第78話 白無垢などの晴れ着は和装業界の最後の砦

 さて、結婚式に着る衣装のうち、ウエディングドレスは原宿にあるフランスのプレタポルテのウエディングドレスメーカーのプロニブシアのドレスを買うことで終わった。


 あとは和装の白無垢や色打掛だな。


 しかし、こういった婚礼衣装は初婚における結婚式や結婚披露宴以外ではほぼ着ないため、レンタルで済まされることが多く、呉服屋においていることはかなり少ないらしい。


 振り袖は成人式や卒業式、正月に初詣に着て出かけたりするから、それなりに売ってる店も多いみたいなんだけどな。


 店頭で在庫を抱える必要がない通信販売のECショップが普通になってくると、白無垢や色打掛なども取り扱っている店も増えたりするんだが。


 まあ、この時期はまだ高級婦人服ブランドのテナントもあるラフォール原宿なら呉服売場で白無垢などでも売ってるかもしれない。


「上杉さん、白無垢とかはラフォール原宿で見ていこうか」


「ふむ、まあそれもいいかもしれないな」


 というわけでプロニブシアの入っているビルからラフォール原宿へ移動する。


 ラフォール原宿は昭和53年(1978年)にオープンしたが、当初テナントとして高級婦人服ブランド中心の構成とし、原宿に集まる若者のニーズを捉えた品揃えを行わなかったため売り上げは伸びず、それを打開するために昭和55年(1980年)地元原宿のマンションメーカー後のDCブランドをテナントとして迎え入れ、テナントを高級ブランドから若者たちの支持を集めていた地元原宿のマンションメーカーへと切り替えた。


 だからといって前から入っていたテナント全部が撤退したわけではないけどな。


 というわけでラフォール原宿の呉服売り場へ向かう。


 元々多くの百貨店は江戸時代には呉服屋や古着木綿商などで着物と帯を中心として、和装小物などを売るのがメインのお店であった。


 洋服がメインになるのは本当戦後でそういうのは西武百貨店などの鉄道系デパートとかが先だったりするわけだな。


 で、そういったデパートの呉服売り場や貸衣装などの店は多くは京都で買い付けを行う。


 しかしこういった和装業界は、間違った伝統に固執するあまり、若年層の顧客獲得にすでに失敗していて、常連はそこそこ年齢の行っている人間ばかりとなっていたりもする。


「やっぱり呉服のフロアには若い人間はあんまりいないな」


 俺がそういうと上杉さんは苦笑して言う。


「まあ、お前らは普段着和装を着てなんとかしようとしたりもしていたようだが、やはり普段から着るにはハードルが高いというのはあろうな」


「たしかに普段着和装を今でも着てくれてるいるのは斉藤さんくらいですしね」


 戦後はまだ和装を買い求めていて,高度経済成長期には,生産量は飛躍的に伸びたらしい。


 昭和40年(1965年)から昭和50年(1975年)頃までは、和服を普段着として着る女性も少なくなかったが、その後には普段着として和装を着る人間は大幅に減っていった。


 デパートの呉服売り場も縮小され、かわりに洋服の婦人服売場が拡大されていった。


 だが、お宮参り・七五三・成人式・卒業式・結婚式といった行事や冠婚葬祭などに着る晴れ着や式服など高級呉服は現状ではまだそれなりに売れている。


 まあ殆どは貸衣装向けだったりはするけどな。


 だがバブル崩壊後はそれも売れゆきは落ちていくんだけど。


 呉服業界が、販売促進の目的で、種々の場面で必要とされる和服の着付けのルールを作って宣伝したことで和服は難しいし面倒くさいというイメージがより強くなり、致命的なのはトイレのときに裾の長い和服は非常に不便であることであった。


 まあそれはともかく俺達は呉服売り場を見ていたのだが……。


「うーん、なんかピンとこないな……」


「そうだな」


  なんというかデザインや柄がちょっと古臭い感じがするんだよね。


 しかし、呉服売場の一角で絵画のような色鮮やかで美しい模様や現代風のデザインが取り入れられている、少し他とは違う感じの店があるのを見かけた俺はそこに向かってみた。


「この店は越後友禅の吉沢屋さんか」


 新潟県の十日町市、南魚沼市、小千谷市などは奈良時代から苧麻の織物の名産地で江戸時代には絹の織物もそれに加わった。


 新潟は豪雪地帯だがそれにより冬の湿度が高くなり、苧麻や絹糸を加工するときに、糸が傷つきにくく品質を高く保てるし、冬は外に出られないので織物をするにも最適だった。


 吉沢友禅は、日本有数の織物産地である新潟県十日町に江戸時代宝暦年間にうまれた老舗だ。


 日本一の大河である信濃川が流れ、盆地とともに雄大な河岸段丘がある十日町はきれいな水資源に恵まれていて織物染め物に最適だったのだろう。


 京都や石川の呉服メーカーのような変なプライドの高さもなく、分業で製縫を海外で行わせたりせずに、伝統的な織り、染め、製縫まで全て一括してして自社で行っているため着物ファンや販売店からも高く評価されているらしい。


 新潟県十日町の越後友禅は京都の西陣や石川の金沢、東京の江戸友禅という三大友禅に匹敵するといわれ、匠の職人技の最高峰と言われる友禅のひとつで織物の一大産地でもあるが、近年は規模が縮小されつつあるらしい。


 衰退しつつある新潟での貴重な伝統工業だし、なんとか保護したいところだな。


 染めの技術もちゃんと手作業で行っていて、後にはインクジェットで色付けされた振袖も増えるが、ここはちゃんと手染めにこだわっていたはずだ。


 そして、染め色も非常に美しい。


「ここは良さそうだね」


 俺がそういうと上杉さんもうなずいた。


「ああ、なんだか温かみを感じるな」


 白無垢ではその名前の通り刺繍まで白一色だが、色打掛はそれなりに柄もあるし選びがいはありそうだ。


 価格も20万円後半ぐらいからだからそこまで高いわけでもない。


「まあ、ウエディングドレス同様に白無垢や色打掛に一着50万くらいだすとして、ついでに振袖とか色留袖とか黒留袖も買う?」


 俺がそういうと上杉さんは苦笑しつつ言う。


「それも資産としてか?」


「あー、和装はダイヤとは違うから価値が上がるかどうかはわからないけど高級なものならひと財産にはなるね。

 でも着物は相続税の対象にはなるけど、親から子に贈与しても贈与税はかからないし一つ紋・三つ紋・五つ紋と格式が別れてる色留袖は、紋が多いほど格式が高いけど場合によって使い分けないといけないしね」


 そして上杉さんが言う。


「まあ、買っておいて損はないということか。

 そして、私も偉くなれば北条やお前のようにそういった物も着なくてはならないということか」


「まあ、そうだね。

 北条さんなんかは礼装の洋式ドレスもかなり持ってるはずだし」


「まあ、必要そうであれば買っておくか。

 振り袖は未婚の間しか着ることはないがな」


「まあ、娘さんに早めに贈与してもいいんじゃない?」


「やれやれ、それもまた気が早いがな」


 結局買ったのは色留袖が70万くらいを一つ紋・三つ紋・五つ紋で3着、振り袖や黒留袖に白無垢と色打掛はそれぞれ50万ずつにそれぞれに必要な小物一式で100万くらいだったが、いい買い物だったと思うよ。

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