第71話 港湾労働関係の闇は果てしなく深い

 そして更に話は続く。


「すでに大きな港湾関係は既得権益が面倒くさいって言ったけど日本では戦後に港湾朝鮮労働者を仕切った沖仲仕おきなかせが大きな影響力をもっていたんだよね。

 実際に神戸は山口組、横浜は埋地一家の名前でヤクザ組織を持っていた藤木組、東京の住吉一家二代目や三代目も横浜や東京の港の荷役の口入れでのし上がった口なんだ。

 口入れ屋は人を集めて作業現場に送るかわりに元請け会社から払われた日当の上前をはねて大儲けしたはずなんだよね」


 俺がそういうと北条さんは流石に驚いたようだ。


「大きな港の港湾労働には暴力団が関係していると?」


「や、流石にそれは戦後の40年代後半から60年代前半の話ではあるんだけど、今でも全く無関係とは言えないはずなんだよね」


「そうなのですか?」


「まあ正確なところは俺も良くはわからないんだけどね。

 ちなみに山口組は、船内荷役会社の甲陽運輸の経営や、船内荷役の二次下請業者の全国的な組合である全国港湾荷役振興協会の副会長兼神戸支部長をつとめていたんだよ。

 その顧問には当時建設大臣であった河野太郎を迎えていたから政治家ともずぶすぶだね。

 さらに言えば埋め立てなんかの口入れ屋として土建業や美空燕を擁した神戸芸能社や力道三の日本プロレス協会副会長なんかもやってたくらいだ。

 また港の敷衍からの荷下ろしを請け負うことで武器や違法薬物なんかの密輸や密入国に関わっていたりもしていたはず」


 俺がそういうと北条さんが大きくため息を吐いた後言った。


「芸能界が昔からそういったところと繋がっていたとは聞きますが、そこまで有名な名前の人が出てくるのは少し驚きますわね」


「ああ、昔はヤクザとしての顔と企業家としての顔を両方持つということは普通にできたが、それができなくなったときにどっちを捨てたかで道が別れ、ヤクザの顔を捨てた方は財界のドンとか言われるようになっている人物も居たりするんだよ。

 横浜の藤木組がそうだけど」


 山口組はヤクザとしての顔を取ったほうだな。


 結局は暴対法もあって山口組は食い詰めていく方向になり逆に横浜の藤木組株式会社は、日本郵船、四菱倉庫、藤木組の共同出資で四協運輸株式会社などを設立し、後の首相に影響力を持つようにすらなっていくのだが。


 そして北条さんが聞いてくる。


「唐津や伊万里は大丈夫なのですか?」


「少なくとも神戸や横浜、博多のような影響力がでかい存在はいないと思うよ。

 炭鉱業務でもヤクザとの関係はあったみたいだけど、船への積み込みの機械化はばら貨物よりすっと早かったみたいだし。

 それにコンテナとコンテナ船の利用や日本の港の水深を深くしていくことで、直接貨物船が接岸できるようになったり、コンテナクレーンで荷下ろしや積み込みを行うように成って、はしけを使って船から陸に下ろすのに人海戦術が必要ではなくなったことで、そこまで港湾では影響力はなくなってるはずではあるんだ」


 とはいえ、派遣法が改正されても、港湾労務への派遣は禁止され、その禁止を破った派遣会社は営業停止処分を受けたくらいで、まだ元ヤクザの会社あるいは左翼労使の影響というのは大きいはずではあるんだけど。


「日本政府はなぜ何もしないのですか?」


「あー、一応戦後にGHQがコンファレンス・メモという通達を出して船内荷役について、これまで独占していた会社を解散させ、その後は元請業者のみを認めて下請けと第二次下請けを禁止し、労務供給事業の一切は公共職安が行うこととにはしたんだ」


「でも、守られては居ないわけですよね?」


 北条さんの言葉に俺はうなずいて答える。


「ただこの指令は、元請の財閥系大手倉庫会社がハシケも沿岸荷役も船内荷役もやらなければいけなくなって業務が大きく滞ったところで、労働者が日本社会主義化党の影響力の強い総評系の全日本港湾労働組合を結成して、赤旗を立てて激しい賃金闘争を展開したことでさらに業務が滞ることに成ったんだ。

 そこで、元請の財閥系大手倉庫会社はGHQには内緒で労働者集めに奔走し、もともと港湾労働者の確保や管理を行っていた口入れ屋にも協力を依頼することにした」


「つまり政策が現実にあっていなかったというわけですわね」


「そうなんだ。

 さらに昭和25年(1950年)に朝鮮戦争が勃発すると兵站基地となった神戸港には特需物資が急増したんだけど、コンフェレンス・メモによって船への積み込みが遅れ、港湾荷役の増強が急務となると、アメリカはコンファレンス・メモを破棄したらしい。

 これに合わせて運輸省が港湾運送事業法を制定し、船内荷役業について、一定の登録基準を満たせば、下請けや二次下請も可能となったんだ。

 しかし昭和34年(1959年)、港湾運送事業法の改正により、2次下請が禁止され、昭和41年(1966年)の港湾運送事業法の改正で、元請の倉庫会社は引き受け量の70%以上を直接荷役しなければならなくなり、さらに下請に出す際、元請けは下請企業を株式保有により支配することが求められ昭和34年(1959年)、昭和41年(1966年)の2回に渡る港湾運送事業法改正から、下請は廃止の方向にすすんだはずなんだよね。

 まあ、結局元請けの財閥系倉庫会社がヤクザの持っていた会社を吸収合併したんだけど。

 さらに昭和41年(1966年)以降はさらに、国際コンテナ輸送が本格化し、今まで五日かかった一万重量トンクラスの貨物船荷役を半日ですませられるようになり、港湾荷役で人的労働力の大量投入は不要になった。

 結果口入れ屋としてのヤクザ組織は大量の労働者の調達と管理ということをする場がなくなっていった。

 そうするとあぶれた人間は生活に困るわけで山口組なんかは構成員が大きく増えるわけで積極的に他の組との抗争が出来るようになる。

 まあそれはともかくこうして運輸省と四井・四菱・済友倉庫なんかの財閥系大手倉庫会社とヤクザはズブズブに成っていくわけだ」


「行政がそもそもそういった構造を認可していたとは……」


「大臣も噛んでたくらいだしね」


「それについてもテレビなどではっきり示したほうが良いかと思いますが」


「そうだな、神戸港や横浜港なんかが全然近代化が進まないのもそういう影響はあると思うし、テレビや新聞でそのあたりははっきり国民に示したほうがいいだろうな」


 というわけで後日テレビでそのことを放送した所、横浜浜のドンと呼ばれた藤木組の人物やその一族、運輸省の上層部、地方自治体の上層部、日本郵船の幹部や財閥系倉庫企業の上層部に広域暴力団上層部、神奈川県警や兵庫県警、大阪府警に福岡県警の上層部、更には自由民権党の大臣級大物議員に加えて、山口組などの幹部や構成員の朝鮮人などが一斉に雲隠れし二度と姿を表さなく成ったらしい。


 噂では幽霊とか七人岬に海に引きずり込まれたとか言うものも流れているが詳細は不明だ。


 まあ何れにせよ移民や技能実習生制度のような外国人労働者に頼りすぎるのは良くないし、やるならシンガポールのように犯罪に対してむち打ちや死刑など厳しい刑罰もちゃんと適用するべきなんだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る