第42話 最後の授業
己ばかりに都合の良い妄想に花を咲かせて体をくねらせるシルフィアットを門の前に放っておいて、エスは眠るラストを抱きかかえて屋敷の中へと戻ってきていた。
今の彼は実験室兼医務室の白いベッドの上で死体のように眠り続けている。その下に長らく展開していた巨大な魔法陣を消し去って、傍に立っていたエスはようやく額の汗を拭った。
「よし。これでひとまず魂の崩壊は落ち着いたな」
魂の再構成という荒業をやってのけたラストだったが、実際のところ数々の問題があった。
知識もなく意志のみで魂を操作したことは感嘆に値するが、それはそれとしてあの時彼が戦いに必要としたもの以外の要素は戻ることなく欠けたままだった。彼の髪の色が白色から戻らないままなのも、その影響が顕著に表れている点の一つだ。
そこから連鎖的に発生しかねない崩壊を収めるために、彼の魂のほつれかけている部分を補修する必要があったのだ。
その作業を丸一日かけて終え、彼女はゆっくりと眠るラストの傍に腰かけた。
そこには屋敷を訪れた時と比較してすっかり成長を遂げた肉体があった。
エスの教えたことを余すことなく吸収し、聡明さに磨きがかかった頭。剣を十全に振るうために骨の下まで鍛え上げられた二の腕。体に揺るぎない芯を通すための腹筋。いかなる体勢からでも動けるようにどっしりと構えられた細くも力強い脚。
その隅から隅まで、エスが手を入れていない場所は一つもない。
「本当に、よく頑張ったな……」
つんつんとつついてみれば、硬くも柔らかさを残している粘りのある鋼のような感触が返ってくる。
急激な筋肉の成長は逆に身長が伸びることを阻害する。完全に鍛え上げられておらず、あえて成長の余地を残すことで今後の順調な発育が見込める。
きっと数年後には、どこに出しても恥ずかしくない立派な青年になっているだろうとエスは想像する。
「その過程に関われないのは残念だがな。ま、ラスト君なら手を抜くことなくきちんとやってのけてみせるだろう。男子三日会わざれば刮目して見よ……その日が来るのを楽しみにしておくとしよう。それよりも、だ」
エスの芸術品を眺めて感動していた麗しき眼に、邪な光が混じる。
その先に見えていたのは、これまた将来を期待できるラストの象徴だった。
こっそりと自分好みになるよう大きさを弄っていた甲斐あってか、今の幼さに似合わず凶悪な顔を見え隠れさせている。
「ふふふっ、こちらも順調だな。別れる前にせめて、先っちょだけでも味わっておかないとな」
そろりそろりと視線の先へ手を伸ばすエス。
その触手のようにわきわきと蠢く、白魚のような指先が触れそうになる――直前で、ひゅっと腕を引っ込めた。
そこに、魔力を纏ったラストの拳が勢いよく通り過ぎる。
「――なにをしてるんですか!?」
「なんだ、もう起きたのか。なにをって、そりゃナニさ」
「まるで意味が分かりませんけど!?」
身体を起こしたラストが悲鳴を上げる。
エスが体を引っ込めた瞬間に、彼は体の下に敷いてあったシーツを引っぺがして手繰り寄せる。それで身を守るようにして体を覆い、真っ赤になった顔で叫ぶ。
「確かに僕たちは、そのっ、僕もエスお姉さんも一緒にお風呂に入ったりとかしてきましたけどっ……。ここを触られるのはっ、あのですね、いくらお姉さんとは言え駄目に決まってるでしょう! わけが分かりません!」
「なに、分からずとも問題はないさ。余が初めから最後まで、手取り足取り教えてやるから。一緒に気持ちよくなろうじゃないか」
「なんなんです!? 気持ちよくなるって、こんなところを触って気持ちよくなるなんてなるわけないでしょう!?」
混乱しながらラストは逃げるようにじりじりとベッドの端へ体を寄せた。
普段のエスならこのあたりで笑って流すところだが、今日はそうはいかなかった。
彼女は目に怪しい光を称えたまま、獲物を追い詰めたライオンのようにベッドに身体を乗り上げる。
ぴとりと、ラストの背中に壁がつく。
もはや逃げる場所のなくなった彼の目と鼻の先に顔を近づけ、はぁはぁと息を荒げながら彼女は頬を吊り上げる。
「まあまあ、良いじゃないか。……なにせ、これが余が君に行う最後の授業なのだから」
「いや股間を触る授業なんてそんな馬鹿な――え? それよりも……最後って、どういうことですか!?」
彼女の怪しげな視線に警戒するのは変わらないまでも、その一言に彼は驚いて尋ねた。
そんな彼に対し、エスは当たり前のように答えた。
「言っただろう、君がシルフィアットを倒す。そうすればあいつを説得しやすくなって、魔族側からの宣戦を遅らせることが出来るだろうってな。そして、それは成った。余はこれから、その為に
「た、確かにそう言ってましたけど。だからと言って……こんな早くにだなんて、聞いてませんでしたよ!?」
「悪いな。【
「そんな……」
あまりに突然に訪れた別れに、ラストは絶句する。
これまでの彼は常にエスと共にあることで成長してきた。
僅か一年とちょっとの間だけれども、その間に過ごした濃密な時間で彼は自分自身信じられないほどの成長を遂げた。
彼女が去っていくのが、かつての血の繋がった親のように見捨てられるのとはまったく異なると分かっている。
きっとどれだけ離れても、心は繋がっているとラストは確信を持って言える。
それでも、直接教えを受けられなくなることで本当にこれまでと同じように強くなれるのだろうか――ラストの脳裏に過ぎった不安を笑い飛ばすように、エスはわしわしと彼の頭を撫でて笑いかけた。
「なぁに、今の君なら余がいなくとも強くなれるさ。どうして強くなるのか、それを考えることを学んだ君なら後は自分一人でどれだけでも上へ行ける。この屋敷にかけていた閲覧禁止の魔法は全て解いておこう。ここにあるものはなんだって使っていい。君はもう十分強くなった。後は余の残していく知識を思う存分使って、君だけの強さを磨いていけ」
「……僕はまだまだ弱いです。お姉さんがいなければ、ここまで来れませんでした。それなのにいなくなってしまうなんて……うぐっ、ぐすっ」
「なに、今生の別れになるわけじゃないんだ。――ここで得られる強さを突き詰めたと思ったら人間界へ向かえ。その先で君が真の【英雄】として人々の上に立った時、それが余と君の再会の時だ。ほんの少しの我慢だとも。いつものように鍛錬を積み重ねていけば、また会えるさ。余は信じているぞ、君のことを」
そこまで言われて、いつまでも悲しんでいるわけにはいかなかった。
ラストはこれ以上涙を流さないようにきゅっとまなじりを引き締めて、彼女に宣言する。
「……分かりました。僕、もっともっと強くなりますから。次に会った時に驚かれるくらい、目いっぱい頑張ります」
「ふっ、また度肝を抜かれることになりそうだな。それなら今から覚悟しておかないとな。なにしろ君は油断していればすぐに階段を何段も駆け上がってしまうからな」
そう、和やかな雰囲気で二人は顔を合わせたまま笑い合う。
そんな緩んだように見える空気の中で、ラストは「ところで」と問いかけた。
「そういえば、最後の授業って結局なんなんですか?」
その言葉に、師匠らしい表情を見せていたエスの顔が一瞬のうちに先の妖しげなものに戻った。
ラストが失敗を悟るも、もう遅い。
「ふふっ。それは――こうだ!」
ばっ、とエスが油断していたラストから白い隠れ蓑を剥ぎ取る。
突然の出来事に彼の頭がまっさらになったのを良いことに、彼女は更に組み技を仕掛けてラストをベッドの上に引きずり倒した。
奇しくも彼がシルフィアットを追い詰めた時と同じように、ラストは驚きに動けないままなされるがままに上向きに押し倒される。
その股ぐらの上に、一瞬のうちに着ていたものを全て脱ぎ捨てたエスが馬乗りになった。
「なっ、なぁっ……!?」
下半身に直接触れるエスの艶めかしい感触に、ラストは取り乱す。
頭を振っていつものように逃げ出そうとするが、その両手を覆い被さるように上から抑え込まれて身動きが取れなくなる。
なんとしてでも逃がすまいとする彼女の強い意志の表れに彼が混乱していると、普段から風呂場で目にしている褐色の乳房がぷるんと揺れるのに意識を惹かれた。
不思議なことに、今日のそれはやたらと魅力的に見えてならなかった。普段なら目を離しているはずなのに、ラストはそこから目が離せない。蠱惑的な果実の先端にピンと立った桜色の突起を、彼は思わず凝視してしまう。
そんな彼の様子に満足そうにしながら、彼女は飢えた獣のように頬を上気させた。
「いいか、ラスト君。これこそが今の君に残る唯一の弱点だ」
「は、ちょっ、弱点っていったい――!? いえ、それどころかさっきも聞きましたけど、今日の妙な密着感はなんなんです!?」
あわあわと慌てるラストに、エスは断言した。
「女だ」
「は、はぁ?」
唐突に言われた一言に混乱が加速するラストを放置して、エスが畳み掛けるように説明する。
「強き者の下には数多くの女難が舞い込む。千の魔物を打ち倒す戦士でさえ、色事……女に対してはたじたじになる。英雄譚には嵐のような女性関係もまた付き物なのは、余の持っていた本の中に色々と出てきたはずだ」
よく分からぬまま、ラストはひとまず彼女の言うことを肯定して頷いた。
「それがなんだと――」
「あれらは読み物として面白くするために演出が誇張されているが、現実に男は女に弱い。君が名を上げれば、その子種を奪って家を繁栄させようと近づいてくる貴族の女も増えてくる。もしくはそれは、命を狙って豊満な肢体で魅了しようとする暗殺者かもしれない。そんなのを相手にして、なんの経験もなしに勝機を保てる男はいないんだ。……そんな見た目だけの愛のない女と一夜の過ちを犯して、一生をふいにするのは君だって嫌だろう?」
彼が理解できたのは、最後の一言だけだ。
一生をふいにする――それは、エスの隣に並ぶ道が絶たれるということだ。
そんなことは断じて認められないと、ラストはまたもや頷いた。
「だからだ。君のその純粋な心を、これから余の色で余すことなく染め上げる。余の肉体を嫌というほど味わえば、今後は他の女どもなど歯牙にもかけないようになるだろう。これまでの君の様子からして、そういう経験は流石にまだのはずだ。これからそう言った事態に巻き込まれそうになる度、君は初めての女である余と比較する。お姉さんの○○の方が良かった――と。そうなれば他の女の色香に惑わされることなどなくなるはずだ」
「えっと、そんな、女の人にほいほい着いていくようなことはしませんって……」
「君は余が嫌いか?」
「え?」
なんとか彼女の暴行を止めようとラストが思考を巡らせていると、唐突に爆弾のような疑問が投げ込まれた。
「余は君のことが好きだ」
「え、えええっ……えうっ、うわわわっ!? 急になにを――」
「あの日傷心の余に片腕を失ってまで寄り添ってくれた時から、余は一人の女としてラスト君を愛している。君に隣にいて欲しい。君以外の誰でもなく、ラスト君と一緒に眩い未来を歩みたい。どちらかと言えばこれは、君のためというよりも余の独占欲かな。君を他の女に取られたくない、取られるくらいなら先に奪ってしまえ――そんな独善的な想いがないとは言わない。君はどうだ? 余のことが嫌か?」
「そんなわけないです! 僕だってお姉さんのことが大好きです!」
先ほどは突然の問いかけに言葉を詰まらせてしまったが、今度こそラストは即答した。
彼がエスを嫌いになるわけがない。
本来ならば森の中に打ち捨てられたままだった彼を優しく開放してくれて、再び【英雄】への道を歩みだした背中を押してくれたのだから。
「ならば問題などどこにもないな。そうだろう? これから行うのは愛し合う男女が行うことだ。余と君は想いが通じ合っている、じゃあヤッても問題ないさ」
「そう……なんでしょうか? いや、え? お姉さんは僕のことが好きで、僕もお姉さんが好きで……だからこうするのも問題ない……と、そうなの、か? いや本当に?」
「問題ない! 愛し合う男女が肌を重ね合うことにはなんの問題もない! ないったら、ないんだ! ――ええい、こうなったらもう実践あるのみだ!」
そう言って、エスは勢いに任せて戸惑い続けるラストに口付けた。
情欲の赴くがままに粘膜を合わせる、乱暴な接吻だ。
だが、不思議と半ば襲われたようなラストはそれを拒むような素振りは見せなかった。
やがて差し込まれた舌の官能的な感触さえも受け入れて、互いの息と唾液を交わらせながら、二人は長い間互いの熱を交換し合った。
十分相手の肉感を堪能した後に、唇がゆっくりと離される。
その間に、透明な雫のような糸が伝った。
「ぷはっ……ふ、ふははっ。まさか最初からこんなに深く唇を交えるとは思っていなかったが……これも互いを想う故のことだ。問題は何もない。さあ、続けようじゃないか。なぁに、恐れることはない。どうだ? 気持ちよかっただろう?」
「ふぁ、ふぁい……」
「よろしい。それでは最後の授業を始めよう。とは言えここから先は、余にとっても初めての経験でな? 色々と不手際もあるかとは思うが、知識だけはこの八百年間、君よりもたっぷりと反復してきたんだ。本番は全てが終わった後にゆっくり迎え入れるとして、今は前戯だけでも――たっぷりと、楽しもうじゃないか」
半ば一方的な形で、エスの豊満な肉体がラストの未熟な肢体に覆いかぶさる。
――それから先のことは、ラストも記憶があやふやであまり覚えていなかった。
ただ、怒濤の勢いで初めての快感をたっぷりと経験させられて、天にも昇るほどの絶頂というものを幾度となく味わわせられることになった。
エスが趣向を尽くして施した快楽を受け入れ、また彼女に誘われ乞われるがままにお返しをして。
何度も攻守を入れ替えて天上の快感を味わう中で、これだけは覚えている。
――彼女が言うような眩い未来の先で、今日のように未来に立ち向かう決意なんてこれっぽちも考えずに、平和の中で夢中で互いに愛し合う道を歩むためにも。
――いつか何の憂いもなしに、エスと共に歩める未来に至れるように、強くなろうと。
彼が己の魂に深く刻み込んだ誓いだけは、この先永遠に忘れることはないだろう。
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