第52話 レイのお気持ち
宴には相応しくない話題ですっかり黄昏れたラストとロイは、並んでぼーっと焚火を眺めていた。
その前に、一人の少女の影がざっと土を踏み鳴らした。
ラストが顔を上げると、そこには彼らに厳しい目を向けたレイが立っていた。
「こーらっ。なにを二人揃って辛気臭い顔してるのよ? もっと楽しみなさいってば」
「あ、ああ。すまんのぅレイ。年のせいか、つい碌でもないことばっかり考えてしもうてのぉ」
「ごめん、ちょっと色々考えさせられることがあって……」
「言い訳しない! せっかくの立役者がそんなんじゃ、あたしたちだって楽しめないじゃない。ほら、これでも食べて元気出しなさいよ。ついでにお爺ちゃんも」
そう言って、彼女はずずいとその手に持っていた器を二人へ差し出した。
その中にはほかほかと湯気を立てた汁物が、たっぷりとこぼれそうなほどに入っている。
「ワシはおまけかっ! 村長に対してそれはないじゃろう!?」
「だってこれを持ってきてくれたのはラストじゃないの。主役はあくまで彼よ。……ほら、いいから食べて食べて。自分が取ってきたお肉なんだから、いっぱい食べないと損しちゃうよ?」
「うん。いただくよ。ありがとう、レイ」
「えへへ、別にこれくらい。お礼としては当然というか……」
恥ずかしそうに頬をかきながらもじもじとするレイが、ラストの隣にとすんと腰を下ろす。
真横から彼女に見られながら、ラストは器を口元へと近づける。
――むわっと鼻腔に広がる肉の匂いが、暴走した竜のように彼の嗅覚をがつんと殴りつけた。
「どうかな? ラストのは特別、あたしが直々に手塩をかけて作ったのよ!」
自信満々に腕を組むレイをよそに、驚いたラストはおもむろに茶碗の中身を覗き込んだ。
そして、その中の光景に思わず器を取り落としそうになった。
茶碗に注がれていたのは、端的に言えば泥だった。
火加減など一切考えられていない、あるものをただ暴力的な火力で煮込んだだけの料理。
その中で肉も骨さえもどろりと溶かされて、混然一体となったなにか。
それがひたすらに濃縮されて、どぶ色かつ粘り気のある謎の物体へと変貌を遂げていた。
ブレイブス家でもエスの屋敷でも見たことのない初めての一皿に、ラストの口は及び腰になっていた。
「こ、これはなんというか。独創的な料理だね……」
「宴の日だけの特別なものなのよ? 村の外の人が食べるのは初めてかもね」
「そうじゃなぁ、行商人が来るのと宴の日が重なったことなど、ちょっと思い出せんわい。おお、あちち……」
ふーふーと息を吹きかけながら、隣に座っていたロイが茶碗の中身を口にする。
そこに映る中身は、ラストのものとほとんど変わりない灰色の粘性体だ。
彼はなんの躊躇もなくそれを飲み干して、
「ふぅ、うまいのぉ!」
と、他の村人たちと変わりのない笑顔を見せる。
「どうしたの? 遠慮しなくていいのよ?」
その様子を実験体を見るような目で観察していたラストに、レイがぐいぐいと食べるように促す。
彼女は器の中身とは真逆のきらきらとした目でラストの感想を待っていた。
――男ならば、それを前にして食べないという選択肢がどうして取れようか。
「うん……」
ごくり、と唾を飲んでラストは覚悟を決める。
それはまるで、【
「いただきますっ――!」
――彼らを倒したというのに乙女の手料理一つ口に出来ないようでは、なにが【英雄】か!
そんなおかしな覚悟と共に、彼は木の匙でひとすくいして――デロリ、と嫌な感触が匙越しに伝わった――あむっ、と勢いよく頬張った。
刹那、彼の口の中で爆発的な肉そのものの味が荒れ狂った。
「うむっ!? うむっ、むもっ、んんーっ!?」
感じられる圧倒的な、肉、肉、肉。
彼もよく知っている、肉そのものの持つ力強い旨味。そこに加えて、どかんと舌を痺れさせる血と灰汁のえぐみ。更には骨を髄まで絞り、ぎゅっと煮出された濃密な出汁。肉の持つありとあらゆる要素が雑多に詰めこまれ、煮込みの工程を経て凝縮されたそれはまさに混沌そのものだった。
口内にへばりつくような液体状の肉の重奏を、彼はなんとかごくんと飲み干した。
――さらに、彼はその勢いで残る器の中身を一気に頬張っていく。
瞬く間にざっぽんと胃の中に全てをかきいれたラストは、少しの間呆けていた。
様々な味が一気に口の中を駆け巡って、一時的に彼の思考回路すら麻痺させていた。
「ねぇ、どうだった?」
早速感想を聞いてくるレイに、ラストは茫然自失の状態で答えた。
「なんというか、その、君の感謝の気持ちがいっぱい伝わってきて……すごかった」
「そう? 美味しかったのね。なら良かったわ!」
遠からず、間違ってもいない。
単純にまずいと言うことも出来ず、確かにうまいといえばそうなのかもしれない。
ただよく分からないままに怒濤の肉の嵐に押し流されるばかりで、今のラストはこの初めての味を形容すべき言葉が見つからなかった。
その味の前には、先ほどまでの悩みなど全て吹き飛ばされていた。
そういった点ではレイの料理は美味だった、もといありがたかったのは間違いない。
そう考えてあえて訂正しないでいると、るんるんと鼻歌を弾ませながらレイが手を差し出した。
「ほら、貸しなさい。次、持ってきてあげるから!」
「え」
振り向いた彼女の視線の先には村人用の大鍋とは別にもう一つ、ラスト専用にと特別に用意された鍋がゴトゴトと音を立てている。
あくまでも一家族分の普通の大きさだが、その中にはまだまだ先ほどの液体が煮えていた。
「まさかそれっぽっちで足りるわけないでしょう? 魔物を狩ったんだから、きっとお腹がすごく減ってるわよね。でも大丈夫よ、まだまだ余ってるし、足りなかったらまだ作ってあげるから!」
「ちょっ、ちょっと待ってくれないかな……」
おかわりを盛ろうとするレイを引き留めながら、ラストは強化魔法をかけ高速化した頭で思案する。
別に、彼は食べようと思えばまだ食べられる。
だが、それはなにかが危ないと直感が警鐘を鳴らしていた。まだ舌に余韻が残る中でもう一度あれを口にすれば、今度は色々と大事なものまで吹っ飛んでいきそうな予感がしてならなかった。
食べるにしても、一度時間を置いた方が良さそうだ。
とはいえ、ただ待ってくれと言うだけでは「もしかして気に入らなかったのか」とレイを悲しませることになる。それは彼の望みではない。
なんとかうまいこと猶予してもらうための
「うぐぐ……あんの
「はいはい、嫉妬は止めなさいな」
鬼を通り越して羅刹のような殺気を向けるレイの父親をさらりと無視して、ラストは村の様子を観察する。
すると、彼は一つのことに気が付いた。
「……そういえば、ルークがいないけど」
それを聞いて、ロイとレイも目を見開いて周囲を見渡した。
「ルーク? おや、確かにおらんな」
「そうね。……もしかして家にいるんじゃない? 帰ってきた時、真っ先に家に向かってたわ。ニットやビショウなんかが声をかけても聞く耳もたなかったし……そういえば、顔が青かったような? 森でなにかあったの?」
問いかけてきたレイに、心当たりのないラストは首を振った。
確かに別れ際の様子はなにかしら変なものだったが、その理由は彼には定かではなかった。
「いや、特に何も。ただ、森で色々教えてもらったお礼をまだきちんとしていなかったから。改めてありがとうって言っておきたくて。……もしよければ、彼の家を教えてもらえないかな?」
「えー、今? そんなの後でいいじゃない。せっかく作ったのが冷えちゃうわ」
だが、レイは乗り気ではないようだった。
ラストの器を取って、もっと彼に感謝の気持ちを味わってもらいたいとうずうずしている。
「あはは……大丈夫だよ、すぐに戻ってくるから。ちょっと行ってくるだけだから。それに、このままだと気になってレイの料理の味もちゃんと分からないかもしれないし」
「そう言うなら……すぐ戻ってきてね? えっと、あいつの家はあそこよ。ちょっと他から離れたところに立ってる、でっかい出口の。あれね、おっきくなったルークが一回壊した時に作り直したのよ」
「なるほど、分かりやすい。ありがとうレイ。それじゃ、すぐ戻ってくるから」
「早く戻ってきてよ? あたしは準備しておくから」
ぶんぶんと手を振るレイに送り出され、ラストはなんとか正解を導き出せたと安堵する。
――ただ、いずれにせよ全て食べきらない限り料理そのものは決してなくならないのだが。
それについてはひとまず後の自分に任せるとして、彼はそそくさと教えられたルークの家に向かうのだった。
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