第5話 欲しいもの
「んむむ……」
今の世の中に求められている【英雄】像とはいったい何なのか。
理想はあっても具体的なイメージは持たないまま父の背中を追ってきたラストにとって、その疑問は目から鱗が落ちるような思いだった。
頭を悩ませるラストをくっくっと面白そうに見つめながら、エスがぐぐーっと背伸びをした。
「さぁーて、次はなにしよっかなー?」
「……普段のエスお姉さんはなにをしているんですか? 研究者、とおっしゃっていましたが」
「んー、そうだね。ぶっちゃけると、なにもしてないよ」
「え?」
「ああ、こういう言い方だと語弊が生まれるかな。正確には食って寝る、それくらいしかしていない。なんとも自堕落な生活さ。料理だっていつもは素材をそのまんま丸かじりだし、薬の調合なんて普段は自動でさっきみたいに自分で鍋を搔き回すのは何十年ぶりになるかねー……」
彼女はそう、退屈そうな目で天井を見上げた。
ラストが初めてエスを見た時の印象は金星が人の形をとったような輝かしい女性だったのが、今はどこか、その輝きがくすんでいるように見えた。
「知性ある者にとって、他者との交流というのは最高の刺激だ。余が一人で引き篭もるのを決めたのはなんでも一人で出来ると思っていたからだが、そいつは言い換えれば取り組むべき難題を見いだせないってことだ。ここに入る前に集めていた研究課題はもうやり尽くしたし、読みたいと思ってため込んでいた本や論文ももう飽きるほど読み尽くした。怠惰、停滞……それらは研究者にとってあるまじきことだ。だから余にとって、君とのお話が本当に渇望してたまらないものだったんだ」
虚ろに何もない所を見つめていたエスの瞳が、ぐるりとラストに焦点を合わせる。
その両眼には、妙にギラギラとした強い光が宿っていた。
「そんなわけでラスト君。君は何か困っていることはないか?」
「困っていることですか?」
「ああ。自慢じゃないが余は大抵のことならなんだって出来る。君のお悩み相談だってね。出来れば今の手持ちの手段では解決できなさそうな、クソ難しいお悩みだとありがたいんだが」
「急にそう言われても……」
言い淀むラストだが、もちろん悩みはある。
彼が家を追い出されることになった最大の理由――ラスト自身の魔力不足だ。
とはいえ、その技術は既に各国で研究されているだろうし、あるとも彼は思えなかった。もし確立されていたとすれば、ライズはラストを追放するよりもその技術を彼の身に叩き込んだだろうからだ。
眼前の女性も流石にそんな無理難題を出されては困るだろうと、ラストは声を大にして叫びたいその悩みを心の奥へとしまい込んだ。
楽しそうに期待の眼を寄せる女性には申し訳ないが、その代わりの無難そうな悩みを彼は告げた。
「そうですね、ないと言えば嘘になります」
「お、なんだ言ってみろ。森羅万象の知識を詰め込もうか? それともあの空の向こうに輝く他の星で未知の冒険譚を紡いでみる?」
「いえそこまでのことは求めてないです。ただ……剣が欲しいです、かね」
「剣? ほぅ、盲点だった。なるほど確かに君くらいの男の子は剣が欲しいか。良いだろう。どんな剣が欲しい? 竜鉄鋼だろうとミスリルだろうとするりと切れる聖剣か? それとも空間ごと敵を切り裂いて、生まれた裂け目の彼方に敵を存在ごと消失させる魔剣か?」
突如何もない場所に手を突っ込んだかと思えば、エスはいくつかの金銀に輝く宝剣を取り出し始めた。
そのどれもこれもがブレイブス家に保管されていた名剣を越える異様な雰囲気を漂わせていることにドン引きしながら、ラストは遠慮がちに否定した。
「そんな大層なものではなくて、その。僕が欲しいのは普通の練習用の木剣なんです」
「なんだ、木剣か。ふむ。普通のとなると私の亜空間倉庫にはないが、拵えるのは造作もない。しかし、それで何をするつもりだ? はっ、まさかそれで私を脅してこの美貌を好き勝手に――」
「なにを想像しているかは知りませんが、日課の剣術の練習がしたいんです。その、しておかないと落ち着かないというか……」
「ほぅ、剣術ね。そういう表現を使うからには、もしかして少年は騎士の家系なのかな? それともどこかの高名な剣士に師事を?」
「ええっと、まあそんなところというかなんというか……あははっ」
まさか魔族の不倶戴天の敵であろう【英雄】の家系だというわけにもいかず、ラストは笑い薬の影響が残っているようにして適当に笑ってごまかした。
だがエスはそこまで細かくは気にしていないようで、かわりにじろじろとラストの身体を観察し、時には直接触って筋肉の調子を確かめ始めた。
「えっと、なにを?」
「なに、せっかく作るならラスト君の身体にぴったしのものを作ってあげようと思ってね。体格を計測しているのさ。んー、この肌触りは……ふむふむ。なるほどにゃるほど。こいつは……よし分かった。それじゃあついでに、余が君の剣術とやらを見てやろう」
「え、良いんですか? でも……」
「なに、これでも剣術は昔かじった身でね。魔族の流派だが、基本的な術理は変わらんはずだ。免許皆伝の証だってどこかに……どこだったかなー?」
亜空間の倉庫の中に上半身を丸ごと突っ込んで、ごそごそと探し回るエス。
ラストにとっては彼女の上半身が何もない所に消えるという不気味な光景を目にすることになり、彼は頬を引きつらせながらわたわたと断った。
「いえ、別にそんなのは結構です! お姉さんがわざわざそんな嘘をつくとも思えませんし、見てもらえるというのならぜひ! よろしくお願いします!」
ラストは実家で叩き込まれたように背筋をピンと伸ばし、腰を直角に曲げて頭を下げる。
「なにもそこまで丁寧にしなくてもいいぞ? ぶっちゃけ余の戦い方は剣士というより魔法使いだし、頭を下げられるほどのもんじゃないというか……ま、ともかく見せておくれよ。とはいえ修練場なんてものはないし、やるなら屋敷の庭でかな。さ、おいでラスト君。一緒に外に出よう」
腕を振って宝物庫を閉じた後、エスは頭を下げたままのラストを滑らかな手つきでするりと腕の中に抱き入れて屋敷の中を移動する魔法陣へと足を踏み入れた。
ぐにゃりと周りの光景が歪んでいく中で、ラストは彼女の胸の中に抱かれたままたった今行われたばかりのやり取りについて考えていた。
他者の重心をこうも容易く操るなど、並大抵の技ではない。
それを平然と行うどころか、異空間に物を収納するという【英雄】の一族でも彼の聞いたことのない魔法すら汗一つかかずに行使してみせたエス。
ただの魔族では済まされない技量の数々に、彼女はいったい何者なのだろうかとエスの正体について彼は気になって仕方がなかった。
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