第3話 自然の宝庫


 挨拶を終えた途端、ぐーきゅるる……と間抜けな音が部屋に響く。

 エスの視線が自然とその発生源であるラストの腹部へと向かう。


「……あ、いえ、これは……」


 ようやく得た安心感に、緊張に忘れていた空腹が蘇ったのだ。

 恥ずかし気に顔を俯かせるラストとは対照的に、エスはからからと笑う。


「なにを恥ずかしがる必要がある。生きる以上何かを食べねばならんのは世の摂理だ。ましてや子どもなら、食欲旺盛でも無理はない。どれ、まずは食事にするとしようか」


 そういってエスは、ラストの小さな身体を巻かれたシーツごとひょいと持ち上げる。


「なっ、ちょっ……自分で歩けますって」


 物心ついていない時ならいざ知らず、既に七歳になって男女の違いも理解しつつあるラストにとって、女性に抱っこされるというのはこれまた恥ずかしいことこの上なかった。


「うむ。悪いがこの屋敷には軽々しく触られてはならないところが多数あるのでな。ラスト君が手足の一つや二つ吹っ飛んでも構わないというのなら、その心意気を尊重しても構わないが?」

「……いえ、素直に甘えさせていただきます……」


 そういえば、この屋敷はいったいなんのためにこんな辺鄙な場所に建てられているのだろうかと彼は疑問を抱く。

 寝ている間にあの本の沢山ある部屋に運ばれたラストは屋敷の内装を詳しく見る機会がなく、その理由を推察することも出来なかった。

 そしてエスにお姫様抱っこされて屋敷の中を進む今、彼はこれまでに自分が暮らしてきた屋敷とは違うこの屋敷の内装を観察して目を輝かせることになる。


「あの、すみません。あの蝋燭もなしに光っているものはなんですか?」

「電灯だ。人間界は未だ照明に蝋燭を使っているのか? 時代遅れだな。……あれの動く原理はまぁ、そうさな。電気と言って、龍脈から吸い上げた魔力を弱い雷に変換して使っているのさ。蝋燭と違って変なにおいや一々つけたり消したりに屋敷全体を歩き回らなくて済む」

「それは便利ですね。雷にそんな使い道が……。では、あの壁際に飾ってある巨大な竜の頭は?」

「あれは……まあ、うん。普通にどっかの竜だな。いつ狩ったかは忘れたが、骨色からして若い個体だな。素材にもならし……あああ、そうだ。角が珍しい形をしていたから装飾品に加工したんだったかな。実際は極寒の地に住む個体が偶然はぐれていただけだったがな。普通に住んでいる地域の差で出来ていた違いだっただけだと落胆した記憶がある」

「ではあの廊下の隅の壺の上に置かれている分厚い魔導書のようなものは? あれには何か意味が――」

「ん? ありゃ単なる春本だ。表紙だけそれらしい分厚いものに取り換えちゃいるが、それくらい人間もやってるだろう?」


 そう同意を求められても、ラストはその言葉の意味をまだ知らなかった。


「春本ってなんですか?」

「知らんのか。……なら、忘れた方が良い。少年にはまだ読むのが早すぎる代物だ。あれを開くと、そう……中からいっぱいのうねうねが出てきて食われちゃうぞ。触手モノだからな」

「ひっ、わ、分かりました……」

「よろしい。……後で片付けとかないとな」


 なにはともあれ、人間界ではまず目にすることのないような多くの代物にラストの男の子としての部分がくすぐられる。

 そうこうしている内に、エスが床に敷かれた一つの魔法陣に足を踏み入れる。

 すると、一瞬のうちに二人の周囲の光景が切り替わった。

 そこでもラストは、周囲の光景に目を引かれることになる。


「うわぁ……」


 そこに置かれていたのは先ほどのような未知の道具でも優雅な内装でもない。

 代わりに鎮座していたのは、優にラストの十倍はあろう体格の巨大な猪や竜、翼の生えた馬に七つの眼を持つ大蜘蛛。

 肉類のみならず、ラストの見慣れた林檎や木苺からキュウリにかぼちゃなどの果物や野菜なども雑多に放置されていた。

 これまでの物々を芸術の山と称するなら、ここはまさに美食の宝庫とも呼べる場所だった。


「どうだ少年。どいつもこいつもこの森の豊かな魔力を受けて出来た代物だ。立派なもんだろう?」

「はい、とても……」


 以前山での修業の際にも小鹿などを狩って食べた事のあるラストだったが、その時よりも遥かに食べ応えのありそうな新鮮な自然の恵みたちに、ごくりと唾を呑み込む。


「好きなものを選んで食うと良い。なに、ここは余以外に住まうものなどいないからな。外界では珍しくとも、この森ではありふれたものばかりだ。遠慮なんかしなくても良いぞ!」


 そう言われて、下ろされたラストは好きに食糧庫の中を見て回る。

 とはいえ彼の知らない食べ物のほうが多数であり、無難に既知の食べ物で済ませたい反面、初めての者を食してみたい冒険気分も湧き立っている。

 空腹のことなど忘れて、目を輝かせながらあちらこちらに駆け寄るラストのことを、エスは面白そうなものを見る目で見つめていた。


「……! これは虫、ですか?」

「お、面白いものに目をつけたな。そいつは巨大蛾の幼虫だ。成虫は毒の鱗粉を撒き散らかす特級の厄物だが、幼虫は腐葉土の魔力を吸い取ってたっぷりと栄養を蓄えてる。乾燥させた奴は強壮剤の素材になるんだ」


 ラストはずんぐりむっくりとした紫色の目玉模様を持つ幼虫に注目した。

 かつて彼の父は「蟲など【英雄】の食するものではない!」と一蹴していたが、側付の従者が山籠もりについてきた際にかじりついていた光景を見て以降、いつか食してみたいと思っていた。

 体に悪いわけではなさそうだし、食べられるものならば食べてみたいと彼はそれを一つ目の食材に選んだ。


「それじゃあせっかくですし、これに挑戦してみても良いですか?」

「よかろう。ただしこいつは中身が半分液体みたいなものだから、スープにしなきゃだめだ。他に肉を選べ。肉は重要だぞ? 肉を食わなきゃ大きくなれん」

「そうなんですか。では、他に美味しそうなのは……それとかはどうでしょうか?」

「火喰虎だな。普段は火山で火竜なんかと勢力圏を争い合ってる以外、普通の虎と変わらん。これでいいなら、残りはこっちで決めるぞ。足りない栄養はあれとそれと……少年、食えないものはあるか?」

「いえ、特には。好き嫌いはしないよう言われていたので」

「ほぅ、そこは立派なものだ。食育はちゃんとしているようだな、誰に教わったは知らんが」


 ひょいひょいと適当な食物を指さしては宙に浮かばせていくエスを見ながら、その言葉を受けてラストはかつての食事風景の一つを思い出した。

 山で父が直火焼きで大犬を焼いたものを食べた時は、肉は正直筋張っており美味しくなかったものの楽しく食事出来ていた。虫などのゲテモノでなければ様々なものを慣れさせるためにラストたちと一緒になって食べていた父の姿は、終始本当に楽しそうだった。

 それがもう戻ってこない光景であることに、心がズキンと痛む。


「こら」

「あうっ」


 そんなラストの頭を、エスが小突いた。


「これから食事時だというのに、そんな悲しい顔をしてくれるな。なんだ、余との食事が嫌なのか?」

「いえ、そういうわけでは!」

「ならばもっと楽しそうな顔をしろ。しけた面をしていると、美味いものまで不味くなるぞ。――そうだ。せっかくだからラスト君、君が料理してみるか?」

「えっ、良いんですか!? でもこれまで触ったことのない食材ですし、無駄にしてしまったら……」

「誰だって最初に捌くときは失敗するもんさ。なぁに、余がきちんと一から教えてやるとも。とはいえ、少年は今腹が空いているんだったな。ならばこれと、この辺りを、っと」


 食材の山の中から掘り起こした果実を五つばかり、エスはラストへと投げ渡した。

 彼は身体に巻いていたシーツの余りを使ってうまく受け止める。


「そいつらは生の皮つきでもそのまま食べられる。前菜がわりに、まずはそいつらを頬張っておくんだな」

「は、はいっ!」


 言われた通りにラストが丸ごと果物を齧ると、中から漏れ出てきた味わい慣れないざらりとした触感がラストの下を撫でる。

 粘度の高い甘酸っぱい果汁が喉を通り過ぎる度、ラストの身体に森の中の行軍を経て溜まっていた心労がさっと吹き飛ばされていく。

 この純粋な美味の前には、先ほどの悩みさえも嘘のように彼の頭から消えていった。


「さ、行くぞ。ふははっ、余の華麗なる調理技法を少年にも見せてやろうじゃないか!」

「ぶほっ!」


 幸先が良かったのもそこまでで、突如ラストの口から赤い液体が噴き出る。

 先ほどぶりの鉄臭さに、どさりと彼は食物庫の床に倒れ伏した。


「ん? どうしたラスト君……って、やべ。竜伐松の実は人間がそのまま食べたら駄目なんだっけ? あまりに他人と触れ合わないもんだから、やっちった」


 可愛げに自分の頭をこづくエス。

 しかし次の瞬間、冗談では済まされないと分かったのかすぐさまラストの下へと駆けつけた。


「って、そんなことを言ってる場合じゃない! お願いだから死なないでくれよ、ラスト君! ここで死んだら余の美少年との楽しいお食事会はどうするんだ! まだ生命力は残ってる、余の解毒魔法に耐えれば美味しいシチューにありつけるんだからな!」


 慌ててラストの頭を膝枕に乗せ、彼女は暴力的なまでの緑色の治癒魔法を彼に注ぎ込む。

 血をだらだらと吹き出しながらも、彼の顔は後ろに伝わる柔らかい感触に満足げな表情を浮かべていた。

 ――もう得られないと思っていた誰かの暖かみが、ここにはちゃんとある。

 エスの口から漏れ出た彼女自身の欲望は幸いにもラストの耳に届くことなく、彼はその満足感の中に再び意識を薄れさせていった。

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