第11話 半年後、新たな来客
――ラストが【
未だに生活の大部分がエスにおんぶにだっこなのは変わりないが、それでも彼はいくつかの家事を任されるようになっていた。特に料理の腕前はめきめきと上達し、今では食卓に並べられる皿の一つを任せられるほどには成長していた。
「今日の菓子はうまかったぞ! ほろほろと口の中でほどけるクッキーとは余も初めて口にしたが、中々に楽しませてもらった!」
「え、えーと! ……褒められてるってことだから、ありがとうございま、お゛ぅぇっ!」
照れたのも束の間。
ごきゅっ、と綺麗にみぞおちに入った木剣の一撃にラストが崩れ落ちる。
もちろんその痛みはすぐに治るのだが、いかんせん攻撃が入った感触はすぐには抜けない。鈍痛がじくじくとお腹の中にまだ残っているように感じられる。
ゆっくりと起き上がって彼が構えを取り直すと、エスが満足そうな顔で再度剣を振り上げた。
「あえて生地を混ぜ切らない状態で焼き上げるとは盲点だったなぁ! いったいどこからそんな情報を仕入れた?」
「使用に――知り合いの、料理人がっ! 言っていたの、を! 偶然っ……聞いて――しまったんです!」
「ふっ、本当に良い耳だな! 余の言葉も聞き取れて、ちゃんと会話を成立させている! その習得の早さは素晴らしいぞ!」
今の二人は単に剣を打ち合わせているだけではなく、会話を織り交ぜている。
それだけならば大したことではないのだが、今の言葉のやり取りは全て魔族の言語で行われている。ラストの言葉がたどたどしくなっているのは、そういう理由だった。
――エスが求めている会話を提供するには、ラストの知識はあまりに貧弱に過ぎた。
最近の人間世界の情報もすぐにネタが切れ、無難な日常会話を繰り返すばかりでは彼女も退屈だろう――そう思ったラストは、エスの蔵書にある知識を仕入れてみようと考えたのだった。
しかし、魔族の彼女が保有している本の内容は当然魔族語だ。彼が読み書きできるはずもなく、一から勉強しなければならない。
そこで四苦八苦していた彼を見かねたたエスが、こうして日常会話を魔族語で行うという荒っぽい方法を提案したのだった。
「ではここで一つ試験だ、余に続いて言ってみろ――おっとり夫がおっとうっかりお隣の囮に落とされた!」
「おっとり夫がおっとっと……? じゃなくて、うっかり隣の――痛っ!」
「ははっ、そこ隙ありだ!」
舌を噛んで一瞬動きの鈍くなったラストの後ろに回り込んだエスが、彼の膝を後ろから打った。
かくんとバランスを崩した彼はそのまま後ろへと倒れ込んでしまうのだった。
しくじった自分に呆れてラストが天を見上げてると、上からエスがしたり顔で見下ろした。
「ふっ、あまり言葉に気を取られていると今度はこっちが見えなくなっちゃうぞ。考えるな、反射で口を動かせるようになれ。言語習得にはそいつが一番だ」
「はいっ、それではもう一度――」
次は早口言葉だろうと言い切って見せる、そう張り切ったラストが立ち上がる。
「……いや、待て」
しかし、何故かエスは厳しい声でラストを制した。
彼女は彼の方から視線を逸らし、鷹のように鋭い目で敷地の入り口である門の方を睨みつけていた。
「余の人避け結界を乗り越えてきた者がいる」
「……誰か来たということですか!?」
「うむ。まさかこうして立て続けに来客がやってくるとはな。運が良いのか悪いのか……分からんな」
「でも、お話し相手が来たのなら良いことなのでは?」
「どうだろうな。ここの結界は精神に干渉する術式で組んでいる。生半可な実力では破れないはずだ。森の魔物を倒せるだけではない、魔法への造詣が深い者だろう。そんなのがただ迷い込むとは思えんな。いや、しかしこの気配は……どういうことだ?」
すたすたと門の方へ足を速めたエスの後ろをラストは慌てて追った。
黒い檻のような巨門の向こう側には、確かに人影が立っていた。
近づく度に、その姿が明らかになってくる。
「――うっ」
そこにいたのは、かつてのラストと同じく無惨な姿をした魔族の女性だった。
片目が潰れた挙句、右腕が引き千切られたように無くなっていた。ギリギリ形を保っている服の隙間からは、元は純白であったろう羽毛が彼女自身の血で真っ赤に染められているのが見て取れた。
ラストは彼女の姿を、実家の倉庫にあったかび臭い魔物図鑑で見たことがあった。
鳥と人間の女性が混ざったような姿の魔物――ハルピュイア。
彼女はエスの姿を見た途端、大きく目を潤ませた。
「おお、主様。まさか本当に生きておられたとは……。この
残っていた左の翼腕で門を握りしめ、その隙間から顔をぐいっと押し出してエスに近づこうとするハルピュイア。
恐らく、エスとは古くからの知り合いなのだろうとラストはあたりをつけた。険悪な様子も見せずに喜びを全身で表していることから、よほど親しかった仲に違いない。
きっとエスも嬉しくて仕方がないだろうと思い、ラストが彼女を顔を覗く。
――しかし、エスは彼の予想とは裏腹に複雑な顔を浮かべていた。
「あ、ああ……。久しぶりだな。だが、何故お前が今ここにいる? お前はとうに死んでいるはずだぞ――シルフィアット・リンドベルグ!」
その名を聞いて、ラストは驚きに目を見開いた。
シルフィアット・リンドベルグーーそれはかつて【
どうしてそんな大物が、死に瀕するほどの大怪我を負ってまでこんなところにやって来たのか――彼はその真意を推し量ろうと、彼女の一挙一動を観察する。
「うふっ、うふふふふっ。うふふふふふっ―ー! それはもちろん、私の穢れなき忠誠心によるものですわ。そんな他人行儀な呼び方ではなく、昔のようにシルフと呼んでくださいまし。ねぇ、我が愛しの主様?」
二人の驚愕と戸惑いの視線を受けながら、新たな来訪者は門の向こう側でうっとりと笑った。
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