第46話 勘違いと警戒


 いくら鎌を振り回しているとはいえ、ずぶの素人が【魔王】の戦闘訓練を受けたラストに勝てるはずもなく。


「ぐあっはっはっ! がーっはっはっはっ、はっはっはっ! ぐーぅわあっ、はっはっはっはっはぁーっ!」

「すみません、どうやらそちらの夫さんはお薬が効きやすかったようでして……。その、本当に申し訳ありません」


 地面にごろごろと転がって、腹を押さえながら強面を崩して笑うレイの父親。

 ラストはそんな夫の醜態を前に呆れた顔をする母親へとペコペコと頭を下げていた。

 すれ違いざまに大きく開いた口へぽいっと笑い薬を数滴放り込んだだけだったのだが、どうやらレイの父親は彼の想定よりもずっと薬に弱い体質のようだった。

 平謝りするラストに、レイの母親は「いいのよ」と笑って流した。


「別に構わないわよ。娘を助けてくれた恩人に手を上げようとしたんだから罰が当たったんだわ」

「ええ、ラストってば本当にすごいのよ! 狼を倒したら、こう地面をがつんって踏んで揺らして、睨んだだけで他のを逃げ出させちゃって……」


 どうやら腰が抜けていたのもいつの間にか治っていたようで、興奮しながらレイは母親に駆け寄って自分の見たラストの活躍を教えようとする。

 そんな娘を宥めながら、彼女は状況を整理した。


「はいはい、分かったから落ち着きなさい。彼が凄いのは十分分かったから。こんなところでいつまでもお話しするのもなんだし、一度村に戻りましょうか」

「ありがとうございます。あの、それでこのお父様は……」


 ラストがちらりと目をやると、彼はまだ笑い続けていた。

 笑い過ぎて僅かに涙ぐんできているが、レイの母親は哀れな夫に冷たい視線を寄せる。


「この人のことなら放っておいていいわよ。薬はいつごろ切れるの?」

「ええ? ……そこまで長いわけじゃありませんから、一服もしていれば回復するかと」

「じゃあ放っておいていいわよ。歩けるようになったら自分で歩かせるわ。ほら、ご案内しなさいレイ」

「そういうわけにはいきません。こうなったのは僕の見極めが甘かったせいですから、背負って……」


 レイの時と同じように手を差し出そうとしたラストだが、その手を代わりに彼女が引っ掴んで村の方へと引っ張った。


「いいのいいの、だって父さんだもの。あたしが男の子と話してるといっつもこうなんだから。恥ずかしいし、たまには反省すればいいんだわ」

「でも、それはレイのことを思ってのことなんだよね?」

「ちょっと挨拶しただけで相手の家にまで怒鳴り込もうとするのはさすがにやりすぎだと思わない? 母さんもあたしも、いっつも止めるのに苦労させられてるのよ」

「……それは、まあ」


 どうやら彼は目に入れても痛くない娘を中々に溺愛しているようだ。

 二対一で放っておけと言われてしまっては庇うことも出来ず、ラストは仕方なしに彼女に連れられて村の中へと歩いていった。

 レイの母親は、一応薬の効果が切れるまで傍にいてあげるようだった。

 呆れていても夫だからか、置いていくという判断はなかったらしい。


「くれぐれも失礼するんじゃないわよー!」

「分かってるわー!」


 目線で助けを求めてきた男性に心の中で密かに謝罪をもう一度して、ラストはレイに連れられてぐいぐいと村の中へと歩いていった。

 大半の村人は村の中心の広場に集まっていたようで、二人が進むにつれて左右に分かれていく。


「……」

「……」


 挟み込まれるような形で、ラストは村人たちに無言でじっくりと観察される。

 その中にはいくつか妙な圧力もあって、彼は不審に思いながらも先導がままにレイに着いていく。

 彼らの表情から伺えるのは、一様に恐れ、怯え、緊張などといった負の感情だ。

 どうやらラストはあまり歓迎されていない立場のようだ。


「もしかして迷惑だったかな?」

「え、なにがよ?」

「……いや、なんでもない。気のせいだよ」


 心当たりのないラストは、ただ彼女に連れられるがままに歩く。

 やがて村人たちの中心へと辿り着くと、そこから杖で身体を支えた一人の老人が歩み出てきた。

 よく日に焼けて腰の曲がった老骨だが、その眼の光はまだまだ衰えた様子を見せない。


「あたしのおじいちゃんよ。ここの村長なの」


 そう、レイが耳打ちする。

 甘い吐息がふわりとラストの耳元をくすぐった。

 同時に、村の一部の人間から向けられる視線にずしりと重みが増した。

 とは言え実害があるわけでもなく、彼が無視していると老人の方から頭を下げた。


「ほっほ、ようこそスピカ村へ。ワシはロイ・スピカと申しますわ。恐れ多くも、この村の長をしておりまする。それで、お貴族様が護衛も連れずたった一人で、こんな辺鄙な村にどのようなご用件ですかな」


 ジロリと疑いの目を向けられて、ラストは慌てて首を振って否定した。


「貴族だって? 僕はそこまで大層な人間じゃないですよ」

「ご冗談を。その染み一つない高級な白い召し物、高貴な方々でなければ身につけられますまいて」


 腰を低くしながらそうへりくだる老人に、ラストはむむむと唸った。

 確かに彼の出身は王国でも一番の貴族なのだが、もはや家に籍はない。

 貴族らしい素振りが残っているとがいえ、今の彼は真実、平民と変わらない。

 正確に言えば、どこかの国に籍を置いているわけではないため平民という身分すら持たないのだが。

 ロイの指摘を聞いて、レイが驚く。


「ええっ、ラストって貴族なの!? ってああっ、もしかして様とかつけなきゃならなかった!?」

「そんなのいらないよ。そもそも貴族じゃないんだってば。……あの、村長さんですよね。僕は本当に貴族とかそういうのじゃないんです。ただの、旅をしているだけの風来坊なんですが」

「うーむ。そう言われましてもな。にわかには信じがたいというか……下手にお貴族様に無礼を働けば、後に困るのはワシらなのでしてのぉ」

「……うーん、貴族じゃない証明をしろと言われても、難しいですし。困るなぁ」


 こんなことがないようにあらかじめ平民の生活に慣れようと考えていたのだが、まさか最初から手詰まりになるとはラストは考えていなかった。

 なるほど確かに、ロイの言う通りにラストの服はここの村人の装いとはだいぶ異なっている。純白のローブに全身の筋肉や体格が浮き出る密着型の装備。これではどうぞ怪しんでくれと言っているようなものだ。

 だが、今更これらを脱いだところで遅いし、ラストは代わりになるような服も持っていない。

 彼は辺境の村の警戒心を甘く見ていたことを反省しつつ、どうにか理解を求めようと頭を悩ませる。

 ロイもまた、村長として村人を危険に晒すような対応を軽々しく取ることは出来ないため困り果てる。

 互いに相手への対応に四苦八苦していると、レイが助け舟を出そうと口を挟んだ。


「ねぇ、レイがお貴族様じゃないって言ってるのに駄目なの?」

「話はそう簡単ではないわ、この馬鹿孫。そもそもこの危険なときにまた一人で村の外に出おって、危険にあったらどうする!」


 ラストへの対応とは打って変わって、ロイは彼女のことをぴしゃりと叱る。


「うっ、ご、ごめんなさい。でも今日は大丈夫だったわ、ラストが守ってくれたんだもの! 狼を倒してくれて、残りも追い払って――って、そうだったわ! ラスト、狼を下ろしてくれない?」

「え? まあ良いけれども」


 ラストが狼の死体を下ろすと、それに気づいた周囲がどよめく。

 その内の幾人かは、恐る恐る近づいて死体の様子を観察する。


「なんじゃこりゃ。槍でつっついたんでもねぇ、剣で斬ったってわけでもねぇ」

「綺麗に首だけが折れとる……まさか殴って倒したって話でもあるめぇに」

「違うわ! ラストは魔法使いなのよ! いきなりすっごい速さで駆けつけてきて、そのままどかんって狼を蹴っ飛ばして一発で倒しちゃったのよ!」

「ほぅ?」


 レイの説明に、興味深そうにロイが白い髭の生えた顎を撫でる。


「それで動けなかったあたしをお姫様抱っこして運んできてくれて、すっごい優しかったの。きっと、本当は偉かったとしてもアタシたちが嫌いなお貴族様とは違うと思うの。だから大丈夫だと思うわ」

「ううむ……嘘を言ってるわけではなさそうじゃな」


 彼は孫の言葉を確かめるように、ラストのことをじろじろと眺める。


「ひとまず、孫を救ってくれたことには礼を言わせてもらおうかの。あいにくとこの村は貧しくて、返せるようなものは大してありゃしませんがな。感謝する、ご客人」


 丁寧な言葉で呼ばれたことに、ラストは心の中で一安心した。

 頑なに彼から距離を取っていたロイの態度が、少しばかり軟化したように見えた。

 多少なりとも受け入れてくれる雰囲気が出来たところで、ここぞとばかりにラストが口を開く。


「いえ、大したことは。お礼も、別に求めて助けたわけじゃないので結構です。ただ、もしよろしければなのですが。しばらく僕をこの村に置いていただけませんか?」

「ふむ?」


 続きを暗に促したロイに、ラストは己の出来る提案を述べる。


「旅で疲れて、一度休みを挟みたくて。長居するつもりはありません。ほんの一週間程度で構いませんので。先ほど用事を尋ねられましたが、僕の用事というならそれくらいなんです。あいにくと手持ちの金はありませんが、足りない分は精いっぱい身体で働いて支払いますので。どうかお願いします」

「……ううむ」


 ばっ、と腰を深く折って頭を下げたラストにロイは思い悩む。

 見る限りは礼儀正しい青年のようで、心情的には断るという選択肢は取りたくない。

 残るはラストがこの村にどのような利益もしくは不利益をもたらすかという立場あるものとしての判断なのだが、それが中々決まらずにいた。


「ロイさん、そんな怪しい人間村に入れるでねぇ!」


 彼が娘の祖父としての自分と村長としての自分との間で頭を悩ませていると、ふと村人の中から一つの大きな声が上がった。

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