第51話 スピカ村の現状


 自身の二倍も三倍もあろうかという、大量の獲物を背負って帰還したラスト。

 遠目に見ても分かるほどの小山のような成果を持ってやってきた彼を出迎えた視線は、村を初めて訪れた時の警戒と拒絶のそれとは真逆のものだった。


「お……おおっ、おおおおお―っ!? なんじゃありゃぁ!? どんだけの獲物しょってんだ!?」

「全部森の動物たちだべさ! だんけどあんなくっそ重いの、なんで背負えてんだぁ!?」


 誰もがまずは積み上がった獲物の量に驚かされ、


「ひゃあ、見ろよあの鹿。四本角ってことは魔物じゃろうが、雌だ! きっと肉も柔らかくてうめぇに違ぇねぇ!」

「猪も肥えとるがな! 膝が折れとるが、んでもめっぽううまそうだぁ!」


 続いてそれらを腹に収められることへの歓喜にごくんと唾液を飲み込んだ。

 歓声と称賛の視線を一身に受け、ラストは気恥ずかしそうにしながら村の中央でそれらをゆっくりと下ろす。

 猪が二匹と大ぶりの山雉が一羽、それに加えて魔物の狼が二匹と鹿が三匹。

 先に狩った狼の調理が終わらぬ短時間のうちに帰ってきたとは思えぬほどの成果が並べられ、それを見たロイが声を震わせる。


「お、おお……まさかこれだけの獲物を、すぐに獲ってきてくださるとは。いやはや、なんと言えば良いものか。今のワシの驚きを言葉にするなど、到底出来はせん。……ラスト君、もしやワシの心臓を止めるつもりではあるまいな?」

「まさか。心臓が止まってしまえば、せっかく狩ってきたものが無駄になってしまいます。正確には、そちらの膝の折れた猪は一緒に来てくれたルークの獲物です。ですが、それ以外は間違いなく僕が仕留めたものです。これでもまた村の方々の飢えを癒しきるには不足でしょうが、どうぞお納めください」

「そ、そうさな。ありがたく受け取らせてもらうとしようかの」


 感激からかびくびくと震える手で顎髭を梳きながら、ロイがラストを見上げる。


「ところで、すまんが支払いは後にしてくれんか? 今は一刻も早く皆にこれを振る舞ってやりたいんじゃ」

「もちろん構いません。ぜひとも皆さん、お腹いっぱいになってください」


 ラストとしても村人の笑顔に比べれば報酬など二の次だった。

 文句を言わずに頷いたラストにロイはただでさえ曲がっていた腰を更に深く曲げて、地面につけるほどの勢いで頭を下げた。


「孫のことといい、重ね重ね迷惑をかけて申し訳ない。この御恩は後に必ず返しましょうぞ。――よし、なにをぼさっと見ておるか皆の衆! 今夜は宴じゃあ! 腕の余っとるもんはさっさと解体に取り掛かれぇ!」


 ロイの指示に、指を咥えて様子を見守っていたスピカ村の人々が一気に騒ぎ出す。

 ――おおおおおおおーっ!


「そら、皆手分けして片っ端から解体していくよ! あたしゃこいつだ!」

「てめぇら、村の倉庫にあった酒持ってくんぞ! 村長が宴っつったんだ、こんな時に呑まねぇでいつ呑むってんだぁ!」


 ばたばたと急に元気を取り戻した彼らによって、途端に村が騒がしくなりだす。

 誰もがラストの持って帰ってきた肉を見て、それだけで腹を空かして失っていたはずの活力が湧いてきているのだ。

 わらわらとあちらこちらを喧騒を飛び交わせながら行き交う彼らの興奮の雄叫びを受けて、村の周囲に広がる青々とした麦穂さえも楽しそうに穂を揺らしていた。



 ■■■



 村の女性たちが総出となって、料理の準備を進めていく。

 男たちが準備した村中央の巨大な焚火に据えられた大釜にはたっぷりのお湯が沸かされている。

 先立って調理が進められていた狼の肉が放り込まれた後に、更に新たに切り出された肉塊がその中へ次から次へと投げ込まれていく。

 その様子を眺めつつ、ラストは差し出された井戸水を少しずつ口に含みながらロイと談笑していた。


「見事な大鍋ですね。大の大人が四五人入れるほどのものなんて、生まれて初めて見ました」

「そうかの? ワシらにとっては見慣れたもんじゃがな、ラスト君には珍しいか。あれは本来、秋の収穫祭にだけ使う特別な大鍋でな、村人の皆で一年の恵みに感謝し、共有し、分かち合うためのもんなんじゃよ」

「そんなに大切なものを今使っても良かったんですか?」

「構わんさ、祭り以外に使ってはならんという決まりもありゃせん。君に感謝すると考えれば、むしろ相応しいくらいじゃろうて。というか、あれくらいでないと一度に肉を処理しきれんからの」


 ひっひっひ、とロイが面白そうに笑う。

 ぐつぐつと煮え立った鉄の釜の中では、煮だった食材が所狭しと踊っている。

 その上から噴き出す暴力的な湯気はたっぷりと具材の旨味を吸い込んでいて、囲む者の食欲をこれでもかというほど湧き立たせる。

 村人たちは我先にと駆け寄って、煮えたものを片っ端から自らの持ち寄った茶碗によそってはかきこんでいく。

 誰もが涙を流しながら、うまいうまいと言ってラストたちの狩ってきた肉にがっついている。

 老若男女を問わず、誰もが腹が蛙のように膨れるほどに肉に食らいつく。

 ――その光景はどこか必死ささえ感じられて、ラストは傍らのロイに尋ねた。


「……あの、お聞きしてもよろしいでしょうか?」

「なんじゃ?」

「レイには村の食べ物が少ないとだけ聞いていましたが、それはいったいいつからなんですか? 彼女の体つきからして、もう長い間食事を満足に取れていないことは明白です」


 それを聞いて、満足げに宴の様子を眺めていたロイの表情が一変する。

 好々爺然とした音の調子を下げて、冷たい声が小さく響いた。


「それを聞いて、なんとする? 旅人の君には関係のないことじゃろうに」

「それは違います。僕はもう、この村のことを知りました。知った以上、見て見ぬふりをすることは出来ません。……なにが出来るかは分かりませんが、なんとかしたいと思うんです。だから、お聞きしたいんです。人が飢えるような異常が長い間続くなんて、放ってはおけません」

「……どうやら君は、随分と恵まれた状況で過ごしてきたようじゃな」


 どこか突き放すような目を向けても、ラストはなおまっすぐに視線を寄せる。

 そんな彼に嘆息しながら、村の悲惨な現状を一番よく知っている老人は諦めるように首を振った。


「どうせ隠すようなことでもありゃあせん。ただ、これを知ったくらいで君になにが出来るとも思えんがな」

「知らなければなにも始められません。認められないこの状況を変えようとするなら、まずはなぜこうなっているかを知らなければ始まりませんから」

「そうか……とはいえ、そうさな。どう話したものか。ひとまずは起こった順に話すとしようかの。――あれは、この辺り一帯を治める先代の領主様が死んでからのことじゃ」


 ロイはぼんやりと、村の中心にて燃え盛る炎の中心を懐かしそうに見つめた。

 毎年欠かさず行われている収穫祭の炎は、常に村の様子を映し出している。

 ――それは苦しい今も、苦しくなかった昔のスピカ村さえも。

 炎の向こう側に広がる昔の村の姿を眺めながら、彼は呟き出した。


「後を引き継いだ今の領主様が何をお考えになったのかは、下々のワシらは知らん。だが、そこから全てが変わったんじゃ。領主が変わったと街に行った連中に聞いたその年から、収める麦の量がなんの理由もなしに急に増えての。……それまでは収穫量の三割を収めるだけで済んだのが、その年は五割になった」

「一年でいきなり二割も、ですか? それはまた大胆なことを」

「うむ。とはいえ、そこまで一気に増えたのはそれっきりじゃがな。それでも徐々に収める税は増え、この十年で徐々に増えていった。今や八割が領主さまのものじゃわい」

「八割ですって!? あまりに乱暴な……それでは民に飢えて死ねと言っているようなものじゃないですか!」


 村の外に広がる、青々とした麦たち。

 それを必死に虫や日照りから守っても、自分の懐に入るのはほんの僅かだ。

 そのような希望の見えない状況では、農民は必然的に脱走や餓死で数を減らしてしまうだろう。

 少し頭を働かせれば分かることだとラストは考えるが、そのような暴政が行われていることが嘘ではないことは村人たちの様子がなによりも雄弁に示していた。


「実際、死んどるて。この村で生まれた子供が次の年を迎えられるのは、およそ三人に一人じゃ」

「……残る二人は、その……いえ。すみませんでした」

「なに、もう慣れたわ。……だが、運の悪いことに話はそれでは終わらん。ここ数年、魔物の動きがどこでも活発らしくての。時折村に訪れていた行商人が、護衛がいなけりゃやってられんと愚痴を吐くようになったのはまだ覚えちょるわい。それが、二年前から村の周辺の森にも現れるようになってのぅ」


 ロイの目が、ふと村の外へと向く。

 そのはるか向こう側の森の中では、今もなお多くの獣たちがひしめいている。


「強い魔物に住処を追われた動物は、やがて村の畑さえ食い荒らすようになった。少し前から収穫量に関わらず畑の面積に応じて一定の量を回収するというのになったのもあってのぅ、誰もが口には出さんかったが薄々感づいておったよ。……この村は限界じゃとな」

「あの、騎士を呼んで魔物を倒してもらうというのは……」

「騎士、か。あれらをこの辺鄙な村まで呼ぶのに、どれほどの金子が必要だと思う?」


 その問いかけの意味を、ラストはすぐに理解することが出来なかった。


「金子って、お金ですか? 何故そんなものが必要なんですか。いざというときに守ってもらう、そのために税を払っているのに。それ以上なにを支払えと?」

「……本当に、君はなにも知らんのだな」

「っ」


 吐き捨てるように告げられた言葉に、ラストの身体が固くなる。

 びくりと頬を引きつらせた彼に、ロイは軽く首を振った。


「いや、責めているわけではない。村を助けてくれた君を、誰が責められるものか。……ラスト君」

「はい……」


 夢見る子供を嗜めるような口調で、彼は語り掛ける。


「確かに本来は君の言う通りなのかもしれん。だが実際は、一回騎士を派遣してもらうごとに多くの金が必要なんじゃ。村に滞在中の食事に酒、寝床の世話。加えてお帰りの際には必ず、幾らかの謝礼を包まねばならん。……それを魔物の被害が出るたびに行えるほど、この村に余裕は残っておらんのじゃ」

「……まさか、この国でそんなことがまかり通っていたなんて」


 王都では知り得なかった、道理の通らない辺境の現状にラストは拳を固く握りしめる。

 このままでは、魔族との戦争うんぬんを考えるよりも人間側の足元が先に瓦解してしまうのではないかと彼は考える。

 どんな丈夫なものだろうと、限界を考えずに酷使すればいずれ壊れてしまう。今は莫大な税収を得られていても、遠からず民は壊れてなくなってしまうだろう。

 そんなことも分からない領主が執政の権利を握っているという悪夢に、ラストは強く歯を食いしばった。

 怒りを露わにするラストに、ロイは暗く影を落としていた目元を上げてほほ笑んだ。


「だからこそ、これほどに食べられる機会というのは本当に奇跡みたいなものじゃ。魔物の討伐なんぞ、ワシらの村で一番だった狩人でも無理じゃったからの。――本当に、ありがとうの」


 その顔に浮かんだのは、はたして感謝なのか。

 それとも、これはあくまでも奇跡なのだ消えたわけではない現実に向けられた悲哀なのか。

 長い間数々の重荷を皺として刻み付けてきたロイの表情に、ラストは一瞬どう答えを返すのが正解なのか分からなくなった。


「……そう、ですか」


 咄嗟に返すことが出来たのは、何の意味もない空っぽな一言だった。

 そのまま二人は会話を交わすことなく、しばらく村のかがり火を眺めていた。

 だが、スピカ村の酸いも甘いも知っている神聖な炎はなにも答えることなく。

 ぱちっ、と小さく薪が弾けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る