第4話 笑い薬


 結局食事の件については、ラストが気絶している間にエスが謝罪がわりに全ての調理を終えてしまっていた。

 他人に教えられると自負するだけはあって、彼女が本気を出して振るった腕はブレイブス家の専属料理人にも劣らないほど素晴らしいものだった。

 その腕前を間近で教わる楽しみは次の機会に取っておくとして、満腹になったラストはいよいよ本格的に己の仕事を始めることにしたのだった――。


「――そういう訳で、三十年前にクーデターを起こした【剣皇】の過激派分家がそのまま王座につきました。今のエンブレイド家は軍事帝国の皇帝として、年がら年中周辺国家に戦争を仕掛けていますね」

「ほぅ、あの優顔の剣士の子孫が反逆ねぇ。時が移ろえば人も変わると言うが、そこまで性格が歪むものか……。魔王が消えても、今度は人間同士で結局争うとはね」


 哀愁を込めた懐古の言葉と共に、再度ドラゴンの骨マスクを被って真鍮製の大鍋をかき混ぜるエス。

 その少し離れた場所から彼女の調合過程を眺めながら、ラストは最近の人間の国家情勢について説明していた。

 エスはウン百年引き篭もっていたせいか、昨今の情勢に疎い。

 それ故に、彼女はラストを通して知ることのできる時代の変化というものに興味津々だった。

 とはいえ七歳の彼が世界情勢の裏の裏まで理解しているはずもなく、実家で見聞きした大まかなことを話すので精いっぱいだったが。


「まぁ、仕方ないかと」

「ほー、ラスト君はそう思うのか」

「はい。だって今の世の中は実力が一番ですから。エンブレイド帝国がそうしなくったって、どうせどこかの国が戦争を起こすに決まってます。周辺の国だって、やり返して領土を奪うための良い大義名分を作ってくれたぜとしか思っていませんよ」


 なお、その根拠は彼の父親が面会していた官僚にある。

 手当たり次第に周りに喧嘩を吹っかけて一つの戦局に集中できなくなっている今の帝国は、逆に周辺国家にとっても良いカモであると言っていたのをラストは耳にしていた。


「平和な世の中の方が良いと思うがな、余は」

「ですが、今の国を動かしているのは戦いこそが全てだって思ってる人たちですから。【英雄】に【剣皇】、【賢者】に【聖女】……そうした偉い血を引く人たちを中心として世界が動いている以上、戦争が起きるのは仕方がないと思います」

「では少年は、そうして己の誇りのために他人の命を奪う今を是とするのか?」

「いいえ! そんなことはありません! ……が」


 ラストがブレイブス家にいた時に想像していた【英雄】とは、そんな低俗な存在ではなかった。

 ただ困っている人がいたら手を差し伸べたり、誰かを自分勝手に傷つけるような人を許さない。自分のためというよりも、誰かのために力を差し出せる存在。

 彼が夢見る未来の自分とは、そのようなおとぎ話の中の存在だった。

 だが現実は皮肉にも、そんな理想的な【英雄】を目指す彼には力を与えなかった。

 彼には己の主張を掲げる資格すらなく、こうして家から追放されてしまった。

 今の世の中では、意見を通すにはどうしたって力が必要なんだ――そんなラストの悔しげな表情を見ながら、エスは呟く。


「ならばやはり、戦争などない方が良い。起きてしまったものは早急に収め、内政に注力するのが為政者たるものの務めさ。一を互いに奪い合うよりも、一と一を足して二にする方が何倍も人々は幸せになれる。余のような研究者だって、軍事研究に駆り出されずに自由きままに研究できる――このようにな」


 エスがローブの下から取り出した別の液体を鍋に注ぎ入れると、ぼふんと柔らかな爆発と共に彼女の前の鍋が赤い煙を上げた。

 それを指先だけでくるくると吸い上げて纏め、ゴミ箱に廃棄。

 残った中身の液体を掬い上げ、お玉の中身を覗いて彼女は満足そうな声を上げた。


「どれ、出来たぞ。味見してみると良い」

「え?」


 紫色のどんよりとしたお玉の中身が宙に浮かび、ラストの下へとふよふよと宙を漂う。

 そこに悪意が含まれていないのはここまでのやり取りから察せられた。

 彼は従順なペットのように、それをあーんとエスのいう通りに頬張ってみる。


「ごくっ……これは?」


 ほのかにしょっぱいだけの、失敗した煮込みのような味の液体だ。

 その効能を問うと、マスクを持ち上げたエスの顔が意味ありげに笑う。


「なぁに、すぐに分かるさ」


 その言葉と共に、ラストの身体の奥底から謎の熱がじんわりと昇ってきた。

 さらにはよく分からないままに謎の高揚感が大波のように押し寄せてきて――耐え切れず、その内から生ずる衝動のままに彼は薬の効果を身をもって体験した。


「あはっ、あははははははっ! あはははははははは――っ!」

「どうだい、余特製の笑い薬だ。効果は今のできっかり五分間、その間ずっと笑い続けられる。お酒やたばこよりずっと健全な嗜好品になると思わないか?」

「なっ、それは、あははっ! そうかもですけど――あははっ、あははははっー!」


 口を大きく開けて笑い続けるラストを尻目に、エスは完成したその薬品を大事そうにガラス瓶の中に封入した。


「問題は鍋の攪拌時間によって、湧き立たせる感情が喜怒哀楽と変化することでな。万が一月見草の粉末を入れ忘れて状態を安定させておかなければ、飲んだ者は絶えず変化する四つの感情に脳がついていかず頭がパーンと弾けて廃人状態になる」

「ぶほっ、なんてものを飲ませ――ぶふっ、あひゃひゃひゃっ!」

「なに、このレシピは余がここに引き篭もってすぐの頃に完成させたものだからな。今更失敗などあるもんか。――で、どう思う?」

「あひゃっ?」


 問いを投げかけてきたエスの真意が分からず、ラストは笑い声で問い返す。

 そんな彼に優しく、エスは声をかけた。


「戦争が無ければ、こんな馬鹿げた薬を作る余裕も出来る。素人でも持っただけで百人を殺せる武器? 無味無臭の解毒不可能な猛毒? そんなもん作ったって楽しいのは一部のイカレた研究者くらいだ。大半の奴らは惚れ薬やら育毛剤みたいなのを作る方が好きだし、こっちの方が面白くて有益だ。なにより、誰も死なない。この笑い薬なんか、喧嘩してる奴らに飲ませれば笑ってるうちに喧嘩の内容なんてどうだってよくなるさ。戦場の井戸にバラまけば、戦いなんてやってられなくなるかもな」

「あははっ……それはそうかも、しれませんけど……。あはっ、あはははは……」


 エスの言葉は正論だと、ラストは思う――同時に、絵空事だと。

 真剣に命を賭けたやり取りを交わすくらいなら、こんな風にバカ騒ぎをしていた方がよほどマシだ。

 だがそれは理想論で、現実に相手が武力を振りかざすならこちらも武力を捨てられない。

 その暗い信念が積み重なり、長年の果てに歪んでしまったのがラストを追放したブレイブス家だ。

 現実はただ、戦う力こそが全て。

 その想いを、今のラストには簡単には捨てられなかった。

 それでもエスの理想は面と向かって否定するにはあまりにも真っ当なものに思えて、ラストはただ笑い声を響かせるばかりで実質黙りこくってしまった。


「……ま、こんな意見もあるとだけ踏まえておけばいいさ。最後にどんな風に世の中を捉えるのかはラスト君、君次第だからね。ただ、そうさな。【剣聖】繋がりで付け加えておくと――」


 最後に鍋の中を洗浄した水を窓の外へ吹き飛ばし、代わりに吹き込んできた風でエスはマスクに篭っていた湿気を振り払う。

 屋敷の先を見つめる彼女の宝石の如き双眼には、僅かな失望の曇りが見えた。


「目の前の問題を解決しても、その後に英雄たちは自分たちの血筋という火種を残した。その火種を当の子孫たち自身は解決することもなく、むしろ風を送って大きくしている。……立ち向かうべき難題に立ち向かわず、従属して利益を貪るだけ。そんなものが英雄だのなんだのと称えられるなんて、あいつら・・・・を目にした身からしてみればちゃんちゃらおかしいと思うがね。ま、こんな森の奥深くに引き篭もっている余には関係のないことだけどな」

「……」


 ――それでは、今の世の中で【英雄】と呼ばれるべき者たちはいったいどんな人間なのだろうとラストはふと考えた。

 彼の父であったライズが言うような、魔力容量が全ての英雄がおかしなものとするならば。

 それでは、現代に相応しい【英雄】に求められる素質とはいったい何か。

 笑い薬の切れたラストは、そんな新たに見つけた視点から思考を働かせる。

 エスの語るような理想を叶えられる存在……それはいったい、どのような人間なのだろうか。

 すぐには答えの思いつかない難問を考えている内に、ラストの視線は自然とエスの方へと向かう。

 そんな彼を見て、彼女はちゃぽんと先ほどのガラス瓶を揺らして見せた。


「なんだ、そんな眉間に皺なんか寄せて。可愛い顔が台無しだぞ? 足りないならもう一杯……いっとくか?」

「いえ結構です」


 ひとまずその問いかけについては、即答したラストだった。

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