第40話 白棘降雷
「オオオォォォッ!」
「くっ、このぉっ! 人間風情が――
強化魔法の残光を残して、ラストはシルフィアットへと怒濤の勢いで剣を振るう。
魔力不足が一時的に解消された彼は流れるような身体捌きで連撃をみまい、未だ驚愕から心を立て直すことのできない彼女に暇を与えることなく一方的に攻め立てていた。
もとよりラストは普段の鍛錬ではエスと剣を交え、肉体の性能が彼を遥かに凌駕する【
対してシルフィアットはこの八百年間、自分に比肩するほどの力を持った相手と戦った記憶がない。【
そんな彼女にとって、戦いの中で段階をいくつも踏み飛ばして成長していくラストは厄介なことこの上なかった。
ましてや彼女が絶対に乗り越えられないと自信のあった魂の死すら乗り越えてくるなど、ラストはまるで悪夢が人の形を成した化け物なのではないかと内心疑うほどだった。
得体のしれない怪物を相手取っていると考えてしまうと、シルフィアットはどことなく腰が引けて尻込みしてしまう。
ましてやラストはその隙をついてどんどん仕掛けてくるものだから、たまったものではない。
「このっ、風よ乱れ舞え――」
「そこだっ!」
彼女の唱えた魔法が完成するよりも先に、ラストが魔力を纏わせた刃で陣を叩き斬る。
ならば魔法陣を囮として槍による本命の一撃を叩き込もうとすると、
「炎よ荒れ狂え【
「……ふっ!」
今度は身体を僅かに反らすのみで、彼は正面から迫りくる火の玉を避けてしまう。
ラストは魔法陣に描かれた情報が読めるからこそ、発動より先に弾道を読んで動くことが出来る。襲い掛かる魔法が脅威でないと知れば、今のように無視して前へと踏み込んでいく。
そのあまりの勢いに、彼女は未だ混乱から思考を立て直せないでいた。
火球に隠れて突き出した槍を横へ薙ごうとしていたシルフィアットの腕の下へ、ラストはしゃがみこむ。
一時的に視界から姿を消したラストを探して彼女は視線を彷徨わせた。そこに生まれた隙に、彼の牙は容赦なく食い込もうとする。
真下から剣を跳ね上げて、彼は彼女の槍の動きに逆らうように内側から剣を振るう。
外側から内側へと振るわれたシルフィアットの腕と、それを迎え撃つように斬り込んだラストの剣が交差する。
剣と手首が重なり合い、相反する方向へ向けられた力の相乗によって――結果として、シルフィアットの右手が切り落とされた。
「っつぅ、面倒なことをっ! ――聖なる祈りの導き手よ我に復活の奇跡を【
シルフィアットは千切れた腕を引っ付けるよりも生やす方向を選んだ。
もたもたと身体が離れた腕を拾っていると、今のラストに不覚を取られかねない。それを危惧しての選択だった。
だが、あるものをくっつけるだけの回復魔法に比べて再生魔法は段違いに魔法陣の情報量が多い。
描き込む情報量が多いということは、その分完成までに時間があるということだ。
その隙を見逃すラストではなかった。
右半身を突き出す形を取っていた今のシルフィアットのもう一つの手は、槍の根元の方を握っている。
すかさず彼が剣を反転させて、斬り飛ばした右手の向かっていた方向へと槍を後押ししてやれば、槍が退いて無防備なシルフィアットの胸元が彼の前に晒された。
ラストの雷撃によって溶け落ちた胸鎧は役に立たないと判断したのか脱ぎ捨てられ、白い羽毛がたっぷりと盛り上がったその場所は――狙ってくれと言わんばかりの無防備な弱点だ。
彼女の晒した素の胸部目掛けて、ラストは一寸の迷いもなく今の自分が出来る最大の攻撃を叩き込むことを決めた。
一回大きな攻撃を当てるだけでは、彼女に耐えられたとすれば彼が息を整えている内に再生されてしまう。
今のシルフィアットを倒すならば、延々と被害を与え続ける絶え間のない攻撃が必要だった。
彼女が再生している合間にも破壊をもたらし続ける一撃。
――偶然にも、ラストはそれを可能とする技を知っていた。
周囲から吸い込む魔力だけでは足りないが、幸いにもこの場にはまだ先ほど彼が作り上げた力の残りが残っている。
「――来い、雷よ!」
彼は天高く剣を放り投げる。
その先には、彼が先ほど火災の上昇気流を利用して作り上げた積乱雲が未だゴロゴロと音を立てている。彼が放った大雷撃の二発目が、時間の経つうちに自然と再充填されていたのだ。
その中に放り込まれた、
そこに先ほどのシルフィアットの三叉槍に起こったのと同じように、一気に雷が集約されていく。
これからもたらされるであろう一撃を察知し、先ほどと同じ脅威を予想した彼女が急ぎ距離を取ろうとする。
しかし――。
「くっ、これは――先ほどの意趣返しのつもりですか!?」
ラストが足裏から展開した土操作の魔法が、彼女の体勢の立て直しを少しでも遅らせようと蛇のように身体へと纏わりつく。足を滑らせようと地に穴が空き、うねうねと拘束の泥土がシルフィアットに迫る。
鬱陶しげにそれを切り払っている内に、充填の完了した
「よし、【
彼は森の中でシルフィアットが行使していた、力を全身に漲らせる強化魔法を発動させる。常時周囲から取り込んだ魔力を注ぎ込んでなんとか強化を保ち、剣から流れ出そうとする雷の力に耐えながら――ラストは腰を低く落とした。
そのまま身体を前方へと傾けて、今の彼の髪と同じ純白の雷電が詰まった剣先を地面スレスレにまで下げる。
重心を限界まで相手の方へと突き出し、下方に圧縮した体の
その雷の色は振るい手が異なるが故か、本来の紫色とは全く異なる。
しかし何故か、シルフィアットには今のラストの姿に一つの幻影が重なって見えた。
それはかつて彼女が恐れをなし、同時に見惚れた主の剣技で――。
「【
放たれたのは、下方からの逆袈裟切りだ。
ラストの剣を握った腕が消え、同時に振り切った状態で再度姿を現す。
彼女の脳がそれを認識したところで――遅れて、斬撃の光と音が訪れる。
――ビシャァァァアアアァァァン!
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛っっっ!」
それは、エスの振るった時のような大地を揺るがすほどの衝撃は伴っていなかったけれども。
一時的に聴覚を麻痺させるほどの甲高い残響が、衝撃波となって二人の間で弾けた。
咄嗟に後ろへ下がって受け身を取ったラスト。
それに対し、劣化版とは言えエスの剣を直に受けたシルフィアットは鈍い呻き声を上げながらがくりと倒れ伏した。
「う、うぐっ……あ、がっ……」
ラストの放った白く輝く斬撃が、切り裂いた部分から彼女の全身を食い荒らすように侵蝕していく。
バチバチと弾けるような音を立てて、無数に枝分かれする針葉樹のような棘が彼女の身体を外と内から食い破っていく。
今度はラストも油断はしない。
彼女が動けることも予想した上で、剣をいつでも振り下ろせるように構えながら近づいていく。
いっそのことここで首を落としてしまうくらいの覚悟でないと、シルフィアットには勝てない。
彼女のことを全力の殺意を込めて強く睨み据えながら、ラストは口を開いた。
「これでもう、十分でしょう。降参してください」
「降参、でずって――!? この程度っ、二度はっ、通じまぜ――んわっ!」
彼の降参を促す言葉に激高しながら、彼女は自分自身に回復魔法をかけようとする。
しかし激痛と麻痺によって震える指では精密な魔法陣など紡げやしない。
それでもとゆっくりと陣を描き進めようとすると、ラストが魔力を纏わせた足で出来かけの魔法陣を踏み砕く。
「身体を回復させはしません。そのままでは、死んでしまうでしょう。降参すれば、回復はいくらでも出来ますよ」
「はっ、その程度の、脅しでぇっ! ……私が屈する、などと思わないづぅっ!」
雷の逆棘は、ゆっくりと彼女の喉元まで食い込んでいく。
痺れによってうまく発音が出来なくなった口で、それでも彼女は抗おうと叫ぶ。
「私の転生、魔法なら゛っ! たどえ、肉体が滅んだどころで――」
「転生魔法については禁呪の本で知っています。魂を他の肉体に移す大魔法。……それには大々的な儀式準備が必要なのと、特定の環境下でしか起動することが出来ないということも。ここでそれを完成させるのを、見過ごす理由がありますか? ――それに」
全身の強化を解いたラストは、再び周囲から魔力を吸収する。
同時に近くに落ちていたシルフィアットの三叉槍を拾い上げて、その切っ先に新たな魔法陣を描く。
それは、これまた先ほど彼女が描いた禁呪【
こちらは転生魔法とは違い、大々的な魔法陣など必要としない。
「降参を口にしないのならば、これであなたの魂を貫きます。そこまでされれば、魂だけでふよふよとどこかへ消え去って安全を確保した後に転生魔法を構成する、ということも不可能でしょう?」
「なっ――」
「ここで降参し、敗北を認めないのなら僕はこれをあなたに振るうことに躊躇はしません」
もちろん、彼にその刃を振るうつもりなど毛頭存在しない。
彼女が自身と同じように崩壊した魂からの復活を果たせる可能性は低いだろうからだ。
だが、シルフィアットからしてみればラストの眼は本気のものに見えた。
それも当然だ――ラストはそうでもしなければ彼女には勝てないだろうとも思っているからだ。
絶対に振るわないと決めていても、勝利のためには振るわなければならない。殺さないと決めていても、殺さねば勝てないという思いがある。その隠すべき意志を押さえることなくあえて見せつけるようにして、彼は眼前に横たわるシルフィアットを睨み据えた。
「それともこれを受けて、僕と同じように復活してみますか?」
彼が彼女の前に、わざと【
そして、それを見せつけるように大きく振り被り――ゆっくりと、深紅に染まった大鉾を彼女の額へと近づいていく。
「な、なっ――」
「正直、これに働いている原理はよく分かりません。それでも見て、覚えました。あとは同じように描くだけです。効果は他ならぬそちらが、ご存じの通りのはずです」
徐々に近づいてくる朱い切っ先を見て、シルフィアットは必死に考えを巡らせる。
そもそも、年端も行かない子どもに追い詰められて降参する――それだけでも彼女にとっては屈辱の極みだ。絶対にそんなことは出来ないと、彼女の誇りが叫んでいる。
ラストがエスへの想いによって復活したというのなら、その想いの量では負けているはずもないと自負する彼女もまた復活して見せるという気概はある。
だが、その反面彼女の何百年と蓄積した知識がそれは絶対に不可能だと叫んでいた。
降参して今のラストと共にあろうとする狂ったエスに全面的な恭順を示すか、逆らって何としてでも無理を押し通そうとして、勝てそうでも負けそうでもある未来の見えない賭けに挑むか。
相反する二つの考えに、ぐるぐると彼女は行きつく先のない感情を巡らせたまま、あうあうと口を震わせる。
「あっ、あ゛っ……わだ、くじはっ……!」
そうこうしている内にも、槍の切っ先は彼女の下へと迫りつつある。
しかも彼は彼女の動向を一つ残らず注視しており、抵抗しようとすれば即座に貫かんとする絶対的な意思を瞳に宿している。
――人間の子どもに降参するか、八百年抱いてきた誇りを貫いて今後の運命を賭けるか。
――自分ももちろん復活できる/復活なんて出来るわけがない。
迷いに迷いを重ねて結論を決めかねている間にいつの間にか目と鼻の先にまで近づいていたラストの矛先が、彼女の額へとぴたりと触れた。
「ひうっ」
はーっ、はーっ、と過呼吸気味になりつつ、考えを巡らせ続けるあまり熱を帯びたシルフィアットの頭はくらくらとしてきた。
それでも必死に、彼女は自分から敗北を告げるわけにはいかないと考えを巡らせる。
――死んでエスのお姿を拝見するために生きた八百年を無駄にしたくない……いや、自分は生き残れるはずだ、そうなのだ……だが生き残れるはずもない……。
考えすぎて思考が混濁してきた彼女に、ぐっとラストが槍を押し込んだ。
僅かに皮膚を押し込んだ、冷たい感触。
あとほんの僅かでも動かせば、彼女の魂は傷がついてそこから崩壊を始めるだろう。
負けを認めるか認めないか、認めるか認めないか認めるか認めないか認めるか認めないか認めるか認めないか認めるか認めないか認めるか認めないか――やがて複雑に考えることを放棄した彼女の頭ではただ、その相反する考えの終わりなき円環が無限に加速して――。
「――こ、降、参……ですっ、わぁ……」
秒読み段階に入った真の死を前に彼女が取った選択は、降参だった。
そう呟くと同時に、彼女は白目をむいて崩れ落ちた。
これにて、ラストとシルフィアットのエスを巡る攻防は幕を引いた。
大木を認めて気絶した彼女の姿を前に、槍を引いた彼はこれまでの疲労の蓄積にばたりと倒れてしまいそうになる。
その身体を、駆け寄ったエスが抱き留めた。
「お姉、さん。勝ちました……勝て、ました……」
「ああ。見事だった。君の想いと活躍、余の眼でしかと見届けさせてもらった」
エスはラストの右手から邪魔な三叉槍を捨てさせて、そのままぐいっと抱きしめた。
「本当によくやった、ラスト君。この勝負――間違いなく君の勝ちだ」
これまでに何度も味わった柔らかな天国が、彼の顔を抱き入れる。
その甘美な勝利の証に包まれながら、勝利の宣言を受けた彼はゆっくりと意識を闇の底へと沈めていった。
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