第53話 自責の念に絞められて
土間に備え付けのかまどに火も入れず、天窓から扉に至るまでぴったりと閉め切った薄暗い家屋の中。
ひんやりとした心細い空間の隅っこで、唯一の住人が亜麻布のシーツを被って丸まっていた。
彼がこうしてから、どれほどの時間が経っただろうか。
外では一刻も経っていないが、彼にとっては一日、二日……それどころか一週間もこのまま過ごしているようにさえ感じられていた。
外界から途絶された暗闇の中で、彼は横になって膝を抱えた状態で丸くなっていた。
しかし、その意識は眠ったわけではない。むしろ、らんらんと覚醒している。
その中で延々と繰り返され続けているのは、先の恥知らずな己への罵倒だ。
「――っ!」
途端に、外の気配が騒々しくなった。
それを受けて彼は敏感に反応した。小さく身体を震わせ、その後にもぞもぞと蠢いてより小さく身体を固めた。膝をしっかりと抱え込んで、決して外へと出まいと意志表示する。
忌まわしき旅人の話題に満ちているであろう外の世界から、自分を守る巣穴に閉じ篭る熊のように。
「くそっ、くそっ……くそぉっ」
密閉された静かな己の城の中で、家主――ルークの漏らした嗚咽が空しく響き続ける。
彼は森の入り口でラストと別れてスピカ村へ帰ってきてからというもの、ずっとこのような調子だった。
誰とも話さず、目を合わせることもなく。一直線に家へと飛び込んで、着の身着のままで薄い藁の敷かれたほとんど地べた同然の床に丸まった。
誰もいないその部屋の中で――彼は、その中で延々と自分のことを責め続けている。
「どうせオラなんてっ……ろくでなしでっ……うぐっ、ぐずっ」
ぱっちりと闇の中に開いた瞳に映るのは、ルークを心配そうに見つめる別れ際のラストの姿だった。
本来ならば死んでいるはずなのに、彼は平然と生きている。
誰も死ななかったというのは喜ばしい結果のはずなのに、どうにも落胆を抑えきれない自分がいて――それが狩人としての誇りをこれでもかと踏みにじる、許されない想いであって、彼は自分のことが情けなくて仕方がなかった。
「うおおおおおぉぉぉっ――!」
外の声が一際大きくなる。そのことに、彼はラストが帰ってきたのだと察した。
恐らくは村人の予想よりも多くの、ルークよりも獲物を狩ってきたのだろう。
――それと同時に、ラストはルークのことを話しているに違いない。
たかだが猪一匹を仕留めたくらいでいい気になって、魔物のことを押し付けて彼を囮にして逃げ出していった卑怯者のことを。
自身の見せつけた情けない姿をラストが吹聴している姿を、ルークは容易く想像できた。
「――っ!?」
「――っ!」
幸いにも外で何が話されているのかは分厚い土壁が遮って聞こえない。
ルークはその具体的な中身など、聞きたくもなかった。
どうせ、
ただでさえ自責の念に駆られていたルークは、村人の間で瞬く間に広まっているであろう自分の悪評を想像して、なおさら気が滅入っていた。
そんな中、不意に彼の家の扉が叩かれる。
「っ……」
びくりと心臓を跳ねさせたたルークは返事をしなかった。
今は誰とも喋りたくなかった。それが普段は気の合う友人である、同年代の鍛冶屋や農家の息子のニットやビショウであろうとも。
今はこうして一人で誰にも邪魔されることなくじっとしていたくて、彼はなにも答えなかった。
どうせ開口一番にからかわれるであろう自分の醜態など、耳を削ぎ落してでも聞きたくなかった。
そうして無言を保っていたのも束の間。来訪者は不躾にも、家主の合図を待たずに扉を開けた。
ぎぃぃぃ……、と立てつけの悪い木製の扉が軋みながら開く。
その向こう側から差し込んできた急な光に目をぱちぱちとさせながら、ルークはいったい誰がやってきたのかと目を凝らす。
「あー、ルークはいるよね。少し話したいことが――」
「勝手に上がり込むなや、んのくそったれが! 出てけぇ!」
記憶に新しい怪物の声に、彼は四の五の言わず罵声を叩きつけた。
■■■
「えっと、休んでいたのかな? それはすまなかった。ただ、これだけはどうしても言っておきたくて。……今日は、どうもありがとう。君に色々と教えてもらったこと、感謝しているよ」
言われた通りに敷地内には足を踏み入れず、玄関先でラストは頭を下げて礼を告げた。
その態度が自身の思っていたものと正反対で、ルークはそのまま続けて声を荒げた。
「なんで感謝するんだ、ええ!?」
「なんで、って……」
教わったことに対して礼を返すのは彼にとって当たり前のことで、ラストは困惑する。
いくらなんでもこれくらいは世界のどこであろうと常識だろうと、彼はなにを間違えたのか分からなくて反応を詰まらせる。
そのどこまでも呑気な様子が、ルークは癪に触って仕方がなかった。
「あの時、魔物が出た時! オラはおめぇを……っ、見殺しにしたんだぞ! だってのに礼なんかされる覚えはねぇ! むしろ罵倒されたっておかしかねぇってのに、なんなんだ!?」
とぼけているわけでもなく、本当になにがなんだか分からないと言った様子のラスト。
ルークは彼に思っていたことをそのまま、自分の内に燻ぶっていた苛立ちと共に投げつけた。
それを受けて、ラストは不思議そうに首を振る。
「それは違うよ。もともと魔物が出たら僕が倒すと約束していたんだ。あの時はただ、それを果たしただけだ。見殺しだなんてとんでもない」
「違う! オラはおめぇをほっぽって逃げたんだ! 任せたわけじゃねぇ、押し付けた! だってのにありがとうなんざ言われたかねぇ! ふざけてんのかぁ!」
当事者を前にして、ルークは自分の非を声を大にしてて認めてしまった。
そうなれば、もはや内に抱えて悶々と悩み続けることも馬鹿らしくなった。
彼はその勢いのままに、心の中に溜まった溶けた鉛の如き醜悪な感情を洗いざらいぶちまけることにした。
「オラはあのままてめぇが死ぬって思ってた! 魔物にやられてくたばっちまう……いや! くたばっちまえばいい、そう思ってたべさ!」
「……え?」
「ああそうさ! どこからともなくやってきて、オラたちのレイちゃんをだまくらかして盗ってこうとするお前なんかくたばっちまえ――そう思って、オラは喜んでた! これで目障りなやつが消えるってなぁ! だってのに……おめぇは生きてやがった!」
衝動のままに垂れ流されるルークの自白に、ラストは思わず耳を疑った。
はっきりとぶつけられた言葉をすぐに飲み込むことは出来なかった。それでも一切理解できなかったわけではなくて、彼は僅かに顔を曇らせる。
それを見て、ルークは薄い笑みを浮かべながら言葉の濁流を吐き出し続ける。
そう、それでいい――その顔こそが己に向けられるべき顔なのだ、と。
「森に行ったのだっておめぇさのためじゃねぇ! おめぇの口車に乗せられたんじゃねぇ、一から十までオラの都合だ! あわよくば森でてめぇが死にゃあいい、殺してやろうかとも思ってた!」
「……なにを、言ってるんだ?」
「なにをだって? オラの本心だ! ――オラは村の空気を変えたおめぇさが嫌いだ! オラたちのいつもをぶち壊して飄々としてるおめぇが嫌いだ、オラのやろうとしたクズみてぇなことをなんなく流して、ありがとうなんて言えるおめぇが大嫌いだ! 不気味で不気味で、仕方ねぇ! 魔物を倒せるからって、倒せねぇオラたちは大した存在じゃねぇ、殺されそうになってたって気にしねぇってか――ああ、クソふざけんなやっ!」
いっそのこと清々しいまでの自分勝手な悪意が、小さな家の中に何度も木霊してラストの耳を震わせる。
僅かに開いたシーツの隙間から覗く、ぎらりと輝くルークの目が彼を射抜く。
その中に宿るのは、禍々しく燃え盛る嫉妬の炎。
「魔物を倒せて皆から褒められて、さぞ気持ちいいだろう! そんなてめぇに弱っちいオラのことなんざなーんにも分からねぇだろうさ! 分からねぇ、気づかねぇだろうなぁ、強ぇおめぇは魔物も倒せねぇ雑魚のことなんざなぁ!」
ルーク自身、自分の口にしていることが間違っていることだととうに気づいている。
それでも、言葉を吐き出すたびに曇っていく目の前のラストの様子が妙に心地よくて。
――この内に眠る暗い情熱で、そのまま眼前の邪魔者を燃やし尽くせたらどれだけいいことかとルークは思う。
だが、瞳の先のラストの身体は健在だ。
彼がいくら悪意をぶつけようと、結局ラストは森の魔物の時のように乗り越えていくに違いない。
その差が――魔物を倒せずに背を向けた挙句救ってくれた恩人を相手に駄々をこねるしかない自分との差が、ルークのことを更に苦しめる。
言葉を放つたびに強くなる自責の縄に心を締め付ける痛みに気づかないふりをしながら、彼は絞り出された悪感情をそのままラストへと叩きつけた。
「――オラはそんなお前が大っ嫌いだ! 人のことをなんとも思わないで、人の村に勝手に土足で上がり込んで、笑って良い顔して踏み荒らす――そんなおめぇが大嫌いなオラにありがとうだなんて、ちゃんちゃらおかしいだろうがよぅ!」
はぁ、はぁとルークはいつのまにか上がっていた息を整える。
そうして再び思うがままに嘲笑してやろうとして――そこで、偶然振り上げた拳が近くの棚に当たった。
その上から、乗っていたものががたんと音を立てて落下した。
――それは、彼が使わない間も誇りを被らないように磨き上げていたほどの大切な弓で。
「……っ」
それが落ちた時の衝撃に、水を打ったようにルークは静かになった。
まるで元の持ち主が「それ以上口にしてはいけない」と戒めているかのように感じられて、彼は我に返った。
「……出ていってくれ」
身体の中で渦を巻いていた行き場のなかった怒りを全て吐き出したこともあってか、冷静さを取り戻したルークがぼそりと呟いた。
その声は先ほどまでの威勢が嘘のようで、蚊の鳴くような小さなものだった。
「……分かったよ」
それを受けて、ラストはルークになにを言うこともなく素直に立ち去った。
その対応がますます自分とは対照的なものに見えて、ルークは落としてしまった弓を胸に抱き上げる。
かつての持ち主から譲り受けたはずの誇りは、とうに拾えるはずもないと自覚しながら。
「くそっ、情けねぇ……。すまねぇ、おっ
湧き上がってくる心の声が、ラストが訪れる前よりもいっそう厳しくルークを責め立てる。
その声に、彼はそのまま押し潰されて消えてなくなってしまいたかった。
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