第59話 乙女の事故
「でも、遊ぶと言ってもどうしようか。水場で出来る遊びなんて、釣りか水泳くらいしか思いつかないんだけど。釣りの方は道具を持ってきてないし、かといって今から手作りとなると時間がかかっちゃうな。となると泳いで競争するくらいしかないと思うけれど……」
ラストが気まずそうに目を向けると、同じことを考えていたレイが呆れ顔で首を振った。
「あたしがあんたに勝てるなんて、まったく予想できないわよ。ってか、服着たままじゃろくに泳げないでしょ」
「え? 僕は問題ないけれど。水辺で戦うときに動けないようじゃ話にならないし」
「……そうね。言った瞬間そうだろうなって思ったわ」
ジト目になった彼女の前方では、ラストが難なくすいすいと泳いでいた。
――そも、陸上生物である人間にとって不利な水辺での戦闘は本来ならば避けるべきことだ。それでも魔族の中には水中で生活する種族も存在する以上、水中での戦闘が起きる可能性は拭えない。もしそうなった時に手も足も出ないようでは、人類の希望である【英雄】など到底名乗れやしない。
そういうわけで、彼は防具をつけた状態での泳法もエスによってきちんと叩き込まれていたのだった。
「普通はそんなこと出来ないから。それに、そんなことよりもっと単純な遊び方があるわ――それっ!」
レイが言葉尻の勢いを上げ、突然持ち上げた右腕を勢いよく振りかざした。
それにすくい上げられた湖の水が、泳いでいたラストの頭上へと不意打ち気味に降りかかる。
「おっと」
だが、彼は一度頭を水に沈めて、それをなんなく回避した。
再び顔を水面に上げたラストは困惑の表情でレイを見た。
「――いったいなにを……」
「やるわねっ。でも次はそうはいかないわ、そらっ!」
その問いが完成するより早く、彼女は次弾を以て返答とした。
またもや躊躇なく己を打ち据えようとする水飛沫を、ラストは今度は軽く水を蹴って横に動いて回避した。
目標を見失った弾幕が湖面に落下して、ぽちゃぽちゃと情けない音を立てる。
「くっ、次はこうはいかないわよ!」
変わらず困り顔を浮かべるラストに彼女は臆することなく、更に両手を動かして次から次へとラストに水をぶつけようとする。
そのわちゃわちゃとした様子を眺めながら、彼は飛んでくる水滴の隙間をすり抜けつつ問いかけ直した。
「レイ、これにはいったいどんな意味があるんだい? 液体噴射攻撃は確かに回避し辛い危険な攻撃だけど、この周辺にそういった生態の動物はいないはずだろ。わざわざ回避の練習をする必要なんて、どこにも――」
「意味? あははっ、馬鹿じゃないのっ!? そんなのなぁーんにもないわよ!」
そう言っている間にも彼女はラストに幾度となく水を浴びせようとし続ける。
それらの間を巧みな泳法で掻い潜りながら、彼はいっそう困惑の表情を深くした。
――なんの意味もない遊戯だなんて、それこそなんの存在意義があるのか。あらゆる日常行動を鍛錬と結び付けて考えてきた彼にとって、レイの行動は理解できないものだった。
しかし、彼女は迷うラストに構わず、今度は両手を体の前で組む。親指と人差し指の隙間に空けた孔をラストへと向け――水を吸い上げた内部を圧縮。
びゅっ、と鋭い水鉄砲が放たれた。
「よく分からないけど、当たらなければいいのかな――ふっ!」
ラストは濡れた中指を親指の腹に押し付け、ぐぐっと力を溜めてから解き放った。
刹那、指先に灯る魔力の光。
強化された水の弾丸が、レイの放った水鉄砲を明後日の方向へはじき返した。
「うわっ、そんなことも出来るのね! あははっ、やっぱりあんたって凄いわ! よーしそれならっ……」
「その前に。いい加減教えてくれ。これはいったい……」
「ええー、まだ分かんないの? ふふっ、ラストってば意外とお間抜けさんね!」
「むっ」
「こんなのただのお遊びよ? ただ水をかけあう、それだけのね。変なことばっかり考えてると、当たっちゃうわよ? そら、食らいなさい!」
続けてちゅっ、ちゅっと連続で水鉄砲を飛ばしてくるレイ。
それを一々迎撃していては割に合わないと、ラストはちゃぽんと静かに水の中へもぐりこんだ。
「ちょっと、出て来なさいよ!」
水は透き通っているが故に、彼がどこにいるかは丸わかりだ。
それでも水の中を魚のように進んでいくラストの姿に、じたばたと手を動かすばかりで回転することすらままならないレイは追いつけない。
そうして悠々と背後を取ったところで――お返しとばかりに、ラストは彼女の後頭部を同じく手で作った水鉄砲で狙い打った。
びしゃんっ、と冷たい水が綺麗に彼女のつむじへと命中する。
「あ痛ぁっ!? なによ、すっごい威力あったんだけど!?」
「ふぅ。これで終わり、かな。中々興味深かったけど、これで僕の勝ちだね」
「ふふふっ――それはどうかしら!」
ようやく振り向き終えたレイが、その回転の勢いのままに水を雑に飛ばす。
ラストはそれを一度沈んで避け、眉を潜める。
「……頭を撃たれたら普通は死亡判定だろ? これはそういった
「たかだかお遊びにそんな死んだもなにもないに決まってるでしょ! それよりもやったわね、今度はあたしの番! 絶対に当ててみせるんだからぁ!」
ラストの判定などお構いなしに、彼女は何度も水を飛ばしてくる。
それを泳ぎ、沈みながら彼は何度も回避しては攻撃を命中させるのを繰り返した。
その中で、彼はふと気づく。
彼女は明らかに劣勢だというのに、笑っている。
何度も水を当てられて、自分は当てられないのに、なんの苦も感じることなく遊んでいる。ラストとのやり取りを楽しんでいる。
そして、なんの意味もないと言われて、それではこの時間は無駄なのではないかと考える彼もまた――どうしてか、彼女の笑顔を見ていると無性に楽しくなってきてしまう。
「よく飲み込めないけれど……ひとまず、ここからは僕も本気でやらせてもらうよ」
「良いわよ、かかってきなさい! 返り討ちにしてあげるんだから!」
自分に戦う者として最も重要な
そういった意味がなにもないこの遊びを行うことに疑問は残るものの、なぜか体の内側から湧き上がってくる純粋な楽しさに、彼は身体が抑えきれなかった。
ラストは本気で――とは言っても怪我をさせない程度に――レイに狙いを定めた。
「そもそも今の君はどう見ても僕に負けてるんだけど。それで返り討ちってどういうことなのかな?」
「う、うるさいわね! そんなこと言って、後で泣いても知らないから――!」
それからというもの、二人は幾度となく互いに水をかけあっては避けてを繰り返した。
早々にラストの攻撃を避けるのは不可能だと悟ったレイは、回避に見切りをつけた。そうして、受ける攻撃は我慢しながら攻撃一辺倒でひたすらに水を飛ばしていく。
そんな彼女の乱打を、ラストは修行で身につけた技法で避け続ける。
浮き沈みを使い分け、時には魔力を纏わせた足で水面を走ってまで逃げ回る。
「あははっ、なによそれ! どうやったらそんなことが出来るのよ!」
「沈む前に次の足を出すだけさ。大したことじゃないよ」
「なに言ってんの、大したことありすぎよっ!」
理不尽な挙動で三次元的に飛び跳ねつつも、それでいて的確にレイの隙を狙撃するラスト。
そんな、無茶苦茶な動きを行う彼に、レイは段々と当初企んでいた意図的な
なんとしてでも一発浴びせてやりたい――そんな単純な思いが、悲嘆にくれていた心の穴を楽しさで満たしていく。
「そーれっ!」
彼女が水を跳ね飛ばすも、ラストは目にも止まらない摩訶不思議な機動で彼女の照準に捉えられない。
「ええいっ、らちが明かないわね! こうなったら――っ!」
小規模な攻撃では永遠に攻撃を当てられないと理解し、レイはいったん水の中に深く身を沈めた。
両腕をぎゅぎゅーっと胸の前に縮め込んで、力をため込み――上昇。
水面に躍る人魚のように、彼女はその身に纏っていた水流を両手を広げて一気に爆発させた。
「んー……ばぁっ!」
打ち上げられた巨大な水の花火が、四方八方へと弾ける。
それを回避するには、隙間を潜り抜けるのではなく射程距離そのものから外れなければならない。
一気に頭を湖の中に沈め、水の爆発が落ち着くのを待ってから再浮上する。
「ふっ、まだまだだね。それじゃあ次は僕の番――っ!?」
ざばっと水を持ち上げて顔を出したラスト。
――次の瞬間、ずるりとレイの服の結び目が解けた。
「あっ」
「え?」
唐突だが、レイの着ていた服は肩の上で紐を結んで留めるようになっている。それがびしょ濡れになったことで紐が水を吸って膨張し、自然と結び目が緩くなっていた。
それに加えて、レイは水を放つために何度も腕をその肩まで動かしていた。濡れて張りつく生地が肌とこすれ合うことで伸び縮みを繰り返し、生まれたうねりによって徐々に結ばれていたものが解けてきていたのだ。
そして、今の全力の攻撃がとどめとなって――。
ぺりぺりっ……張りついていた服が重力に従って剥がれていく。
垂れるように端から捲れていった服の下から、大きさを鑑みて必要がないからと下着を着けていなかった素の乳房が見事にありのままの姿を晒した。
「――きゃあああぁぁぁっ!」
自ら晒すのと偶然晒されるのでは、羞恥心の度合いが天と地ほどの差ほど違う。
元々企みを抱いていた悪戯っ子の雰囲気など微塵もなく、レイは慌てて両手で胸の前を抱きかかえて水の中へ沈んでいった。
数秒も経たぬうちに、彼女は掴んだ服を胸元を隠すように押し付けながら浮かび上がってきた。
その、自身への不意打ちで真っ赤になった顔でラストを睨む。
その時既に、彼は後ろを向いていた。
「……見た?」
「見てない」
か細い問いかけに、ラストは即答する。
「見たわよね?」
「見てないです」
再度の確認に、彼はなぜか丁寧な口調で同じ答えを返した。
「……」
ゆっくりと水鉄砲を構え、それまでと違ってレイは無言で放つ。
「っ」
ラストは突然の攻撃にも関わらず、首を傾けただけで躱してみせた。
それはどう見ても、後ろが見えていなければ出来ないような挙動で。
「あーっ、やっぱり見えてるんじゃない!」
「いや、これは単なる気配感知というかっ。見えてるわけじゃっ……」
「ええい、問答無用っ! このっ、大人しく天誅を喰らえーっ!」
もう既に、レイは変なところを見られても構わないと言ってしまっている。
それを今更撤回する気にもなれず、彼女はこうなっちゃ仕方ないとやけくそになってそのまま彼に水をばしゃんばしゃんと何度も飛ばす。
しかし彼はあろうことか、今度は顔を背けながら逃げ始めた。しかも目を瞑るという、万が一にも見ることがないようにという徹底ぶりだ。
――ただし、ちらりと見えたその顔は彼女自身と同じく真っ赤になっていて。
彼のことだから、恐らくは見えていたのかもしれない。
だが、彼女がそれを指摘しなかった。自分でも彼の心に響かせることができる――今のレイはそれを知れただけで十分だった。
「……ま、いっか」
予想していなかった事故で自分も負傷してしまったが、結果的にはラストに自分のことをより強く刻みつけられたのだから万々歳だ。
得られた満足感を胸の奥にこっそりとしまい込みながら、それはそれとして。
「待ちなさい、絶対に逃がさないんだからーっ!」
レイは普通の乙女らしく、偶然見られてしまったことへの恥ずかしさを発散し切るまで延々とラストを追いかけ続けるのだった。
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