第22話 骨格の知識


 明確な目標を見据えれば、更に訓練にも力が入る。

 いっそうやる気を込めて日々を過ごすラストが、やがて一日の鍛錬を終えてもなんとか耐えられるようになってきた頃。

 彼は夕食に出てきた皿の一つを見据えながら、硬直していた。

 いつもは空きっ腹に詰め込むようにナイフとフォークを動かす彼が不自然に動きを止めたことに、エスが片眉を上げた。


「……む? どうした、ラスト君」

「いえ、大したことじゃないです! いただきます!」


 見咎められて気まずそうになった彼は、構わず手を動かそうとする。

 しかし、その手はやはり一つの皿を前にして止まってしまう。

 不思議に思ったエスが彼の視線の先を見ると、そこには香ばしく焼けたパイ包みが置かれていた。僅かに破けた表皮の中からは、ふわふわと湯気を立てる魚が顔を覗かせている。


「なんだ、魚のパイ包みは嫌いだったか? 意外だな、なんでも美味しそうに食べる君に好き嫌いがあったなんて。これまでは一度もなかったのに」

「……嫌い、というわけではないんですが」


 どうにもラストの歯切れが悪い。

 その目はパイ生地というよりも、中から彼を死んだ目で見つめる魚に強く向けられている。


「なんだ、魚が苦手なのか? 確かにこんな森の中じゃ獣肉中心になるし、魚を出すのはこれが初めてだったから知らなかったな。でもな、好き嫌いはよくないぞー。なんでも美味しく食べなきゃな。食事を選り好みしていられない時だってあるんだぞ?」

「分かっています。分かってるんですが……どうにも魚は食べるのが難しいというか。骨が多いし、普通の肉と比べて手間がかかるというか、面倒というか……」


 明確に断言できるほど嫌いというわけではないのだが、ラストは魚が好きではなかった。

 食べるためには細かい骨をちまちまと取り除かなければならないからだ。それも切り身ならともかく、まる一本となれば慣れなければ大変だ。


「ブレイブス家じゃ魚料理はあまり出てこなかったのか?」

「たまに……でも、みんな好きそうじゃなくて。父も魚と聞いた時には機嫌が悪そうでした。切り身ならともかく、一匹まるまるとなると……。それになんだかくさいし、魚を食べるくらいなら肉の方が良いかなって」

「くさい? そんなの下処理が悪いだけじゃないのか? 特に川魚とかだと加熱でくさみも増すし、そんなんばっかり食ってたらなー。苦手になっても無理はない。でも、余の料理はそんな変な臭いはないはずだ」

「あ、本当だ……」


 ラストは皿に鼻を近づけてひくひくと動かす。

 香草のまぶされた爽やかな魚の匂いは、彼の食欲を減衰させるどころか大きく刺激する。

 それでも彼の手が中々魚に手を付けずに躊躇する様子を見かねて、エスが席を立った。


「じゃあ後は骨だけだな。ようし、ここはお姉さんが簡単な食べ方を教えてやろう」


 そういって彼女は皿と椅子を持ち、ずずいとラストの傍に移動してきた。


「さ、一緒にやってみよう。今回のはそう難しくはない、皮は捲ってあるし後は骨を外すだけだ。いいか、順に行くぞ。まずはここ、一番上のところだ」


 彼女はナイフとフォークを使って、器用に魚の背中側の肉を外し始めた。


「この真ん中のところに小骨が横にまっすぐ並んでいる。だからここを押さえて……そうそう。後は上を外していくんだ」


 エスの手つきをなぞって、ラストも自分でおそるおそる魚を切り分けていく。

 そんな彼の様子を応援しながら、エスは外れた部分を一口大に切り分けて、生地とソースと合わせてぱくりと頬張った。


「んー、うまい!」


 真横でそう言われれば、試さずにはいられないのが人情というもの。

 ラストもそれに合わせて、力加減に苦労しながら外した肉を一息に頬張った。


「っ! 美味しいです!」


 口の中に広がる、僅かな塩気とさらりとした旨味。

 これまでに食べた魚よりも断然腹にたまる、獣肉とはまた異なる美味にラストの舌が震えた。


「だろう? よし、そしたら背骨が見えたな。小骨ってのは背骨の太いやつと同じところにあるんだ。それをよく見ながら一つずつ抜いていけ。今日のは熱が入ってるから抜けやすいはずだ」


 ぴっ、ぴっ、とエスは迷いない手つきで魚の横っ腹にある小骨を抜いていく。

 ラストもフォークの先から伝わる出っ張った感覚を頼りに、手探りで彼女の二倍から三倍近くの時間をかけて抜いていく。


「抜けたな? それじゃ、次は胸元辺りにある肋骨とその下の内臓に注意しながら、上と同じように肉を食べていこう。とはいえ今日のは内臓は抜いてあるがな。肋骨も小骨と違って大きいから、間違って飲み込むことはないだろうし」


 彼が骨を抜ききったのを確認してから、エスは自分の分に手をつける。

 同時にぱくりと口の中に収めた二人が顔を合わせれば、同じ舌の上に広がるうまさに自然と綻んだ顔が互いの瞳に映る。


「ふふっ。最後は裏側だが、こいつを食べようとして引っくり返すのは素人だ。ソースが跳ねるし、手で触れば匂いがつく。だから、首のところの背骨を折って……うん。狙うのは関節部だ。普通のところは固いし折れない。出来たら、尾びれ側も折ってフォークに引っ掛けてべりべりべりーっ、てな感じでめくるんだ。後は上と下のひれを取って、小骨と肋骨を抜いて終わりだ。簡単だろ?」


 そう言ってひょいぱくっ、ひょいぱくっと食べていくエスの横で、ラストはなんとか彼女に追いつこうと四苦八苦しながら食べ進める。

 やがて食べ終わった皿を見比べてみると、まるで骨格標本の見本のようになっているエスとは裏腹にラストの皿はなんだか見苦しい。

 骨の所々に肉片が引っ付いたままになっており、最後の方で取り損ねた小骨を紙に吐き出している。

 それでも、彼は達成感と共に満足げな表情を浮かべていた。


「ふう……」

「よくやったな。頑張ったぞ、ラスト君」

「僕、魚がこんなに美味しいなんて知らなかったです……」

「そう言ってくれると余も嬉しいぞ。手をかけた甲斐があったってもんだ。……ま、こういうのは骨を外していく過程も楽しめばいいんだよ。どんな魚だって骨格は基本的に同じなんだ、川魚が出来れば海のだろうと魔族界のだろうとなんでも食えるようになる。それに骨格に詳しくなっておけば、戦闘にも役立つぞ?」

「そうなんですか!?」


 食いつきの良いラストに苦笑しながら、エスはこくりと頷いた。


「ああ。こないだ【五頭獄犬クイントロス】を狩った時のことを覚えているだろ? あの時、余は剣を入れる時に犬の首の骨の隙間を狙ったんだ」

「……あっ。だからあんな綺麗に斬れたんですね!」


 ラストは、切り落とされた首の断面がまっ平らだったことを思い出す。

 骨に引っ掛かったりしなかったから、無駄に力を入れることなく切り落とせたのだと彼は理解した。


「犬の首骨ってのは人間と一緒で七個だからな。体格からその隙間を予想して、剣を滑り込ませたんだ。骨ってのは生き物の身体で一番固い所だから、それを把握しておけば戦いでも弱点の知識が一つ増えるんだよ」

「なるほど……」

「そう言った点では、肉屋や魚屋みたいな解体に手馴れている人間ってのは動物の弱点もまた知ってるってことになるな。気になるなら後で骨格標本の記録を貸し出してやるから、風呂上がりにでも読むと良い。――と、授業はここまでだ。せっかくの食事が冷めてしまうからな、まずはこっちを食べてしまわないとな」


 エスは元の場所に戻って食事を再開した。

 ラストは自身の手がけた骨付きステーキを頬張っては頬を緩ませる彼女を見つめ、自分の分の肉を見る。保存されていた熊の肉を、エスの指示を受けながら苦労して捌いたものだ。

 ――これを解体した時の経験もまた、同じような魔獣を相手どるのに役に立つのだろうか。

 そんなことを考え、ラストは調理時の光景を頭の中で復習しながら刻一刻と冷めて固くなっていく残りの皿に急いで手を伸ばした。

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