閑話 近魂受胎の欠陥


 余計な実験道具や標本などの一切を排し、過剰などに清潔な雰囲気で満たされた実験室。

 その中央に置かれたベッドの上で、ラストはすやすやと寝息を立てていた。

 胸元から下に薄い白布一枚のみを掛けられ、彼の身体はまるで死体のように寝かされている。

 そんな彼を、実験用の黒いローブを羽織ったエスが無機質な瞳で見下ろしていた。

 そこには普段のおちゃらけた様子はなく、ただ目の前の現象を理性的に観察する研究者のそれだった。


「――【真魂改竄クリフォテイア】、起動」


 その一言と共に、ラストを中心として膨大な魔法陣が幾重にも展開されていく。

 空間魔法が施されて何倍にも拡張された部屋の彼方までを埋め尽くす、極大魔法陣。

 少しして、その中央に安置された彼の身体から一つの二重螺旋が抜き取られる。

 蜘蛛の糸よりも細いそれは、ラストの肉体を構成する遺伝情報だ。

 それがほどけ、二股に分かれ、増殖を繰り返し――やがて、彼の身体のわずかばかり上の辺りに魔力の光で構成されたもう一つの彼の身体を編み出した。

 それこそがラストの生霊とも呼べるもの。

 エスが魔法によって可視化した彼の魂、その複写体だ。

 直接本物の魂を弄ることは、失敗したときのことを考えればいかに【魔王】たるエスとて憚られる。まずは複写された魂の数値を改竄し、そこに異常が見られないことを確認してから改めて本体に転写するのが彼女がこの魔法を行使する際の通例だった。


「これは……ふむ、なるほど……」


 改竄前の自然の数値を記録するべく、彼女はラストの魂魄体に目を走らせる。

 一見は魔力で出来たラストそのものに見えても、その奥には様々な数列が情報として緻密に詰めこまれている。それらを読み解き、エスは手元に書き留めていく。


「さすがは【英雄】の子孫なだけはある、良い数値だ。体格、知力、幸運率……どれをとっても一級品だな。ただ、女運が悪い……は? 余に喧嘩でも売って……こほんこほん」


 僅かに気に入らないところがあったのか、エスは思わずばきりと手元の羽ペンを圧し折ってしまう。

 だが、今の彼女は感情という非科学的なものを取り除いた研究者としての自覚がある。

 彼女は一つ深呼吸してから新たなペンを取り出し、要改善との注意書きを書き込んで次に進んでいく。そこの文字だけはなぜか、妙に太くなっていた。

 そうして一通り見終えた後、彼女は改めて手元の記録をざっと流し見する。


「ま、総じて優秀だな。普通に市井で暮らす分には十分だが、この子が望むのは【英雄】だからな。それにはどうしても、魔力関連項目の改善は避けられん。さて、何処を削っていこうか?」


 新たに取り出した赤いインクにペン先を浸し、不要な項目について上から書き加えていく。


「まずは髭やうぶ毛の成長値だな。不潔の原因は極力排除して、次に体の比率を左右で合わせてっと。それで黄金比になるように調整して、後は……魅了の魔眼の開眼率ぅ? 余計な諍いを招くだけだろこんなの。ラスト君にはいらんわ、ったく……」


 ところどころエスが気に入らないものを消しているだけにも見えるが、それらは全て確かな計算に裏打ちされている。

 もしこの場で彼女に真意を問う者がいれば、彼女は相手の脳が処理しきれなくなるほどの正論をたっぷりと叩きつけて相手に無理やり頷かせていたに違いない。

 そうして何度も数値を眺めては調整してを繰り返していると、彼女ははたと一つの事実に気づいた。


「……しかし、なんか見覚えがある気がするな」


 手元の記録を見返している内に、エスの脳裏になにか引っ掛かるものがあった。

 今眺めているラストの魂の数値と似たものに彼女の直感が見覚えがあると叫んでいた。

 記憶の糸を手繰り寄せ、彼女は亜空間内に放置していた古い資料を漁り出していく。


「これでもない、あれでもない……あ、なんでこんなところに竜王の逆鱗が? そういや喧嘩したときにこっそり盗っといたんだっけ。懐かしいな……。って、そうじゃなくて」


 ぽいっと貴重なものを適当な方向へ放り投げ、彼女は数百年の引きこもり生活で蓄積した資料を散らばらせながら、かつての魂魄魔法の実験資料を流れるように閲覧していく。


「あ、あった! こいつだ!」


 そうして彼女がこれだと手にしたのは、本当に資料の山の底の底にあった紙束だった。

 時期的には、彼女が屋敷に篭った最初期のものだ。

 軽く表紙を捲ってみると、そこには確かにラストのものと類似した数値の列がずらりと並んでいた。

 その表紙に書かれていた、数値の主の名は――。


「【英雄】エクス・ブレイブス。ラスト君の祖先にして、余と戦った最初の【英雄】。断片的だが、こいつの魂魄情報と彼のはかなり似通ってるな。えーと、およそ八割弱っていったところか……嘘だろ?」


 それは、彼女が魔王城で行われた【英雄】たちとの決戦の際に回収した【英雄】エクス・ブレイブスの魂魄情報だった。

 人々の希望を背負った彼は、彼女が逃亡を画策しているとも知らず、七日七晩に及ぶ戦いの果てに相打ちに近い形でその魂ごと・・・・・散っていった。

 その際に回収した魂の欠片を、この屋敷に来た当時の彼女は興味本位で解析していた。

 とは言え得られた情報はなにかに使うこともなく放置していたのだが。

 今更ながら思い出したその数値をよく見比べてみると、ラストのものと非常に近似していた。


「いくら先祖とはいえ、何世代も経てば血も薄れて当然のはずだが……いや。近しい魂を持つ人間同士で交わればその限りじゃない。近親相姦ってのは、偉い奴らの専売特許だったな」


 自分の身体に流れる血を、平民とは違う高貴なる青き血と称する王侯貴族の間には親類同士で交わってより濃い血を残そうとする習慣がある。

 それが子どもを切り捨ててまで【英雄】の力を重視するブレイブス家で行われていても、さほど不思議ではないと彼女は推測した。


「けっ、馬鹿馬鹿しい」


 しかし、近親婚は重大な欠点を内包している。

 血統を重視する風潮に一見合致しているように見えて、その実、血族を内側から崩壊させる埋伏の毒なのだ。

 血縁の近しい者同士に生まれる子どもは、遺伝的に何らかの欠陥を抱えていることが多い。


「魔族では止めさせたが、人間の間じゃ今でもまだ続いててもおかしくないしな。もしかしたら、ラスト君の場合はそいつが魔力の不足だったのかもしれないな……」


 魔力以外は元祖の【英雄】に近いものの、そこだけが隔絶して悪化している。

 それは非常に運が悪いように見えて、実は運が良かったのかもしれないとエスは考えた。

 近親婚の欠陥は肉体的な変化に留まらず、精神面の異常にも見られる。そういった問題を抱えていたとしたならば、それは彼にとって魔力不足よりも深刻な問題として立ち塞がっていたことだろう。


「【剣聖】の戦争を求める行動原理も、もしかすればこういった理由に帰属するのかも――なんてな。しかし、この様子だと他のエクス・ブレイブスの子孫にも何かしらの兆候は出ているはず。精神的、肉体的な異常がなかったか、いつか聞いてみるとしよう。……それはともかく、今は彼のことだ」


 彼女はラストの魂魄情報を育成計画書の間に挟み込み、亜空間の倉庫に片づける。


「こいつを踏まえて計画を修正しないとな。なにせ一年後には、大いなる試練が待っている。その時までに、【英雄】としての彼にはある程度の形になっていてもらわなきゃ困るからな」


 未だラストには話していない一つの目標を見据えながら、彼女は魔力を纏わせた指先を慎重にラストの魂魄複写体に差し込んだ。

 触れただけで割れてしまう薄氷の上を渡り歩くように、彼女は中に刻まれた数字を一桁ずつ書き換えていく。

 その一つ一つの変化では、大した進歩は見られない。

 だが着実に、ラストの身体はこの世では決して有り得ないはずの進化を遂げていくのだった。

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