第20話 真魂改竄


「……はぁ。本っ当に、疲れたなぁ……」


 思い返すのはたった一日。されどこれまでに過ごしてきたどの時間よりも濃密だった今日の鍛錬に、ラストの頭は休息を求めて悲鳴を上げていた。

 ようやく始められた剣の鍛錬は正しい剣の型が身に染みつくまで何度も剣を振り、エスに指摘された身体の細かい部分の間違いを地道に一つずつ修正していくというものだった。

 肉体的な苦痛は龍脈の魔力で回復するとはいえ、積み重なった精神の疲労までは拭えない。

 それを流して翌日に備えるべく、彼は口元までお湯に浸かってゆったりと休息を取っていた。

 見上げれば、開けた夜空に浮かんだ満月が静かに彼のことを見下ろしている。

 もの言わず朧げに世界を照らすその姿を見ていれば、自然と昂っていた自分の心も凪いでいくようで――。


「やあラスト君! 待たせたな!」

「待ってないです」


 いつものようにすっぽんぽんで現れたエスに、その清純な雰囲気は完膚なきまでに破壊された。

 ラストは慣れたように目を閉じてため息を吐いた。

 ざっぽーんっ、と勢いよく湯の中に身を投じた彼女がすいすいと泳いで彼の下へ近づいてくる。

 僅かに濁った水面の向こう側には、彼女の恵まれた肢体がうっすらと浮かんでいる。

 だが、彼の視覚は既にその点に関する情報を完全に遮断していた。

 これが半年の間に否応なしに身に付けることになった彼なりの自己防衛だった。


「あーあ、ついになんにも反応してくれなくなっちゃって。寂しいなー?」

「誰のせいだと思います?」

「んー。余が悪いわけはないし、ここはあえて君が悪いってことで良いんじゃないかなっ」

「十割お姉さんが悪いって自覚ありますよね」

「ふははっ、なんのことだか分かんないナー」


 慣れ親しんだやり取りを交わしつつ、エスは浴槽の縁に背を預けてラストと同じように天を見上げた。


「綺麗な星空だなぁ。たまには天井を開けて、こうして夜風を楽しむのもまた乙なものだ。仕掛けを作った昔の余によくやったと褒めてやりたい」

「そうですね。ゆだった頭が少しすっきりして、気持ちいいです。今日は特に月も綺麗ですしね」

「ん? ……ああ、月のことか。そうだな、綺麗なもんだ」

「どうかしましたか?」

「いやなんでも。……と、そうだ。そのままゆっくりと休みながらで良いから、聞いておいてくれ。君の育成計画についてだ――ああ、なにも書き取ったりする必要はない。これはただの事前確認に過ぎんからな」


 風情を楽しむのびのびとした声から多少真面目な声色に戻って、エスは目を閉じたままのラストへと語り掛けた。


「本来ならこの後は自由時間だが、今日の君は慣れない体験で疲弊しているはずだ。本当は今すぐにでも上がってベッドにもぐりこみたい気分だろう? だが、その前にこれだけは頭に入れておいてくれ。一日の最後、君が寝ている間に行う魔力容量拡張の儀式……魂の再編集についてだ」


 彼女の声を瞼の裏で纏めながら、ラストはじっと聞き入る。

 魂というものは普通に過ごしていれば目で見ることが出来ない。

 本当にあるのかどうかも定かではない代物について、彼は何も知らない。

 己の無知を少しでも埋めるべく、エスの言葉を一言一句聞き流すことのないように彼は耳を傾けた。


「午前中にも述べたが、君の魔力不足は【英雄】を名乗るにはあまりにも深刻だ。それを解消するためには普遍的な魔力容量の拡張もあるが、こいつはどちらかと言えば本来は最初から解放されていない分を使えるようにするためのものだ。君の場合はそれに加えてもう一つ、裏技を使う。君の最大魔力容量を決定づけている魂の情報を操作し、より多くの魔力を体に宿せるように調整する」


 そこでエスはふぅと一息ついて、僅かに顔を顰めた。


「これから話すことは君も分からないことが多いと思うが、ざっくりと要所だけ頭の隅に留め置けばいい。――魂には、君という存在そのものの設計図が記されている。その魂に記された霊的な情報に基づいて遺伝子という現実の肉体設計が構築され、それを元にようやく肉体が完成する。今夜、君はその過程を逆に辿っていくのさ。生命が成り立つ理を下から上へ遡る……君の肉体の設計図である遺伝子の解析から、いくつかの魔法儀式を経て君の魂魄そのものを解析し、改変する。それが余固有の魔の秘奥――【真魂改竄クリフォテイア】だ」

「【真魂改竄クリフォテイア】……」


 彼女の口にした魔法を、ラストはゆっくりと噛み砕くように復唱する。

 それだけではただの言葉の羅列に過ぎないはずなのに、なぜか彼にはその響きが嫌に冒涜的なものに聞こえてならなかった。すんなりと聞き取ることは出来ても、何故か理解することを拒むような感覚が全身を駆け巡る。

 彼がその言葉の重みを飲み込むまで待ってから、彼女は再び説明を始めた。


「だが、こいつにはいくつかの問題があってだな」

「問題ですか?」

「ああ。とはいえ、一つ目の方はうまく扱えば逆に利益にもなる。魂を弄るには限界ってのがあってだな、魔力の数値を増やすなら増やした分だけ、なにかを削らなくちゃならなくなる。本来なら越えるべきでないものを越えたら、その分の代償を君は支払わなきゃならない」

「……寿命とか、ですか?」

「まあ、そういうのもある。でも、それでせっかく目標を達成したとしても残りの余生を楽しめないなんてもったいないだろ? もっと削れるもんが他にあるのさ。生きている間に使わない余分なものが実は色々とあってだな、そこに魔力の容量を上書きする。大した問題じゃないんだが、一応教えておこうと思ってな。もっと重要なのは、そう……もう一つの方だ」


 目を瞑ったラストの真っ暗な視界に直接刻み込むように、エスは自身の魔法の欠点について重苦しい声で話し出す。


「この【真魂改竄クリフォテイア】だが、実のところ使用例はたった一つだ。前例がほとんどあってないようなもんだから、失敗する可能性もあるってことを伝えておきたくてな」

「なるほど……失敗するとどうなるんですか?」


 率直な質問にエスは隠すことなく己の知識を答えた。

 ――その眼は遠く、空に浮かぶ月を見つめている。


「普通は死ぬ。魂が形を保てなくなって、パーンと弾けてなくなるだろう。もし生き残ったとしても、目に見えて現れる影響はそうさな。輪郭の崩壊だ。今の身体が崩れて、この世のものとは思えない化け物……醜悪な、ただ生きているだけの肉の固まりになる。例えるなら、辺境の神話に語られる旧き神々のようなもんだ。興味があるなら後で貸してやる、魔族語だがな。……他にはそうだな、疑似的な不死の獲得と永劫に続く激痛の組み合わせ、なんてのが発症することも可能性としてはあり得る。故に余は、たった一人を除いてこの魔法を施したことはない」


 そんな彼女の物言いから、ラストはうっすらとその一人の正体について予想がついた。

 正確には、心優しい彼女がその一人以外に不完全な魔法を施すわけがないという願望に近しいものだが。


「……もしかして、その実験体って」

「余だ」

「やっぱり……」

「こんな魔法、他の誰かで試せるわけがないだろう? 今の余の力はこの魔法の実験の副産物と言っても良い。本来ならば変えられないはずの魂そのものの容量すら、幾度となく拡張を繰り返した。今こうして人の形を保てているのは奇跡的なことでな。そうじゃない昔の、【魔王】となろうと思うより前の余は本当に弱かったよ。都市を一つ引っくり返す分の魔法を打つだけで精いっぱいだった」

「いや、それだけでも今の僕よりも大分すごいんですが?」

「嫌味を言おうとしたつもりはないんだ。ただ、それでもまだ足りなかった。……あの時代において平和を掴もうと思った余にはな。そこまで狂気的な魔の道に染まらずとも、もっと他に方法があったのでは――そんな余裕が持てたのは、皮肉にも力で頂点に立った後だった」


 後悔を込めて、エスは独白する。


「それで、だ。余自身の実験情報は十分にあるが、なにしろ他人に試したことはない。君にも万が一、億が一にも副作用が発生する可能性があるということを承知しておいてほしい」


 そんな彼女の言葉に、ラストはすぐさま答えを返した。


「分かりました」

「……本当に分かっているのか? 即答して良い話じゃないんだぞ。今ならまだ引き返せる、他に君が【英雄】になるだけの方法は――」

「でも、それが一番の最善なんでしょう。元より完全に安全な橋を渡れるとは思っていません。それに、信頼していますから」


 彼は目を閉じたまま、エスの方へと向き合う。

 心の視線をちゃんと彼女へと向けて、彼は偽りのない想いをそのまま吐露した。


「お姉さんには大抵のことはなんだって出来る――でしょう? これまで僕は、その言葉を裏付けるような信じられないようなものをいくつも目にしてきました。それだけじゃない。お姉さんは誰かを犠牲にするようなやり方を絶対に許さない。そんな人の勧めてくれたことだから、僕は安心してこの魂を預けられるんです。だから、どうかよろしくお願いします。僕が、あなたと一緒に夢を叶えるために」

「――うむ、任せておけ! 余の辞書に不可能という文字はない! 君の魂の改変、必ず成功させてみせるとも!」


 どん、と元の明るさを取り戻したにエスが自信満々に胸を叩く。

 そのはずみでお湯が弾け、運悪く近くにいたラストにもかかってしまう。

 前髪が張りつくように垂れてしまい、鬱陶しくなったそれを拭って思わず目を開ければ――そこには露わになったエスの上半身があって。

 見えなくすることで平静を保っていたラストは当然その光景に耐え切れず、結局瞬く間にのぼせてしまうのだった。

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