第28話 禁呪


 【五頭獄犬クイントロス】との激戦を経て負った数々の傷は、本来ならば月単位の治療が必要だった。しかし、そんな重症もこの屋敷では一晩経てば元通りだ。

 成長に悪影響を及ぼしそうな各部位の歪みはその日の晩の内にエスの手によって矯正され、何度も情けない声を上げている内にラストは無事に気絶していた。

 そうして迎えた翌日、ラストは元通りのぴんぴんした体でエスと机を挟んで向き合っていた。

 机の上にはいくつかの兵を模した駒が置かれており、二人は雑談しながらそれを交互に動かしている。


「……それで、結局僕がシルフィアット・リンドベルグに勝たなきゃならない理由ってなんなんです? 一晩考えたんですけど、分からなくて。まさか本当に度肝を抜かせたいだけじゃないですよね。あ、魔導剣兵で剣騎軍将貰いますね」

「ははっ。ラスト君には余がそんな単純な女に見えるのか? だとしたら怒っちゃうなー。それじゃ余は兵士を前に一歩だけっと」


 豪華な装飾の施された大将首の駒をエスの元から取り上げて、ラストは自らの手元に置く。

 今二人が行っているのは人間と魔族の両方で歴史ある盤上遊戯だ。戦争を模した盤に様々な兵の役割を持つ駒を配置し、それを交互に動かして奪い合うことで勝負を決める。

 ほとんどただで強力な駒を渡した彼女の盤面に映る真意を考えながら、彼は昨日のエスの口調を思い出す。シルフィアットを叩きのめすと言った時の笑い声は、間違いなく真に迫るものがあったと彼の耳は言っている。

 真の狙いはまた別にあるとは思いつつも、少なからず本音が混じってるんだろうなと彼は察していた。

 ――そんなことよりも、今は目の前の戦争を模した盤上遊戯の方がよほど大事である。

 既にラストは午前中から続けて三度、エスに連敗を喫しているのだから。

 勝利に向けて集中する彼の思考を搔き乱すように、彼女は勝負とは関係のない雑談を続ける。


「ま、もちろんちゃんとした意味はあるさ。魔族が人間に負けたとあっちゃ大恥だ。それも大戦の大物が今を生きる子どもにやられたなんて、誇りもズタボロになる。それが余の狙いだ」

「はぁ。それはそうでしょうが、そうなったところで人間への怒りがなおさら燃え盛るだけじゃないですか? ……弓士で右斜め二つ先の騎士を攻撃します」

「ああ、これで騎士を二人も失ってしまった……。それもある。だが、それより先に奴はこう考えるはずだ――もしかしたら、今の自分では実力不足なのではないか、とな。より入念に準備をして戦いに挑もうとする、すなわち戦争までの猶予期間が延びるというわけだ。人間側から攻めてきた限りはそうではないが、奴も十分引き伸ばしの策を計るだろう。これで君が人間側で【英雄】として立つまでの時間が稼げる、というわけだ。寿命を超えたシルフィアットならば時間の感覚も相応に長くなっている。十年二十年は準備に費やすことも躊躇しないさ。では、君の白の魔導剣士に魔導弓士で攻撃だ」

「そこまで臆病になりますかね? ……じゃあ兵士を敵陣超えで魔法使いに昇格します。駒を取り換えて、っと」

「なるさ。魔族というのは人間よりもよほど力への信仰が大きい。そこを勝ち取ってしまえばこちらのものだ。とはいえ元から強い余が勝ったところで、あの調子は変わらん。やはり虫けら以下くらいに見下されていた君ではないと、十分に心を圧し折れない。――と、そこだ。右辺の魔導軍将で君の王様に直接攻撃。試合終了、余の大勝利だ」


 目先の利益に囚われて自ら王への道を開けてしまったラスト側へ、容赦のないエス軍の魔法攻撃が飛来する。

 哀れにも手番が交代してしまった彼の王の駒は動くことが出来ず、エスの持った魔導軍将の駒でこつんと弾かれて倒れてしまうのであった。

 自分から負けに走ってしまったことに頭を抱えつつ、試合全体の反省点を考えるラストにエスは簡単に説明した。


「明らかな隙を見せて敵を誘い込み、逆に罠に嵌める。自分一人で戦うときには出来ていても、一軍の指揮になると途端に難しくなる。端から端まで目がいかなくなるからな。だが、【英雄】ならばこういった大軍の指揮を任せられることもある。もっと大局観を養っておくといい」

「……ひとまず、今日のところはここで止めておきます。反省が終わらないうちじゃ、これ以上やっても負けが嵩みそうなので」

「良いだろ。それじゃ、茶でも飲んで一休憩するか。余が淹れてくるから、君は気分転換にこれでも読んでいると良い」


 熱中しすぎるあまり痛くなった頭を休めようと深く背もたれに身体を預けたラストに、エスは虚空から取りだした一冊の本を差し出した。

 何かと思って表紙を見てみると、そこには血の滴ったような文字で【禁呪目録】と書かれている。


「禁呪……?」

「公然と使用することが憚られる、危険な魔法のことだ」


 見るからに不穏な雰囲気を漂わせる重厚な表装に彼が捲るのを躊躇していると、一瞬のうちに戻ってきたエスがその問いに答えた。

 鼻腔をくすぐる柔らかな花の香りが漂う琥珀色の液体を差し出しながら、彼女は禁呪についての説明を行う。


「下手を打てば一国を丸々亡ぼすどころか、百年は雑草すら生えない死の大地と化すものもある。もしくは生命の輝きを弄び汚すような、生き物に許された支配を越えたものもな。それらを総じて禁呪と呼ぶ。聞いたことはないか?」

「いえ。僕は初耳ですが……もしかしてシルフィアットが使ったという転生魔法だったり、エスさんの【真魂改竄クリフォテイア】だったりみたいな?」

「うむ。それらも禁呪の一つに数えてよかろう。あいつの魔法は他者の犠牲が前提のものだろうし、【真魂改竄クリフォテイア】だって余以外が使えば間違いなく悲惨な末路が約束される。間違っても世間に広めて良いものではない。……それにしても、君が聞いたことないのは意外だな。てっきりブレイブスにも一つや二つは伝わっていると思っていたが、まあいい。まずは試しに一つ、何処でも良いから開いてみろ」


 そう促されたラストが適当な頁をめくると、主題には早速【生魂奉呪サクリフィセ】という物々しい魔法の名称が記されていた。


「ほー、初っ端からそいつを引くとはな。中々に悪趣味だな君は」

「自分で選んだわけじゃないんですけど! というかどこを捲っても基本悪趣味ですよねこの本!?」

「はっはっは、冗談だとも。だが、ある意味では運がいい。それでは簡単にそいつについて説明しよう。それだけで十分、禁呪と呼ばれる類の魔法がどれだけ冒涜的なものか分かるだろうからな。【生魂奉呪サクリフィセ】とは魔力の代わりに生きた動物の命を対価に強大な力を引き出す魔法のことだ。ところでラスト君、魔力とはそもそもどういうものか覚えてるな?」

「この世界に存在する生命力のことです。魔法の分野に限定して言えば、生物の魂から自然と漏れ出る余剰の生命力です」

「そうだ。そこで古の魔法使いはこう考えた。魔力の根源である生命力そのものを使えば、通常の魔法と比べて莫大な威力の魔法をぶっ放せるのでは、とな。その発想が形を成したのがこれだ。本来なら何十年も魔力を垂れ流せる魂自体を炉にくべれば、そりゃあヤバい魔法が出来上がるとも。結果として、そいつを作った古代の魔法大国はその実験でまるっと滅びましたとさ」

「……それは、また凄いですね」


 自らの国でその威力を証明しただけで終わったのは僥倖ともいえる。

 そんな魔法が戦争で使われていれば、瞬く間に全世界が滅んでしまうことは想像に難くなかった。


「禁呪とはどれもそんなものさ。今余と君が戦っていた遊戯盤そのものを机ごと引っくり返してしまう、一度手を出せばもう元には戻れない常闇の魔道だ」

「なんでそんなものを僕に……」

「もちろん、君の役に立つからに決まってるだろ?」


 そういった魔法がたっぷりと記載された本を手渡されたことにラストは困惑する。

 こんな恐るべき魔法の数々を使えと言われているわけではないことは分かる。

 だが、これらの知識が何の役に立つのだろうか。しばし紅茶を口に含みながら考えを巡らせた彼はやがて一つの結論に思い至り、ガタンと勢いよく椅子から立ち上がった。


「まさか、彼女……シルフィアットがこんな魔法を使ってくると?」


 そのラストの非難めいた言葉を、エスは否定しなかった。


「魔王城に遺してきた資料は霊魂に関するものだけだ。他の禁呪については分からんが、まず間違いなく研究室にあった文献は全て読み込んだだろう。今君が見た【生魂奉呪サクリフィセ】もその内の一つに書かれていたものだ。それに加えて千年近くの時が経っているんだ、余の知らん禁呪も編み出している可能性がある。それでもそれについての知識を得ておけば、実際に使われた時に初見で驚くことはなくなる。実際に対応できるかはともかく、な」

「最後の一言については余計ですよ……」


 いくらラストが地道に勝利への道筋を立てても、それを丸ごと消し去ってしまうような魔法を相手が持っていると言われては少々落ち込むのも無理はなかった。

 ため息を吐きながら倒れ込むように再び椅子に腰かけた彼に、エスが余裕そうに笑いかける。


「まあ、初っ端から見下している相手に禁呪なんて使ってきやしないだろう。油断している間に勝負を決めてしまえば問題ないさ。……それにな」


 彼女は自分の分の紅茶を覗き込んで、小さく感嘆の息を漏らしながら呟く。


「もたらす結果はどうであれ、そこには時代の傑物たちの知識の粋が結集している。この幾人もの先人たちが改良を重ね続けてきた紅茶のようにな。禁呪と呼ばれる所以そのものは唾棄すべきとはいえ、そこに生かされた知恵だけはどれも尊重されてしかるべき代物だ。知っておけば、いずれラスト君が自分だけの魔法を編み出そうと思った時にも役に立つだろう。……ま、そこに至るまではまだまだ道は遠いがな。まずはこの小さな戦場で余にも一泡吹かせてみせるところからだ」


 そう言って、エスは自分の茶菓子をぱくりと頬張った。

 ラストの作り置きしていたクッキーに舌鼓を打ちつつ別の本を読み始めた彼女の傍で、ラストもまた戦々恐々としながらも、静かに禁呪の本を捲っていくのだった。

 ――なお、後に目録の中に記されていた蟲毒に類する禁呪の丁寧な図付きの説明を見た彼が、本日の夕食をろくに食べられなかったのは余談である。

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