第9話 日本国憲法の第9条についてはある程度改正はしていくべきだろう

 さて、家に帰ったら引っ越しの準備をしなけれなまらないが、そもそも日本の未来を変えようなどと言ってゲームを作ったりすることに集中できるのも、日本が平和だからこそである。


 そして、日本が平和なのは憲法9条があるから、ではもちろんない。


 日本が平和を維持することができているのは、自衛隊を持ち、日米安全保障条約に基づいてアメリカの安全保障の傘の下にいたからに加えて、石油や金などの貴金属やレアメタル、あるいはダイヤモンドなどの高価な宝石などが取れる、地下資源の豊かな土地ではないということが大きいとは思うんだが。


 それを考えると樺太をソ連に取られたのは本当にもったいない。


 あとは島国なので戦車などの戦力の輸送が大変というのもあるとは思うけどな。


 で、まあ第九条 の内容はというと


 第二章 戦争の放棄

 第九条


 1・日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。


 2・前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


 というものだ。


 なぜにこういった文言が盛り込まれたのかといえば、


 もともとアメリカのGHQは、日本の占領統治をより円滑に進めるため、天皇制を維持する意向であったが、ソ連、中国、イギリス、オーストラリア、ニュージーランドなどの連合国諸国は、日本の軍事的脅威の再来を懸念することもあり、東京裁判での昭和天皇の訴追による死刑および、天皇制廃止を要請するつもりであったらしい。


 まあ、中国は日中戦争で甚大な犠牲を出しているし、イギリスは戦艦などを沈められ、シンガポールなどを失ってるし、オーストラリアも実は日本による空襲を受けているから、まあわからないでもない。


 ソ連が昭和天皇の訴追による死刑および、天皇制廃止を言い出すのはその政治制度を考えればまあ当然だったんだろう。


 とはいえ1918年11月にドイツの11月革命が起きたことで、ドイツ皇帝ヴィルヘルムⅡ世がオランダに亡命、ドイツを追放され、翌1919年ロシアに続く共産主義革命が企図された結果として、ナチスが台頭した経緯もあり、仮に昭和天皇を連合国が死刑にしていたら日本全土がイオージマやオキナワのようになることは火を見るより明らかだったろうが。


 結果として日本国憲法に「戦争放棄」条項を入れることは、「天皇の訴追を避け、天皇制を維持」するために当時における状況では不可欠だったのであろうとも思う。


 実際にはフランスやドイツ、イタリアにも平和憲法の条項はある。


 イタリアは、共和国憲法の第11条に、国際紛争解決の手段としての戦争を放棄と記している。


 ドイツでも、憲法に当たるドイツ基本法の第26条で、侵略戦争の遂行を準備する行為は違憲である。このような行為は処罰されなければならないと明記している。


 まあ、戦力の保持を明記しなくても、すんでいるのはイタリアはムッソリーニ政権が、ドイツではナチス政権が消滅しているというのも大きいかもしれないが。


 フランス共和国憲法は前文にて自由・平等・友愛の精神を謳い、また他国征服を目的とした戦争及び武力行使の禁止を定めると記している。


 ちなみにアメリカ憲法にはそういった規定はないけどな。


 日本と同じように軍隊を保持しないとするコスタリカは、昭和24年(1949年)に憲法で常備軍を廃止している。


 そのきっかけは、前年である昭和23年(1948年)の内戦で大統領選挙において、野党の候補が与党の候補に勝利。


 しかし、与党陣営はこの選挙結果を無効としたため、野党がグアテマラ政府から支援を受け内戦に突入。


 そして野党側がは内戦に勝利し前与党政権の支持者が多かった軍隊の力を削ぐために、「常設機関としての軍隊の禁止」を憲法に盛り込んだ。


 しかし、軍事的戦力を一切持っていないわけではなく、必要に応じて軍を臨時に設置することは法的に認められており、国会議員の3分の2の賛成投票により、大統領に徴兵制の実施及び軍隊の編成の権限が与えられるし、与党支持者による予備役・民兵組織は残されてもいる。


 さらにコスタリカの隣国であるニカラグアとパナマはアメリカの侵攻を受けて軍を解体されているという意味でも、日本とは全く状況が違うのだ。


 同じようなことはハイチでものちに起こっているしな。


 実は日本の場合もこれに近い面もあると思う。


 二・二六事件、五・一五事件、宮城事件きゅうじょうじけん、血盟団事件、神兵隊事件、救国埼玉青年挺身隊事件などのクーデター未遂や政治家財界人に対するテロが戦前、戦後に起こっている日本において、軍の解体は政治家や財界人にとって必要だったのだろう。


 まあ、その後に朝鮮戦争に際し、在日アメリカ軍が朝鮮半島へ出動した空白を埋めるために警察予備隊が編成され、やがて保安隊、自衛隊と変わっていくわけだが。


 ちなみに国の交戦権は、これを認めない。 というのは現代では意味が分からないが、戦前においては「交戦権」の概念が存在していた。


 戦争当事国ではない中立国の商船やあるには民間の商戦が戦争中であることを理由に、攻撃しても許される“権利”が交戦権なわけだが、ほかでもないアメリカは日本の民間商船を大量に撃沈してるし、都市への大空襲や艦砲射撃もしてるし、広島・長崎という都市への原爆投下もしてるんだよな。


 交戦権というものを認めていると、お互いに民間人を攻撃し放題になってしまう。


 まあ、そういったことをさせないために戦時国際法というものが存在しているわけだが、ベトナム戦争で枯葉剤をまいたり地雷を大量に敷設したりして結局民間人への被害を出さないようにというのができているかというのは疑問でもある。


 まあ、それはともかくすでに古く時代にも合わなくなった条文を残しているからややこしくなるのであろう。


 なので


 ②前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。

 国の交戦権は、これを認めない。


 はもう削除してしまっていいと思うんだよな。


 そして、日本という国において個別的自衛権が認められること。


 その為の戦力として自衛隊が認められること。


 国際法規の遵守と征服戦争の完全放棄。


 これらを明記したほうがいいとも思う。


 今の自衛隊がテロやクーデターを起こすとは思えないし、交戦権を拡大解釈して民間人や民間施設への攻撃を行うと思えないしな。


まあ、テロ国家は発電所や変電所、送電線への攻撃などを普通にやったりするのも頭が痛いのだが。


 無論軍隊というものは非常な金食い虫でもあるので、際限ない戦力拡大による軍事大国化は経済には大きく逆効果だから、平成9年(1997年)に創設された、常備自衛官を最低限には自衛機能する人数を保持しつつ、普段は菓子屋で働きつつ、通常は他の職業に従事する元自衛官を中心に予備の要員として任用し一定の招集訓練または招集教育訓練を施し有事に対応できる予備自衛官等制度を設け、即応予備自衛官、予備自衛官、予備自衛官補の三種を設置しておくべきではあると思う。


 逆に武器や違法薬物の密輸や正規の手旬を経ていない外国人の不法入国、魚介類やサンゴなどの密漁などの領海侵犯にたいしては相手がどの国であろうと厳正に対処すべきであろう。


 日本政府は中国の反発を恐れて逮捕や停船命令を出さずに退去命令に留める方針しかとっていなかったため好き放題されていたしな。


 もっとも戦前にあった戦時などの緊急時における人権保障と権力分立の停止を定める、緊急事態条項の復活はさせないほうがいいとは思うが。


 あと問題は射程の長い巡航ミサイルや弾道ミサイルに対する対処ではあるんだけどな。


 俺は全国紙になったライジングサンタイムズとテレビto-kyo系列で、それらを報道した。


 これに対しては批判や反論もあったが、コスタリカの軍を持たないというもの実情は武装戦力を完全に持たないということでも、自衛の権利の放棄でもないということはおそらく理解してもらえたと思うし、侵略戦争を行わないというのは日本の専売特許でもないということも理解はしてもらえたと思う。

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