第54話 馴染み厭われ


 村の盛り上がりが最高潮に達したころ、ラストはロイとレイに断わって一足先に宴から抜け出していた。

 どこからか引っ張り出した酒をがぶがぶと飲み干して笑い合う村人たちの中には、もうラストの役割はなかった。彼らが賑やかな声を上げて隣人と肩を組み合う中、彼は貸し与えられた空き家でひっそりと眠りについたのだった。

 そして、翌日。

 夜明けと同時に目を覚ました彼はさっそく日課の朝練を始めていた。


「――三十七、三十八……五百四十……四十八……五百五十五……」


 涼しい朝の風が、彼の肌に張り付いた汗粒を静かに払いのける。

 迷惑にならないように村から少し外れた畑のあぜ道の交差路で、彼は全身から熱気を漂わせながら剣を振るう。かつてエスに躾けられた通りの型を、正確になぞって確認する。一振りごとに自身の動作を精密に知覚し、歪みがあれば矯正する。

 それを何度も何度も、意識を集中させながら繰り返す。

 そうしているうちにやがて朝焼けが山の向こう側へ消えていき、村の方でもいくつかの気配が動き出す。


「あらラスト君……だったかねぇ。随分と早いじゃない」

「おはようっ、ございます!」


 家から出てきた一人の婦人が、畑の方へやってきてラストを見つけて驚き呆れる。

 頬に僅かに皺の出来た初老の主婦だ。

 彼女は腰に手を当てながら、鍛錬を続けるラストを見て心配そうに口を開いた。


「なんか声が聞こえると思ってきてみれば、大丈夫かい? 魔物をあんだけ倒して、まぁ、ちゃんと寝んと体に悪いよ」

「大丈夫です! 皆さんより早くお休みをいただいたので! 元気いっぱい、です! サリスさん、心配してくれてありがとうございます!」

「おや、あたしなんかの名前を覚えてくれてたのかい?」

「もちろんです! 名前を覚えるのは、親しくなるために重要なことですから!」


 剣を振りながら答えるラストに、主婦――サリスは感心する。


「なるほどね、それじゃあもう村の連中の名前は覚えたのかい?」

「はい! 昨日の食事の時に、こっそりとですが!」

「よくやるねぇ。生真面目なこった。若いんだから、もっとちゃらんぽらんでも良いだろうに。それも……なんだい、朝っぱらから剣の練習なんてやってるのかい?」

「はい! 一日でも気を抜くと、身体は衰えるのでっ!」

「かかっ、なるほどこりゃ確かに元気なもんだ。今もしこたま酒飲んでぐーすか寝てるウチの亭主にも聞かせてやりたいねぇ。ま、ほどほどに頑張りなさんな」

「お気遣い、重ね重ねありがとうございますっ!」


 呆れながら手を振って家の中へと戻っていくサリスを見送って、ラストは再び素振りに精を出す。

 そうしていると、彼女に続いて次から次へと村の人間たちがまず起き上がってくる。

 その内の一人が、彼の姿を見つけてぱたぱたと近づいてくる――レイだ。


「おはようラスト!」

「おはよう、レイ!」

「うわー、汗でびっちょびちょ。凄いわね。いつからやってるの?」

「夜明けからだよ、かれこれもう、二時間にはなるかな?」

「すごいじゃない! それくらい鍛えてるから魔物だって倒せるのかしら?」


 レイは興味津々といった様子で外気に晒されたラストの身体を眺める。

 今の彼は蒸れてかゆくなるのを防ぐため、最低限の装備だけを身に着けている状態だ。特に、見られて困ることのない上半身はすっぽんぽんだ。

 浮き上がる汗と熱気の下に、しっかりと筋肉の形が浮かび上がっているラストの肉体。

 その芸術のような身体に、ちょっとばかり顔を赤らめながらもレイはまじまじと観察する。


「細いけど、ちゃんと固いみたいね。村じゃ見たことないわ。かっこいい男の子って感じ。ね、触ってみても良い?」

「――千っ! ふぅ……別に良いけど、今は汗臭くて不潔だからね。どこかで水浴びをしたいんだけど、良さそうな川とかは近くにないかな?」


 ちょうど良い所で切り上げて、ラストはレイに尋ねた。

 鍛錬に全力を尽くすのは良いことだが、衛生観念についても気を払わなければ健康な体は保てない。汗や垢は体臭の原因ともなるし、放っておけば病気になる。乱れた生活習慣によって本調子が出せないなど、戦士にとっては恥に他ならない。

 なによりぬるぬると肌の上が滑るような感触が、彼には気持ち悪くて仕方がなかった。


「水浴び? それなら川よりもいい所があるけど……あそこは今は駄目だし、良いわ。川まで連れてってあげる」

「ちょっと待ちなさい」


 ちょっとばかり顎に手を当てて頷いたレイが彼をお望み通り水場へ連れて行こうとすると、その後ろからいつの間にか近づいてきていた彼女の母親が顔を出した。

 覚えたばかりのその名前を呼んで、ラストは小さく頭を下げる。


「おはようございますザニアさん」

「ええ、おはようラスト君。レイ。川に行くのならついでに水も汲んできてちょうだい。昨日の後片付けに使うのにどれだけあっても足りないのよ。井戸のは朝ご飯に使うし、とにかく量が足りないのよ」


 そういって、彼女は畑の向こうに見える家の横に鎮座している大きな粘土製の水甕を指さした。

 それを聞いて、レイは露骨に嫌そうな顔をする。


「えー? ……ま、仕方ないわね。わかったわ。行こっ、ラスト。ちょっと遠いけど、二人で話しながら行けばあっという間よ」

「なんだたったら僕が持とうか? まだまだ余裕はあるし、あれくらいなら鍛えるのにちょうど良さそうだ」

「やってくれるの? ほんと!?」

「待ちなさい。駄目よラスト君、娘を甘やかしちゃ。……あんたはあんたできちんと持っていくの。ラスト君はもし良ければ、他の人たちのを持って行ってあげてくれない? 年を召して重いものがきつい人たちが村に三人ほどいるから、その人たちを手伝ってあげたら嬉しいと思うわ」

「そういうのなら、分かりました。ではそちらを手伝ってきます」


 レイに申し訳なさそうな顔をして、彼はさっそく水甕の前で悩んでいた腰の曲がった女性に声をかけようと走っていった。

 後に残されたレイが、母ザニアに詰め寄る。


「なんでよ? 彼が持ってくれるって言ったのに……邪魔しないでよ母さん」

「邪魔だなんて失礼な子。むしろ助けてあげようとしてるのに。いい? 手伝ってもらうならともかく、彼に任せっきりにしてだらけさせていいような手はうちにはありません。それに、なんでもかんでも彼に任せて楽にしていたら怠け癖がついて嫌われちゃうわよ? せっかく狙ってても、逃げられちゃうかもね」

「逃げられるって……そ、そんなんじゃないわよ! ラストはそんな、狙ったりとかじゃ……」


 母親の指摘を受けたレイは、なぜか顔を真っ赤にしながら反論する。

 だが、必死に身振り手振りで説明しようとしてもザニアはまともに受けとらずに軽く流して己の娘へと暖かく微笑みかける。


「はいはい、分かったからさっさと一緒に行きなさいな。あまり遅くなっちゃうと、他の子まで起きてきちゃうわよ?」

「他のが起きるからってなによ! いい、母さんはなにか勘違いしてるようだけどっ」

「レーイ! 早く行こう!」


 身体を近づけて食いつかんとする勢いでなにか勘違いをしているらしきザニアの考えを訂正しようとするも、そこで都合の悪いことにラストに呼ばれてしまう。

 待たせるわけにもいかず、レイはずんずんと足音を立てて気に入らない笑顔で自分を見つめる母親をおいて彼の下へと近づいた。

 その勢いのままに自分の家の水甕を持ち上げて、彼女は足早に村の外へと歩いていく。

 ラストはその横に、彼女のものの二倍はあろうかという巨大な甕を抱えて並んだ。


「どうかしたの? なんだか顔が赤いみたいだけど」

「なんでもないわ! さ、早く行きましょう!」



 ■■■



 水浴びついでの水汲みの後も、ラストは本格的に活動を始めた村人たちの仕事の中に手伝えそうなものがあればなんでも進んでお手伝いを申し出た。

 他に水運びで困っていた女性たちを始め、洗濯物干しから薪割り、農具の整備に至るまで彼は様々な仕事を請け負う。一人旅の際には全てを出来るようになっていなければ話にならないと、エスの下で一通りの生活技術は身につけている。彼はそれらを遺憾なく発揮して、村人の労働を手当たり次第に手伝っていた。

 もちろん、その合間でロイに任された本来の仕事も忘れずこなしていく。


「うおおおっ! 今日もたっぷり獲物を狩ってきとぉべ! 鹿に兎……ありゃあ熊だっぺか!?」

「あんな量、昨日の今日じゃ食いきれねぇ!」


 村人の目を否応なしに惹きつけながら、彼は各家庭に狩ってきた獣たちを配っていく。

 それが終われば再びなにか手伝えることが無いかと村中を飛び回って、どうしようもない空き時間が生まれたら鍛錬か子供たちの遊び相手を務めるという多忙っぷりを見せる。

 そうしていると、彼らもまた仕事を手伝ってくれたお礼だとしてラストに色々なものを返してくれる。


「いやぁ、今日はあんがとね。おかげで腰が助かったわぁ、そうだ。これでも持っていっとくれ」

「これ、遊んでくれたお礼。きれいでしょ? 僕の宝物なんだ!」


 大人たちは使い古しではあるものの目立たない普通の服や、寝床に必要な藁束などを。

 子供たちは綺麗な石などの大切なものを、それぞれ感謝の証として贈ってくれる。

 最初は開封していない荷物が端っこに置かれているだけの殺風景だった彼の家は、たった一日にして生活感溢れる空間へと彩られた。

 それは勤勉な労働家であるラストに対しての、目に見えて分かる村人たちの感謝の表れだった。

 夕暮れを迎えて子供たちが手を振って家へと戻っていくのを見送っていると、レイが話しかけてくる。


「すごいわね、もう馴染んで。みんなあんたのことを認めてるわ」

「それなら良かった、今日一日頑張った甲斐があったよ。慣れないよそ者だから、なるべく溶け込もうって思って頑張ったんだ」

「ふふっ、それならもう十分よ。知ってる? 今日はどこでもあんたの話ばっかりだったのよ。やけに親切な男の子だって、みんな褒めてたわよ」


 ほっと望み通りになっていると聞かされて安心したラストに、レイは楽しそうに笑いかける。

 それにつられて、彼もまた心地の良い疲労を感じながら笑った。


「――けっ、調子に乗ってんじゃねぇ」


 空気を読まない冷ややかな声が、赤い空の下に二人の穏やかな空気を切り裂く。

 正面から歩いてきたのは、彼を気に入らない様子を隠しもしない村の男子たちだ。

 ――ラストが村の多くに受け入れられつつある一方で、彼とはどうしても馬の合わない者たちもいる。彼らはラストが村に入った昨日からずっと、彼を厭うような態度を崩さない。


「ちょっと、調子に乗るってなによ! ラストは村に色々貢献してるのよ!」

「だから? そいつは旅人だって忘れちまったのかレイちゃん。どうせすぐに出てくんだ、入れ込み過ぎっと後で後悔すっべ?」

「うっさいわね! そんなの分かってるわ、あたしはただお礼をしてるだけよ。邪魔しないでちょうだい!」

「あーあ、だめだこりゃ。ほら、ルーク。おめぇからもなんか言ったれよ」


 彼らの固まりが割れて、中から記憶に新しいルークの姿が現れる。

 その顔は、昨日と比べてより暗い影を落としている。

 昨晩のことが思い起こされて、ラストは気まずさに口の端をきゅっと引き締めた。

 だが、ルークは彼の思っていたような行動はとらなかった。


「……知らんわ。行くぞ」

「えっ? おいおい、それで良いのか?」


 思わぬ白けた態度に聞き直す友人に目もくれず、ルークはすたすたと村の外れへと歩いて行ってしまう。

 その後ろを、彼らは慌てて追いかける。もちろん去り際にラストを睨みつけることも忘れず、ルークたち一行は視界の端へと姿を消していった。


「なによあいつら、子供みたいに」

「……」

「気にしなくていいわよ、あんなの。きっとおばさんたちがルークと比べて悪口言ってたのが気に障っただけよ」


 レイはそう慰めるが、ラストはその言葉にこそ悩まされる。

 彼らはラストがいたからこそ、比較された挙句に下に見られて誇りが傷付けられたと感じている。

 ――やはり自分は、ルークの言う通りこの村にとってあまり良くない存在なのではないか?

 その思いに、彼は眉に皺を寄せる。

 そんな彼を励ますように、レイが手を掴んで引っ張った。


「ほら、あんなのほっといてさっさと行くわよ。お腹、減ってるわよね? うちに来なさいよ。いっしょにご飯食べましょ」

「……え、いいの? お父さんが怒りそうだけど」

「良いわよ、お母さんもぜひ呼んできなさいって言ってたもん。それに、一人っきりで食べるなんて寂しいでしょ? なにをそんな気にしてるか知らないけど、みんなで食べれば楽しくて忘れちゃうわ。いっぱいおいしいご飯食べて、明日に備えて寝ちゃうのが一番よ」

「……うん。そういうことなら、ありがたくお言葉に甘えさせてもらうよ」


 ルークたちとの確執が身から出た錆であるのなら、この好意もまた彼の為した誠意の結果だ。

 ラストは辛い自分を慰めようとしてくれる彼女の提案に、ありがたく乗らせてもらうことにした。

 明るい顔のレイに手を引かれて、彼はすっかり日が暮れた村の中を良い匂いの漂う彼女の家へと歩いていくのだった。

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