第35話 失態と代償


 魔力の枯渇と疲労で震える足に鞭打って、ラストはシルフィアットの落下地点を訪れた。

 その途中に見える景色には、未だ残り火がちらついている。溶融した地面が鉱石状に変化した場所さえあった。

 荒廃した大地を進んでいった先で目にした彼女の姿は――見るに堪えないものだった。

 辛うじて原型は留めているものの、全身の羽根が焼け落ちている。爛れて黒ずんだ皮膚には罅割れたような雷の痕が濃く走っている。そこには【銀凰翼アルゲニクス】と謳われた美貌は見る影もない。

 もはや生きているかどうかさえ、ラストには判別がつかなかった。


「死んではない……です、よね。多分」


 たとえ生きていたとしても、雷撃の影響でもう指一本も動かすことは出来ないだろう。

 そう考えて、彼は武装をしまったまま彼女の傍へと跪いた。

 熱で溶融した鎧が胸部の肉と融合しており、呼吸しているか分からない。

 せめて脈を取れば、心臓が動いているかどうかは分かる。もし生きてさえいれば、エスを呼んでくれば回復させられる。


「――失礼します。聞こえてるかどうかは分かりませんが、脈を取るだけですので」


 彼女の両腕は火傷の跡でぐじゅぐじゅに溶けているが、それをもたらしたのはラストだ。

 躊躇することなくその腕を触ろうと、彼は前かがみになって手を伸ばした。

 そう、彼はもう既に勝敗は決したと考えていた。

 ここまでの傷を負えば、実質的にシルフィアットは戦闘不能だ。もう抵抗しようにも、出来ることはない。生きていたとしても彼が剣を振り下ろせば、すぐに首は断ち切られる。

 生殺与奪の権利を握っているという確信がラストにはあった。

 ――だからこそ、彼はシルフィアットの指がかすかに動いたのを見逃してしまった。

 がっ、と伸ばしたラストの左腕が突如掴まれる。


「なっ!?」

「本っ当に……失礼、ですわ。寝ている女性の身体を、許しもなく触ろうとする、など……調子に乗った、猿ごときがっ……!」


 彼の腕を捕まえたのは、まさかのシルフィアットだった。

 炭化した腕が軋むのにも構わず、彼女は脈を計ろうとしたラストの手を握りしめる。

 その力は死に体のものとは思えないほど以上に強く、彼が引き剥がそうとしても叶わない。


「うふ、うふふふふっ……ようやく、ようやく捕らえましたわよ。ニン、ゲン……っ」


 ギギギッ……とシルフィアットが顔を上げる。

 瞼が焼けて剥き出しとなった瞳でぎょろりと彼のことを睨みつけながら、彼女は喜悦の笑みを浮かべる。


「そんな、まさか……あれを受けてまだ意識があるなんてっ!」

「あはぁっ。主様が見ていてくださるのですよ? 無様な敗北など、見せられるわけがない……でしょうにっ!」


 彼女に強く引っ張られたことで、ラストは体勢を崩してしまう。

 間近になったシルフィアットの顔が、そのまま言葉を続ける。


わたくしがどれほどの間、あの方をお待ちしたと思って? 八百六十七年と五か月と六日と九時間二十三分四十七秒……一時も主様のことを想わなかったことなどありません。積年の想いを見ていただこうと喜び勇んで屋敷を訪れれば、その側に侍らせていたのは私でも魔王軍幹部の誰でもない……人間の子どもっ」


 ギチリ、と彼女の握力が強くなる。


「ええ、ただの人間の子ども。それがエスメラルダ様の横にいるなんて、そんなのっ! 許されるわけがない、そうでしょう? そうですわ。ええ、絶対に許されないことなのです――っ!」


 執念の炎をありありと浮かべて、ラストの腕がうっ血するほどにシルフィアットは彼を逃がすまいとする。


「殺します。殺してさしあげます。泣いて許しを請わせて、あの方が人間を飼うなど間違いだったと悟ってくださるように。それを終えるまでは、この私は決して死ぬわけにはまいりませんもの……ふふふふふふ……! もう、逃げられるなど思わないことですわっ!」

「くぅっ!」


 ラストはなんとしてでも引き剥がそうとするが、それと同時に彼女もまた彼を離そうとはせずに腕に魔力を直接込めて強化する。


「まさか自分だけ楽に死ねる、なんて思わないでくださいまし。主様の前で百の肉片に引き裂いて、焼き焦がして、死んだ方が良いと思えるほどの苦痛を与えてさしあげましょう!」


 ラストの目の前で、ほとんど尽きていたはずの彼女の魔力が急激に上昇していく。

 怒りの感情が魂の底力を吐き出させて、魔力を回復させているのだ。

 残ったもう一つの腕で、シルフィアットは瞬く間に魔法陣を描き上げていく。


「うふふっ、私だってあのお方のことをずっとずぅっと、誰よりも長く見続けてきたのです! この程度、出来ないわけではありませんわ――」


 指揮者と見間違う、巧みな指捌き。

 同じ技術を身につけたラストには、そこに積み重ねられた確かな時間の重みというものが否応なしに理解させられる――想いは違えど、確かに彼女もまたエスの後ろ姿を追い続けていたのだと。

 それでも、彼は負けるわけにはいかない。

 シルフィアットの想いが間違っているのだと示すために、なんとか彼女の放とうとしている魔法から逃れようともがき続ける。


「炎よ! 我が内に眠る渇望を吸い上げ、わが友と相踊りて破壊の限りを尽くせ! 破滅の輪舞曲を今ここに!」


 シルフィアットの持つエスへの愛情とラストへの怨嗟が唸りを上げる。

 読み取った魔法の効果は目標を第一に風の刃で切り刻み、第二に生まれた嵐で炎を巻き上げて対象を燃やし尽くすというものだ。

 ラストの身体では、間違っても対抗魔法無しに受けて良いものではない。

 そうと分かっていても彼は逃げることが出来ないまま、彼女の完成させた魔法を至近距離で受けることになった。


「――【炎嵐刃舞フラマ・テンペスタス】!」


 見せつけるように目前で展開された魔法陣から、横向きの火炎と風刃の嵐が放たれる。

 そこには陣に描かれた以上の熱量が込められたようにも見える。

 その脅威が、彼の無防備な胸元に叩き込まれる。


「うわあああぁぁぁっ!」


 巻き込まれてはたまらないと、シルフィアットは発動と同時に握っていた手を離す。

 地面に燻ぶっていた僅かな残り火をも巻き上げて膨れた炎の嵐が、ラストの身体を持ち上げて地面と平行に吹き飛ばしていった。

 その過程で彼は容赦なく裂かれ、焼かれていく。


「――うぐぐぅっ!」


 体を覆うエスとお揃いの防具は、既に最初の太陽の魔法を受けた際にボロボロになっていた。

 彼の防御魔法をすり抜けた光熱によって半壊しており、その隙間から彼女の新たな魔法が攻撃を加えていく。

 様々な苦痛が体を苦しめていく中、ラストは先ほどまでの自分に怒りを抱いていた。

 ――どうしてまだ、シルフィアットが動く可能性があると考えなかった。

 彼はもっと注意深く、離れた場所から観察すべきだった。

 ラスト自身でさえ、【五頭獄犬クイントロス】との戦いにおいて死を覚悟した際に最後の力を振り絞ったのだ。彼女もまた、自分の望みのためなら予感した死すら超えて力を発揮できるかもしれない。

 相手を甘く見ていたのはシルフィアットだけでなく、彼自身も同様だった。

 失敗に対する後悔とそれによってもたらされた苦痛に耐えながら、ラストはあえて舌を噛んで精神に喝を入れる。

 ここで痛みに負けて気絶するわけにはいかないのだと、必死に意識を繋ぎとめる。


「――がほっ!」


 やがて嵐が止んだ先で、ラストの身体はわずかに原型を残していた木の残骸にぶつかって止まった。

 ほとんど炭となっていたのか、その衝撃で木は砕け散ってしまう。

 ぐったりと残った切り株に背を預けながら、彼は額から垂れてきた血で赤く染まった視界の中、自分自身を見下ろす。

 彼の身体は先ほどのシルフィアットに負けず劣らずの大怪我を負っていた。

 少なくとも、目に見える素の肉体には無事な所は何一つない。

 

「……っ」


 加えてなにやら左側が軽いと思ってみてみれば、左腕がすっぱりと取れていた。

 残念ながら周囲には見当たらない。どうやら攻撃を喰らってすぐのところで千切れたようだ。

 失くした腕を探して飛んできた先を見ると、そちらからゆらりと黒い影が近づいてくる。

 全身に治療の魔法を回して修復を進めながらラストの下へ歩いてくるのは、シルフィアットだ。


「ふふっ、大分らしく・・・なりましたわね」


 三叉槍を構えながら、ラストを見下すシルフィアット。

 その眼には一欠けらの油断も残っていなかった。

 彼女がふと、片腕を突き出す。

 そこに垂れ下がっていたのは、他ならぬラストの失われた腕だった。


「これが欲しいですか? 欲しいでしょう? ――でも、残念ですわ。火よ、荒れ狂え。【業炎弾フラマレット】」


 シルフィアットの手の中で、見せつけるように彼の腕が燃やされる。

 最後に残った骨をばきりと砕いて、彼女は適当に放り投げた。

 それでも、腕を一本失う位の覚悟ならラストはとうの昔に済ませている。

 戦意を失うことなくなんとか抗おうとして、彼は周囲に目を配らせる。

 そんな憐れな獲物を見下しながらシルフィアットは三叉槍の先端で、残る右手を地面に縫い留めた。


「……んぐぅっ!」

「なんと生意気な眼ですこと。ですが、その身体ではもはや魔法を使うことも叶わないでしょう。いえ、それどころか魂が損傷している……先の雷は無理に魂魄を弄ったことによるものでしたか。主様の代名詞たる雷の魔法を使うなんて、なんと不遜なことでしょう。その罰が当たったのですわ」


 反論しようにも、今のラストは言い返せない。

 先ほど木に衝突したときに肺の空気が全て絞り出され、その影響でうまく呼吸が出来ないでいた。

 答えが返ってくるのを待つこともなく、シルフィアットは続く一手を打つ。


「これ以上厄介なことは、何一つさせやしません。これまでの無礼はその身を以てきちんと味わっていただきますから、そのおつもりで」


 そう言われて怯むラストではない。

 返せない言葉の代わりに両目で戦意をぶつけるも、シルフィアットはまったく応えた様子がない。


「ふん、その気丈な態度がいつまで続くか見ものですわ。まずはあのお方のところへと参りましょう――と、その前に。これ以上下手な動きを取られないよう、しっかりと念入りに処理しておきませんと。ねぇ? これは前払いですわ」


 ラストの右手から引き抜かれた三叉槍がゆっくりと、三度振るわれる。

 なるべく痛みを感じさせるように、わざともたついた手つきで彼女は彼の右腕と両足をそれぞれ突き刺した。

 それを受けた部分から先が、だらんと力が抜けてぶら下がった。


「それぞれの腱を切断いたしました。もはやまな板の上の鯉も同然。その調理をあのお方にじっくりと見ていただきましょう。少しでも生き永らえたいのであれば、なるべく派手に悲鳴を上げ続けてくださいな。そうすれば主様も、身に染みて後悔なさるでしょうから」


 動けなくなったラストの胸倉をつかんで、シルフィアットが再生を終えた翼で羽ばたく。

 二人はそのまま焼け野原の上空を飛んでいく。

 視線の先に待つのは、大火災を受けてもなお悠然と存在感を示している黒屋敷だ。

 その門前にて、屋敷の主たるエスがじっと腕を組んで待ち構えていた。

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