第33話 夜天に昇る魔の太陽


「くっ……ふふふ……おーっほっほっほっほ! ようやく、ようやく成し遂げましたわ!」


 数多の竜の屍の上に佇むシルフィアットの高笑いが、静寂を取り戻した森に響く。

 槍を杖代わりに一息つきながら、彼女は全身を満たす達成感に浸っていた。

 その身体は無傷ではなく、いたる所に裂傷や火傷を負っている。この森の竜の力は彼女の全力を込めた魔法防御でさえ易々と貫くものだった。

 それでも、彼女は勝った。

 敵対者の仕込んだ卑怯な罠の前に屈することなく、見事立ち向かってみせた。

 その満足感は彼女の長い生涯の中でも両手の指の中に数えられるほど大きいものであり、例え全身がラストの罠による謎の液体まみれであったとしても、十分な成果だった。


「翼の生えた蜥蜴風情が調子に乗るからこうなるのです。ふふっ、あの世でわたくしに逆らったことを悔いるがいいですわ。……ですが、これでようやくひと段落ついただけ」


 戦闘で昂っていた気分が落ち着くにつれ、彼女はまだ肝心の目標を確保していないことに気づく。


「あの子どもは依然見つからず。幸いにも最初の方の薬は抜けてきましたが、その分だけ血を失ったのも事実。同じような罠がこの広大な森の中にまだまだ隠されていると考えると、憂鬱になってきますわ。これだから人間は……」


 見下すような言葉で虚勢を張るも、疲れが心身ともに溜まってきているのは彼女自身自覚している。

 一刻も早くラストを見つけ出さなければ――そんな焦燥に駆られてしまう。

 だが、その過程で更なる苦難に立ち向かわなければならないと考えると、どうにも背中の翼が重たくなってくる。


「くぅっ、どういたしましょうかね。それにしても蒸し暑いですわね……。今日はなんだか湿度がいやに高いと思っていましたが、これだけ動くと汗も尋常な量ではありませんわ。まさか、この脱水症も罠の内……?」


 瞼の上から垂れてきた汗が鬱陶しくなって、シルフィアットはおでこを拭う。

 その手を見てみると、ぐっしょりと湿った羽毛が目に入る。

 どうせなら蒸れた鎧を一度脱いで熱を完全に放出したいのだが、いつどこからラストの罠が襲い掛かってくるかと思えばうかつに装備を解除することなんて出来やしない。

 なぜ自分からこんなところに足を踏み入れたのかと、彼女は森に入る前の自分の考えの甘さに毒づく。


「本当に厄介な場所ですこと。いっそのこと、全て吹き飛ばしてしまえれば……」


 魔法で生み出した水を飲んで喉を潤わせながら、ふと呟く。

 そんな彼女の視界の端には、竜の吐いた残り火が倒木の上でゆらゆらと燃えている。


「……そうですわ。こんなの、全部焼き払ってしまえばよいのです。厄介な罠もこの森も、まるっと焼いてしまえば解決するではありませんか」


 風や水の魔法では、魔力を贅沢に吸って大きく成長した木々は倒れない。

 だが、火の魔法ならいくら頑丈なものでも植物であるならば燃えることを免れ得ない。


「あの子どもがどこにいるかは知りませんが、森の火災は一度発生すればたちどころに広がっていく……あんなゴミのような魔力では消化は不可能、死んでしまうでしょう。たとえ小細工を弄したところで、全て燃えてしまうのですから。万が一生き残れたとしても、隠れる場所はもはやありませんわ。ふふっ、我ながらなんという名案でしょう」


 口の端を吊り上がらせながら、ようやくラストが苦しむところを見られそうなことにシルフィアットの身体に気力が戻っていく。


「全身が焼き爛れて死ぬ姿を見るのもまた一興。私でさえ何度も自分の身体を焼かされたのですから、その原因であるあの子どもも焼け死んでしまえばよいのです。肺を焼かれ、意識が朦朧とする中で助けを請いながら全身が炭となっていく! きっとその姿を見れば、この傷ついた心も癒されることでしょう! 見ていなさい、あなたは自らの重ねた侮辱と愚弄の罪によって焼け死ぬのですわ!」


 そうと決まれば善は急げと、彼女は軽くなった翼を羽ばたかせて夜空へと昇っていく。

 その姿を、ラストは木陰からこっそりと見送っていた。

 魔力と気配を消した彼に竜との戦いで気力を大きく消費していた彼女が気づくことはなかった。

 楽しそうに笑うシルフィアットの言葉を聞いて、彼はほっと胸を撫でおろしていた。


「ここまでは予想通りで、本当に良かった。でも、問題はここからか……。いくら植物が火に弱いと言っても、この森のものは中途半端な魔法じゃ燃えやしない。もちろん自分に出来る限りの大魔法を使ってくる。それをなんとか耐えて、切り抜けないと。――ここが正念場だっ」


 ぐっと気合を入れ直し、彼は懐に手を伸ばした。



 ■■■



 遥か上空に辿り着いたシルフィアットは、眼下の大森林を見渡す。

 見渡せる限り地平線の向こうまで続いている、果てのない自然の大迷宮。

 その中から小さな子ども一人を見つけ出すなど、広い砂漠の中からたった一粒の宝石を見つけるようなものだ。途方もない労力がかかる割には到底見合わない対価であり、確実に発見できる保証もない。

 だが、その盤面を丸ごとなかったことにしてしまえば話は違う。 


「――旭日は蒼天に座し、審判の時が来た」


 天空の王者たる竜を全滅させた今、この領域はシルフィアットただ一人が支配している。

 何物にも邪魔されることなく、彼女は悠々と己の持つ最大火力の呪文を唱え始めた。


「衆苦濁穢は終焉の鐘に恐れ慄け。万物は魔の盟主たる覇王に恭順し、善悪は等しく無に帰すべし」


 天高く掲げた彼女の右手の先に、夜の空を塗り潰す勢いで巨大な魔法陣が拡がっていく。

 そこに込められた構文は、魔力をただ純粋な炎熱の塊へと転じるものだ。


「大いなる星冠の光輝よ、今こそ愚世に顕現せよ」


 最初に産み落とされたのは、ごくごく小さな火種だった。

 それが彼女の残りの魔力を大口を開けた蛇のようにごくごくと飲み干して、瞬く間に肥大化していく。

 こぶし大から始まったものが小さな家屋程度に、領主の屋敷ほどに、一国の王城のように。

 やがて彼女の作り出した火球は、一つの都市そのものと見間違うほどの規模にまで成長した。


「爆ぜよ! 灼けよ! 熔け墜ちよ!」


 破滅の詩を締めくくるように、シルフィアットがその手を眼下へ向けて振り下ろす。


「【太陽烙印プロメテオラ焔獄開宴インフェルヌム】!」


 そこに潜む数多の悪辣な罠を、その仕掛け人ごと焼き尽くすように。

 彼女の命じた通りに、深夜を照らしていた魔の太陽がゆっくりと地表へと落下する。

 その中に秘められたあまりの熱量に休眠を取っていた魔物たちは叩き起こされ、何が起きているのかを本能で悟るや否やすぐさま彼女の火球から逃れようと駆け出していく。


「うふふふっ! いったいなにを考えているかは存じませんが、これにて死! あるのみですわ!」

「……ふぅ」


 ただし、ラストは逃げるわけにはいかなかった。

 今のシルフィアットは己の内に内包した魔力をほぼ枯渇させた状態だ。

 なによりこれでようやく彼のことを殺せると、大きく油断している。

 この流れを逃せば、後にも先にも勝利を掴めそうな機会はない。

 深呼吸して覚悟を決めた彼は、懐から取り出した薬瓶の封を切った。

 その中の紫と緑が混濁した液体をごくりと飲み干す。


「うぐっ! ぐ、ぐほっ!」


 体の奥底から張り裂けそうな衝動が噴出し、どくんと心臓が跳ねる。

 服用した薬の効果が表出し、彼の魂から本来ならば有り得ない量の魔力が溢れ出す。


「……よし、これなら……っ!」


 その正体は未来の彼の魂が生み出す一月分の魔力だ。

 彼が使ったのは、それを先取りするために魂に限界を超えた駆動を強いる文字通りの劇薬。

 もたらされた反動によって、ラストの身体は膝をついてしまう。

 

「きっつ……でも、すぐに終わる。それまで、後少しなんだっ……」


 膝をついても構わない。

 ただ、これから描かなければならない防御の魔法を完成させるために、体内に荒れ狂う魔力の制御を手放さなければそれでいい。

 内側で嵐のように吹き荒れる力の手綱を握りしめ、ラストは指先を慎重にかつ素早く動かす。

 その魔法が完成すると同時に――世界が白に染まった。

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