第28話 日本の失われた40年はアメリカとの貿易摩擦による協議や協定だけが理由ではない

 さて、”前”の日本は90年までは好景気だったが、91年にバブル経済がはじけ、その後は2030年に至るまで二度と経済的に浮上できなかった。


 多くの日本人は70年代のオイルショックや80年代に起こったブラックマンデーによる株価の下落はすぐに乗り越えられたので、バブルの崩壊も一時的なもので、すぐに景気は持ち直すだろうと楽観的にいたが無論そんなことはなかったわけだ。


 その原因は日本は原材料を輸入し、それを加工して輸出する加工貿易立国なので、おもな輸出先であるアメリカとの貿易摩擦により、協議や協定などが制定されたためだと考える人間もいたりするが、それは根本的な原因ではない。


 では何が原因かといえばはっきり言えば”日本は上が自分の所属している組織のことしか考えずに縄張り争いに終始する無能で失敗してもそのまま居座り続ける国だから”だな。


 ここでいう上というのは大臣などの政治家や中央官僚、大企業の経営者およびそれに付随して情報を分析するいわゆる専門家たちなどを示すが、これは太平洋戦争の時の日本政府および日本軍と全く同じだ。


 おそらく明治維新で取り入れられた、イギリス的議院内閣制や公務員制度が時代に合わないというのもあるのだろうけどな。


 なのでこれからは日本でもある程度は政治任用制ポリティカル・アポイントメントを取り入れていった方がよいのではないかと思う。


 政治任用制ポリティカル・アポイントメントとは、政府機関の要職を、任命権者である政治家の裁量により、専門的な政策能力や政治的忠誠心などに基づき任免する制度をいう。


 日本の場合は資格任用制メリット・システム猟官制度スポイルズ・システムの時に問題になった必要知識などを持たないものが、政治家と懇意にしているという理由で要職についてしまう欠点はないが、公務員試験を受けた時には時代に合っていた必要な専門的知識や能力が時代に合わなくなっていても上に上がっていけるシステムはもはや時代に合わないだろう。


 まあ、アメリカのように政権交代のたびの3000人から4000人の公務員を総入れ替えするようなことは難しいとも思うが、ドイツのように次官、局長、大使等の400名程度の特定の官吏については、身分保障を緩和し、理由を明示せずに一時退職(将来再び任用される可能性を伴う退職)を行え、ポストから外すことが可能とした方がいいとも思う。


 まあ、どんな政治制度にも欠陥はあるのだが、時代の変化に伴ってベターな形にしていくべきだろうとは思うんだよな。


 特に外務省や通商産業省などのポストは頭は良ても他人の感情を理解しないで数字しか見ないお役人ではなく、実際に他国で活動していた経験のある経済界の人間などからリクルートした方がよいようにも思う。


 日米繊維交渉の時も通産省は現地調査をしたところ、米国の業界が日本の製品で大きな影響を受けているとはみえず、業界の支援を受けた政治家らが大変だと騒いでいるだけだと判断し、アメリカの態度を強硬な方向に向けてしまったからな。


 アメリカの場合、大統領はほぼ直接選挙で選ばれる上に、大統領が変われば、公務員も大幅に入れ替えられるのだから、業界団体の声を無視するようなことができるわけがないのだ。


 無論、企業を持っているものが私欲私益のためにそういったポストに就くようではだめなのだが。


 そして日本の政治や行政、企業の問題点は”現状に対しての徹底した要因分析が全くできずに枝葉末節の変化でごまかすこと””末端や現場へ問題を押し付けること”と”前例主義””問題の先送り”だな。


 とはいえ、現状では政治や行政も形態を大きく改革するような手段があるわけでもないんだけどな。


 しかしながら、現在計画している再生工場都市が完成して、現状俺たちが持っている企業などの社員の分も含めて全部合わせて十万人以上の投票権を考えてみれば政治家への影響力というものもいずれは持てるだろう……多分だが。


 そして日米牛肉・オレンジ交渉について牛肉が自由化されるのは既定路線なのでそれに対して、俺の持つ工場などで直接牛肉を仕入れ畜産農家を保護しようとしていたりするわけだが、日米自動車・同部品協議の影響を大きく受ける日三自動車や日米半導体協議の影響を大きく受ける東京三洋電機についてどうするかなんだが……。


 日三自動車についてはそれほど心配はしていない。


 なぜかと言えば日米自動車・同部品協議については最終的には日本の自動車についてはそこまで大きな影響を持たなかったからだ。


 日本の四輪車生産金額や四輪車生産台数、自動車輸入台数などは少なくとも2020年ごろまでは大きく変化しておらず、日本の自動車業界は大きな凋落などしていなかった。


 自動車の売り上げなどが80年代以前ほど伸びないのは人口ボーナスがなくなり自動車もいきわたり、買い替えぐらいしか需要がなくなれば当然だしな。


 そして基本的に日本の駐車場は狭いため大きなアメリカ車などの外車は駐車をするの困難であることが多く、特にタワー式、機械式の駐車場ではかなり制限が大きいため日本では一部のオフロード車を除けば普及しなかった。


 しいて言えばドイツの大衆車はそこそこ普及したかな程度だ。


 これは家具においても同じで、世界ではトップレベルのシェアを持つイケヤも日本では割と苦戦していて、その理由は日本人には微妙に合わないデザインセンスに加えて、ベッドやソファーなどが日本の家には大きすぎることが多いサイズだったりするからだ。


 一方の半導体は日本全体でみれば少し厳しいかもしれないが東京三洋電機については、やはりそれほど心配はしていない。


 半導体市場は好況と不況が3~4年程度で周期的に訪れる特徴を持ち”シリコンサイクル”と言われるのだが昭和60年(1985年)はちょうど不況に当たり多くの米国メーカーが業績が悪くなり半導体事業から撤退していった。


 だが日本メーカーは業績を伸ばしていたのでアメリカからはぼこぼこに叩かれたわけだ。


 しかし、ICに搭載される素子数は,”約1年半で2倍に増える”というムーアの法則で知られるように、IC産業は技術革新が激しい産業で日本はそこを見誤ってもいた。


 日米半導体協定は昭和61年(1986年)に日米間で締結された協定で,その内容は日本に相当不利なものであったのは確かだ。


 もともとラジオやメガホンのような民生品用に生産されていた日本の半導体と違って、アメリカの半導体産業は,1970年代までは軍事用のミサイルや航空機開発に伴う政府調達かコンピュータ企業における自社消費用という販路保障のもとで成長を遂げてきた。


 しかし、70年代後半には銀行や証券会社などで大型メインフレームの導入が進み、ビデオデッキ・ワープロなどの民生用エレクトロニクス機器の生産拡大につれて半導体ICに対する需要を爆発的に増大させることになった。


 そこでの競争力は低コスト量産体制に加えて長期間使用しても故障しない信頼性の高さが必要で品質管理運動を展開していた日本企業に実に合っていた。


 さらにアメリカは半導体専業メーカーであるのに対し,日本は総合電機メーカーが半導体も製造している形であったため、半導体の開発・量産化にあたって巨額の開発費用が必要になっても,日本企業はその資金を他の家電や重電部門などから調達できた。


 さらに昭和51年(1976年)から4年間に超LSIの開発のための電機メーカーの合同研究グループへ291億円が政府補助金として投入されてもいる。


 また、アメリカではコスト削減のために後工程を台湾などの海外に移転したが、それによりもともと日本より高いとは言えなかった品質のさらなる低下を招き,アメリカ製の半導体の信頼性の低下につながった。


 そして80年代前半には”設計・生産・出荷・在庫のコン

 ピュータによる一貫管理”いわゆるCIMの導入が始まり、大量生産が続くかぎり低コストでの生産が可能となった。


 日本は厳密な純度基準を採用しているため、原材料費が高く,またコンピューターなどによる自動化を推し進めているため,設備費も高く、日本の場合は下請け企業の活用でアメリカよりも人件費は多少安いが組立完了品1個当りコストはアメリカと日本でほぼ同じだった。


 しかし半導体の製造工程では徹底したゴミの排除が行われるが日本では製造ラインに入室前に入浴が義務づけられるなどの徹底的な対策を行ったことによりウエハー検査歩留まりではアメリカの40%に対し,しかし日本は52%と圧倒的に日本が高かったため総合的には日本のほうがかなり安く生産でき、それらが理由で半導体シェアの日米逆転がおきたのだ。


 昭和61年(1986年)にはアメリカが40%を切ったのに対し、日本は48%近くと日米のシェアが逆転し、昭和63年(1988年)には日本は51%と世界市場の過半を占めるまでになった。


 その結果,半導体企業ランキングで昭和61年(1986年)から平成3年(1991年)までは最大で6社が10位以内に入るという状況を見せた。


 しかし91年のバブル崩壊後,日本の半導体産業は一転してシェアを低下させ、平成4年(1992年)には日米の半導体シェアは再逆転する。


 ドル/円が80円を割り込んだ1995年を最大にして90年代の超円高による輸出利益の低下に加え、80年代後半ににはコンピュータのダウンサイジングによって、コンピュータシステムは大型のメインフレームを中心とするシステムから小型のパソコンやワークステーションを中心とするシステムに変化した。


 半導体の需要基盤がパソコンになったことで、CPUの生産を独占するアメリカが有利になった上に、OSもアメリカのマックロソフトが独占したことでデータの流れをコントロールするチップセットが開発され、パソコンの出荷台数が増えてもパソコンに搭載されるDRAMの数は増えなかった。


 さらに西芝がせっかくフラッシュメモリーを開発してもそれを韓国のサムソン電子に技術供与してしまうなどの失敗も大きかった。


 これに関しては俺が開発者を引き抜いて韓国へのフラッシュメモリの技術流出を防いでいるけどな。


 フラッシュメモリはデジカメやゲームの記録媒体としての重要な地位を占めるようになるし。


 そして80年代に行った生産ライン自動化への大規模な投資などがラインの切り替えを遅らせ、バブル崩壊による家電販売の不振がそれに拍車をかけた。


 まあ、東京四洋電気はもともと電電ファミリーのような輸出用半導体に巨額投資をしているわけでもないし、”前”とは違い日本のパソコンなどにはTRONがつかわれていて、B-TRONはマウスを使ってアイコンをクリックしソフトを起動する、英語でのコマンド入力ではない、一般にも分かりやすいGUIを備えたOSで学校の教育用パソコンにも搭載されているから日本でのパソコンの普及も”前”に比べかなり進んでいる。


 そして学校の教育用パソコンなども含めパソコンの売り上げはかなり上がっているから、まあ大丈夫だろう。


 内需拡大のためにリゾート施設をバンバン作るよりも、学校に教育用パソコンを導入する方がよほどいいと思うしな。


 まああと日本人の問題は知らない人間からもうけ話を持ち掛けられてホイホイ飛びついたり、流行に乗っかってニーズを考えないで事業を立ち上げたりすることもあるけども。


 前者は原野商法などの詐欺のカモになるし、後者は70年代にボウリングブームの時に馬鹿みたいにボーリング場が建てられたことや”前”のバブルの財テク、2010年代末のタピオカブームなどだな。


 そういう点でニーズが大きく変化しないはずの農業や資源再生工場は安定した操業ができることを期待していたりする。

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