の雰囲気など一切お構いなしにドレス姿のまま長机の上へと飛び上がる。

 そのまま彼女は表情を変えぬままに、下着が見えることすら厭わず机の上を駆け抜けて――一閃。

 状況を飲み込めないままのアンドレの両手首を、バッサリと炎を宿した剣で切り裂いた。


「……は?」


 どしゃり、と白いテーブルクロスの上に二つの肉の塊が落ちる。

 その痛みをアンドレの脳が自覚するよりも先に、ハルカは次の詠唱を完成させていた。


「炎よ煌々と燃え盛れ【火炎散弾イグニスパレッド】」


 淡々と紡がれた魔法が、ようやく状況理解の追いついた婚約者候補の胸元で爆発を起こす。

 その衝撃に、天井に吊るされていたシャンデリアががしゃんがしゃんと不協和音をかき鳴らす。


「――ぎゃあああぁぁぁっ!」


 荘厳かつ神聖な雰囲気に満たされていたはずの応接間が、一瞬にして地獄のような呻き声に満たされる。

 全身を黒焦げにしながらも炎を消そうとゴロゴロと地面を転がるアンドレに、慌てて部屋の外に待機していた治療魔法の術者たちが駆け寄って治療を施していく。


「ったく、やっぱり・・・またか! わが手に安らぎと癒しのそよ風を、【治癒の風メディアウラ】! っ、早く軟膏を持ってこい! ありったけのものを塗りたくれ!」

「おらそこの奴、落ちた腕を持ってこい! 傷が焼けてるから繋がらないだと!? んなもん焼けた分を削げばなんとでもなるわあほんだら! 今は一刻を争うってのが分かんねぇのか!」


 一転して野戦病院さながらになった応接間の一角を一瞥し、ハルカは呟く。


「……ん。弱い。ラストなら避けた」


 たったそれだけを残して、彼女は鬱陶しそうにドレスを脱ぎ捨てながら外へと立ち去っていった。

 その背を着替えを持った侍女が追いかけるのを見ながら、残されたマウントが呆れ顔でため息を一つ。


「やっぱこうなったか……そうだよなぁ」

「なにを呑気に言っているっ! これは我らの問題でもあるのだぞ! 次の英雄を仕込むのは、我ら一族にとって当然の義務であり――」

「そういって、これで何人目だ? 俺ぁもう、十人を超えたあたりから数えるのを止めちったが」


 本来ならば、婚約者を失ったハルカにはすぐさま次の相手が宛がわれるはずだった。

 しかし六年たってもなお選定が終わっていないのは、このような事情があるからだった。

 ――自分よりも弱いものは結ばれる相手として認められない。最低でも自分の斬撃に耐えられる人間でなければ、そもそも夫としての役割すら果たせない。そのようなハルカの態度が、今現在に至るまで新たな婚約者の選出を遅らせていた。


「……アレは中身はともかく、才能は一級品なのだぞ。今代で最も優秀なあの血を、次に活かさんわけにはいかん」

「そうは言ってもねぇ。俺らがいくら言っても聞かんでしょうよ、うちの姫さんは。無理やり結婚させたところで、初夜にベッドが旦那の血に沈むなんてことになりかねない。……まったく、しばらくすればラスト君のことも忘れると思ってたんだが、ここまでこじらせるとはねぇ。未だにラスト君の幻影しか見えてないんだわ」

「ちっ、あのような死人のことにいつまでも囚われおって……っ!」


 ライズが苛立たし気に机を叩く。不意に魔力の篭った拳がそのまま頑丈な机に罅を入れ、それどころか彼らの今いる王城そのものを軽く揺らした。

 それを認識した者たちは、次の瞬間には今応接間でなにが行われているのかを察して無言で仕事に戻っていった。軽い地震と間違えるほどの揺れであっても、それが数年も続くようでは彼らが慣れてしまうのも仕方のないことだと言えよう。


「そっちが早く第二のラスト君を産んでくれりゃあ話は早いんだがね。フィオナ嬢も頑張ってんだろ? 一年に一人、生まれたら次を仕込んでの繰り返し。こないだので六人目だっけか? いやぁ、あんな美人にひっきりなしに求められるなんて羨ましいねぇ?」

「黙れマウントっ、他人事だからと呑気に騒ぎおって!」


 ラストを失って捨ててからというもの、フィオナの夜の誘いは年々過激になりつつあった。

 なんとしてでも、今度こそ【英雄ブレイブス】に相応しい魔力の持ち主を産まなければならない。そんな強迫観念に駆られた彼女が新たな子供を一人孕むだけでは安心できるはずもなく、彼女は子宮が空けば媚薬でもなんでも使って次をせがむという精神的に不安定な状況に陥っていた。

 曲がりなりにも英雄の妻として選ばれただけあって、何度出産を繰り返そうともその美貌は未だ現役だ。しかし、それが狂気に満たされた状態で毎晩迫ってくるとなれば、ライズが食傷気味になって身体を壊しかけるのも無理はなかった。


「悪い悪い。んで、結局のところ次はどうなのよ? 六人目は息子だって聞いたけどよ、ちったぁ彼みたいな出来の良い子になると思うかい?」

「……さてな」

「ったく、これじゃいよいよハルカも一人身か。親としては娘の結婚式を見れないのは悲しいが、当人が嫌がるんじゃ仕方ねぇわな。……せめて今年からの学院生活で、良さそうな相手が見つりゃいいんだけどさ。ま、そんな虫のいい話なんてそこらに転がってるもんでもあるまいし。夢のまた夢、なんだよねぇ」


 そう机に足を乗せながら傍らに置かれていた菓子を適当に摘まむ弟を尻目に、ライズはこの数年ですっかり癖となってしまったラストへの恨み言を心の中で呟き続ける。

 彼を廃棄してからというもの、ライズの私的な生活はすっかり荒れ果ててしまった。

 【英雄】としての外面はともかく、家では常に目の下に隈を作ったフィオナに迫られ、事情を知る古参の使用人たちには冷たい目に晒される。また、今のように魔力が少なかったという事情を知らない者たちにラストが亡くなったことを悔やまれるのが、自分の選択を間違いだと言われているようで鬱陶しい。

 それらによって溜まった悪感情は全て、【深淵樹海アビッサル】にて眠っているであろうラストへと向けられる。

 最近では素直に婚約に頷かない姪のことも、彼の心理的疲労の一因となっていた。しかもその原因が全てを辿ればラストなのだから、彼の心はなおのことささくれ立つ。

 ――せめてあの娘が少しでも人斬り癖を矯正して、まともな【英雄】となれば。

 脱ぎ捨てられた紅のドレスを視界の端に収めて、ライズはその色が選ばれた根本的な要因を小さく口ずさむ。


「【燎刃の英姫ブレイズド・ブレイブス】……ふん、ただの人斬り娘め」


 彼女が通った戦場には、血と炎の乱れ舞う深紅の海のみが残される。

 そこからつけられた忌み名とも言うべき二つ名は、ライズからしてみれば到底誇り高き【英雄】に相応しいものとは思えなかった。

 高貴な英雄の名が、次から次へと生まれてくる者たちによって汚されていく――その現実が、ライズの心をじわじわと蝕んでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る