第47話 力比べ


 ラストの滞在に反対の意見を叩きつけたのは、ざんばら髪をした粗野な雰囲気の青年だった。

 彼は村人の輪から一歩前に歩み出て、真っ先にラストへと責めるように人差し指をつきつける。


「なんじゃルーク? なにか彼に気にいらん所でもあるのかの?」

「もちろんさぁ! というかそもそもふざけとるじゃろう、こないにおっきな狼を蹴っただけで倒せるわけねぇ! んなもんどー考えても嘘っぱちに決まってるべさ!」

「ふむ。つまりはレイが嘘をついていると?」

「あ、いや、レイちゃんにんなこと言うつもりはっ……そういうことじゃねぇがっ! 狼を蹴り飛ばすなんて、絶対に出来るわけねぇべ!」


 わたわたとレイに対しては言葉の勢いを窄めながらも、ルークと呼ばれた青年はラストを出来ないことを出来るという詐欺師のようだという。

 一方嘘つき呼ばわりされた彼は、それを意に介さない様子でルークのことをじっと観察していた。

 ラストにとって、勝手にルークが自分に都合の良いように考えていようとどうでも良いことだったからだ。

 彼の見立てによれば、ルークは特に胸筋と腕の内側の筋肉が発達している。他の村人のように腰が曲がっている様子もなく、普段から農業に従事している人間には見えない。

 鍬や鋤を振っているというよりは、弓を引いていると言われた方が信じられる。

 それに加えて近場に獣が出没する環境があるとなれば――。


「もしかして彼、ルークは狩人なのかな?」

「ええ、そうよ。とはいえ最近は森の魔物のせいで狩りに出れてなくて、他の人の畑を手伝ってるんだけどね」

「なるほど」


 この村において、本来獣を捕まえてくるのはルークの役割なのだ。

 狼を倒してきたラストは、その役割に勝手に立ち入った侵入者のようなものだ。

 自分の領分を侵されたと思ったからこそ気に入られていないのかもしれない、と彼はルークの心中を想像した。


「勝手に獣を倒したのが駄目だったのかな?」

「そんな馬鹿なことを言わないで! あそこでラストがやってくれなかったら、あたし死んじゃってたのよ?」

「そういうことじゃなくて。倒すんじゃなくて死なない程度に弱らせて、逃がしておけばよかったかなって思ったんだ。そうすれば彼も、ここまで怒らなかったんじゃないかと思ってね。あの時は君を助けようと思ってて、他のことまで考えてなかったけど」

「あ、うん。そういうこと? ごめん、勘違いしちゃってた。っていうか、そこまであたしのこと真面目に考えてくれてたの? ……なんか、ありがとね」

「別に、当たり前のことをしただけだよ」


 そう二人が仲良く話していることも何故か気に入らなかったのか、彼はどたどたと割り込んでくる。


「そうやってレイちゃんをだまくらかそうとしたって無駄だ! ……ったく、油断も隙もねぇべさ。信用なんかしちゃなんねぇぞレイちゃん。なに言われたかは知んねぇけんど、絶対に騙されてるに決まって――」

「ちょっと、急に押し飛ばさないでよ!」

「いだぁっ!?」


 ほっと一安心したのも束の間、突然話に割り込まれたレイが怒りのままにルークの尻を蹴っ飛ばした。

 守ろうとしていた側からの思わぬ鋭い攻撃に、彼は情けない悲鳴を上げた。


「なにすんだべさ!?」

「あんたがいきなりラストに突っかかってくるからでしょ!」

「そんな、オラはただレイちゃんを守ろうと……」

「余計なお世話よ! この人はあたしを守ってくれたのよ、魔物に怯えて森に行かなくなったルークと違って!」


 その言い方はまずい、とラストは察した。

 現にルークの顔色が急に変わっていく。

 最初は恥ずかしさから青くなって、後に侮辱されたことへの怒りからか真っ赤に染まる。


「っ、狼と魔物はわけが違う! いくら狼を無傷で倒せたからって、魔物だって簡単に倒せると思ったら大間違いだべさ!」

「ふん、ラストなら魔物だって簡単に倒せちゃうわよ! こう、魔法使いらしく指をピッて振るだけでね!」


 こうなれば売り言葉に買い言葉と、二人の言い争いは勝手に盛り上がっていく。


「っ、そんなの絶対の絶対に無理だぁ! 魔法使いだぁ? そもそもそんな王都でふんぞりかえってるような連中がこんなところにいるわけねぇ!」

「いたんだから仕方ないでしょ! なんでラストがいたかなんて知ったこっちゃないわよ! 彼が森にいて、あたしは彼に助けられた。目の前で狼を蹴っ飛ばしたのも、ちゃんと見てたわ! あんたが見てないから信じれないって、だからってろくでなしみたいに言うのは止めなさいよっ!」

「なにをぅっ!? 心配してるってのにその言い方はなんだってんだ!」

「なによっ! あんただって一々下んないことでしつこいのよ!」


 ぐぎぎ、と二人は当事者であるラストをほったらかしにして張り合う。

 そんな二人に呆れながら、手すきになった彼にロイが近づいてきた。


「すまんのぅ、みっともない所を見せてしもうて。……ところで孫はああ言っとるが、実際魔物は倒せるのかの?」

「この辺りの魔物というのでしたら、別に。さすがに指を鳴らすだけとはいきませんが、苦労はしません」

「まさかすぐにそう言い切られるとはの。とは言えルークほどではないが、実際に目の前で見てみんことには分からん。ワシだけでなく、みなそう思っとるじゃろうて。正直、半信半疑よな。というわけで、ルーク! レイに張り合っとらんでこっちゃ来い!」

「なんだってんだロイさん!」


 不満げにしながら、彼は口論を中断してロイの下へやってくる。


「ルーク。そこまで言うなら、お前が試してみればええじゃろう」

「は?」

「レイ、そこの木箱をいくつか持ってきてはくれんか。そう、それで積んでいって……そうじゃ。さ、二人はそれを挟んで。それぞれ右手を出してはくれんかの。肘をつけてな」


 ロイは差し出されたラストとルークの手をぎゅっと重ね合わせた。

 それは間違っても、仲直りの握手といった雰囲気ではない。


「ラスト……君と呼べばええかのう?」

「はい」

「もし君が魔物すら簡単に倒せると言うのなら、このルークに汗一つかかずに腕相撲で勝ってみせてはくれまいかの。それが出来たなら、君に魔物退治をお任せすることにしようぞ。その報酬として、ワシらは君が村に住むことを認めよう。それでどうじゃ」

「ロイさん!」


 条件付きで受け入れを示した彼に、先ほど声を上げたルークから責めるような声が飛ぶ。

 だが、そんな非難気な視線を向ける彼をロイは一喝した。


「やかましい! ただでさえこの村は最近増えた魔物の被害で困っとる。村一番の力自慢のお前でさえ狩れんのだから、このままでは田畑を荒らされ肉も獲れずに飢え死ぬだけじゃろうが。もしこの青年が本当に強いのなら、迎え入れない理由が無かろう。本当に強いの、ならな」


 そこでロイは、値踏みするような視線をラストに向けた。


「今言った通り、この村は魔物によって悩まされておりましてな。蓄えもなく、客人をもてなす余裕もない。もし魔物を倒せないというのなら、申し訳ないが迎え入れることは出来ん」

「分かりました。では、やりましょう」

「けっ、そんな細っちい腕、折れても文句いうんじゃねぇぞ?」


 受けて立つことを涼やかな顔で即決したラストに腹立たしさを露わにしながら、ルークがきちんと向き直る。ロイのいうことに不満はあっても、一応は従うようだ。

 ラストに相対したルークの全身の筋肉が、一回り大きく隆起する。

 食糧事情の悪化によって多少痩せてはいるものの、彼の体格はこの村では一番大きい。ロイの言う通り、彼は村一番の力の持ち主であることが見て取れた。

 ルークは脅しをかけるようにニヤリと笑いながら、ラストの手をあいさつ代わりにぎゅっと握りつぶさんとする。

 そんな彼の挑発に対して、ラストは村長の注文通りに涼しい顔のまま答えた。


「ご親切にどうも。とはいえ、僕もあなた程度には負けませんので。そんなことをすればお姉さんに笑われてしまいますし、お気になさらず。いつも通りの力加減で結構です」

「ふん、なにをふざけたことを。そうかい、そんじゃ後で後悔して泣きわめいたりすんじゃねぇぞっ――なぁっ!」

「こらルーク!」


 平然と言い切ったラストの顔を歪めてやろうと、ロイが合図も待たずいきなりラストの腕を落としにきた。

 ぐぃっと上半身から覆いかぶさるようにして全体重をかけ、更に空いているもう片方の手で木箱の端を押さえて全力でラストの腕を折ろうとしている。

 その卑怯な手にロイが注意して、慌ててラストの方を心配して目をやるが――彼は表情をまったく変えていない。


「ぐぎぎ……」

「……」


 ルークが全身全霊で押し倒そうとするも、ラストの腕は指一本分ほども動いていなかった。

 がっしりと肘から下に根を生やしたように、彼の腕は動く素振りを見せない。


「ぐ、ぐぐぅっ……な、なんだってんだっ……」


 脂汗を浮かべながら顔を真っ赤にさせて、より力を込めていくルーク。

 だが、ぎしぎしと木箱が音を鳴らすだけで戦況は何も変わらない。

 ラストはロイの注文通りに、汗一つかかずルークの力に耐えている。

 その額には汗の一粒も見当たらない。


「くそっ、なんだよっ。どうなってんだっ! 魔法だってどっこにもそれっぽいのは使ってねぇってのにっ! なんでこいつは動かねぇ!?」


 その理由は、彼の力の流し方にあった。

 上から押し潰そうとするルークの力を指や手首の角度を調節して横ではなく下方へと受け流し、肘を木箱に沈めるようにして受けている。ラストは巧みな力の調整によって、相手の力の方向を変化させているのだ。

 確かにラストはルークの言う通り魔法を使っていない。

 彼が使っているのは、エスに磨き上げられた純粋な体術だ。

 そんなことなど分からないルークはただただ力任せに彼の腕を押し倒そうとする。

 だが、いくらスピカ村で一番だろうと、【深淵樹海アビッサル】の魔物たちやエスの力と比べればそよ風に等しい。

 そうして一向に変わらない状態を保ち続けてしばらくしたところで、ようやくラストが動き出す。


「……もう、良いですか?」


 その一言と共に、ラストが徐々に自分の方へと腕を倒していく。

 急に戻せば派手な勝ち方が出来るものの、そんなことをすればルークの腕を痛めてしまう。最悪弓が握れなくなれば、ラストが去った後に狩りをする人間がいなくなってしまう。

 彼の腕を気遣いながら、ラストはゆっくりと腕を自分の方向へと倒していく。

 だが、その親切はルークの身体のことを思っていても、精神には逆効果だ。

 亀のような速度で倒されていくルークの今の気分は、真綿で首を絞められているようなものだった。


「ぐ、ぐぐぎぎぎぃっ……!」


 真っ赤になった顔を更に赤くしながら彼はなんとか腕を引き戻そうとするも、思い通りに動けない。

 元より腕相撲とは腕が敗北の方向へ近づいていくたびに立て直しが難しくなる遊戯なのだ。

 更にラストはルークが反撃の力を込め難いように微調整を加えながら、腕を時計の針のように少しずつ倒していく。


「ぐぐぐ……く、くそぉっ!」


 やがて、ルークの右手の甲が音を立てずにやんわりと木箱についた。


「これでよろしいでしょうか」


 その一方的な勝利を成し遂げたラストの顔は、試合が始まる前から何一つ変わらない。

 一方で敗者となったルークは地面に膝をついて、力を込め過ぎた痛みに腕を押さえながらはぁはぁと息を荒げている。

 この腕相撲の勝者は、誰の目からも明らかだった。

 それを改めて示すように、ロイがラストの肩をぽんぽんと優しく叩く。


「うむ。これで話は決まったの。これからよろしくお願いするぞ、ラスト君。魔物の狩人として期待させてもらうぞ」

「はい。出来る限り村人の皆さんに受け入れてもらえるよう、頑張ります。なので皆さん、どうかよろしくお願いします」


 そういって頭を下げるラストに、村人たちは顔を見合わせながら仕方がないかと言った雰囲気に包まれていく。

 もとより外部からもたらされる変化でただでさえ悪い今の状況が更に悪くなるのではないかとの危惧が彼らにラストを警戒させていたのだ。

 それが少しでも良くなりそうなのであれば、そこまで拒否し続ける理由もない。

 段々と大半の村人たちはラストに向ける視線を一方的な拒否から興味深々なものへと変えていく。

 一方で、未だ彼のことを快く思わない者たちも数人残っている。

 彼らは挨拶したラストのことを表立って悪く言おうとはしないまでも、そのまま睨み続けていた。

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