第39話 想いの力


 シルフィアットの貫いたラストの肉体が、はらりはらりと崩れ落ちる。

 彼の着込んでいたボロボロの装備が主を失い、内側に凹んでいく。吹き込んだ風が塵となった肉体の残骸を散らしていき、やがて残った剣や防具がばらばらに地面に落ちた。

 ラストの敗北を決定づけるその光景を見て、シルフィアットは自然と内心の苛立ちが収まっていくのを感じた。


「うふふふっ、これでようやく、あの子どもに煩わされるのも終わりですわ」


 エスに自らラストに関わったことが誤りだったと認めさせることは出来なかったが、それでも厄介な楔そのものを根本から取り除けたというのはシルフィアットにとって極めて大きい成果のように思えた。

 彼女は上機嫌な顔で振り返り、愛しの主に報告する。


「見ておられましたか、主様? このシルフィアットが、あの愚かな子羊を討ち取ってみせましたわ。魂を砕かれて復活することはまず叶いません。これにてわたくしの勝利は確定いたしました。どうぞ勝利の判定を……」


 シルフィアットはエスの前に跪き、勝敗の決定を求める。

 しかし、エスがその宣言をする様子はない。

 彼女はただ静かに、ラストの身体が存在していた場所をその二色の眼で見つめている。


「あの、主様?」

「なんだ、シルフィアットよ」

「どうぞ勝敗の宣言をなさいませ。私の勝利は確定いたしました、もはやあの子どもが戻ってくることなどございませんわ」

「それはどうかな?」


 勝ち負けを決めるのはまだ早いと、彼女は首を振る。

 そんな彼女に肩を竦めながら、シルフィアットは申し訳なさそうに告げる。


「……愛玩していた飼い犬の死を認めたくないそのお気持ちは尊重いたします。しかし、あのラストとかいう邪魔者は魂の一欠けらまで無に帰しました。それが分からぬほど、主様の瞳は曇られてはないと、愚考いたしますわ」

「愚考か、まさにその通りだな」

「主様?」

「曇っているのはお前の眼だ、シルフィアット。その愚かな眼で、もっとよく魔の深淵に目を凝らせ」


 エスに促されるまま、シルフィアットは仕方なしにラストの身体を縛り付けていた土の十字架の方へと首を動かす。

 もちろんその場所には、ラストの身体など何一つ残っていないように見える。

 空虚なただの空間を眺めることに何の意味があるのか、彼女には分からなかった。

 エスには先ほどまでそこにあったはずの彼の幻影でも見えているのだろうかと、彼女に正しい認識を抱いてもらうために再度具申しようと前を向こうとした――その時。

 なぜかその場に、新たな魔力の輝きが生まれた。

 突如出現した未知の魔力に、思わずシルフィアットはエスを見上げる。

 その顔には、溢れんばかりの歓喜が映っていた。


「まさかっ……」


 シルフィアットは驚きと共に、限界まで目を見開いてその輝きを見つめる。

 今のエスが喜びの表情を見せるような魔力の主など、たった一つしか存在しない。

 だが、彼女には到底信じることが出来なかった。

 彼の魂を崩壊せしめた【真魂葬鉾イデアルイナ】を編み上げた当人だからこそ、あの状態から現世へと舞い戻れることなど不可能だと分かっている。


「まさか、まさか……嘘でしょう?」


 魔力の輝きの下に、一つの魔法陣が投射される。

 その光輝の塊が徐々に見慣れた人の形を成し、そこに塗りたくられるように肉と骨が形作られていく。

 やがて淡い幻想的な光の中を漂わせながら現れたのは、他でもないラストの裸体だった。

 なぜか髪の色素が抜け、瞳が赤く染まっているものの、それ以外は間違いなく彼本人だ。

 ふわりと地面に降り立ったラストの眼に生気が戻る。

 その視線が、傍で様子を窺っていたエスを見た。


「――ただいま戻りました、お姉さん。だいぶ待たせてしまいましたか?」

「お帰り、ラスト君。なぁに、君が死んでいたのはほんのちょっとの間だけだ。まだ勝負の決着はついちゃいない」

「それは良かったです。……お待たせしてすみません、シルフィアットさん。さ、それでは続きを始めましょうか」


 満足げに頷くエスの傍で、跪いたままのシルフィアットが金切り声を上げる。


「そんな、まさか――ありえません! ありえませんわ、こんなことっ!」


 髪を振り乱し、彼女は半狂乱に叫ぶ。

 それも仕方のないことかもしれない。


「私の研究では、崩壊した魂が再び再生するなんて事例はなかった! いえ、そもそも魂が崩れれば意識が消失し、再生魔法を行使する主体が存在を保てなくなるはずですわ! なのに、なのに――どうしてお前が生きているのです!」


 シルフィアットが魂について研究を重ねた年月は、間違いなく百年二百年ではきかない。

 それらの研究成果をまるっと否定され、彼女はまるで理解の出来ない化け物に向けるかのような眼でラストを見ていた。


「どうして、ですか。すみませんが、僕もはっきりと答えることは出来ません。自分でもよく分かっていないので。ですが、これだけは言えます。僕がこうして戻ることが出来たのは、他でもないエスお姉さんのおかげです」

「なんですって? まさか主様が手助けしたというのですか! お前如きをっ!」


 慌ててシルフィアットはエスの方へと振り向く。

 だが、彼女はそんなかつての配下を無視してふっとラストに微笑みかけた。


「いいえ。助けられた――というのはすこし違います。ただ、僕がお姉さんの助けになりたくて。この人を昔のままのあなたに任せるわけにはいかない、この人の教えに応えたくて、お姉さんの前で胸を誇って立てるようになりたくて……。お姉さんがいてくれたから、僕はこうして生き返ることが出来た。エスお姉さんへの想いが、僕を導いてくれた。それだけです。あの雷を受けてもなお意識を繋ぎとめたあなたなら、分かってくれると思いますが」


 説明を終えると、ラストは傍に落ちていた銀樹剣ミスリルテへと手を差し伸べた。

 それだけで、自動的に浮かび上がった剣が彼の手元へと舞い戻る。

 ぎゅっと柄を握りしめ、変わりのない感触にラストはゆっくりと構えをとった。


「元から力のある私ならともかく、脆弱な人間が想いだけで、そんな……壊れた魂を繋ぎとめるなんて馬鹿げた芸当を出来るはずがないでしょう!? いえ、それに今、魔力の繋がりもなしに剣を引き寄せていた!?」

「繋がりならあります。この剣は僕の魔力を吸って、共に成長する剣です。それなら僕の一部と同義ですし、僕の想いが伝わるのもおかしくありません」

「なにを、一度離れた魔力は別個のものとして扱われるのが常識で――」

「常識だなんて、そんなもので僕のあの人への想いは止まりません。僕はなんとしてでもあなたに勝つ。自然の摂理が邪魔をするというのなら、それすら乗り越えてみせるだけですっ!」


 爆発的な速度で、ラストはシルフィアットの方へと踏み出した。

 彼女は慌てて立ち上がり槍を盾のように構えるが、彼の引き起こした驚愕の出来事の連続にうまく頭が回らない。

 切り結ぶかと思われたラストの剣がするりと彼女の槍を抜けて、その右腕を肩から切り落とす。

 純粋な膂力の身で彼女の肉体に刃を滑り込ませることが出来るはずもない。

 ラストの行使した剣技に、またもやシルフィアットが驚きの声を上げる。


「強化魔法ですって!? もうとっくに魔力は切れていたはずなのに!」

「これもあの人への想いが成せる業っ! 僕は決して、あなたなんかには負けない!」

「ふざけないでくださいましっ! そんなあやふやなもので、この世界の法則までをも書き換えるなど――そんな馬鹿げたことが、あってたまるものですかっ!」


 そう叫ぶラストの身体の周囲で、薄ぼんやりと魔力が輝く。

 その光が手元に集約され、たちまち一つの魔法陣が描かれる。

 その現象を見たエスが、僅かに目を剥いた。


「なるほどな。自然に存在する無色の魔力……それを極わずかに、肌に触れる程度の量を強烈な意志の支配下に置いて自らの魔力として行使している。自らの魂すらを支配下に収めたからこその芸当。それが彼の力の源となっているのか」


 それは、この【深淵樹海アビッサル】の濃密な魔力があるからこその現象だと彼女は見抜いていた。

 魔力の薄い外の世界であれば、肌に触れる程度の量で魔法陣を満足に描くことなど出来やしない。

 ――ただ、この場限りの奇跡。微小な魔力だろうと魔法陣を構築できる卓越した魔力操作技能と、この大自然の環境が成し得た奇跡。

 それでもシルフィアットに立ち向かうには十分だった。

 エス自身ラストの復活を信じてはいても、どのように戻ってくるかまでは分からなかった。

 それがただ自身を想う力によるものなのだと知って、彼女は胸が熱くなって仕方がなかった。


「ふははっ、素晴らしいぞラスト君。黄泉から蘇るかもしれないとは思っていたが、まさかそれが想いの力だと!? ははっ、シルフィアットの奴も驚きだろう! 想いだけで、意志だけで現実がひっくり返るなら、ああまさにかつての大戦は誰も彼もが死ぬことはなかっただろうよ!」


 つまりラストの想いは、かつての戦場にて死した者の誰よりも強いということになる。

 だが、そんなはずはない。

 あの時戦場にて恋人や家族を想った兵士たちの想いが、ラストに劣るはずもない。

 なんらかの絡繰りが潜んでいるはずだと、エスは考える。

 だが同時に、それをむやみやたらに解析しようと踏み入るのは無粋だと彼女は感じていた。

 この戦いが終われば彼の溢れ出る気持ちも落ち着いて、周囲の魔力まで巻き添えにするなどということは出来なくなるだろう。

 それまでの間、エスへの想いを力に変えてシルフィアットへとぶつける。

 それを見ているだけで、今の彼女は胸がいっぱいいっぱいだった。


「――ありがとう、ラスト君」


 これまでの彼女との時間そのものを力に変えてシルフィアットと渡り合う彼の背中を見届けながら、彼女は唇から小さく感謝の一言をこぼした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る