第50話 行き違い


 思惑の外れたルークは、愕然とした面持ちでラストのことを見やる。

 

「――なんで、 どうしてっ……」


 ――何故、自分ルークより先に森から出られたのか。

 ――あの、血に飢えた魔物どもはどこへやったのか。

 ――何故、死んでくれていない生きているのか。

 予想外の生存に数々の混乱が渦巻いて、その先をルークはうまく口から出すことが出来なかった。

 だが、それが逆に功を奏した。

 次の瞬間、意図せず最後の言葉が漏れなかったことに彼は胸を撫でおろした。

 もしそこまで紡いでしまっていれば、馬鹿親切なラストと言えど真意を問おうと詰め寄ってきていただろうから。


「どうしてもなにも、魔物を倒してから君を追いかけただけだけど」


 端的に告げるラストの足元に転がる影に、ようやく彼は気が付いた。

 彼の傍らの地面には合計で三つの毛深い死骸が並べられている。

 一匹は他ならぬルークが自分の手で仕留めた猪だ。それはまだ良い。

 問題は、残る二頭の獲物だった。猪よりも一回り大きい、雌雄の狼。上顎と下顎の犬歯がそれぞれ魔力を吸収して過剰発達し、口の端から剥き出しになっている。通常の個体とは明らかに異なる、魔物であることの証だ。

 本来なら丈夫な大人だろうと容易く殺して見せるそれらの悪魔が、揃って糸の切れた人形のように無造作に投げ出されている。

 その、光を失った瞳とルークの目が合った。


「えっと、大丈夫かな? もし怪我をしたようなら――」


 三つの死骸の真ん中に平然と立つ、解体作業で血に染まった腕のラストがそっと手を伸ばしてくる。

 変わらぬ優しげな笑顔で己を見つめるその眼を見て――次はお前だぞ、そんな幻聴が聞こえた気がして。

 差し出された手が自分の喉元に迫るその前に、恐怖にかられたルークの身体が反射的に動いた。


「う、うわあああぁぁぁっ!?」


 彼は心臓をバクバクとかき鳴らしながら、魔物の命さえ刈り取る眼前の怪物から逃げるために村へと畑の中を駆け出していった。

 彼にとっては幸いなことに、ラストが追ってくる気配はなかった。

 彼が死ねば、全てがなかったことになる。そんな淡い期待が破綻して、壊れた希望の隙間から悪い予感が次から次へとなだれ込んでくる。

 ――もし、ラストに森で起きたことを村人の間に触れ回られたら。

 ――もし、ラストが見捨てた自分のことを恨んでいたら。

 望んでいたものとは真逆の未来が訪れる、その落差にルークは耐えられそうもなかった。

 がくがくと震える膝を無理やり動かして彼は走る。

 今のルークには何故か、背負っていた弓がとてつもなく重いもののように感じられた。



 ■■■



 一方、そんなルークの心中など知る由もないラストは。


「……まあ、一応は大丈夫そうかな。見た感じでも怪我をしていたわけじゃなかったし、あれなら治療を施す必要はなさそうだ。なんで最後にこっちを見て叫んだのかはよく分からないけれど」


 呼び止める間もなく青い畑の向こうへと消えていった狩人の背中を、彼は静かに見送った。

 ラストはただ、逃げる際にルークが余計な傷を負わなかったかを確認したかっただけなのだが。

 とはいえすぐに遠くなっていった彼の走り姿を見るに、治療の必要そうな怪我はしていないようだった。


「それでも無理に連れて来ちゃってたんだし、せめてお礼を言っておきたかったんだけどな。仕方ない、それは村に帰ってからにしよう。今はそれよりもこっちだ」


 元気なルークのことはさておいて、ラストは元来の目的を振り返る。

 村人たちの腹を満たせるだけの食料を確保する、それには獣三匹程度ではまだまだ心もとない。


「ひーふーみー……そうだな。美味いか不味いかは別として、更に食べられるところは全て食べるとして。あと五匹くらい狩っておけば、ひとまず明日まで持つかな」


 ラストの瞳に映る森の中には、まだまだ多くの生き物たちがひしめいている。

 魔力を生み出す魂そのものを観察すれば、通常か魔に属するかを問わず視界に捉えることが出来る。

 彼の視界には、びっしりと生命の斑点が映し出されていた。

 その内のいくつかを戴いたところで、間引きだと考えれば生態系にも影響がない。


「村の人たちを待たせ過ぎてもいけないからね。今日のところは討伐よりも回収を主として、早めに切り上げて戻ろうか」 


 引き抜いた剣に魔力を通し、ラストは適当に近場の獣に狙いを定めて踏み出した。

 それが魔物か否かは、今の彼には考慮に値しなかった。

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