第8話 気分転換


 魔法と剣術の合一による圧倒的な破壊力の招来。

 単なる力の暴威を越えた、洗練された術理の極致はラストに大いなる衝撃をもたらした。

 父ライズがかつて魔法の実践と言って小さな湖一つを干上がらせた時も、ラストは確かにその威力に驚かされた。

 しかしエスの見せつけた魔剣技からは、威力もさることながら同時に完成された理――ある種の芸術性、美しささえ感じられた。

 それが感受性の豊かな少年にぶつけられれば、その光景が彼の瞼の裏に延々と残響のように残り続けるのも無理はなかった。


「……おい、大丈夫かラスト君?」

「えっ、あっ、はいっ! 大丈夫ですエスお姉さん! ……あっ!」


 脳裏に映るエスの剣技に気を取られ、皮を剥いていた夕食用の芋が転げ落ちる。

 そのせいで、皮むきに使っていたナイフがぐさりとラストの指の半ばまで食い込んでしまった。

 刃を抜けばすぐに傷口が閉じたものの、エスには見逃せなかったようだ。


「おおっと、料理の最中に不注意なんていけないぞ。いくら怪我が治ると言ったって、毒でも入れば抜けるまで苦しみ続けることもあるんだからな――まったく。そんなになにに気を取られてるんだ、ン?」


 エスが顔を近づけて、ぐいっと彼の目を覗き込む。

 彼女の綺麗な顔が間近に迫る。

 それがなおさらラストに先ほどの光景を思い起こさせて、彼は恥ずかしくなって顔を背けた。エスの剣技に見惚れて、ずっと彼女の姿が目から離れない――そんな告白紛いのことが初心な少年には言えるはずもなく、彼は無言で真っ赤になった顔を背けた。


「もしや余の美貌に目を奪われていたのか? ならば仕方ない、この女神にも勝る肢体は青少年には刺激が強すぎたようだな! あーっはっはっは!」


 多少の勘違いが起きているようだが、あながち間違いでもなかった。


「そういうことなら仕方ない、荒療治が必要だ――」


 エスがぱちんと指を鳴らす。

 その瞬間、二人の前にあった食材の山が全て綺麗に皮を剥かれて一口サイズに切り刻まれてしまった。

 それらをひとまとめに鍋に放り込んで蓋をきっちり閉めた後、エスは膨大な火力でそれを煮込み始めた。

 あっという間に仕事が終わってしまった光景に、ラストは呆気に取られていた。


「どうやら今の君は仕事が身についていないようだ。そんな状態じゃなにをしたってうまくいくわけがない。そういうわけで、今の内にひとつ気分を一新しようじゃないか」

「気分転換ですか? いえ、僕は……はい。分かりました」


 自分が上の空だったことに異論はなく、ラストは申し訳なさそうな顔で頷いた。


「こんな時はそう、ひとっ風呂浴びるのが一番だな! さんざ汗もかいたことだし、体と心の疲れをあっついお湯でさっぱり洗い流そうか!」


 さっと彼の身体を肩に乗せ、エスはととんと足元を叩いて転移魔法陣をその場に展開した。



 ■■■



 ――そこに広がっていたのは、もうもうと白い湯気の立ち昇る大浴場だった。

 白い大理石が隙間なく敷かれた床に、黄金で縁取られた湖と見間違わんばかりに大きな浴槽。

 竜の顎を模した飾りからはドドド……と大量のお湯が流れ出ており、どれだけ使っても使い切れなさそうだ。


「ここが……浴場ですか?」

「うむ。ラスト君はこういったお湯に浸かる種類のは初めてか?」

「いえ、そういうわけではないのですが……」


 ブレイブス家の風呂は精々が一人がゆったりと横になれるくらいだが、それでも庶民に比べれば十分に贅沢なのだとラストは使用人たちから聞き及んでいた。

 故にこの優に五十人は同時に入っても問題のなさそうな大浴場に、彼はひたすら圧倒されていた。


「ここは基本源泉かけ流しでな。地中深くからくみ上げた温泉に一年中入ることが出来るんだ。とはいえ余も普段は研究室暮らしで浄化魔法に頼りっきりで、めったに使わんがな」

「ええっ、もったいない!」

「うむ。というのもだな、これだけのものを張り切って作ったまでは良かった。だが一人で入り続けていると、妙な虚しさが沸き上がってきてな……まあ、なんだ、うん。何事もほどほどが一番ということを思い知らされたよ。あの時の余はまだ若かったんだ。いや、そんな下らん昔話よりもさっさと入るぞ! 余はもう待ちきれん!」


 ラストがひとまずこれを着ておけと与えられていた簡素な服をくるりと引っぺがされ、一瞬のうちに彼はすっぽんぽんにされてしまった。


「ちょっ、エスさん!? 服くらい一人で脱げま――ぶほっ!?」


 抗議しようと彼女へ目を向けた瞬間、ラストは思わず噴き出した。

 というのもそこに立っていたエスが、いつの間にか同じく服を全て脱いでいたからだ。

 慌てて顔を背けるが、もう遅い。

 彼の脳にはさらけ出された妙齢の美女の全てが、隅の隅までしっかりと刻み込まれていた。


「なんだ少年、顔を反らして」

「なんだこうだもありません! なんでお姉さんまで服を脱いでるんですか!」

「なんでって、ここが風呂場だからだが?」

「その理屈はそうなんですけどっ! 僕は男の子で、お姉さんは女性なんですよっ!?」

「なに、子どもが細かいことを気にするな。役得だくらいに思っとけ。なんならじろじろ見ても構わんぞ、余は気にしないからな」

「僕が気にするんですぅ!」

「あははっ、そんなことを言うくらいならまずは自分のを隠したらどうだ。中々に可愛いもんだぞ、うん」


 エスの邪な視線を感じて、ラストは慌てて自分の一番恥ずかしい所が隠れていないことに気づく。

 どくどくと羞恥の血流が集まりつつある男性特有の部位。性を意識する今の時期の少年にとっては、

間違っても異性に見られたくない最も重要な弱点だ。

 それがポロリと露出している。

 慌ててに両手を当てて隠そうとするも、既に遅かった。


「み、み、見られ……」

「そう顔を赤くするな。そもそも屋敷に運び入れて血を拭った際に、君の裸はじっくりと堪能……ごほん。見させてもらったからな」

「あ、あ、あううっ……」


 内股になってもじもじとするラスト。

 確かに屋敷に来た際には裸だったため、それはなんらおかしなことではないのだが……。


「うわああああんっ!」


 だからといって納得できるわけもない。

 限界を超えて爆発した羞恥心に、彼は思いっきり泣き叫んだ。

 目指す先は湯船の中、そこにどっぷりと沈んでしまいたい。なんならそのまま溺れて気絶して、全てを忘れ去ってしまいたい。

 そんな滾る想いに駆けだそうとしたラストは、思わずつるりとした床に足を取られて転びかけてしまう。


「おっと、危ないぞ。お湯に入りたい気持ちはわかるが、浴槽に垢を持ち込むのはマナー違反だ。まずは先に身体を洗わないとな。さあ、お姉さんと楽しい楽しい洗いっこをしようじゃないか!」


 そんな彼の身体を頭を打つ前に持ち上げて、脇に抱えるようにしてエスはずんずんと洗い場へと歩いていく。

 遮る服が何もなく、密着する素肌と素肌。

 柔らかな玉のような肌が直に接触しただけでも十分刺激が強いというのに、それどころか彼の顔の横には母性の象徴と呼ぶべき麗しい果実がぷるんと二つも揺れている。

 それをぐいぐいと頬に押し付けられて、ラストはたまらず風呂に入る前からのぼせてしまいそうだった。

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