第56話 このころも有名人の髪形をまねるのは流行ではあった
さて、道玄坂の洋食店でちょっと遅めのランチをとったら、次は美容院だな。
「じゃ、美容院にそろそろ行こうか」
と洋食屋の会計を済ませて立ち上がると長谷部さんが言った。
「そうだね、あたしは美容室だけ行ったら、引っ越しで今まで住んでいたアパートから持ってきただけじゃ足らない家具や家電を新宿に買いにいくけど」
長谷部さんがそういうと篠原さんも言った。
「あ、そうしたら私も一緒に行きたいです」
長谷部さんと篠原さんのいうことに俺はうなずいた。
「まあ、二人はもう服は買ってるからな。
テニスウエアとかも含めて」
そして長谷部さんが言う。
「体験の間は動きやすい服装でもいいけど、本格的にサークルに入会するなら、早めにウエアやシューズ、ラケットなんかも買っておくに越したことはないよ。
やっぱり動きやすさが段違いだしね」
「確かにそれもそうかな」
この時代の学校はまだ土曜日が休みではないので、完全に休みなのは日曜日と祝日だけだが、祝日が結構少ないんだよな。
まあ、土曜日の講義は午前中だけだけど。
「テニパには入るつもりですが、ウエアとかはまあお試し期間が終わりそうな、今月末までに買いに行きますよ」
「まあ、そこまで急ぐこともないがな」
そんな話をしている間に渋谷駅西口からそうは遠くない美容院に到着した。
「あたしのおすすめはここだよ」
「ここですか」
「まあ、あたしを信じてくれ。
美容師の腕は確かだよ」
「そこらへんは疑ってないですが、ずっと待つだけなのは暇なんですよね」
「じゃあ、一緒にカットとかしてもらったらどうだい?」
「男でもやってもらえるんですか、ここ」
「大丈夫さ。
男は床屋ってわけじゃないしね」
「それならいいか」
というわけで予約していた美容室に俺たちは入る。
「いらっしゃいませ。
ご予約いただいていた方ですか」
「ああ、そうだよ」
と長谷部さんが美容師さんと話している間に、東京名門進学校組はファッション雑誌を見ていた。
「私はこんな感じがいいな」
「私はこっちだな」
80年代初頭はアイドルのヘアスタイルが大ブームだったが、にゃんにゃんクラブの隆盛とあっという間の衰退とともに、80年代半ばにはアイドルヘアをしている、女性はいなくなり、いまはファッションモデルやグラビアモデル、あるいは女優のような髪型がはやりだが80年代後半のバブル期を代表する女性の髪形といえばワンレングスとソバーシュだ。
ワンレングスは外側の髪をいちばん長くし、内側へ行くほど短くすることで、すべての髪の長さが同じに見えるスタイルでバブル期は特に流行したが、その後も長々と人気があるストレートヘアの髪形だな。
長さはショートからショートボブ、セミロング、ロングまで様々だ。
もう一方のソバージュは、フランス語で”野生の”という意味の言葉で、毛先まで細かいウェーブをかけた髪型のことだがこちらは80年代は一世を風靡したが、こちらはすぐに人気がなくなってしまった。
どちらも少し大人っぽく見えるような髪型で、バブル時代はJDこと派手な女子大生がファッションの主役だった。
しかしバブルがはじけるとJKこと女子高生コギャルがファッションの主役になっていき、髪型も茶髪のシャギーに変わっていくんだけど。
今年はW浅野こと女優でグラビアアイドルの浅野あっこと浅野ゆっこがトレンディドラマでブレイクして、彼女らの髪形をまねるようにもなっていく。
男の場合はアーティストヘアが受けていたがこれもアーティストヘアから俳優のツーブロックに置き換わっていき、これは、トップに十分な毛量をキープしておき、サイドまたは襟足を短くカットしたヘアスタイルのこと。長さには全く定義がなく、明らかに長さが違っていればツーブロックだったりする。
「んじゃ、俺に似合いそうなふうに、うまくツーブロックでお願いします」
「わかりました、髪も少し明るめに染めますか」
「あ、じゃあそれもお願いします」
女の子たちは髪の毛のトリートメントも併せてやってもらっているようだ。
長谷部さんがおすすめするだけあって、カットは綺麗な仕上がりで、なんとなく俺がイケメンになれたように思えるから不思議だ。
で、髪の毛の色を少し明るめのこげ茶にしてみたがうん、いい感じだな。
女の子はトリートメントで髪がきれいにサラサラになっているし、ここはいい美容室だ。
こうしてようやく俺や東大女子の面々は黒髪地味集団から少し垢抜けることができたのだ。
そのあとは渋谷の西武百貨店へ向かった。
西武渋谷店は昭和43年(1968年)に開店した老舗デパートだ。
開店当時からパリ駐在事務所の力により、欧米の衣服やアクセサリー、香水などの海外ブランドを次々と日本に導入し、80年代には”DCブランド”と呼ばれる事になる日本人デザイナーの手がけた衣服を多数世界に発信したセレクト売場の創造などで、西武渋谷店発の情報が日本中でファッションに関して注目を集めた。
また昭和62年(1987年)”生活雑貨”を扱うロスト館を渋谷で立ち上げてもいる。
そんなこともあってファッションブランドの火付け役として認識されている場所で、婦人服売り場がかなり多い。
丸いの渋谷店も悪くないのだがな。
キャッチコピーのつけ方も、西武百貨店は上手でイメージ戦略にもなかなか長けていたりもする。
そしてこのころはまだ屋上遊園地や最上階にお子様ランチが食べられる洋食レストランフロア、子供用おもちゃフロアや書店もきっちりあって子供連れの家族も楽しそうにしている。
俺たちは西武百貨店の中の欧米のインポート高級ブランドや個性的なDCブランドの服を見て回り、名門進学校組が気に入ったらしい何着かを俺はプレゼントした。
イタリアのインポートブランドなんかは背中がどんと開いていたり、胸元が開いていたり、スカートが超ミニだったり、ミニじゃないけど深くスリットが入っていたり、トップスが下着なんだかベビードールなんだかスリップなんだかわからないような服も結構売り場にあったりする。
まあ伊豆で篠原さんに衣服を買ったときにも下着を見たりしたし、上杉さんといたしてしまったこともあって、今更下着くらいでうろたえることもないけど、イタリアンインポートは特にエレガンスさとセクシーさを徹底して追及している感じはする。
それに他の国のインポートは結構おとなしい感じなんだけど、イタリアはいろいろ過激なんだろうか?
「日本のブランドも馬鹿にできないでしょ?」
「そうね、たまにはインポートじゃない服もいいものだと思うわね」
「でもインポートにはインポートのセンスの良さがあるのよね」
「特にイタリアのセンスはいいわね」
そんな感じで今日だけで結構な金が飛んで行ったがまあ、それに見合う成果は手に入ったろう。
少なくともインカレ女子に東大女子は地味でダサいとかは言われないようにして行ける道筋はついたしな。
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