第7話 紫棘降雷
「よーし、それじゃあ次行ってみようか!」
「……はい。それじゃあさっきの続きを……け、けぷっ」
エスが運んできた水の量はラストの想定の二倍近くもあった。わずかな酸味と塩気がある奇妙な半透明の液体だったが、彼は時間をかけてきちんと全て飲み干した。
少しばかりの休憩を取って体の熱が落ち着いた彼は、再び素振りを行おうとしたところで待ったをかけられた。
「まあ待ちたまえ。そうずっと素振りばっかりなんてのもつまらないだろう? ここは余が先達として相手してやろう。さあ、存分に打ち込んでくると良い!」
エスがばさりとローブを脱いで、自信ありげに胸を叩く。
その下に纏っていた服は随分と薄手のもので、肌に張り付くような形状をしている。その特製ゆえか、彼女の体格がもろに浮き出ていた。整った顔立ちからラストが想像していたように、黄金比を映し出した肢体が滑らかな曲線美を描いている。
思わずそちらに意識を惹きつけられるも、彼はすぐにエスの左手に見覚えのある剣が握られていることにはっと気づいた。
サイズは異なれど、ラストと同じく
どうやらいつの間にか自分の分まで拵えていたようだ。
「いいんですか?」
「うむ。ここでは多少の瀕死も問題なく回復するし、力加減を間違えても死にはしないからな――全身を爆発四散でもさせない限りは。はっはっは」
肩を峰の部分でぽんぽんと叩きながらからからと笑うエス。
その言葉はどちらかと言えば彼女自身に向けているように聞こえた。
無論、これまでのやり取りからエスにはそういうだけの力があると承知しているラストだが――。
「分かりました! それでは行かせてもらいますッ!」
――なめられたままよりは、せめて一泡吹かせてやりたい。
そんな想いと共に一直線に駆けだしたラストが挨拶代わりの一撃を繰り出す。
エスの空っぽの胴に、大きく捻じった腰の戻る勢いが乗せられたラストの剣が横薙ぎに打ち込まれる。
「ほぅ、女性を相手にまるで遠慮がない。先ほどまでのお姉さん扱いが微塵も感じられなくて、余は悲しいよ。よよよ」
それをカンッ、と容易く打ち払ったエスが非難気に目元に涙を浮かべた。
もちろん、棒読みの嘘なきである。
「戦場に男女の区別なし、と聞かされていましたからッ!」
「よろしい。その心意気は間違いじゃない。女だからと油断して、毒針の一刺しであっけなく死んでいく。そんな馬鹿を余は昔の戦争で何人も見てきたもんだ。ほら、遠慮せずもっとどんどん打ち込んでこい」
ラストは魔力こそなかったとはいえ、それまでは正しく【英雄】を目指して文武に切磋琢磨してきた身だ――だからこそ、父ライズと母フィオナの落胆も激しかったのかもしれないが。
それはさておき、彼は一度防がれようが構うことなく続けて木剣を他の守りの薄そうなところへと叩き込んでいく。
胸部の隙間に覗く心臓、太腿の内側、首筋に側頭部。
実戦においてはどこも急所になり得る場所に、彼はひたすら剣を当てようとエスへ向けて前進していく。
「ふっ、勢いは良い。それによく勉強しているな。その年で人間の急所を色々と把握している――だが」
エスはあえて、ラストの狙った側頭部への軌道に木剣を挟まない。
それに一瞬躊躇したラストだが、彼女のことを信じてそのまま跳ねた上空から剣を振りかざして――ガキンッ!
「一つ教えてやろう。人間の急所がそっくりそのまま、魔族に通用するとは限らない」
ラストの剣とぶつかり合ったのは、エスの髪の隙間に覗く謎の黒い固まりだ。
黒曜石のような透き通った輝きを放っており、異様に固い。
鋼鉄を打った時のような痺れがラストの手に響く。
「角だ。これは昔くれてやったものの根本に過ぎんが、普通の頭蓋骨よりは強度があってな。余の二倍もあったミノタウロス族の族長との角迫り合いを制したこともあった。ほら、そうして呆ける暇はないぞ?」
茫然とそこを見つめるラストに、今度はエスが攻勢をかける。
手加減とばかりに片手で剣を振るう彼女だが、その剣先は自由自在に宙を切ってラストへと襲い掛かる。
「がっ!」
「油断は駄目だと教わったんだろう? ほらほら」
四方八方から飛んでくる剣閃に、ラストは対応できない。
先ほどまでの勢いのある攻撃と比べれば、防御に回す剣の扱いはあまりにもお粗末だ。
「攻撃にばかり集中して、そちらに手を抜くとこういうことになる。そこは教わらなかったか?」
「それ、は……っ! うぐっ! ……はいっ!」
ラストは剣の防御を教わることはなかった。
というのも、魔力とはそれを身に纏うだけで鉄より固い鎧となる。
それを全身から噴出していれば、生半可な攻撃は通さない重戦車の完成である。
そうあることが前提であるブレイブス家の剣術では当然防御の型など考える必要がなく、子どもに教えることもない。
だがそれを知らないラストは、素直に自分の勉強が甘かったのだと考えて頷いた。
「良い返事だ! ならば、ここからは――いや。何でもない」
「……?」
興が乗ってきたと、楽し気に声を大にするエス。
しかしその勢いは急に尻すぼみになって、消えていってしまった。
びしばしとラストの防御をすり抜けて絶妙に叩いていた剣が、止まる。
「余は君の師匠じゃないんだ。ただ見るだけ……そういう約束だったからな。ここで止めておこう」
「えっと、大丈夫ですか? お姉さん、なんだか辛そうですけど」
「気にするな。それより、敵が剣を止めたのなら油断せず剣を打ち込んで――」
「いえ、そんな顔をしている人に剣を打ち込むわけにはいきません。それよりも僕は、お姉さんの急な変化の方が気になります。その、僕みたいなのでよければ話を聞きましょうか?」
「……ふっ」
剣を腰に添えるように納刀の形を取って、ラストは彼女の下へ近づく。
それを見たエスが幽かに笑ったかと思うと、その姿が彼の視界から消える。
何処へ行ったのかと驚いていると、そんな頭がぽかりと叩かれる。
振り向けば、後ろにエスが立っていた。
「生まれて百年も経たない君に心配されるほど、お姉さんは柔じゃないさ。まだまだだな少年、油断が命取りになるのは分かっていたんじゃないのか? まだ手合わせ終了だとは言っていなかったろう?」
「……確かに、そうですけど……」
納得いかなそうなラストの頭を、ぐしゃぐしゃとエスが撫でた。
なんだかうまく誤魔化されたようだが、それでも負けは負けだと彼は渋々と引き下がる。
「その気持ちだけは受け取っておこう。ここは戦場ではないし、単なる手合わせだったもんな。どうだ? 意地悪した謝罪がわりになにかやって欲しいことはあるか?」
「……! それなら、エスお姉さんの本気の剣を見せて欲しいです!」
ラストから見て、先ほどのまでのエスの剣は明らかに手加減されていた。
瞬く間に姿をかき消すような身体捌き、そこから繰り出される剣はきっと彼の眼ですら追いつかない速さに違いない。
今は遠く及ばずとも、彼女の剣技の真価をラストははっきりと目に焼き付けておきたかった。
「なんだ、そんなもので良いのか」
「はい、お願いします!」
「良いだろう。とはいえ、そうだな。君相手にやるわけにもいかないし、なにか良いものは……?」
特に迷うこともなくラストの願いを受け入れたエスは、周囲を見渡して一つの木に目を付けた。
ミストルティンとは違い、こちらは既に葉っぱが一つも残っていない。
彼女がその幹を叩くと、乾いた高音が響く。
「うむ、ちょうど良いかな」
「これもミストルティンと同じ実験ですか?」
「ああ。こっちは黒檀に鉄を混ぜてみたんだが、錆びて結局枯れてしまった。丈夫さだけは残ってるから、使い道があるかなと処分を先送りにしていたんだが……このまま置いておくよりはいい加減処分してやった方が楽だろう。あ、ラスト君は離れているように。危険だからね」
「はい」
たたたっ、とラストが距離を取ったのを確認してから、エスが先ほどまでとは違ってきちんとした構えを取る。
「さて、久々だが身体は覚えているかなーっと」
腰を低く落とし、身体を前に傾けて剣先を地面スレスレにまで下げる。
気楽な声色とは裏腹に、その眼は抜身の刃のように鋭く変化していた。
「……よしっ」
エスの全身から、静かな紫色の魔力が迸る。
怒りに露わにしたライズと比べればそのオーラは薄く、一見頼りないように思える。
しかし、その密度は段違いにエスの方が上だ。何重にも圧縮された魔のオーラに、ラストの手がびりびりと震える。空間が軋むような圧力を受けて、彼の肉体は今すぐこの場から逃げろと警告を鳴らす。
それでもラストは、動かない。
エスの剣技の秘奥を刻むべく、限界まで眼を開く。
やがて彼女の木刀の周囲にも魔力のオーラが集い、バチバチと刃の表面に禍々しい音が弾ける。
「行くぞ。よく見ておけ、ラスト君――」
次の瞬間、エスの腕が消えた。
否。ラストが気づいた時には、既に彼女は技を放ち終えていた。
残身から、下方からの逆袈裟切りだと彼が察したところで――そして、遅れて斬撃が訪れる。
――ズガァァァアアアァァァン!
「っ!?」
大地を揺らすほどの衝撃に、ラストの身体が離れていたにも関わらず宙を舞う。
キィィィン……と耳に残る甲高い残響が、彼の世界から音を一時的に失わせる。
その先で、エスの前に立っていた木は無惨にも切り倒されていた――それどころか、更に彼女の刀身に宿っていた紫色の雷がバチバチとその表面を喰い荒らしていく。
それはまるで、全体に無限に枝分かれする棘が突き刺さっていくようにも見えた。
「――【
最後には一片残らず砕け散り、塵となって消えていった木を尻目にエスは手元を見る。
そこにあったはずの刃もまた、標的と同様に全てが砕け散っていた。
「さすがに急造のではこんなもんか。どうだ、満足したかラスト君? って大丈夫か!?」
余波で吹き飛ばされたラストに驚き、エスは幽かに残っていた残骸を捨てて駆け寄った。
心配の言葉をかけて彼をぎゅっと抱きしめるが、当の本人にはその声は聞こえていなかった。
「すごい……」
まさに落雷の如き一撃をもたらした彼女の剣に、ラストは心を奪われた。
嫉妬なぞが沸き起こる余地は欠片もなかった。
今の彼の心はただ純粋に、エスの魅せた至高の剣技に見惚れるばかりだった。
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