第12話 エスの正体
いつまでも屋敷の前で立ち話をするわけにもいかず、エスはひとまずシルフィアットを屋敷の中へ招き入れた。
転移魔法陣をいくつか跨いで、彼女は応接室へと案内された。半年の間に屋敷構造の理解をある程度終えていたラストも、エスに抱っこされることもなく自分の足で彼女らに着いていく。
部屋に到着したエスは当然のように上座へ向かい、シルフィアットはその正面の下座に座った。
他人から見ても明らかなほど、二人の間には明確に上下関係が出来上がっていた。
「……それで、シルフィアットよ」
「んもう、主様ったら。
「シルフィアット。どんな了見で余の下を訪れたんだ。いや、その前に一つ聞かなきゃならん。そもそもお前、何故生きている?」
剣呑な声で問いかけたエスの真意をラストはすぐには理解できなかった。
大怪我のことならば、彼女は龍脈の効果で自然治癒すると知っている。彼の見立てでは欠けた部位の再生にまでは残念ながら至っていないようだが、シルフィアットの身体は既に大まかな止血を終えている。
悩まし気に顎に手を当てたラストにも分かるように、エスは言葉を続けた。
「魔族とひとくくりに言っても、その内には様々な種族が混在している。故に魔族の寿命は一定ではない。吸血鬼のように永遠の命を持つ者もいるが、ハルピュイアが含まれる獣人族の平均寿命はおよそ五十年。人間とほとんど等しく、魔族の中では短命な方だ」
ラストの記憶によれば【
それだけ前に勇名を馳せたハルピュイアが、今こうして彼らの目の前に立っている。
それがどれだけ異常なことなのか、彼はようやく気が付いた。
見たところ、シルフィアットの顔には皺の一つもない。老けた様子など一つも見て取れず、人間基準で言えばニ十歳前後ぐらいが妥当に見える。
「多少の誤魔化しではきかん。となれば、外法に手を染めたな。――堕ちたものだ」
「うふふ、そうおっしゃらないでくださいまし。確かに私は世間にはとても口外できない魔の理を用いてここまで生き永らえてきました。ですがその大本は主様なのですよ?」
エスの責めるような口調にも、シルフィアットは余裕のある態度を崩さなかった。
それどころか自分が今生きていることにはエスのなにかが大きく関わっているという。
「なにっ……まさか!? 魔王城に残してきた余の研究室か!」
「ええ。主様は自身の研究室に誰も立ち入ることの出来ぬよう封印を施しておられました。しかしあの【英雄】らとの戦いの時、実はきやつらの一撃の余波が部屋の結界を打ち砕いていたのです。そこから少しばかり、資料を拝借させていただきました」
「くっ……まさかそのようなことになっていたとは。何故処分しておかなかった、当時の余よ……」
悔しそうに顔に手を当てて、天井を見上げるエス。
しかし、そんな彼女の顔をシルフィアットは不思議そうに見上げた。
「何故嘆かれるのですか? そのおかげで、こうして私たちは再び巡り合えたのですのに」
「たわけ。余の研究を使ったというなら、今お前がここに存在出来ている理由も見当がつく。よく見れば、お前の羽根の色は元は銀色だったな。それ以外にも、余の知るシルフィアットとは細部が異なる。となれば魂魄転写魔法か転生魔法のいずれかだ。容易く朽ちる肉体を次々と使い捨てにし、精神のみで時の流れを越えてきたか。――そのために犠牲となった命、百や二百は下らんだろう」
「ええ、ええ。流石は主様。ご明察ですわ。ですがその程度は些細なこと。結果として私たちはこうして巡り合えたのですから、命を捧げた者たちも冥府で歓喜に打ち震えていることでしょう」
自身の知る頃から衰えることのないエスの明晰さに、シルフィアットはそれでこそ自分が仕えるに値する主だと恍惚にぱぁっと頬を朱く染めた。
そんな彼女の言葉を傍で聞いているままではいられず、思わずラストが心中を吐露した。
「……イカれてる。自分のために誰かを犠牲にして、そんな顔が出来るなんて」
「は? なんですか、急に口を挟んで。私と主様の会話を邪魔するなど、万死に値しますよ?」
表情を一転させ、彼女はぞっとするような凍てつく視線でラストを射抜いた。
一言でもこれ以上喋れば首を落とされる、そんな予感が彼を襲う。
「止めろ」
しかし、その光景の実現は他ならぬエスによって止められた。
いつの間にか、シルフィアットの首元にはエスの剣が添えられていた。
ラストに対して使用していた木剣ではなく、正真正銘本物の刃だ。刀身が透き通った氷のような金属で出来ており、その冷気を受けて屋敷の窓に小さな霜が張りついた。
「もとよりここにいたのは余とラストだ。そこに邪魔しに来たのはお前だということを忘れるな」
「……申し訳ありません、まさか主様が大事になされている飼い犬だとは露知らず」
飼い犬、そう言われたラストだがこれ以上口を挟むことはなかった。
シルフィアットはエスと違って大きく人間を毛嫌いしているようで、彼が何を言ったところで印象が悪くなるだけだと考えたからだ。
こうなれば邪魔をするよりもさっさと用事を済ませて帰ってもらうのが一番だと、彼とエスの心は一致した。
「謝罪する暇があるならさっさと本題を話せ。外法についてはもとより研究を放置していた余の不始末だ、不問に付す。それで、こんな世捨て人の下へ今更なにをしに来た。まさかただ顔を合わせるためだけに【
「はっ。それでは不肖シルフィアット、お願いを申し上げさせていただきます。――主様、どうか我らが魔王軍へお戻りくださいませ」
そんなシルフィアットの言葉に、エスは苦々し気に首を振った。
「……今更余が戻る必要などあるまい。聞けば人と魔族は互いの領域を無理に干渉しあわず、争わずに暮らしているのであろう? それで良いではないか」
だが、そんな主の主張を彼女は良しとしなかった。
シルフィアットは笑いながら持論を述べた。
「いいえ、それは違います。この世界は全て弱肉強食、強い者が世界を統べるべきなのです。かつての【英雄】たちが消えた今、【魔王】がこの世を支配する時が来たのです!」
「愚か者が! 魔王軍はそのような暗黒の時代を作るためにあるのではない。魔王軍の創設の理念は、相容れず争いあっていた魔族たちを統合し魔族の発展を願うものだった。だというのに貴様らはいつの間にか人間界への侵攻なぞ声高に叫んで……そんなものは余らの目指したものとは真逆だと、何度も言ったはずだ!」
エスが握りしめた拳を強く机に叩きつけた。
ラストの前で普段見せている年上の優しいお姉さんの顔は、既にどこかへ消え失せていた。
ゆらゆらと彼女の怒りに呼応して、沸き上がる魔力がこの場をぎしぎしと軋ませる。
ラストが息苦しそうにする中、それでもシルフィアットは平然と自分の主張を逆に叩きつけ返した。
「いいえ、いいえ、いいえ。これが主様の目指す道なのですわ。強者も弱者もすべからく、万人を恐怖にて弄ぶ。大地を血の海で赤く染め上げ、積み上がった屍の玉座にて君臨する。それこそが主様に相応しき在り方、それこそが魔族の頂点に立つ王の姿――」
内から出づる興奮をそのまま声に乗せ、シルフィアットがばっと腰を上げる。
「――私たちが憧れ付き従った、【魔王】エスメラルダ・ルシファリアなのですわ!」
正面に座るエスへ――エスメラルダへ向けて、彼女は有無を言わさぬ口調で啖呵を切った。
その言葉は自然とラストの耳にも入ることになる。
【魔王】。人類の宿敵にして、魔を統べる王。
それこそが彼と共に暮らしてきた謎多くも優しい女性の正体なのだと、彼は思いもよらない形で知ることになるのだった。
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