第48話 拒絶とお節介


「ところでラスト君、その狼はどうするつもりかの? 今のとレイの話からして、君が倒したのが間違いないと分かったが。もし良ければだが、ワシらが買い受けたいのだが。なにせここしばらくは肉なんぞ口にしておらんでな、皆に食わせてやりたいんじゃ」

「構いません。もとよりそのつもりで運んできたわけですから、どうぞ村の皆さんで分けてください」


 たかだか普通の狼などでは、【深淵樹海アビッサル】の上質な素材を知るラストの需要には見合わない。レイに言われなければ適当にそのまま放置していたものだ。捨てるはずのものではした金でも得られるというのなら、彼に村長ロイの提案を断る理由はなかった。

 迷う間もなく頷いたラストに、村人から歓声が上がる。

 久々に食べられる肉がやってきたことに、飢えた身体が湧き立っているのだ。

 とはいえラストが見た限り、村人の数はおよそ五十人弱だ。その飢えをたった狼一匹の肉だけで満たせるとは、彼は到底思えなかった。


「ささっ、昼食はまだじゃろう? ラスト君が一番先に食べなさい。君が仕留めたのだから、一番うまい部位を食べて良いぞ。どれ、こいつは腿の肉がしっかりと味が付いておってな……」

「いえ、結構です。それよりも、それだけでは足りないでしょう。僕は追加で何匹か狩ってきますので、皆さんは気にせずお先に食べていてください」

「むっ? ……それはありがたいが、本当にええのか? 遠慮せずとも、文句を言う人間はおらんぞ」

「大丈夫です。僕なんかよりも皆さんのお腹をいっぱいにする方が先ですから」


 そう言って、彼は一礼してから足早に村の外へと歩き始めた。

 その背中を見て、村の幾人かが好意的な視線を寄せて周囲の人間とひそひそと話し合う。


「ありがたいねぇ……自分のことよりも、私らのことを考えてくれるなんてさ」

「うちの領主さまみてぇに自分勝手なろくでなしだと思ってたが、意外と優しいのな。……こりゃ、あとで謝っとこうかな」

「どうよ、ラストってば凄いんだから!」

「そうだねぇ。レイちゃんが連れてきてくれて本当に助かったよ。ありがとねぇ、あんな良いお人を連れてきてくれて。おかげでうちらは大助かりさ」


 やいのやいのとレイを加えて騒ぎ出す村の人間たちを傍目に見ながら、傍で地面に座り込んでいたルークが舌打ちする。


「けっ、かっこつけやがってよぅ。腹ぁ減ってちゃまともに狩りなんて出来やしねぇってのに」

「そうだぜルーク。きっとあいつはなにか企んでるんだ」

「そうだそうだ。あんなにレイちゃんに気に入られて、きっと俺たちからかっさらってくつもりだぜ」

「魔物に勝てるなんて、いくらなんでも無理だってのに。ルークに勝てたからって調子乗ってんだよ」


 ラストに対する悪感情を憚らない彼の下に、同じくラストを気に入らない人間たちが集まってくる。その輪を構成しているのは、主に彼と同年代の村の中では若いとされる男たちだ。

 彼らの視線にあるのは村の外へと出ていったラストと、もう一つ。

 村人の中でラストのことを我が物顔で自慢するレイのことだった。


「ルークに取られるってんならまだ分かっけんどよぉ。あんな外からやってきた奴に取られちゃたまんねぇ」

「んだ。あんな奴、調子こいて魔物にやられちまえばええべさ」

「それか、きっと泣いて帰ってくるでぇ。やっぱり無理だったー、ってな感じでよぅ。そしたらレイちゃんも呆れて離れてくさ」


 村には彼らと同年代の女の子が何人かいるが、その中でも飛びぬけて可愛いのがレイだった。

 それに加えて、彼女を娶ればもれなく次の村長の座も見えてくる。

 故に結婚を見据えた未婚の男児たちは、誰がレイと結婚するかを競い合っていたのだ。

 だが、そんな彼女は今、村の外の人間であるラストにご執心だ。しかも年頃も近く、彼もぐいぐいと距離を縮めるレイを拒否する素振りを見せていない。

 手を伸ばして仲間内で奪い合っていたものが、突然横から入ってきた第三者にかっさらわれたのだ。

 仲間の誰かが取ったのならば、文句を言いつつも祝福しただろう。

 しかし、突然現れた謎の男に掠め取られようものならそんなことなど出来やしない。

 とどのつまり、思春期特有の恋敵への嫉妬が彼らの心にラストへの気にくわなさを抱かせる理由だった。


「……そうだべな」


 ラストへの苛立ちを募らせる周囲の友人たちに低い声で頷きながら、ルークは先ほど力比べをした腕を見下ろした。

 そこそこ時間が経ったにも関わらず、彼の腕には未だ鈍い痛みが走っている。

 骨から響くような、きりきりとした重い痺れ。

 その痛みだけが、彼の頭に訴えている。

 ――恐らく、ラストはルークが怯えている魔物だって倒せるかもしれない。

 そうなればこの村に自分ルークの居場所がなくなってしまうぞ、と。

 力自慢だからこその直感が叫ぶ警報が、ラストの力を味わった腕からじわじわと鳴り響いていた。

 だが、それをそのまま口から吐き出すことは敗北を完全に受け入れることと同義のように思えて、ルークには憚られた。


「……ふん。精々森の恐ろしさをたっぷりと味わってくりゃぁいいだ。いくら強くても、あんな泥の一つもついてない服を着るような奴がまともに動けるとでも――」

「ちょっと良いかな?」

「うへぁっ!?」


 彼自身内心では負け惜しみだと分かっている言葉を、それでも見栄を張って口に出していると、突然村の外へ出ていったはずの声が近くから響いた。

 ルークが驚いて飛び上がると、いつのまにか彼の後ろにラストが立っていた。


「ななななんだってんだ!」

「ごめん、なにか話してたのかな。まともとかどうとか……よく分からないけど、お邪魔しちゃったかな」

「はっ、なんでもねぇ! それで? オラより強いラスト様とやらがいったいなんだってんだ。やっぱり怖気づいたってか?」

「別に、そうじゃないんだけれど」


 吐き捨てるようなルークの嫌味を柔らかな笑顔で否定しながら、ラストは自分の都合を伝える。


「もし良ければ、ルーク。君にも一緒に森に来てもらいたいんだけど。駄目かな?」

「はぁ? あんな大口叩いといて、それでもオラについてこいたぁ? びびったっつっても知らねぇな、てめぇで撒いた種だ、自分一人で勝手にやりゃあええだろが」


 そう言ってルークは不貞腐れながら、適当に鬱陶しい村人の声のない外れへと行こうとする。

 だが、そんな彼の腕をラストは掴んで引き留めた。


「倒すだけなら一人でも問題ないけど」

「ふざけやがって。だったらなんで余計な足手まといを連れてこうってんだ? まさか魔物の囮にするとでも――」

「違うよ。この村の森に入るのは初めてだから、案内してもらえないかと思ってさ。ほら、よそ者が勝手に森を荒らしたらよくないと思うんだ。僕はしばらくしたら出ていくけれど、君はここでずっと狩りを続けるんだろう? 勝手に罠を仕掛ける場所とかを壊しちゃったら悪いからね。色々と聞いておかなきゃならないことがあるんだ」

「……ちっ」


 その言葉に一理あると、ルークは立ち去ろうとしていた足を止めて振り返った。


「確かに、勝手に大切な狩場を壊されちゃたまんねぇ。せっかく覚えた都合のいい狙い所を荒らされるわきゃあいかねぇな」

「ルーク、どうせ嘘だぜ! きっと自分一人じゃ怖くて行けねぇってだけだ! 構うこたぁねぇ、ほっとこうぜ!」

「……そうかもな」


 そんな仲間の野次に、ルークは頷く。

 ――だが、目の前のラストの眼に映るのはそんな仲間たちのようなちゃちい感情ではない。

 彼は敵意を剥き出しにするどころか、卑怯な手を使ってまで倒そうとしてきた相手の今後のことを純粋に心配している。

 彼の偏見の色眼鏡を通しても読み取れるほどの、嫌みったらしい善意のおせっかいだ。

 そんなラストの心遣いを鬱陶しいとあしらうのは簡単だ。

 わざわざ他人のことを考えるような性格の人間なのだから、恐らくはルークがついていかなくても無駄に森を壊すようなことはないだろう。

 だが、そんな相手の気遣いを自分の意地だけを理由としてあしらっては、ますます情けなくなってしまいそうで――。

 本当ならこんな奴のいうことを聞きたくはないが、仕方がないとルークは仲間に向かって口を開いた。


「じゃけどよ、ほったらかしにして森をまるっと焼かれたりするよりゃあましだわな。……しゃあねぇ、オラの指示をちゃんと聞くってんなら一緒に行ってやっても良いぜ。どうする?」

「分かった。それじゃあよろしく頼むよルーク」


 自分が今倒したばかりの者のいうことに従うのは苦痛であろうと、せめてもの意趣返しの条件を出すもラストはなんの嫌な表情も見せずにすぐに頷いた。

 それも当然だ。ラストにとっては、ただルークにこのスピカ村の狩人のあり方を学ぶだけなのだから。

 彼には村人の男たちの複雑な心中など、知り得るわけがない。

 その期待を裏切るほどの素直さが鬱陶しくなってますます怒りを募らせながらも、言ってしまったことは撤回できないとルークはため息を吐いた。

 ここまでくれば、本当に一緒に行く他ない。


「わあったよ。ついてってやらぁ。ただし、少しでも文句言ったらそこでオラは帰る。騒いで魔物に襲われちゃ世話ねぇかんな」

「魔物は僕が倒すから大丈夫だよ。でも、ちゃんと言うことは聞く。約束だからね。……それで、準備はどれだけで出来るかな? 皆が新しいご飯を待ってるんだ、早く行かなきゃ。先に行って待ってようか?」


 そう言って意気揚々と出発しようとするラストを、今度はルークが引き留めた。


「ふんっ。待てや。まずはその真っ白の服を脱いで置いてけ、こん馬鹿野郎が。そんなんで森の中を歩いても獲物が怯えて寄ってこねぇかんな」

「……あはは、それもそうか。うん、言われた通り脱ぐよ」


 彼はルークの指示通り、エスから貰ったローブを脱いで村の一角に置いていた荷物のところへと投げた。

 後に残るのは、エス特製の肌に密着する形状の防具。

 村人たちの身に着けているような、だぼだぼでごわごわの木綿の衣服とはまったく異なる。

 もちろんこれもまた、獣たちの警戒を煽ることに間違いない。


「そいつも脱げ」

「ええ? これまで脱いだら裸になっちゃうんだけどな。それでも良いなら脱ぐけれど」

「……やっぱいい。男の裸なんざ見ても嬉しかねぇ。だけんど、代わりに連中から服を一つ借りてこいや。その間にオラはオラの準備ばすらぁ」


 ルークはラストを村人の方へ押しのけて、肩をいからせながらのっしのっしと自分の家へと一度帰っていった。

 その後ろからは、すぐにお願いをしにいったラストと村人たちの楽しそうな話し声が聞こえる。

 それに鼻息を鳴らしながら、彼は暗い家の中に安置されていた弓を大切そうに手に取った。

 しばらくぶりに握る弓だが、その本体は埃一つ被っていない。

 弦の調子を軽く弾いて確かめて、彼は壊れないように細心の注意を払いながら一度思いっきり引いた。

 矢がつがえられていない弓の先に浮かぶのは、これまでに狩ってきた標的たちの影だ。

 狼、猪、鹿に鳥。数多くの森の獣たちの血を、この弓は長い間吸ってきた。

 ――そして、その先にラストの背中がうっすらと過ぎって。


「ふざけろ。そんなことしたら、これをくれたおっ父や爺さまたちに怒られちまうだ」


 ルークは慌てて頭を振って、その幻影を消し去った。

 彼は他の荷物をさっさと纏めて家の中から出ていく。

 その背中を見送る者は、誰一人としていなかった。

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