第77話 ウエディング業界は今が全盛期だが先行きは暗いんだよな

 さて、有楽町の宝飾問屋でお値打ち価格な1カラットと5カラットのダイヤを2つずつ購入したあと、指輪のサイズの微調整を頼んで俺たちは店を出た。


「次はウエディングドレスとかの結婚衣装かな?」


 俺がそういうと上杉さんはうなずいた。


「ああ、そうだ。

 こちらも楽しみだよ」


 ”前”においては1980年代の結婚披露宴はとにかく演出が派手だった。


 スモーク&ゴンドラで天井から降りてきて、ドレスもアクセサリーも兎に角派手な物を身に付け、ディスコもかくやというレーザー光線で派手に演出し、新郎新婦が披露宴中盤の再入場の際にゲストテーブルに置かれたキャンドルにあかりを灯すため、点火用のトーチを持ち入場し、各ゲストテーブルのキャンドルにあかりを灯していく、キャンドルサービスなど、無闇矢鱈と過剰なほどの演出をしていたりする。


 まあ、今は流石に”前”ほどに狂ったような披露宴における演出はないと思うがな。


 そして衣装も、白無垢→色打掛→ウェディングドレス→カラードレスの4着の衣装をお色直しで着替えたりもしていた。


 なので披露宴なのに新郎新婦が式場にいない時間の方が長いとかいう本末転倒なことも起こったりした。


 しかし、そういった式でも価格は2020年台よりも安く、80年代はホテルで平均300万、専門結婚式場で平均235万ほどであったが衣装代は4着で54万ほど。


 しかし2020年代では衣装代は2着で60万を越したりもする。


 無論フリマアプリなどで中古のものを購入したりすれば安く上がるんだが。


 まあ今だと一着が15万円弱ってところだからそこまでは高くないが買えばまた話は別。


 80年代はドレスをレンタルするのが一般的で、プレタポルテのお店でウエディングドレスを購入したり、シルクの生地は自分で購入してオーダーメイドで仕立てたりするのは少数派だ。


 そして、日本でも教会式の結婚式がメジャーになったのはイギリスのダイアナン妃の挙式が1981年7月29日にあり、それがテレビを通して全世界に放映されたことも大きい。


 一般大衆のブライダルビジネスが確立したのは60年代以降だったりするが派手になったのは80年代だな。


 1960年代では教会式がわずかに2.2%で、神前式は84.4%、家での結婚式の人前式も11.1%行なわれていた。


 1970年代は教会式は6.8%に増え、人前式は減少して7.4%だが相変わらず主流は神前式。


 1980年代には教会式は首都圏を中心に増加して14.5%まで増えた。


 1990年代には教会式が38.3%まで増え、神前式が55.7%まで減って、人前式6.0%まで減った。


 この頃は芸能人の結婚式のテレビ中継が多かった事もあって、ウエディングドレスへの憧れの増加、チャペルの増加により、教会式がさらに増えたんだな。


 2000年代以降は教会式が64.2%、神前式が18.2%、人前式は17.0%となった。


 ただし昭和45年(1970年)には1029405件あった婚姻数は、平成2年(1990年)には722138件と婚姻数そのものは大幅に減少しているが。


 まあ、それはともかくフランス・パリが発祥で1958年創業の老舗ウェディングドレスメーカーであり、フランスプレタ・ウェディングドレスメーカーのトップシェアブランドの地位を築き上げ、昭和49年(1974年)から日本でもウエディングドレス事業を展開しているプロニブシアにプレタポルテのウエディングドレスを見に行くとしようか。


 創業当時はオートクチュールのパリの富裕階級にしか手の出せない高価なものであったウェディングドレスをプレタポルテとして娘たちが、一ヵ月の給料で求められる価格で提供したことが画期的であると支持を集めただけあってそこまで高くはないしな。


 1974年、プロニブシアは日本で最初のインポートドレスショップである原宿パラフランスというファッションビルにオープンした。


「じゃ原宿の原宿パラフランスのプロニブシアを見に行こうか」


「ああ、そうしよう」


 そしてお店に到着。


 店の中にはたくさんドレスが吊るされているが、価格は19万円ほどからだから買うとしてもさほど高くはないな。


 まあ素材がすべてシルクだと36万から50万くらいしたりはするが。


「こう多いとなかなか悩むな」


 上杉さんが嬉しそうにそういう。


 たくさんありすぎてなかなか決められ無いというのも贅沢な悩みではある。


「まあ急ぐ必要はないですし、じっくり選んでくださいよ」


「ああ、わかっている」


 まあ白無垢や色打掛はまた別に買うかこちらはレンタルするかになるんだけどな。


 上杉さんが上機嫌であれこれと試着しては他のドレスを試しているが、ものすごく嬉しそうなのは良かったと思う。


 まあ、80年代ではクリスマスケーキ理論のクリスマスケーキの需要は24日まで、25日には売れ残りになり以後需要がなくなることから女性の婚期も24歳までで25歳過ぎたら嫁き遅れと言われてる時代だしな。


 まあ、”前”では今後の婚姻件数そのものの減少やバブル崩壊や2008年のリーマンショックで結婚費用を持っていた両親の金もなくなり、金をかけない結婚をするカップルが増えて、結婚式プロデュース会社や専用結婚式場、チャペル付きシティホテルなどはどんどん倒産していったりする。


 1950年代から1970年代は都道府県によって多少の差はあれど、総じてみれば婚姻件数は伸びていて、結婚すれば結婚式を挙げるものという考え方が一般的でもあったからブライダル産業は成長業界だった。


 しかし1980年代になると東京、神奈川、埼玉、千葉の首都圏に、大阪と愛知は婚姻件数が伸びたが、そのほかの地域は横ばいになる。


 つまり80年代はすでに地方の衰退は見え始めていたということだな。


 そして1990年代に入ると1990年代の初頭は団塊ジュニアの成人とバブル景気の余波もあって前半は全国的に伸びたが、1990年代後半は東京以外は減少している。


 そして2000年代は東京は伸び、東京以外はほぼ全道府県で減少し、しかも減少スピードが加速していて、この10年で約20%は減少している。


 ただこの頃は結婚式の組単価が大きく伸びた時期なので組数減少があってもブライダル市場は市場規模が減ってきている実感はあまりなかったかもしれない。


 しかし2010年以降はいよいよ東京も減少フェーズに入り、組単価の上昇も頭打ちになってブライダル業界がようやく危機感を持つがもう手遅れだった。


 俺も地方再生には手を尽くすつもりだが、70年代までとは違い人口オーナスがのしかかってくるだろうこれからはブライダル業界が殿様商売をやめれなければ結局先行きは暗いだろうな。


 無論これはゲーム業界も同様で子供が減るのは売上減少につながるからやはり避けたいと思うが。


 そして上杉さんは白とピンクの比較的シンプルなドレスに決めたようだ。


 お値段は合わせて100万円ほどだがまあ安いと思おう。

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