第5話 銚子や養老渓谷は昨年の地震の影響はあんまりなかったみたいだな

「あと、昨年の暮れに起きた千葉県東方沖地震の被害で、銚子や養老渓谷なんかの観光客って減ってる?」


 俺がそう聞くと北条さんは首を横に振った。


「銚子は震源から大きく離れていたので、そこまで揺れは大きくなかったようですし、施設の建設や改修時に耐震についてもちゃんと施してありましたから、問題はありませんわね。

 養老渓谷のほうは道路が陥没していたりしたことで多少影響はありましたが、今では道路も復旧していますし、菜の花や桜の花目当ての観光客はちゃんと来ております」


 北条先輩の報告に俺はうなずいた。


「そうか、まあ、それはいいことだけど、死者も出た割と規模の大きな地震だったのに、意外と世間の関心はないみたいだな」


 俺がそういうと北条さんは苦笑しながら言った。


「まあ、舞浜のほうの客に影響が出るような情報は、テレビが出さないようにしているというのもあるのでしょうね」


「ああ、まあそういうのはあるんだろうな」


 実際に平成5年(1993年)の北海道南西沖地震における奥尻の大津波や平成7年(1995年)阪神・淡路大震災、何よりも、平成23年(2011年)の東日本大震災に比べれば被害の規模はだいぶ小さいのも事実だが、できれば今のうちに地震はやはり恐ろしいのだという認識は広まってほしかったな。


「まあ、天井と家具や家電の上を伸縮する棒で抑えさせて、食器棚やタンス、本棚や冷蔵庫などの転倒防止を図る器具を事務用品の工場でつくらせて普及させていくようにしたほうがいいな」


 俺がそういうと北条さんはうなずいた。


「負傷者の多くは食器棚や冷蔵庫、本棚やタンスなどの下敷きになったことによるものであったようですしね。

 早速それは進めるようにしましょう」


「うん、お願いね」


 それから俺は続けて北条さんへ聞いてみた。


「そういえば昭和61年(1986年)の伊豆大島における三原山の噴火は火山活動はいつ再開するかわからないのもあって、昨年度も観光客の減少は続いていたみたいだけどが……そっちはどうなんだろう?」


「伊豆大島のほうも現状ではだいぶ落ち着いては来たようですが、観光客が戻ってきているかというと厳しいというのが実情ですわね。

 とはいえ私たちが熱海や伊東の旅館などで個人客や家族客などを優先して宿泊できるようにしていることもあって、そこから足を延ばして大島まで行った方も結構いたようですわ」


「ああ、熱海や伊東からはフェリーが出てるからちょっと足を延ばして大島まで行くってやつもそれなりにいたのか。

 それは何よりだな、やっぱり人が来ないと観光地は厳しいし」


 俺がそういうと北条さんは俺に聞いてきた。


「この際ですからお聞きしたいのですが、ゲーム制作で儲けたお金で谷津遊園を買い取ったのはなぜですか?

 それこそ東京や神奈川の操車場跡地を抑えておいたほうが確実に儲けられたような気がするのですが?

 あなたならそちらもわかっていたでしょう?」


 北条さんがそういうと斎藤さんが言った。


「あなたみたいにお金しか頭にない人とは違うのよ。

 小さいころによく行った場所が廃墟になったまま放置されていたら思うところがあるというものよ」


 斎藤さんの言葉に少し苦笑しながら俺は言う。


「確かに、俺たちが小さいころに行く遊園地と言ったら、大抵は最初が谷津遊園だったしな。

 そこが閉園して放置されたままなのは残念だったのは確かで、もう一度開園させていきたかったって言うのはあったよ」


 それに対して北条さんも言った。


「でも、儲けが出るのが確実だと思ったから買ったというのもあるのでしょう?」


「うん、あの時点ではまだアトラクション自体も結構新しくて、遊園地の土地やアトラクションを買って新しく作るよりずっと安くあがるのも間違いなかったしね。

 実際に30億円というそれなりに大きな規模の遊園地の跡地の買収金額としては破格の安値で俺は閉園した谷津遊園を手に入れたわけで、ライバルが多い東京や神奈川の操車場跡地を買うよりもずっといい買い物だったと思うよ」


「まあ、確かにいろいろテコ入れしてそれなりに追加費用が掛かったとはいえ、結局はかなり安く上がったのは事実ですわね。

 開園後はきっちり黒字になっていますし。」


「まあ、それと、谷津遊園を再度開園させることで雇用を生んだり、よそから人がやってくることによる経済効果もばかにならないからね。

 谷津遊園がうまくいったからこそ全国の遊園地を買収しまくって、再建の仕方を知るめどもできたと思ってるよ。

 もちろん舞浜のあれのやり方も随分参考にさせてもらったけどね」


「確かに谷津遊園での経験があればこそ、各地の遊園地などの再生もうまくいって黒字経営が可能になったのではありますが……そこまで儲かってるとも言えないのも事実ですわ」


「俺はそれでいいと思ってるよ。

 日三を買い取ったのも放漫経営のツケを現場におわせて、工場の閉鎖や海外移転をさせないためだからね」


 日三自動車は平成11年(1999年)、主力工場である村山工場や京都工場など五工場の閉鎖を行い、21000人削減の大合理化案を行った。


 取引部品メーカーも半分の六百社に削減され、日本全体で14万人ものリストラも進められていた。


 これだけの人間が職を失い、さらに工場周辺の飲食やサービス業も顧客を失えば経済が冷え込むのも当然だ。


 メーカーの利益さえ出れば労働者の生活などどうでもいいと考えているからこそ、若者の何とか離れとか言われて何もかも売れなくなっていくのは当然だろう。


 経営者は労働者は消費者でもあるということを本当にわかっていないのだ。


 俺がそういうと北条さんはうなずいた。


「まあ、安定して稼ぎがあるというのは大事なのでしょうけどね。

 今からだと信じ難いですが70年代はオイルショックで、いろいろと大変であったようですし

 」


「そういうことなんだよね。

 だからこそ俺は継続的な雇用を確保できるようにしていきたいんだよ」


「収入が安定していればこそ、いろいろなものも売れるというわけですわね」


「そういうことだね」


 子供を産んで育てるのが経済的に不安だとか、そういうことがないようにできれば、日本の未来もいい方向へ変わっていくと思うんだよな。

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