第13話 過去の因縁


 振り返れば、ラストには既にいくつもの手がかりが与えられていた。

 ――人類最高峰の【英雄】率いるパーティーを出し抜いて死亡を装ってみせる技量。

 ――余、という王侯貴族の間でしか使われない気位の高い一人称。

 なにより魔王軍幹部のシルフィアットが直に主として仰ぐような人物など、【魔王】を置いて他にはないのだから。

 彼が辿り着こうと思えば、いつでもその答えに辿り着けていたのかもしれない。

 それでも、そのような遥か昔の存在がまさか生き残っているなんてあり得ないとの先入観から、彼は無意識の内に深く考えることに蓋をしていた。

 彼女はちょっと変わっているだけの魔族のお姉さんなのだと自分に言い聞かせながら、ラストはエスの正体に踏み入ることを躊躇していた。

 だからこそ、彼はエスが【魔王】なのだと聞いたところで大して驚きはしなかった。

 だが、不意打ち気味に知ってしまったことについて彼女にどのような声をかければ良いのか分からず、彼は様々な思惑の入り混じった百面相を浮かべていた。

 そんなラストを申し訳なさそうな顔で一瞥したエスだが、彼にあれこれ言うより先に元凶であるシルフィエットへと断言することを選んだ。


「……何度でも言ってやる。今の世の中に【魔王】の肩書はいらん。お前がなんと言おうとも、余は弱者の蹂躙に力を貸すつもりはない。これ以上その下らん能書きを垂れ流すというのなら、こっちにも考えがある」


 エスメラルダは怒りに揺らめかせていた己の魔力を右手に集め始めた。

 空間を歪めるほどの魔力が一点に集約され、攻撃性を帯びてシルフィアットへと向けられる。

 その矛先を向けられてなお、彼女は余裕ぶった表情を崩さない。


「申し訳ありません。機嫌を損ねるつもりはありませんでしたが、何かが主様の逆鱗に触れてしまわれたようですわね。元より今日はほんのご挨拶程度のつもりでしたから、これで失礼いたします。こんな身体では主様をお迎えするのに相応しくありませんし、また後日改めてお伺いいたしますわ」

「二度と来んな」

「あはっ、つれないですこと。ですが、そんな所もまたお慕い申し上げていますわ……」


 席を立ったシルフィエットが、思い出したようにふと呟く。


「私達が仕掛けずとも、いずれ第二の【人魔大戦デストラクト】は起きますわ」

「なんだと?」

「ここ数年、魔族の辺境に人間の姿が散見されています。単なる旅行気分なら放っておきましたが、奴らの行動先を分析したところ、どうやら一部が穀物地帯や鉱山地帯へと足しげく通っているようです。ひっとらえて吐かせれば、すぐにあれらは間諜の類だと判明いたしました。どうやらこちらの資源がお目当てのようですわ。このまま指を咥えて見ていては、先に傷つくのは主様が守ろうとしたか弱き魔族ですのよ? そこのところをお忘れなきように」

「それは……っ」


 頑なに帰還を拒否していたエスの表情が、ぎしりと歪んだ。

 その様子に満足げな顔を見せた後、シルフィアットは大げさに頭を下げた。


「新たな身体が形になるまでおよそ一年。その時にはどうか、再び我らの上へ舞い戻ってくださいますよう。……それと、そこの飼い犬ですが。お戯れはほどほどに、さっさと処分なさるのが吉かと。人間どもは卑怯にして姑息。今は可愛くとも、いつ主様の寝首をかかんと心の内で策を練っているやもしれませんよ」

「――っ、貴様はいつから余に命令できるほど偉くなった!」

「これは命令などではなく諫言にございます。主の過ちを正すのも配下の務め。では、次にお会いする時を心より楽しみにしております。ごきげんよう」

「ふん!」


 エスが溜め込んでいた魔力を感情のままにシルフィアットへと乱暴にかざす。

 次の瞬間、彼女の姿はこの場所から跡形もなく消え去っていた。

 殺したわけではなく、エスの魔力が衝突の寸前で転移術式を構築していたのをラストの眼は捉えていた。


「……まったく、外見は違えど中身はあの時のまま変わらないな」


 疲れたようにソファーに背中を預けたエスの下へ、ラストは慌てて駆け出した。


「あの、エスお姉さん。僕はお姉さんを殺そうだなんて、そんなつもりはこれっぽっちもありません!」

「分かってるさ。ラスト君はシルフのことなんて気にしないで、いつも通りでいてくれればいい。……ただ、少し一人にしてくれ」

「嫌です! そんな顔でどうするって言うんですか!」


 このままエスを一人にしておくわけにはいかない。

 ――彼女の心は今、辛い選択肢に揺れ動いている。放置しておけば、またこれまでの数百年のような孤独感に心を痛めてしまい、取り返しのつかないことにすらなりかねない。

 そんな漠然とした予感から、ラストは彼女の手を取ってしっかりと握った。

 その指は恐ろしいほどに冷たくなっていた。彼がベッドの中で感じたような温かさが、欠片ほども残っていない。

 なんとしてでも離すまいと指を絡めてまで強く繋がりを意識させる彼に、エスは儚げな笑顔で謝罪した。


「余が魔王だと黙っていて、悪かったな。誤魔化すつもりはなかったんだ。ただ、これを言うと君との距離が遠のいてしまうような気がして、言い出せなかった。魔王としての自分なんて、この生活には要らないと思っていた」

「そんなことはどうでも良いですから、今は僕のことよりもお姉さんの方が――」

「だが、こうしてかつての余を引っ張り出そうとする者が現れた。あれは余の不始末だから、余が自分で片を付けないとな。大昔に残してきた因縁に、今を生きる君が関わる必要はない」


 がたり、と彼女が席を立つ。


「悪いが、少し一人にしてくれ」


 そう言って、エスは足元に魔法陣を展開して一人でどこかに消えていった。

 残されたラストにはその行き先は分からない。

 もし彼に魔法を扱うことが出来たなら、彼女を追いかけて側に無理やり寄り添うことも出来たかもしれない。

 だが、【英雄】の力を引き継げなかった彼にはエスを追いかけることが出来ない。

 ただ悲痛な表情を浮かべる彼女を見送ることしかできない自分が、力のない自分が、ラストは悔しくて悔しくてたまらなかった。

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