第36話 真魂葬鉾
最高速から一気に減速をかけ、自らの主の下へ可憐に着地したシルフィアット。
対照的にラストの身体はエスの眼前にゴミのようにぽいっと投げ出された。
ぶへっ、と彼は情けない声を出してしまう。
「ただいま帰還いたしましたわ。主様、長い間お待たせして誠に申し訳ございませんでした。ですがこの通り、御身の価値を損なわせる無礼者は打ち倒してご覧に入れましたわ」
残る三つの四肢が動かせないラストは、なんとか首を動かして顎を立ててシルフィアットを見る。
「未だ首を刎ねてはおりませんが、その前にこの子どもには罪を償っていただこうかと思いまして。こうして生かして連れてきた次第にございますわ」
「……罪、だと?」
「ええ。人間の身で御身の傍に侍り、魔王の名を汚した罪。そして森の中で
そういうと、彼女はラストの方へと振り返った。
シルフィアットは彼の身体をエスにもよく見えるように宙に吊り上げ、土から生み出した十字架に固定させる。その方法は当然のように、骨と肉の隙間に土杭を打ち込むという痛々しいものだ。
「ぐっ……」
「ふふっ、安心なさい。すぐにその程度の苦痛など、気にもならなくなりますから。それではどうぞご覧なさいませ、主様。この愚か者が己の罪を悔い、無様に助けを請い泣き叫ぶ姿を!」
シルフィアットが三叉槍を振るう。
その切っ先がラストの指を一つ、切り落とした。
「っ……!」
腱は切られても神経がつながっている以上、彼は激痛からは逃げられない。
「ほら、泣いて許しを請いなさい! ほら、ほら、ほら!」
顔を顰めたラストに、彼女は立て続けに残る四本の指を順に落としていく。
それが終われば手首、肘、肩の順に、彼女は関節ごとに彼の右腕を切り刻んでいった。
だが、ラストは苦悶の息を漏らしつつも悲鳴を上げる様子はない。
「ふふっ、それほど強がったって無駄ですわ。魔力の枯渇した体で出来ることなど、もうないというのに。今謝罪すれば、速やかにあの世へ送って差し上げてもよろしくてよ?」
「……」
彼は無言のまま、シルフィアットに対して向ける戦意を途切らせない。
「ふんっ、どこまでも生意気な子どもですこと」
その諦めの悪い様子が癇に障って、彼女は彼に負けを認めさせようと更に槍を振るう。
腕で足りないのなら別の四肢をも蹂躙しようと、彼女は次に両脚を刻んでいく。
関節を一つ一つ落としていくだけでは物足りないというのなら、更なる苦痛を与えるように。
ラストの爪を剥がし、皮膚と肉を削ぎ、骨の中心部を砕く。
「うふふ、やはり痛いのでしょう? そんなに涙を流して。早くこの苦痛から解放されたいとは思いませんか? なに、簡単な話ですわ。ごめんなさい、と。自分が主様の傍にいて悪かった、と。ただそれだけを口にすれば済む話でしょう?」
それでもなお、彼は頑なに敗北を認めるような素振りを見せようとしない。
身を抉る激痛に反射的に涙が出てしまうが、心が折れていない以上それは本心によるものではない。
「……もしかして、そんな言葉も理解できないほど愚かだったのでしょうか? まったく、人間というのはいつの世もこれだから度し難いものですわね」
「――そこまでお話がしたいのなら、付き合っても構いませんが」
「あら、お話しできたのですね。偉い偉い」
そう言いつつも切り落としたばかりのラストの傷跡を止血のために焼くシルフィアット。
自らの肉が焦げる匂いに堪えながら、ラストは語る。
「そんなに僕に謝らせようとしても、僕には謝ることなんて何一つ、身に覚えがありません」
「……なんですって?」
「僕がお姉さんと一緒にいることが、なんで罪になるんですか? ただ、あなたが気に食わないだけではないんですか。僕たちのことはあなたには関係ないはずです」
「ふざけたことを言うそのお口にも、お仕置きが必要なようですわね」
ざくり、とシルフィアットがラストの頬に傷を一つ入れる。
次はその口を引き裂く、という脅しだ。
だが、彼女はそこまではまだしないだろう、と彼は考える。頬を完全に裂いてしまえば、謝罪を口にすることもまた出来なくなるからだ。
ただ助かりたいがためにここで謝罪を口にする、そんな性格ならばラストはそもそも現在の状況に陥っていない。
あくまでも無理やり頭を下げさせようとしてくる彼女に対し、ラストは非難めいた口調で、交わせぬ剣の代わりに言葉の刃で彼女の真意を詳らかにしようと試みる。
「要するにあなたは、自分にとって都合の良い現実を僕たちに押し付けたいだけなんですよね?」
「……黙りなさいな」
「僕がお姉さんと一緒にいるのが気に食わなくて、無理やりそれを引き裂こうとしてる」
「……黙りなさい」
「それだけじゃ自分の気が収まらなくて、だから僕たちの間を僕たち自ら壊れるようにしたい。そうすれば、あなたの言うことが正しかったんだって、主様に納得してもらえるから。あなたの理想の中の魔王様に、お姉さんが自分から近づいてくれるから――」
「黙れ、と言っているでしょう!」
反射的に振るわれた魔槍が、今度こそラストの片頬を唇の端から裂いていく。
開かれた彼の歯と歯の隙間に、涼しい風が吹きこむ。
「主様は、これでよろしいのですか。今や大切に育てていた子どもがこうも無残な姿を晒しているというのに」
ラストがついに思い通りにならないと悟ったシルフィアットは、苛立ちを笑顔の仮面を被って隠しながら、今度はエスの情に訴えかけようとする。
「主様の教えに従って、手塩にかけた子どもがこんな地を這うしか能のない芋虫のような姿になって。こうして憐れに死んでいく、それでよろしいのですか?」
「……なにが言いたいのか、さっぱり分からんな。お前の言い方はどうも要領を得ないな。それがこの勝負にどう関係があるというんだ?」
「この子どもは、他ならぬ主様の教えによって死んでいくのです。たった一言口にすればいい、降参すら言うことなく。これは主様が招いたことでもあるんですのよ? これのことが大切ならば、主様のもお口添えなさいませ。謝れ、と。そうすればこれ以上、愛弟子の苦痛に歪む姿を見ずに済みましょう」
だが、そんなシルフィアットの提案にエスは呆れた様子で首を振った。
「下らんな。実に馬鹿馬鹿しいぞ、シルフィアット」
「……なんと?」
まさか一蹴されるとは思っておらず、シルフィアットは聞き間違いかと驚く。
かのお優しい魔王ならば、弱り切ったラストのことをこれ以上苦しめるようなことはしないと考えていたからだ。
「ラスト君よりもお前の方がよほど愚かしい、と言ってるんだ。……かつてのお前は他の魔族と同じく性格に難こそあれど、こと戦いの場においては無駄に相手を痛めつけたりして悦に入ろうとはしなかった。そんなお前たちのことだから、余はなかなか見捨てることが出来なかった。根は気の良い奴らなのだからと、お前たちに乞われるがままにずるずると【魔王】の座についていた」
「……なにを、仰って……主様はいつでも、私達の先に立って魔族の未来を――」
「余が歩んでたのは、余が見据えた道ではない。お前たちが見据えた、お前たちが望む【魔王】としての在り方だよ。いつだって、人間との戦争なんてしたくもなかった。憎しみが憎しみを呼ぶ、新たな戦いを巻き起こし続ける。それは余が打倒しようと目指した、世の不条理そのものだ。余こそがいつしか、余のもっとも忌み嫌うべき存在となっていた。だから、余は【魔王】であることを止めた」
エスの漏らした八百年ぶりの本音に、シルフィアットは唖然とする。
彼女が慌ててその言葉を上塗りし否定しようとするも、エスはそれよりも先にずっと秘めていた本心を、今度こそこれまでのように誤魔化されることなく吐き出し続ける。
「――だが、こんな余でも再び【魔王】となりたいと思えるだけの希望を見た。それがラスト君なんだ」
「この、子ども如きがっ……?」
「そうだ。この子は余が本当に苦しい時、欲しかった言葉をくれた。余の心の苦しみを見抜いて、傍にいると言ってくれた。だからこそ、再び立ち上がろうと思えたんだ。故に、余は諦めろなどとは言わない。あえて言うなら、そうだな」
悲痛な表情を一転させて、エスはラストを試すように微笑んだ。
「余と支え合うというなら、その程度の敵は倒してみせろ。なに、君ならきっとできるさ。余の時だって、駆けつけることが出来たのだからな」
和らげな視線を彼へと向けるエス。
そこに込められていた信頼には、これまでにシルフィアットが受けたことのない慈愛が伴っていた。
それに応えるように、ラストが力強く頷く。
自分とは交わされたことのない目と目の通じ合いに、シルフィアットはいよいよ苛立ちを隠せなくなった。
「……奇跡など、そうそう起きるものではありませんわ。ここから逆転できるような手が、主様には見えているとでも?」
「さてな。ただ、どんなことにも確実はないってだけさ。あの決戦の時、【英雄】が余の角を圧し折って見せたようにな」
「……ならば、その希望が顔を見せる前に潰してしまうといたしましょうか」
ひくひくと頬を引きつらせながら、シルフィアットは三叉槍を構えた半身を大弓を構えるように引き絞る。
その切っ先に魔力が宿り、竜たちを殺して見せた時と同じ一つ刃の大鉾へと変化する。
更に彼女はその先端にて一つの魔法陣を描き、刃の色を鮮血のような朱色に塗り替えた。
「【
「……怖くない、と言えば嘘になります。でも、その程度の脅しに屈して自ら負けを認めるわけにはいきません。僕は【英雄】として、お姉さんの隣をあなたなんかに譲り渡すわけにはいかない!」
「なるほど。では、お望みの通り引導を渡してさしあげましょう!」
ラストの示した、死にすら屈しないという子どもの域を超えた戦う者の決意がびりびりと大気を揺らす。
その覇気にシルフィアットは思わずびくりと体を震わせられた。
それを自覚した途端、彼女の内の憤りが更なる激昂に包まれる。
このままこの子どもに猶予を与えては危険だーーたかが人間の子どもと侮っていたラストにそう脅威を感じさせられた屈辱を振り切るように、彼女は勢いよく鉾先を突き出す。
矢のような勢いで射出されたその先端が、ラストの胸を寸分たがわず貫いた。
「ごほっ……」
骨が砕け、肉が潰れていく感触と共に――バキリ、とラストは自分の内側のなにか大切なものが砕けたような音が聞こえた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます