エスカー

百目鬼 祐壱

エスカー

 冬の江の島は久々だった。寒空のもと江島神社の参道は行楽の人出で賑わっている。混雑は夏季に及ばずとも人々の呼気の乱れさえ聞きとれるほどに往来は多く寸刻の余所見でも命取りになりかねない。

 てかいまどのへんにいんのこっちはなんか干物屋のとこらへんだわえ鳥居のとこにいんのね分かったたぶんもうすぐだわ首元から彫り物がちらつく坊主頭の男が携帯を耳に当てながら叫んでいる。まじで混んでるねほんと人がゴミのようだよまじそれなこっから頂上までどんぐらいなの歩いたら一時間ぐらいじゃね結構かかるな先に飯食うかでもどこも混んでそまあねえ大学生ぐらいの若者たちが駄弁を咲かせている。骨董品屋の前で着物をまとった女の子たちが自撮りしている。頭に白いものがまじった中高年たちが旗を持った添乗員に先導されている。みな誰かと一緒だった。ひとり身は自分だけに思えてくる。

 通りの両面には老舗と思わしき店々が軒を構え人混みに辟易した来訪者たちの足を止めさせる。土地柄として海鮮を売りにする店が多い。いま右手にあらわれた定食屋の店先には丼ものの食品サンプルがショーケースの中で冬の日差しを受けていた。はす向かいの店には人だかりが出来ている。有名店なのかもしれない。がらがらと開いた引き戸から女性が姿を見せた。色の白い横顔と黒の長い髪は三日前に別れた幸子に似ていたがそんな偶然があるはずがなく目を凝らせばやはり全くの別人だった。しかし幸子がいま同じ江の島を歩いていてもなんら不思議はない。幸子は江の島が好きだった。

 だってなんかみんな楽しそうなんだもんここに来る人たちってみんなお出かけだって感じでさみんながそうだとこっちもテンション上がるじゃん満員の江ノ電でつり革を掴みながら付き合い始めてすぐの幸子が言った鎌倉で鶴岡八幡宮を参拝してから江ノ電で江の島に向かうこれがセットなんだよねめっちゃいいよねいいとこどりって感じでさ江ノ電も楽しいし海見えるからね嬉しそうに語る幸子の向こうに海が見えてきて私は思わず海だと言った幸子も振り返る何度も見た景色だろうに携帯を取り出して写真を撮る私の肩あたりの位置にある幸子の横顔はお出かけだって感じだったなにそれお出かけって感じって面白いねああでも写真ぜんぜんうまく撮れてないや見せてくれた写真はぶれぶれでそれはそれで何か味がある気がするそうかな知らんけどなんだよと笑った幸子が私の肩を小突いてまた笑ったその会話があったのは二人できた何度目の江の島だっただろうか覚えていない何回も行ったからそうだね確かに記憶があいまいだでも何度来ても楽しいからやっぱすごいよね江の島は。

 参道を進み切ると大きな赤い鳥居が姿を表す。写真を撮る観光客たちが通行の流れを阻害しあたりは吹き溜まりのように人で混み合う。鳥居を抜けてさらにその向こうには急峻な階段と瑞心門と書かれた大きな木製の楼門がそびえていた幸子はその様子を写真に収めると掌をあわせてなんまいだあとぶつぶつ呟き頭を少し下げるとそそくさとその場を後にしようとするえ階段登らないのうんいま祈ったから神様に通じたよ江の島ガチ勢なのにそんなんでいいのかよいいのいいのここまで来たことに意味があるんだよエスカーのりばと書かれた赤い屋根の建物めがけて進んでいく幸子を追いかける。

 頂上まで約5分と記された看板を横目に券売機に並ぶ列のひとつ前には赤いコートの女と茶色のダウンの男が並んでいたふたりとも私と同い年ぐらいだろうか私は携帯を開き幸子と一緒に撮った写真を見返すうわこれとか懐かしいじゃん前に江の島来た時のやつだ何年前だっけこれは付き合って最初に来た時だから五年前かなまじかわたし若いな大輝はぜんぜん変わんない赤いコートの女が笑った大輝と呼ばれた茶色ダウンの男はなんでだよ俺も若いだろと言いはしたがこちらも笑った幸子と初めて訪れたのはとても暑い夏の日でいま以上に島内は混みあっていた江の島大橋の下では水面がまぶしく揺らめいていた私は幸子の手を握りながらぼんやりと眼下のきらめきを眺めていた一緒に撮ろ幸子がインカメを構えていた私はどういう表情を作ればよいか分からなかったそれまで自撮りなどしたことがなかった幸子が写真を見て笑っためっちゃ目つむってるじゃんそこには確かに目をつむっている私と満面の笑みで微笑む幸子が映っていた目つむんないでねもう一回撮るよほーい大輝はどこかで同じようなことがあったような気がすると思いながらポーズを取る写真を見返すと映りこんだおじさんがめちゃくちゃこっち見てるじゃん今回はちゃんと目つむってないのに幸子が笑った私も笑ったその写真がカメラロールに残っているもう一枚エスカーで撮影された自撮りもあったこちらも私が目をつむっていたエスカーはトンネルの内部を進んでいく三方は薄緑を基調とした壁で囲われており外の景色を見ることが出来ない代わりにクラゲとかペンギンとかイルカとか水生生物の写真パネルが展示されている新江ノ島水族館の宣伝らしいパネルを一枚一枚と追い越しながら人々が運ばれていく江の島は何度も訪れたことがあったがエスカーは初めてだった外の景色が見えるわけでもないし別に楽しくはないそういえば大輝さ江ノ島エスカーって知ってる?え?質問の意図がよくわからなかったいま乗ってるこれじゃないの江の島エスカーってあーまあそうなんだけどそうじゃなくて江ノ島エスカーって曲があるらしくてさ検索してたら出てきたへえ誰の曲なのアジカンえアジカンなんだ知らなかったあれそうなんだアジカン好きそうだけ幸子が言ったその曲が好きでさよく聞いてるんだけど歌詞にね埼玉のヤンキーが出てくるんだなにそれ埼玉のとある町のヤンキー彼は海も実はキスも初めてのカワサキ跨がれ未来君の恋は走り出した何事もないように胸の奥が痛み出したこの歌詞面白いねわかるヤンキーちょっとかわいいなでもこのカワサキ跨れってところがよくわかんないなんで埼玉なのに川崎なんだろうーん確かにねてか川崎を跨ぐってどういう意味よ分かんなーい川崎には幸子の祖父が住んでいたおじいちゃんはわたしが高校のときに亡くなっちゃったんだけどめっちゃよくしてくれたんだよねむかしは元気でさちっちゃいころねおじいちゃんいろんなとこに連れてってくれたんだそれで江の島も行ったんだよたぶん小学生入ってすぐぐらいのときにね幸子きょうは山登りするぞっておじいちゃん張り切っててでもわたし参道を歩いてるだけで疲れちゃったんだよねだけど疲れたって言えなくてなんかおじいちゃんに悪い気がしてどうしようってもう泣きそうになりながら頑張っておじいちゃんの手を握って歩いてたそしたらおじいちゃんこれ乗ろうって言ってくれてエスカーね江の島エスカーわたしめっちゃうれしかったんだけどなぜか分かんないけど涙出てきちゃってエスカー乗りながらめっちゃ泣いてた幸子これ乗ったらすぐに頂上つくからなっておじいちゃん笑っててそれで余計にわたし泣いちゃったそんなおじいちゃんが住んでた川崎って街が歌詞に出てきてそれでなんか奇跡じゃんみたいな江の島の歌に川崎出てくるってそれでずっと聞いてた自分の曲だって感じででも最近分かったんだけどこのカワサキって地名じゃなくてバイクのメーカーだよねだからおじいちゃん全然関係なかったんだ私の部屋でシングルベッドに一緒にもぐりこんだ幸子の話を聞きながら私は幸子の背中をさすることしかできなかったそのとき私が何か言葉を残せていれば未来は変わっただろうか要はこのヤンキーはカワサキのバイクに乗って埼玉のどっかの町から江の島に向かったんだね高校とかさぼって彼女とか後ろに乗っけてさえでも高校生だったら二人乗りできないよ法律的にあそうなんだでもまあでもヤンキーだから関係ないよなんだよヤンキーって無敵なのかよ大輝の言葉に赤いコートの女は少し笑ったじゃあ川崎は関係ないってことかな地名の方の川崎はねあれでも待って川崎って埼玉から江の島まで行くときに途中で通るんじゃないあそうかもこの橋のあたりかな車体に取り付けたナビが神奈川県に入ったことを告げた久喜の町を出てから既に二時間が経過していた橋の下には大きな川が流れておりそのわきには河川敷が広がっていた河川敷では子どもたちが野球をしてる俺もむかしは少年野球に入ってたピッチャーで結構上手かったんだけどめんどくてやめたナビの位置情報を確認すると神奈川県川崎市と表示されている川崎という地名は聞いたことがあったがどんなところなのか知らないてか俺のバイクもカワサキでカワサキって多分会社の名前だよなじゃあこの街と関係があるのかトヨタみたいな感じかなあれもどっかの町の名前だった気がする違うよ逆だよ逆トヨタがあったから豊田市ができたのそうなんだお前意外と頭いいなへへ俺の腰に手を回す智子の胸の形を背中で感じようとするがなかなかに難しいてか俺はいまカワサキに乗って川崎にいるなんかおもしれえな奇跡みたい奇跡ってそんな軽いもんなのって智子は思うでもそういうことってあったりするんだよねあたしもさほんとどうでもいい偶然っていうか偶然にもなり切れてない偶然それってまあ偶然とかじゃなくて川崎を通ったからカワサキだって思ったはずでだから偶然でもなんでもなくて必然だと思うけどさふうんあたしもそういうことあったな那須塩原でナス焼いてたの何その状況てか那須塩原ってどこだよあんたそんなんも知らないの茨城とかそのあたりの町だよ知らねえよまあそれはどうでもよくてさバーベキューしてたんだ別荘があったんだよね中学の友達の別荘そこでバーベキューしててさお肉とかみんなそういうのに食いつくじゃないでもあたしはナスをじっと見てたのそれであたしいま那須塩原でナス焼いてるって気づいちゃってそのことをみんなに伝えたかったんだけど言えなかったつまんねえって言われるだろうから別に面白いとかじゃなくてさ思っちゃったことだから伝えたかったけどそういうの意味わかんないとか言われて終わりじゃん大勢の場ってさ別に意味わかんなくてもいいと思うのにねそんなことばっかだよとにかく那須塩原でナス焼いてるそのことを思って言わなかった言わなかったから怨念みたいに残り続けてるんだと思うんだ。えなんて?風の音が切り裂いていくだーかーらーナスだったんだってー智子が大声で言ったけど意味がよくわからねえナスってなんだよてかなんでこんな話になったんだっけ?えーなんて言った?今度は俺の声が届かないこれだけ近くにいるのに届かないなんて変な感じだ俺は黙ったあとで話せばいい海についたらいくらでもできる今は運転に集中する借り物のバイクで事故るわけにもいかねえあとはひと様はねて捕まりたくもねえ兄貴にきっと怒られる。てかタンデムは二十歳からって法律で決まってるからすでに立派な犯罪者だわお前はと兄貴は笑っていた智子がうるせえから仕方なく出してやるんだつうか江の島遠くねえかまったくなんて言った?なんでもねえよてかタンデムって何?んだよ聞こえてるじゃんブーンってエンジンの音がするブファーって風の音がする智子の声は聞こえない風を切り裂いていくのはだからどこまでもいけるかって話どこまでって江の島まで行くでしょうん海見るからなうん海が見える頃には疲れ切っているだろうかそれでもよい遠くで波の音がするもうすぐエスカー終わるよそうだ写真撮ってあげるえなんでここで私にお構いもなくカメラを向けて幸子は笑う今度は目つむらないでねパシャリとたかれたフラッシュの眩しさを私の目は覚えている。

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