第55話 秘密のお出かけ


 ラストがスピカ村を訪れてからまる二日が経過した。

 元々着用していた都人然とした純白のローブを脱いで村の装いを身に着けた彼は、もはやすっかりこの村の一員として溶け込んでいた。

 朝の鍛錬とお手伝いを終えた彼が狩りの支度をしていると、傍を通りがかった人々から次々と声を掛けられる。


「よーラスト。今日も昨日とおとといみてぇな大物をたっぷり頼むぜ?」

「はい。任せてくださいピットルさん。まだまだ森にはたくさんの魔物がいますから。いっぱい食べて、飽きるくらいになってくださいね」

「あらラスト君、ちょうどよかった。ちょっとこれの味を見とくれ。昨日教えてくれた味付け、うまくいったと思うけんど一応確認しときたいだもんで」

「ルーヴァさん。分かりました。では、一応少し炙ってから……はい、大丈夫だと思います。この調子なら後三日くらいで良い感じに味が浸み込んで、気をつけていればカビも生えにくくなるかと。今日もいっぱい狩ってきますので、次の準備のこともお願いします」


 ルークなどの一部の例外を除けば、村人のほとんどがラストに好意的だ。

 それは、彼が村人たちと目線を合わせて名前を憶えて言葉を交わしているからだ。

 お高く留まったお貴族たちとは違う、自分たちと仲良くなろうと懸命に努力している。

 その姿を見ていれば、自然と彼らはラストのことを懐に入れていた。

 その仲の良さは、もはや彼が村の外の人間だとは思えないほどだ。

 貰ったお下がりの服をきっちり丁寧に着込んだり、話し方に野暮ったさが足らないなどの目立つ欠点はまだまだあるものの、村を訪れた当初と比べればずっとらしく・・・なっている。

 少なくとも村の人間ではない者の視点から見れば、一目見ただけでは真の村人かの判別はつき難かった。

 村の仕事に真剣に取り組み、村人たちの話題をかっさらっていくラスト。

 ――そんな彼は大人たちからはもちろんのこと、村娘たちからもひっぱりだこになっていた。


「ねぇラストぉ、こっちも手伝ってくんないけ?」

「ええー、そんなの一人で出来るっぺ。んなのよりラッスーくぅん、あたしの洗濯、手伝ってくんねぇけ?」


 左右から腕を掴まれて、ラストは対応に迷う。

 どちらも彼と同年代の、農村では婚期真っ盛りの少女たちだ。

 彼女たちはいずれも今が自分にとって花が満開となる時期であり、最も価値が高いのだと分かっている。

 そんな最盛期の自分を、村の中で将来の夫として最も魅力的なラストへと作業を共にする中で売り込むつもりなのだ。

 ぐいぐいと両腕を引っ張る二輪の花たちを、ラストはすげなく振りほどくことが出来ないで困っていた。


「あー、えっとね。本当に申し訳ないけれど、ルゥーチさん、シュトラさん。用事は分かったから、出来ればその、もう少し力を弱めてもらえないかな?」


 ――それは、彼女らが魅力的だから手放すのが惜しいというわけではない。エスというこの世の女性の最高峰を知っている彼の身体が、今更彼女たちに興奮するようなことはなかった。

 ただ、エスと違ってたおやかに過ぎる女の子の身体を無理に引き剥がせば大怪我を負わせてしまうのは必至。そんなことをするわけにもいかず、ラストは中々打開策が見つけられないまま立ち往生させられるのだった。


「嫌よぉ。んなことしたらルゥーチにラスト取られちゃうもん。ね、あーしと一緒に楽しくお仕事しましょーよぉー? 村の外のお話、いっぱい聞きたいなぁー」

「わっちだってラスっちのお話聞きたいっぺ。洗濯終わってから、そうだべな、お茶でも飲んでゆっくりしようや?」


 そして、それを良いことに彼女たちは遠慮なく彼を堕とそうと体をくっつけてくるのだから、ラストにはその気がないにしてもたまったものではなかった。


「ちょっと、あんたたち! いい加減にしなさいよ、ラストが困ってるでしょ!」


 打つ手に困った彼の救世主となったのは、他ならぬレイだった。

 彼女はぐいっと二人のお仲間の襟元を掴んで、ぐいっと後ろ側に引っぺがす。そこには遠慮もクソもなく、引き締められた生地が容赦なく彼女たちの首へと食い込む。

 ぐえっ、と花も恥じらう乙女には似合わぬ呻き声が二つ。


「なにすんだべさレイ!」

「なにって、ラストの邪魔するあんたたちをどかしただけよ。彼はまだまだ忙しいんだから、そんなことをしてちゃ迷惑よ、迷惑」

「んなこと言ったって、一番くっついてるのが自分の癖にぃ。ずるぅい、ずーるーい!」

「そうだそうだー! もっとわっちたちにもラスっちをよーこーせー!」

「うるさいわね! ほら、さっさとこっちに来なさい!」

「うわっと、っと……」


 口に丸くした手を添えて文句を垂らす二人を放置して、レイは彼の手を取って村の外へと引っ張っていく。

 ずんずんと畑の中を歩いていく彼女と、その後ろを引かれるがままについていくラスト。

 彼女の肩に下ろされた三つ編みの赤いお下げが、その歩みに合わせてなんどもぴょこぴょこと跳ねる。

 その可愛らしい姿はまるで実りの時期を迎えた麦穂のようで、それに彼が目を取られている内に二人は村から少しばかり離れた場所に辿り着いた。

 誰も追ってきていないことを確認してから、レイはようやく手を離す。


「ん、ここまでくればもう大丈夫でしょ」

「ありがとう、助かったよ」

「別に。これくらいなんてことないわ。村を助けてもらってるんだもの、お邪魔虫を払うくらい当然よ」

「あはは……それはともかく。朝も助けてもらっちゃったのに、また助けられるなんてね」


 ラストは朝のことを思い出す。

 鍛錬が終わって水浴びに行こうとした彼の前には、いつのまにか水桶と手拭いを持ったレイが立っていた。それらを受け取ってありがたく身体を拭った時も彼女が今のように当然だと答えていたのは、彼の記憶に新しい。

 それだけではなく、彼女は汗を拭ってさっぱりとしたラストに失った水分を補給するための水筒を与え、それが終われば朝食まで持ってきてくれた。

 本当に甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるレイに、彼は大きく感謝していた。


「これくらい、あんたがやってくれたことに比べれば大したことじゃないわよ」

「そんなことないよ。僕はただ出来ることをやってるだけだし。慣れない早起きに頑張ってる君の方が偉いと思うよ。レイと結ばれる人は、きっと君のことを自慢のお嫁さんだって思うんじゃないかな」

「そ、そう?」


 それを受けて、気分が悪くなさそうに彼女は耳元の髪を恥ずかしそうにかき上げた。


「これだけ手伝ってもらったんだし、なにかお礼をしないとね。とは言っても、レイがどんなものが欲しいのかはまだ分かってないけれど」

「お礼だなんて、そんな。むしろ村長の孫娘として、もっとお礼しなきゃならないのはあたしなのに」

「まあまあ。お礼にお礼したっていいんじゃないかな。なにか欲しいものがあったら、言ってみてよ。よほどのものじゃなきゃ、大体のものは用意できると思うからさ」

「えっと、急にそんなことを言われても……」


 そう唐突に言われても、レイは中々良さそうなものを思いつけなかった。

 あらかじめ考えていたならともかく、突拍子もなく欲しいものを知りたいと言われてもあれもこれもと選択肢が出てきて悩んでしまう。

 ――だが、ここで一度答えを保留にする気にはなれなかった。

 落ち着いて最も自分にとって都合の良いものを選ぶというのは、彼のことを調子よく下僕のように使うだけのように思えたからだ。


「ただでさえ村全体で甘えてるのに、欲を出し過ぎるのも迷惑でしょうね……」

「え、なんだって?」

「なんでもないわ。乙女の独り言に聞き耳を立てないでちょうだい」

「あぅ。ごめん……」


 困った彼女は、ただなんとなく悩む原因となったラストのことを見つめる。

 素直に謝る幼げな純粋さとは対照的に、その身体は朝に見た時と同じく細くも引き締められている。実務的にも観賞用としても、魅力的な男の子の肉体だ。

 それを見て、レイはちょうど良さそうな一つのことを思い出した。


「……んー、あ。それじゃ、いいかしら? ちょっとした我儘なんだけど」

「なにかな? 流石に不死鳥の尾羽とかを持ってこいなんて言われたら困るけど」

「そんなのいらないわよ! いや、それはそれで面白そうな……じゃなくてっ! そこまで言うなら、今からあたしと二人で森にお出かけしてくれない?」

「いいけれど、それくらいなら別に大したことじゃないよ。本当にそんなので良いの?」

「ええ。でもね、ここで一つ約束して欲しいの。大事な、約束」


 彼女はあえて言葉を区切って、一呼吸おいて彼の耳元にそっと唇を寄せた。


「――今からやることは、絶対誰にも話しちゃ駄目。父さんにも母さんにもお爺ちゃんにも、ルークにもあの子たちにも秘密にしてちょうだい。……どうかしら?」


 そう、こそこそと己の頼みを告げたレイは用事は済んだとばかりに顔を離す。

 それを受けて、ラストは不服そうな顔をしながらも頷いた。

 たった二人で出かけるだけのことが、本当にお礼となるのだろうかと彼は眉間に皺を寄せる。


「もちろん構わないけれど、そんなことで良いのかい?」

「良いのよ、そんなことで。ふふっ、それじゃ決まりね。さあ行きましょう。途中の魔物は任せて大丈夫よね?」

「分かったよ。……でも、森の中でいったいなにを?」


 彼女がなにを求めているのか――まさか単純に森に入りたい、というわけでもあるまいとラストは推測する。

 二人で出かけることになにか意味があるのか、秘密にする理由はなにか。

 そこに暗号らしきものが隠されているのではないかと頭を悩ませるラストに、レイはくすりと微笑みかけた。


「それは着いてからのお楽しみよ。任せておいて、きっとあんたも楽しくなるから」

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